8話 ホワイトムスクの贈り物
荷物が届いた。
荷物が届く事自体は珍しくも何ともないのだが、通販ではなく、個人からの荷物など年に何度も無い。
送り主は椎名崙土とある。
椎名先生から私に。
椎名先生とは懇意にして戴いている作家の先輩で、今度編集者の女性と再婚されるという事だった。
私は箱をテーブルの上に置いて腕を組み、じっと見つめていた。
「まだ開けてないんですか」
編集者の上杉さんは、私の向かいで面白がって頬杖を突いた。
「椎名先生に贈る事はあっても、先生から何かを贈られるなんてね……」
私は上杉さんに微笑んだ。
「あら、何かのお返しとか、美味しいモノ見付けたからとか、色々とあるじゃないですか」
上杉さんは先程淹れたコーヒーをカップに注いだ。
「私が開けましょうか」
上杉さんは引き出しから鋏を出してシャキシャキと音を立てる。
「いや、私が開けますよ」
私は上杉さんから鋏を受け取り、箱のテープを切った。
箱の中には金色の招き猫が出て来た。
「招き猫ですか……」
「ええ……」
「手紙とかは……」
「ありません……」
私は梱包材を全て箱から出したが、招き猫以外のモノは何も入ってなかった。
その招き猫をテーブルの上に置く。
焼き物のそれとは違い、型に紙を張ったモノの様だった。
所謂、張りぼてと言うモノ。
「この招き猫、両手を上げてますね」
上杉さんは招き猫の真似をして両手を上げる。
確かに両手を上げている。
お手上げという意味なのだろうか……。
招き猫の背中に書いてある「一斗二升五合」と言う文字が気になった。
「この文字は何でしょうね……」
招き猫の背中をクルリと上杉さんの方へ向ける。
「一斗二升五合ですか……」
私はタバコを咥えて火をつけた。
「何かの暗号でしょうか」
上杉さんはスマホを出して調べ始めた。
「一斗二升五合ってのは、一斗は五升の倍でご商売、二升は升が二つで益々、五合は一升の半分、半升で繁盛。ご商売益々繁盛って意味みたいですね」
なるほど……。
洒落た言葉遊びだ。
「ついでに招き猫の両手を上げたモノはどんな意味か調べて下さい」
上杉さんは頷くと直ぐに検索を始め、
「猫の右手は金運招きで、左手は人招きと言うそうです。両手を上げているのはその両方を招いているって事ですね。決してお手上げって訳では無さそうです」
それはそうだろう……。
私はコーヒーを飲んで頷く。
「因みに招き猫の色は……、金色はやっぱり金運を招くという事ですね」
そんなに金に困っている様に見えるのだろうか。
「どうも伊勢の招き猫みたいですよ……」
伊勢の招き猫……。
伊勢は招き猫の聖地なのか。
「どうやら九月二十九日が「くるふく」という事で招き猫記念日だそうです。伊勢でその頃に招き猫のお祭りみたいなモノをやってる様ですね」
まあ、縁起物だという事はわかった。
しかし、この二月に何故、椎名先生は私に招き猫を送って来たのだろうか……。
伊勢に旅行にでも行ったのか……。
「招き猫を置く場所は玄関が良いとありますね」
上杉さんは招き猫を持って、
「玄関に置いて来ますね」
玄関へ置きに行き、直ぐに戻って来た。
「先生もこれで金運がガンガン上がっちゃいますね」
それで金運が上がれば世話はない。
猫を題材にした作品ってのは結構ある。
その歴史は古くは古典落語の時代にまで遡る。
確かに、「猫の皿」「猫怪談」「猫の忠信」なんて物もある。
それに怪談噺には猫は付き物だったりもする。
古くから日本では、猫は人に寄り添って生きているのだろう。
私はインターネットで「猫」を検索し、色々と読んでいた。
椎名先生に贈られた招き猫に何かの意味があるのでは無いかと思った。
猫派か犬派かなんて論争もあるし、猫好きの芸能人も多い。
「先生……」
ふと顔を上げると書斎の入口で腕を組んで立っている上杉さん。
「仕事されてないですよね……。また缶詰になっちゃいますよ」
先日、郊外のビジネスホテルで初めて缶詰と言うモノを経験し、二度と御免だと訴えた所だった。
「いや……。ちょっと猫が気になってね……」
私は慌ててインターネットを閉じた。
別に如何わしいサイトを見ていた訳でも無いので閉じる必要は無かったのだが。
「次回作に猫を……」
上杉さんは私の傍まで来て、私の机の上のメモを覗き込んだ。
いつも白い紙を机の上に置き、気になった事をメモする癖があった。
そんなつもりは無いんだけど……。
「赤川次郎先生の三毛猫ホームズシリーズみたいに大人気になる可能性もありますね」
それじゃ二番煎じになってしまうが。
「上杉さんにとって猫の話と言うと何かな」
「私ですか……」
上杉さんは唇に指を当てて考えていた。
「やっぱりジブリの映画ですかね……」
ジブリの映画で猫と言うと、「猫の恩返し」「魔女の宅急便」「耳をすませば」「借りぐらしのアリエッティ」など……。
他にも出て来る話はあるのかもしれないが、記憶に薄い。
「なるほどね……」
上杉さんは机の前に置いた椅子に座った。
「先生はどんなお話が……」
私も少し考えた。
そう言われてピンと来るモノが……。
「トムとジェリー。あれは子供の頃よく見た気がするな」
「トムが猫でしたっけ。ジェリーが猫……」
世代の違い、所謂、ジェネレーションギャップと言うモノだろうか。
「トムが猫だね」
上杉さんはクスクスと笑い、
「擬人化が凄くてどっちがどっちかわからなくなりますね」
と言う。
まあ、確かにそうかもしれない。
「あとは、やっぱり「吾輩は猫である」かな……。あの時代に猫を主人公に書いた小説なんて斬新だったんだろうな」
上杉さんは無言で頷いている。
「昔から、中国でもヨーロッパでも日本でも、猫の出て来る作品は多いね。それだけ昔から、人の傍に居る動物なんだね」
上杉さんは身を乗り出す。
「身近にいる動物だからこそ、怪談噺にも良く出て来るって事ですかね……」
「身近なモノが妖怪の様になると怖いしね。でもそれだけじゃないんだよ」
私はさっき見たサイトに書いてあった内容を思い出した。
「怪談噺が作られた当時も野良猫ってのが町に溢れててね。ほら、今みたいに動物病院も無いから去勢手術なんて出来ないだろ。それで町中何処を見ても猫が溢れてたんだろう。そんな猫を刀の切れ味を試すために斬る武士が横行したんだね。それで、そんな事をすると猫が化けて出るよって事だったんだろうね」
上杉さんは深く頷く。
「今じゃ野良猫も少なくなったからね。野良犬なんて殆ど居ないんじゃないかな」
私は机の上のタバコを取り咥えた。
「刀で斬らなくても、保健所で殺処分してますよね。それって同じ事なんじゃないですか」
確かにそうだ。
殺し方の違いだけだ。
「じゃあ、今も化け猫とか化け犬なんて話があっても可笑しく無さそうですけど……」
なるほど……。
面白い事を言う。
上杉さんは椅子から立ち上がり、私の傍に来た。
「先生、どうですか。現代の化け猫話。書いてみませんか」
いつもに増して目を輝かせている上杉さんに圧倒されながら私は頷く。
「まあ、化け猫ってのは現代らしくないとしても、猫の幽霊なんてモノはある話なのかもしれないですね」
古くは太宰も蚊の幽霊を書いている。
猫の幽霊も勿論あるだろう。
「しかし、椎名先生は何故、招き猫を下さったんでしょうね」
それなんだよ。
何故、この時期に私に招き猫を贈って下さったのか……。
私は頷き、また少し調べてみた。
招き猫の発祥は諸説あるが、豪徳寺説が一番有力だとされているらしい。
豪徳寺の門前で手招きをする猫を見付け、井伊直孝が豪徳寺で休憩する事にしたという。
その時に少し先に落雷があり、そのまま歩いていると命を落としたかもしれない。
手招きする猫に命を救われ、縁起の良いモノとして言い伝えられた。
そんな話だった。
「まあ、何処を探しても招き猫が縁起の悪いモノだと言う話はないからね。先生にはお礼をしよう」
私は微笑んだ。
「招き猫では猫アレルギーも出ないだろう」
そう、私は猫アレルギーだったりする。
幼い時、私の家には犬を飼っていた。
当時まだ日本に入って来て間もないチワワが居た。
父が取引先の犬好きの人からその子犬を分けてもらったのだった。
今、街で見るチワワよりも一回り大きかったが、当時も世界最小の犬と言われていた。
今はロングコートと言われるチワワが多いが、日本に入って来た当時のチワワはスムースコート。
毛の短いチワワだけだった。
人はそのチワワを改良して、より小さく、毛の長いモノにしてしまった。
これが改良と呼べるのかの答えはまだ出ていない。
父が幼い頃には猫を飼っていた事も有ると聞いているが、
「猫は気ままだからな」
と言い、父も犬派だったのかもしれない。
家に居るとペットと言うモノには愛着が湧き、可愛く思えるが、先日の様に突然缶詰にされるなどという事があると、その間、ペットは放置されてしまう事になる。
それを考えると簡単に飼おうという発想にはなれない。
子供のいない家庭にペットを飼うという発想は多いらしいが、今はどうなのだろうか。
夏目漱石先生は、家に迷い込んできた猫を飼い、その猫を題材に「吾輩は猫である」を書いたという。
作品の通り、その猫には名前が無く、「猫」と呼んでいたらしい。
当時、漱石先生が住んでおられた家は「猫の家」と呼ばれ、今も移築されて保存してあるという。
ん……。
思い出したぞ……。
私は椎名先生と少し前に、ネコについて話をした事があった。
あれは私が車を運転している時に突然電話が掛かって来たんだった。
「少し訊きたい事があるんだが」
椎名先生の電話はいつも本題から始まる。
「あ、どうしたんですか」
私はハンズフリーで会話をする。
「最近BLって小説が流行ってるだろ」
BL。
所謂、ボーイズラブの略で、男同士の恋愛を書いたモノだ。
実際にはあり得ないシチュエーションでなかなかの男前同士が恋愛をして抱き合う。
そんな話が多い。
女性が楽しむために美化された恋愛話だ。
「ああ、そうですね……」
「君は経験あるか」
私は椎名先生に訊き返した。
「はい……。経験って……」
「BLだよ。BL」
いやいや、私は至って普通の男で、恋愛対象は女性なのだが。
「BLを書いた事があるのかって訊いてるんだよ」
あ、書いた事あるかって話ですか……。
私は胸を撫で下ろした。
「無いですよ。あれを書くのは女性の先生の方が多いんじゃないでしょうか」
私は信号待ちで車を停めた。
「だよなあ、あんなモン男がリアルに書いたら気持ち悪いだけのモンになるもんな」
椎名先生は電話の向こうで笑っていた。
「でさ、BLの話の中にネコとタチってのが出て来るんだけど、何となくはわかるんだが、どっちがどっちなんだ」
先生らしい。
自分で少し調べるとわかりそうなモノなんだけど……。
「私も良くわからないですけど、抱く方がタチで抱かれる方がネコだったと……」
そんなモンは日常で出て来る単語じゃない。
「男役がタチで女役がネコって事か」
それは現代の認識では間違っている事になる。
必ずしも男が抱く方と言う訳ではない。
「いえ、あくまで抱く方がタチ、抱かれる方がネコですね。最近は女が抱くって事もありますからね」
私は青になった信号にアクセルを踏みながら言った。
「なるほどな。それはそうだな」
と椎名先生も納得された様子だった。
「ありがとう。何となくわかったよ。理解は出来ない世界だけどな。また、何かお礼するよ」
椎名先生は電話を切った。
いつも突然始まり、突然終わるのが椎名先生の電話だった。
多分、あまり電話が好きじゃないのだろう。
私もその辺りは同じで、出来れば電話なんてこの世から無くなれば良いとさえ思っている。
ん……。
そのお礼って事か……。
ネコとタチの話のお礼に招き猫を贈ったとなると椎名先生も相当タチの悪いお人だ。
先生なりの洒落のつもりなのか……。
「先生。夕飯、どうされますか」
と上杉さんが書斎の入口で言う。
「何か食べたいモノとかありますか」
上杉さんは今日も夕食を食べて帰るつもりらしい。
「ああ、何でも良いけど……」
「それが一番困るんですよね……」
まあ、お決まりの会話だった。
「肉か魚か……」
「肉かな……」
「牛、豚、鶏」
「牛かな……」
「煮る、焼く」
「焼く」
なるほど、合理的な選択肢だ。
「じゃあステーキを焼きますね。冷凍してるお肉があるので……」
と上杉さんはキッチンへ向かった。
私は真っ白な画面に、依頼されている短編を書こうと文字を入力しては消すを繰り返していた。
「先生のホラーってのも読みたい人いると思いますよ」
なんて上杉さんは言うが、ホラーなんて書いた事も無い。
どんなモノがホラーなのか。
それも難しい。
猫に襲われるホラー……。
爪で引掻かれても死にはしない。
人を食う猫……。
そりゃ虎に任せれば良い話だ。
猫に噛みつかれると猫になってしまう……。
猫耳を付けている奴らにとっては嬉しい話なのかもしれん。
そもそも、猫って怖いのか……。
そりゃ突然屈強な男がやって来て、ネコにされるのは怖いかもしれんが、猫を怖いと思った事が一度も無い。
ある島では犬や猫の肉も食うらしい。
中国も四本足のモノは何でも食うと言う話がある。
それと同じで、野良犬や野良猫を見付けると食べると言う。
だからその島の人には犬は吠えるし、猫は威嚇するそうだ。
その島の人の話では猫の肉を食べると身体が冷えるらしい。
猫の肉にはアミノ酸が多く含まれているのが原因らしいのだが。
人は食料難になると犬や猫も食べるのだろうか。
昔の日本では飢饉が起こる度に犬や猫を食っていたのか。
「赤犬は美味い」
なんて話を聞いた事がある。
赤犬ってなんだろうか。
真っ赤な犬なんている筈も無いし、肉が赤いという事なのだろうか。
では猫はどうなのだろう。
猫の身体なんて小さい。
一匹食べても鶏とそんなに変らない気がする。
それでも食うという事は美味いのだろうか。
まあ、魚しか取れない島などでは、犬も猫も立派な肉なのかもしれない。
犬や猫を食ってはいけないという法律も無い。
ダメだ……。
どんどん深みにハマって行く気がする。
猫を題材にしたホラーなんて書ける気がしない。
私は書斎から出て、フラフラとダイニングテーブルに着いた。
「もう少し掛かりますよ」
と上杉さんは肉を焼きながら言った。
「はい。煮詰まったので、少し休憩しようかと……」
私はカップにコーヒーを注いで飲んだ。
「何か新しいモノ、出来そうですが」
上杉さんはテーブルにサラダを置く。
「どうですかねぇ……。化け猫なんて見た事もありませんしね」
「何か、猫が二十年以上生きたら化け猫になるらしいですよ」
上杉さんはテーブルに手を突いて小声で言った。
「何か、アレですね。三十まで童貞だと魔法使いになれるって話に似てますよね」
三十まで童貞で魔法使い……。
街には既に魔法使いが溢れているのではないだろうか……。
「では女性の魔法使いはどうなるのでしょう……」
上杉さんは振り返り、唇に指を当てた。
「三十まで処女だとって事になるのでしょうかね」
そう言うと微笑んでまたコンロを見た。
それこそ魔法使い人口は一気に増えそうな気がする。
それ以前に魔法と性交渉の関係についての問題は……。
性交渉を持った事のある魔法使いはいないという事か。
それとも魔法使いになればシテもいいという事なのか。
三十まで出来ないと言うだけで、約十年のセックスライフが失われるという事になる。
その損失は一体どれくらいのモノになるのだろうか。
いや、そのセックスを性風俗のお店に通って行うという事になれば、その分の経済的なモノはマイナスにはならない。
得しているという事になるのか……。
「何をぼーっとしてるんですか」
上杉さんは私の顔を覗き込んだ。
「そろそろ出来ますよ」
そう言うと私の前にグラスを置いた。
私はそのグラスを手に取る。
セックスを週に一回するとして年間約五十回。
十年で五百回。
その五百回のセックスと引き換えに魔法使いになりたいモノなのか。
経済的に考えてみよう。
例えば一回のセックスを一万円とするならば、十年で五百万。
五百万円で魔法使いになれるのであれば安いのか。
いやいや、そもそもセックスを一回一万円で計算する根拠がない。
それを二万円だとすると、その価値は一千万円という事になる。
魔法使いになるためには一千万円が必要なのだ。
ハリー・ポッターの通うホグワーツ魔法魔術学校に行くのにもそれくらいの金が掛かるのであれば、若くして魔法使いになれるのとセックスを十年も我慢する事が無い事を考えて得だろう。
「先生」
上杉さんは私の持っているグラスを取り上げ、冷やしたペリエを注いだ。
「さっきから何を考えておられるのですか」
ステーキを載せた皿が私の前に置かれた。
そうだ。
猫の事を考えていたのに、いつの間にか魔法使いになるための犠牲について考えていた。
こんな事で、化け猫や猫の幽霊の話を書けるとは思えない……。
「さあ、戴きましょう」
上杉さんは私の向かいに座った。
ふと上杉さんの皿を見るとチキンステーキが載っていた。
私はナイフとフォークを持つ上杉さんの手首を無意識に掴んだ。
上杉さんは驚いて私を見ていた。
「あ、いや……。私のはビーフステーキですよね。上杉さんは何故チキンステーキなんですか」
私は素朴な疑問を上杉さんに訊いた。
「あ、牛肉のステーキが一枚しか無くて……」
と上杉さんはまたチキンステーキにナイフとフォークを構える。
「良いのですか……。何なら取り替えますよ」
私は自分の皿を手に取る。
「良いんですよ。私はチキンステーキも大好きですし、それに……」
「それに……」
上杉さんはニッコリと笑い、
「お正月にちょっと太っちゃったんで、チキンの方が少しだけ罪悪感も少ないかなって」
私は静かに皿を置いた。
「な、なるほど……」
私は手を合わせて、
「戴きます」
と言うとステーキにナイフを入れた。
猫の肉でなくて良かった。
そんな筈は無いのだけど……。
世界でも猫の肉を食べる地域は今もある。
我 々も飢餓の時代が来れば食べてしまうかもしれない。
こうやって牛や豚、鶏などを食べられる事に感謝するべきなのかもしれない。
「さっき調べたんですけど、猫のお肉って美味しくないらしいですよ。お魚臭いらしいです。筋も多くて脂っこいって」
私は顔を顰めて頷いた。
そんなモノをこの飽食の時代にわざわざ食べる事も無い。
可愛い顔をした猫に名前まで付けて一緒に暮らしているのに、その愛猫を食べようとするなんて今の日本では考えられない。
私は味のしなくなってしまったステーキを口に入れた。
テーブルに置いたスマホが振動を始めた。
食事の最中に電話。
タイミングの悪い奴だ。
一体誰だ……。
私はスマホの画面を見た。
そこには「椎名崙土」と表示されていた。
その画面を私は上杉さんに見せた。
「椎名先生です。お礼を言わなければ」
私は電話に出た。
「もしもし」
「あ、私です、椎名です」
最近は取る前から相手がわかるのですよ。
椎名先生。
「はい。今日、荷物届きました。ありがとうございました」
私は先に言っておこうと思い礼を言った。
「あ、そうかそうか。良かった。どう、気に入ってもらえたかな」
まあ、微妙ですけど……。
「はい。なかなか珍しいモノを」
「いやいや、ちょっと旅行に行ったんでね。嫌いじゃないよね」
嫌いじゃないと言うか……。
「ええ、勿論ですよ。今も玄関に……」
「え、玄関……」
椎名先生の言葉が止まる。
「早く冷蔵庫に入れて、今晩食べればよかったのに」
ん……。
冷蔵庫……。
食う……。
「結構美味かったんだよ。私は現地で食ったんだけどね」
現地で食った……。
何の事だろう。
まさか猫の肉……。
「神戸と言えばやっぱり神戸牛でしょう」
え……。
神戸牛……。
「先生……」
私は首を傾げて訊いた。
「先生は神戸に行かれたんですか」
「そうだよ。神戸、二泊三日でね。サイン会も兼ねて」
私はペリエを飲み、グラスを置いた。
「では、金の招き猫は……」
私が言うと、電話の向こうで椎名先生の動きが止まるのを感じた。
「え、もしかして、君の所に招き猫が……」
「はい……。商売繁盛の……」
椎名先生……。
誰かと間違えたのか。
「すまん。後でかけ直す」
椎名先生は電話を切られました。
「招き猫。間違えて送って来た様です」
そう言うと、上杉さんも顔を引き攣らせていた。