東海道新幹線上電撃戦
最も早く『雷神』に鋭利な爪を振り下ろしたのは、フール・フールであった。
その右腕は、落雷よりも素早く肉を断ち切る速度と威力を誇る。
しかし――雷神に振り下ろしたはずの鋭い爪は、ただ虚しく宙を切るだけだった。
(かわされた……!?)
フール・フールは首を横に向ける。
視線を向けたその時には既に、雷神のアッパーカットが己の顎に触れる距離であった。身を捻ってかわすこともできない。翼を羽ばたかせても、もう遅い。
雷神の拳から電流が迸り、フール・フールの脳を沸騰させる。そして振り上げられたアッパーで、悪魔の身体は遥か上空まで舞い上がる。
「があああああああああああああああああああああッッ!!!」
それは雷神の咆哮であった。こめかみ付近から牛の角のような突起物を生やし、轟雷よりもつんざく怒りの声を上げる。
眼鏡の奥に温和な笑みを浮かべていた天神は、もうどこにもおらず、真っ赤な眼光で天使ラミエルに視線を移す。
『解析完了。アンノウンを神の敵と認識。モードフルバーストからモード・ファイナルに移行。全戦力を投入し殲滅します』
ラミエルは両腕のガトリング砲、肩に担いだバズーカ砲、そして両脇腹からミサイルポッドを展開し、持てる全ての弾丸を射出する。
天使でも悪魔でも神でなく。雷神をそれ以上の、もっと恐ろしい『何か』であると認識して。
雷神に迫る銀色の弾幕。
それはまるで、流れ星の海を泳いでいるかのような錯覚を覚えさせる。だがその幻想的な光景に酔いしれることもなく、雷神は身体の前で『×印』を描くように両腕を交差させた。
「雷撃・飛梅」
交差させた状態で両手を開く。そして指の間に小さな雷球を発生させ、それをラミエルに向かって撃ち出した。
高速で放たれた雷球は、ラミエルの弾丸を全て撃ち落とし、跳弾が出雲丸の鉄板に穴を開ける。
『エネルギチャージ。次弾発射まで残り――』
「うるさい」
一瞬で距離を詰め、雷神は拳を振り上げる。
ラミエルは電撃の防御壁を即座に展開したが、拳はその雷の壁ごと突き破り、ラミエルの頭部装甲を殴りつける。
その堅い装甲までを破壊することはできなかったものの、ラミエルは雷神のパンチ一発で、運転席側まで吹っ飛んでいった。
天神が再び咆哮を上げると、数百の雷が大地に落ち、轟音を響かせる。
出雲丸が高速で通っていった後方には、落雷で崩壊した建物や炎上した森が広がっていく。出雲丸が京都へ向かえば向かうほど、東海道新幹線沿いの町や都市は、甚大なダメージを受けていくことになる。
「ニョルニルハンマー!!!」
雷撃を放つ『菅原道真』に、飛び出してきたトールが巨大なハンマーを振り下ろす。
オーディンより戦闘の禁止を言いつけられていたというのに。天使や悪魔とも戦う気がなかったのに。
「お主……! 何者じゃあ! こんな……ッ!! お主の魔力で、国一つ潰す気かぁ!!?」
トールが攻撃したのは、敵意からではない。トールの実力を持って抑えこまなければ、『危険だ』と判断したからだ。
数百トンの重さのハンマーを背中に受け、雷神は膝を付く。
しかしそれでも漏れ出した魔力が蛇のように唸り、トールの喉元を狙って迸る。
(魔力が、怒りが、止まらない……)
『自分が何者なのか』。それを問うたびに、『天神』はいつも白峰神のことを思い出す。
皇族の生まれと、菅原家という貴族の出自。生まれた時代も境遇も立場も違う。
しかし、崇徳上皇と菅原道真は同じ存在だった。人から魔に堕ち、そして神へと成った男達。長い日本の歴史でも、数少ない『同族』であった。
菅原道真は優秀な人物であった。政治家としても歌人としても、彼に並び立つ人間は当時いなかった。道真は己の才を驕ることなく、国を良くしようと働いた。
しかし、いつの時代も優秀な人間を妬む者は必ず存在する。足を引っ張られ、策を弄され、道真はついに失脚した。
(ただ、世の為人の為を想っただけなのに。何故人は誰かを呪うのだろうか)
道真は、その怒りから魔物になった。
都に落雷を落とし、己を京から追放した者達を、ことごとく呪い殺した。それでも彼の怒りは納まらず、やがて『天神』として全国の神社に祭られることになったのだ。
「トール神……! もっと、強く抑えて下さい……! 私が……! 私の魔力が、この国を壊してしまう前に!!!」
天神が今まで戦わなかった理由。それは実にシンプルな理由だった。『強過ぎる』のだ。あまりにも。
その神力・魔力は日本全国に嵐を呼び、迅雷によって国家を火の海に変えてしまう。
千年前のように。日本という国を、滅ぼしかねないからだった。
「加減はせんぞ!! つーか、できんからな!!!」
トールはニョルニルハンマーに神力を込め、雷撃の槌を再び振り下ろす。
北欧神話最強の神がいてようやく、何とかセーブできるほどの魔力。あるいは道真の怒り。
「道真っ……!」
ツクヨミは、トール神がこの場にいる偶然は、何よりの幸運だと思って見つめていた。他の神では、雷神の力を止めることができない。数百年前から全国各地に天神に関する神社を建てて、それでも抑えきれないチカラなのだから。
トールがいなかったら、天使と悪魔を倒す代わりに、日本という国が一つ消し飛ぶところだった。
雷神はトールのハンマーを受けて意識が途絶えそうな中、また過去を思い出していた。
同族として、聞いたことがある。白峰神に。
どうして、許すことができたのか。何故、そうも愉快そうに笑っていられるのかと。
『――……何故って、そりゃあ……。昔のことですしの。ワシのことを追い出し、ワシの感情を蔑ろにした連中は、もう一人も生きておらん』
『……立派ですね。私はまだ、どうにも……』
『……まぁ、魔力を操れるっつーことは、ワシ自身も完全に割り切ったわけではないんでしょうなぁ。それでも道真公。ワシは、今生きとる連中のために力を振るおうと思うんですわ』
『今、生きてる人のため……』
『白峰様ー! 湯島先生~!』
『何じゃあ神子。メシの支度しとったんじゃなかったのか』
『いやぁ……お味噌汁に間違って砂糖入れそうになった時点で、ツクヨミさんに追い出されまして……。ところでお二人とも、何かお話してたんですか?』
『お主には関係ない話じゃ』
『え~聞きたい聞きたいー! 隠し事なんかしないで下さいよー!』
『何じゃこのウッザイ巫女は』
『白峰神は凄いな、って話をしていたんだよ。榊原君』
『えー? 湯島先生の方が素敵だと思いますけどー?』
『ぶっ飛ばすぞ』
『それに、榊原君も凄いと思うよ。こんな状況でも、いつも笑顔を絶やさないでいるんだから』
『えへへー』
『こやつはアホなだけですぞ』
『酷い! ……でも、アレですよ。湯島先生も白峰様も私も、やればできる子なんですよ! 平成生まれと平安生まれは最強! ってやつです!』
『一緒にするでない。あと言っとくが、それ流行らんからな』
『えー、流行らせましょうよ。平成生まれと平安生まれは最強!』
『ハハハ。元気な巫女さんがいて、白峰神が羨ましいよ』
走馬灯だろうか。あの日々を、貧しくも楽しかった、明治神宮での日々を思い出した。
過去を帳消しになどできない。怒りはまだ納まらない。全てを破壊し滅ぼすこのチカラは、どうにも操れそうにない。
それでも今、戦うのは――。莫大なリスクを冒してでも戦うことを決めたのは、もう後悔しないため。
道真、天神、雷神。人は色々な呼び名で己を呼ぶ。そして様々な人間が、老いも若いも男も女も、己を信じてくれる。時に恐れ、時に縋る。それこそが『神』。人智を超えた恐怖とエネルギーに、古来より人間達は神を見出してきた。
雷神となった今、彼は人間の感情に応える。それがたとえ、一瞬の稲光だとしても。
『道真公、もしもの時は頼みましたぞ……!』
『アンタが、アンタの思うままに! やってやんなさいよ!!』
『湯島先生ー!』
『建物なら、また建て直せば良いのです』
『俺を家に、帰してくれねぇかなぁあ……!』
『先生!』
『湯島先生!』
『天神さん!』
『天神様!』
後悔するのはもうやめよう。今度は自分のためでなく、誰かのために怒れる人間になろう。そう決めたんだ。
そう、教わったのだ。同族である神から、その巫女である少女から――。
「――平成生まれと平安生まれは、最強だ、って……!」
ニョルニルハンマーをはじき返す。それでもトールは再び振り上げる。
上空からは肉体の再生を終えたフール・フールが襲い掛かる。
前方からは、全ての弾丸を補充し終えたラミエルが銃口を向ける。
昨日から何も食べていないことを思い出し、ふと「お腹が空いたな」と思う。喉もカラカラで焼き切れそうだ。
関係ない。
一個人として、声が枯れようと雷神は叫ぶことにした。己の感情に嘘をつかず。轟く雷鳴に、負けないように。
『神の敵を排除します』
「サタン様の栄光を、知らしめてくれる!!」
「ワシが力負けして、北欧神の株を下げるわけにはいかんのぅ!」
「他国で、やれやあああああああああああああああああッッ!!!」
雷の天使と雷の悪魔と雷の北欧神に、雷神の怒りが降り落ちる。
その衝撃波は、数兆ボルトの電撃エネルギーは、暗雲すらも吹き飛ばすほどであった。




