神の雷霆
『ゴエティア』と呼ばれる魔術書が存在する。
ゴエティアは、伝説のソロモン王が使役したという72体の悪魔について記されており、それらの悪魔は現代でも『ソロモン72柱』として有名である。
そのゴエティアに記された34番目の悪魔――『フルフル』とも呼ばれる悪魔フール・フールは、召喚の仕方によっては、男女に愛をもたらす天使として登場することもある。
しかし今は、邪悪の化身であるサタンによって呼び起こされた。
その理由は、サタンが取り逃がした者達を抹殺するため。愛のキューピッドとはかけ離れた見た目のフール・フールは、暗雲を巻き起こして雷鳴を轟かせる。
「さぁ、貴様も名乗れ土着の神。それがルールなんだろう?」
「……天満大自在天神道真。受験の神です」
出雲丸の上で、天神はフール・フールを観察する。
時速200kmで移動する出雲丸の斜め上の位置で、翼をはばたかせて並走している。それも後ろ向きに。天神のメガネが吹き飛びそうなほどの突風が襲っている状況だというのに、フール・フールは必死に飛んでいる様子でもない。
恐らく、とてつもない移動速度を誇るのだろう。そしてその速度に耐えうる肉体の強度も。溢れる魔力は轟雷を呼んでいる。
間違いなく、強敵だ。
「勉学の神だと? そんな奴が俺の相手か。この国の連中は、随分と人手不足に見える」
「いやぁ、人手は足りているんですけどね……。800万もいますし」
悪魔を前にして、疲れたように笑う天神。
そしてフール・フールはおかしそうに嗤う。
「そういえば、貴様らは異常なまでの多神教徒だったな。木だの山だの川だの、果ては道具や便所すらも神聖視しているんだろう? まったく理解に苦しむ民族だ」
「よく言われます」
悪魔の挑発に怒ることも傷つくこともなく、天神は穏やかな表情を崩さない。
その顔が――どこか裏があるようで、何かを隠しているような気がして、フール・フールには不快だった。
「……少しお喋りが過ぎたな。まずは貴様を殺し、それからゆっくりと、中にいる人間共を殺すとしよう。北欧のトールも始末せねば。夜は長いが、仕事は早く済ませる性質なのでな……!」
「それは素晴らしい。日本の企業が欲しがる人材ですね」
『らしくない』軽口を叩き、天神は身構える。
見上げるフール・フールは両手に雷光を集め、攻撃態勢に入った。
この時天神は、本当に『戦うことができなかった』。
白峰神の真似をして、口八丁で時間を引き延ばそうとしてみたが、やはり無理だった。
戦う手段が無いわけではない。だが、戦えない理由がある。
しかし今は、他に戦える神もいない。ツクヨミは戦闘向きではないし、トールはオーディンとの約束により戦闘を禁止されている。仮に戦闘が許可されていようと、信者でもない他民族のために命を張る義理はないだろう。
どうしたものか。天神が冷汗を浮かべつつ、上空の稲光を見上げていると、突如として――轟音渦巻く上空に、機関銃の音色が響き渡った。
「!?」
断続的に、弾丸が射出される音。
それを聞いたフール・フールは、直感で真上に飛び上がった。しかし弾丸はフール・フールを捉え、何百発という銀色の弾幕が襲い掛かる。
両手の電撃で、無数の弾丸を焼き切る。しかしいくつかは焼き切れる前に、フール・フールの肉体を貫通した。弾丸は悪魔の身体に風穴を空け、血を流させる。
「この弾……『デナリ』……! デナリウス銀貨か!」
フール・フールは体内に残った弾丸を取り出し、その正体を確認する。
それは聖書にもたびたび登場する、古代ローマ時代の貨幣デナリウス銀貨。しかも魔なる者にとって毒である、銀のコイン。
天神は射撃のあった方を振り向く。
そこには、フール・フールと同じように、高速で飛行する第三の参戦者があった。感じる気配は聖なる者のそれ。しかし神や天使と呼ぶには、その姿はあまりにも――機械的過ぎていた。
『魔力検出。ターゲット捕捉。殲滅対象フール・フール。オペレーションを開始します』
白い兵装に、一つ目玉のモノアイが光る。
天神はその姿を『聖なる土偶』のように感じた。短い手足には人間のような指はなく、代わりにガトリング砲身が取り付けられていた。足は推進力を生み出すブースターとなっており、聖なる炎をガスバーナーのように吐き出し続けている。
「その姿……! ……だが、この霊力……! 代わり果てたな『ラミエル』ッ! 一度は天界から堕天した貴様が、再び神の犬になるとは!!」
『エノク書』に名を記した天使ラミエル。司る力は『神の雷霆』。
フール・フールは、その天使をよく知っていた。元々は神の言葉を人間達に伝え導く者だったが、姦淫により天界を追われ、神を裏切った堕天使の一人。
――そのはずが。今は異様な姿形となり、フール・フールに攻撃を浴びせている。ロボットのような見た目をした天使など、聞いたことがない。
しかしフール・フールはその気配や、撃ち出されたコインに込められた霊力から感じ取った。そして何より、彼の者がまとう雷撃を目の当たりにして。この殺戮マシーンが、『ラミエル』であると確信したのだ。
『モード・フルバースト。目標の完全沈黙予想時間、残り350秒。プログラム想定外事態に備え、マキシマムサンダーボルトガンの充電を開始します。チャージ完了まで、残り300秒――』
天界より送り込まれた、冷酷無慈悲な悪魔殲滅ロボット。ラミエルは予め埋め込まれたアルゴリズムに従い、眼前の敵と戦う。
そこには、人や神の教えを守るといった個人的感情は、一切差し挟まれていなかった。