第一部エピローグ
満身創痍の神子は両肩を白峰神とスサノオに担いでもらい、疲労でもう動かせない足を引きずりながら、『京都御所』の門をくぐった。
千年の都、千年王国とも呼ばれる古都。それが京都である。
そんな古い歴史を持つ街において、京都御所は天皇家の住居、政治の場、まさに日本の中枢であった由緒正しき場所だ。
元上皇である白峰神にとっては、馴染み深い場所でもある。
だが歴史に詳しくない神子にとってみれば、何故ここに連れてこられたかも分からない状況。
電車や車を乗り継いで、ようやく京都駅についたと思いきや、この京都御所までまたもや歩かされた。
今現在神子が通っている南門の『健礼門』は本来、特別な行事の時にだけ、国家元首クラスの人間しか入れない特別な門である。
だが両脇には英雄神スサノオと皇族生まれの白峰神という、実質顔パスの状態。誰も文句は言えない。
一般人では決して起きえない、貴重な体験。しかしそんな最も格式高い門を通過したというのに、神子の心中は「布団で寝たい」の一色であった。勿論、京都の景色や門の外装などは1ミリも気にしてはいない。
健礼門の先にある内門、見事な朱色の柱が特徴の『承明門』を通過した際も、何のリアクションも見せなかった。
「ほれ。着いたぞ、神子」
白峰神の声で顔を上げると、神子の視界には広い南庭と、荘厳な趣のある建物『紫宸殿』が広がる。
天皇の即位式などが行われ、歴史の重みを感じる外装だが、やはり神子の視線はそちらには向かない。
神子の見つめる先には、庭から紫宸殿へと続く十八段の階段の上で数人と会話している、ツクヨミの横顔があった。
神子が声をかけようとするよりも先に、ツクヨミはふと庭の方に顔を向けた。
そして神子達と目が合うと、巫女服の女性達との会話を打ち切り、階段を駆け下りる。そして走りにくそうな和服のまま、駆け寄ってくる。見慣れた、威圧感を放つ低血圧そうな顔のままで。
「………………」
神子と白峰神とスサノオ、二柱と一人の目の前に立ったツクヨミは、彼らをじっと見つめたまま動かない。
対する白峰神は冷汗を流し、スサノオはいつ姉からのラリアットが飛んできても良いように、全身に霊力を込めて硬質化する準備をこっそり進めていた。
だが空気が読めないのか、あえて読まないのか、神子は疲れた顔に笑顔を浮かべ、自分の足で南庭の白砂利の上にしっかりと降り立った。
「……ただいまですツクヨミさん! 白峰様とスサノオさんと榊原神子、ただいま無事に帰還しました!」
いつかのように、ビシッと軍人の真似をして敬礼する。
それに応じて、ツクヨミは身体を素早く動かした。
「ほれきたことか」と白峰神は一瞬で肝を冷やし、スサノオは「やっべぇ」と思いながら霊力を上昇させる。
――だが彼らにもたらされたのはラリアットでもビンタでもなく、ツクヨミからの抱擁であった。
両腕で神子と白峰神を抱き寄せ、ぎゅっと力を込める。
その予想外の行動に、誰も動くことも声を出すこともできなかった。
「ツ、ツクヨミさ……」
ようやく神子が唖然とした状態から立ち戻り、ツクヨミの背中に手でも回そうかと思った矢先――ツクヨミは二人を離した。
「……バカ! おかえり!」
目に涙を浮かべ、怒ってるのか恥ずかしがっているのかよく分からないほど顔を赤くしたツクヨミが、キツイ口調でそう言った。
離れていたのは一日にも満たないのに、何だか懐かしく感じるその罵倒に、神子はようやく安心感を覚えた。
ここまで長く辛い道のりだったが、見ず知らずの京都という土地だが――「あぁ、帰ってきたのだな」と。ツクヨミの一言で、そう思うことができた。
「ホントに……余計な心配かけさせんじゃないわよ! もう、まったく……! バカ! このバカ巫女! そんなボロボロになって、バッカじゃないの!?」
「どうもスイマセン、えへへ……」
「何笑ってんのよ!」
鼻をぐすぐすさせながら怒るツクヨミの様子に、神子はどうしても笑みがこぼれてしまう。素直じゃない夜の女神様を、神子はどうしようもなく可愛く思っていた。
「……ま、ともかくこれでワシらの任務は完遂じゃな。『東京に取り残された民をできる限り救出し、安全な地へ運ぶ』というみっしょんは」
ツクヨミに絞め殺されるんじゃないかと思っていた白峰神は、安心したように首元をさすり、ひと段落ついたといった風に長く息を吐く。
半年もの間、人間を守るために気を配り、最後には自爆までしたのだ。年寄り臭く(実際年寄りだが)ふぃー、と溜息を吐いても許されるだろう。
「……そうね。先に京都に連れて来た人達は、全員保護されたわ。もう心配は要らない。明治神宮に避難していた全員が無事に東京を出られたなんて、奇跡的だわ」
「ひとまずは『めでたしめでたし』じゃな」
神子からの『お返しハグ』を全力で拒否しつつ、ツクヨミは白峰神に微笑み返す。
お疲れ様だとか、ありがとうといったことは言わないが、白峰神にとってはもう充分であった。
人々を皆守ることができた。自分にもまだ、自分のことを強く信じてくれる人間や神……『仲間』がいるのだと分かった。
それを実感した白峰神からすれば、ツクヨミの「おかえり」だけで、何よりの褒美と思えた。白峰神もツクヨミと同じく、そんな感情を素直に口に出したりはしないが。
「なぁなぁ姉ちゃん、俺は俺は!? 俺も頑張ったんだけど! サタンの腕がドラゴンになってギャオーって感じだったんだけど、俺とオロチでグバァーって風にしたんだぜ!? なんかこう、よくやった的なアレがあっても良いのでは!?」
「るっさい!!」
「ごばァッ!!!」
十八番・殺神級ラリアット。
完全に油断していたスサノオの喉にラリアットが直撃し、霊力上昇によるステータスアップも間に合わず、大地に叩き付けられた。喉仏が奥に押し込まれ、喋ることも呼吸も困難になるほどの威力であった。
「アンタは後で説教だから。……ともかく、行くわよ」
芋虫のように転がるスサノオに冷たい視線を浴びせつつ、ツクヨミは紫宸殿の方にまた戻る。
その後を追う白峰神はというと、流石に可哀想に思ったのか、日本神話最強であるはずのスサノオに肩を貸して立たせてあげた。
涙を流し「あ゛りがどう……」と掠れた声で言うスサノオを見て、本当に自分がツクヨミの『仲間』であって『身内』ではないことを、何よりの幸運だと思った。
「行く? 行くって一体、どこにですか?」
再会もそこそこに、一体どこへ行くというのか。神子はふらふらとその背中を追いかけながら、疑問をぶつける。
「決まってるでしょ」
東京から京都への逃避行。その全ては終了した。
しかし。終わりではない。まだ何も終わってはいない。悪魔達は今も東京を占拠し、世界中の数多の神々も集ってきている。そんな中で、日本の神が足を止めるわけにはいかない。
彼らの戦いはまだ、始まったばかりなのだから。
「八百万の神々が集う場所……。アタシ達の本拠地『出雲大社』へよ……!」
反撃の狼煙が上がる。奪われた東京を取り戻すため、『やおよろズ』は聖なる土地へ集う。
そんな大きな時流の真っ只中にいるというのに。榊原神子という巫女は、状況を把握も出来ずに、暢気な笑顔を浮かべていた。