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7話 ホワイトムスクの缶詰






「先生、こちらです」


 上杉さんはホテルの部屋のドアを開けて、私を中に入れる。


 上杉さんとホテルに来た。

 そう書いてしまえば、何か進展でもあったのかと思われるかもしれないが、これは所謂拉致監禁に近いモノ。

 そう業界用語で「缶詰」と言うモノ。


 先日風邪をひいて寝込んだのだが、思いの外長引いてしまい、明後日の締め切りに間に合わないという事態が起こってしまった。

 作家として何年もやって来たがこの様に缶詰にされるのは実は初めて。


 私は、初めての缶詰を半ば楽しみにして上杉さんの車に乗った、どんな高級ホテルなのかとか、どんな所にあるホテルなのか、何て色々と想像したのだが、その期待は見事に裏切られ、少し都心から離れた、普通のビジネスホテルの普通のシングルルームだった。


「とりあえず、喫煙のお部屋にはしておきましたので、此処で一気に書き上げて下さい」


 上杉さんは私の荷物を床に置いた。


「欲しいモノは私に電話して下さい。全て買って届けますので」


 私は無言のまま、窓の外を見た。

 眼下には大きなスーパーが見えて、近くには駅もある。


 私は何処かのリゾート地の高級なホテルのスイートルームなんかを想像していたのだが、全く違う。これなら自宅に居る方が良い気がしてきた。


「私は隣の部屋に居ますので……」


 上杉さんはそそくさと部屋を出て行った。


 部屋のドアが閉まり、静かな空間だけが広がる。

 広がると言う程広い部屋でも無い。


 私は手に持ったノートパソコンを狭い机に置いて、とりあえずバスルームを開けた。

 ユニットバス。

 トイレと狭いお風呂。

 部屋にはダブルベッドしか無い。

 大きなスーパーの屋上が見えるが、他に行きたいと思う様な所も無い。


 缶詰に期待した私は、狭い部屋で項垂れるしかなかった。

 もっと売れている先生なら、良い場所の良い部屋なのかもしれないが、私程度ならば、ごく普通のビジネスホテルなのだろう。


 まあ、幸い部屋が綺麗なのは救われたかもしれない。


 いつも上杉さんの会社が使っているホテルなのだろう。

 普通にルームキーを二枚準備してあり、一枚は壁に差し込まないと部屋の電源が供給されない仕組みになっている。

 もう一枚は上杉さんが持って行った。

 上杉さんはこの部屋に自由に出入り出来るという訳だ。

 そして私は監禁状態。


 業界用語の「缶詰」と言う言葉は二つの意味があると上杉さんは言っていた。

 一つは文字通り、閉じ込めて自由を奪い、仕事の効率を上げさせるという意味。

 もう一つは時間の無い時に缶詰を食べるって事から時間が無い事を理由に閉じ込めて仕事をさせるって所から来ているらしい。


 とりあえず私は諦めて、ノートパソコンの電源を繋ぎ、立ち上げる。

 ポケットのタバコを出すと机の上に置き、備え付けの足元にあった小さな冷蔵庫を開ける。

 中は空っぽで、電源さえも入ってなかった。

 冷蔵庫のドアに、申し訳程度に電源を入れてお使い下さいと書いてあった。

 私は電源を探してスイッチを入れた。

 スイッチを入れたは良いが、飲み物の類も一切ない。

 病み上がりでまだ喉がイガイガする私に飲み物は必須だった。

 私はポケットの財布を確認し、ロビーまで飲み物を買いに行こうと部屋を出た。

 ドアを開けるとほぼ同時に隣の部屋のドアが開き、上杉さんが顔を出した。


「どちらへ……」


 静かに上杉さんが訊く。


「いや、飲み物が無かったので、ロビー迄買いに行こうかと……」


 私は悪い事をしている子供の様にタジタジになった。


「必要なモノはどうしろと言いましたかね……」


 上杉さんは腕を組んで私を見る。


「確か、電話しろと……」


「正解です。今回は直接お聞きします。何が必要でしょうか」


 私は部屋へ半分戻りながら、


「では缶コーヒーなどを……」


「承知致しました。直ぐに買ってきます」


 上杉さんは一度部屋に入り、バッグを持って部屋の外に出て来た。


「他にも色々と向かいのスーパーで買って来ますので、少しお時間を戴けますか」


 私はコクリと頷く。

 上杉さんはコートを着ながら廊下をエレベータの方へと歩いて行った。


 私はそれを見て、部屋に入る。

 そしてふぅと息を吐いた。


 何処かに監視カメラでもあるのだろうか……。

 私は部屋を見渡したが、流石にそれは無い様子だった。

 仕方なく机に向かい、仕事を始める。


 くそ……。

 何も楽しくない。

 こんな所に監禁されていいアイデアが浮かぶ筈も無い。


 私は無意識にタバコを咥えて火をつけた。

 窓の外で揺れるオリーブの樹が恋しい。

 部屋中で香るホワイトムスクの香りが恋しい。


 さっさと終わらせて今日中に帰ってやる。


 私はキーボードをガチャガチャと叩き続けた。


 一時間程度経った頃に部屋のドアが開き、上杉さんが入って来た。

 両手にスーパーの袋を提げ、重そうにベッドの上に置く。

 流石に買い過ぎなのではと思ったが、飲み物の他に食料も入っていた。


「冷蔵庫に入れておきますね……」


 上杉さんは飲み物を手際良く冷蔵庫に入れて行く。

 そして、私の傍に缶コーヒーを一本立てた。


「お待たせしてすみません」


 口調は柔らかいのだが、顔が笑っていない。

 元はと言えば、上杉さんを雪の中探し回ったから風邪をひいたのだ。

 その辺を少し考慮して戴けると私としても納得の行く缶詰になると思うのだけど……。


 そんな事を言える空気ではない。


「冷蔵庫に入らなかったモノは私の部屋の冷蔵庫に入れておきますので、必要な時は電話してくださいね」


 上杉さんは形だけ微笑むと部屋を出て行った。


 私はまた静かになった部屋でキーボードを叩き続けた。


 四万文字。

 それが今回のミッションだった。

 原稿用紙で言う百枚。

 原稿用紙で数えている時はそれの六割から七割程度で良かったモノの、文字数で数える様になると四万文字は四万文字とカウントされる。

 何とも生き難い世の中になったモノだ。


 さっきからまだ二千文字程度しか進んでいない。

 残りが三万八千文字。

 気が遠くなる。


 ただ入力するだけなら可能な数字なのかもしれないが、作家って人はこれを頭で考えながら文字にして行く。

 なんて偉い人たちなんだ。

 誰も言ってくれないので、自分で言ってみる。


 夕食は周辺に何か良い店があるのだろうか。

 いや、さっきの様子だと、夕食もスーパーで買って来るなんて言い兼ねない。

 これは由々しき事態だ。


 缶コーヒーを一本飲み終えて、空き缶を机の端に避けた。

 そして冷蔵庫を開け、二本目の缶コーヒーを取り出す。

 飽きない様に色々な缶コーヒーを買って来てくれている様だ。


 調べモノをする時にインターネットを利用する。

 勿論、このホテルにもネットワークは完備されていて、至れり尽くせりなのだが、そのネットワークに繋ぐのにIDとパスワードが必要らしい。

 ホテルの説明をしてある革製のバインダーを開く。

 IDとパスワードはどうやらテレビをつけると判るらしい。

 私はリモコンを手に取ってテレビをつけた。

 確かに表示された画面にIDとパスワードが表示されている。

 私はそれを入力してインターネットに接続した。


「何をされてるんですか」


 その声に私はビクリと身体を震わせて顔を上げた。

 上杉さんが腕を組んで立っていた。


「いや、インターネットで調べモノをしたくてね……」


 ドラマで見た事がある。

 隣の部屋の音を聞くためにコップを壁に付けて耳を当てる。

 もしかしたら上杉さんはずっとそうやってこの部屋の音を聞いているのかもしれない。


 私はテレビを消して、インターネットを開いた。


「ほら、調べないと先に進まないので……」


 私は何を言い訳しているのだろうか……。


「ネットは調べモノだけに利用して下さいね」


 上杉さんは吐き捨てる様に言うと、部屋に戻って行った。


 また部屋に静寂が宿る。


 逃げ出そうと思えばいつでも逃げ出せると思うのだが、大人な私にはその選択は無い。

 知ってる街なら逃げだしても楽しめると思うが、全く知らない街なので、楽しみようがない。


 上杉さんは何をしているのだろうか。

 仕事でもしているのか、テレビでも見てるのか……。


 私が上杉さんならどうするだろうか。

 隣で仕事をしている作家など放置して、ホテルの回りだけでも散策するか、作家のために美味しい店でも探すか。

 昼寝も良いな。


 ダメだ……。

 こんな事を考えていると一向に話が進まない。


「うーん」


 私はベッドに横なりホテルの無機質な天井を見つめる。


 すると案の定またドアが開き、上杉さんが入って来た。

 まだ三千文字程度しか書けていない。


 私は横になったまま上杉さんを見る。

 上杉さんは壁に背を付けて私をじっと見ている。


「私、此処に居た方が良いですか」


 うーん。

 どうかな……。

 良い様な悪い様な……。


 家で書いている時も書いている時は、基本的に上杉さんはダイニングテーブルかリビングのソファで仕事をしている。

 じっと見られながら書く事は殆どない。


「少し訊いても良いですか」


 私はベッドから起き上がり、椅子に座る。

 上杉さんはベッドに座って、腕を組んだ。


「何ですか」


 私はさっき開けた缶コーヒーを飲んで、キーボードを叩く。


「他の先生もこんな感じで缶詰になるのでしょうか」


 私は思っていた疑問を上杉さんにぶつける事にした。


「いや、私の考えていた缶詰って、もっとなんか広い部屋で優雅に書ける環境を作ってもらえるのかと思いまして」


 上杉さんは唇に指を当てて考えています。


「例えば……」


 上杉さんは冷蔵庫を開けて、缶コーヒーを一本出して開けて、


「例えば、先生のお付き合いのある椎名先生ですと……」


 椎名崙土先生は私がデビュー当時から色々と教えて下さり、面倒を見て戴いた先生だ。


「いつもうまく逃亡されます。以前、このホテルで書いて戴いた時は、そこの駅からロマンスカーに乗って逃げられました」


 なるほど、椎名先生らしい。


「結局、横浜で見つけて、此処に強制送還したのですが」


 私は声を殺して笑った。


「都内のホテルだと、直ぐに飲みに行かれますね」


 私の笑いは止まらない。

 如何にも椎名先生らしい行動だ。


「他の先生は、こんな狭い部屋では息が詰まると言われて帰ろうとされる先生もおられますし、温泉に入りたいだの、美味しいステーキが食べれるところにして欲しいだのって色々と注文を付けられる先生もおられます」


 大体、どの先生がそう言う事を言われるのか想像が付く。


「女性の先生にも、エステに行かせろとか、リゾート気分の先生なんかもいらっしゃって、大変な事も有りますね」


 缶コーヒーを飲んで、上杉さんの方を向く。


「じゃあ、私は優秀な方ですね……」


 上杉さんは歯を見せて笑っていたが、目が笑っていない事に気付く。


 まずいな……。

 これは本気で書かなければ……。


「まあ、先生の場合はサボって書けなかった訳ではありませんので、編集部としても少し緩和措置を設けようと考えています」


 緩和措置……。

 ページ数が減るのかな……。


「とりあえず、今週いっぱいの締め切りを今月いっぱいにする事が決まりました」


 それは月曜が月末なので、日曜と月曜の二日の猶予があるという事かな……。

 って事は、月曜までこの部屋に缶詰と言う事になるのか……。


「因みに食事は……」


 私は上杉さんと目を合わせない様にして訊いた。


「その時の進み具合で決めます」


 そうか……。

 やっぱりスーパーの弁当の可能性も大いにあるな……。


 私は、パソコンに向かい、キーボードを叩いた。

 





 日が翳り始めると、部屋の温度が一気に下がり始める。

 気付かなかったが、この部屋に入ってから暖房を付けていなかった。


 上杉さんは私の部屋と自分の部屋を行ったり来たりを繰り返している。

 時折、私の書いた原稿をUSBメモリに抜いて、自分のパソコンから会社に送る。

 要は締め切りを伸ばした分、細目に校閲に回すという事らしい。

 前に戻って変更するなんて事になると大変かもしれない。


 ドアが開き、上杉さんが自分のパソコンを持って入って来た。


「先生、ちょっと良いですか」


 そう言うと私の前にパソコンを置く。


「此処の桑原の台詞なんですが……」


「はいはい」


 私は手を止めて、上杉さんのパソコンの画面を見る。

 結構、些細な所にも上杉さんのチェックは入る。


「君が一昨日言った事が事実なら……。普通、一昨日言ったとかって言いますかね……。この間言ったって程度でも良いのでは無いでしょうか」


 私は自分の画面を同じ場所までスクロールして読み直す。


「そうですね。その方が良いですね。直しておきます」


 私はその場で文書を直す。

 この辺りの仕事の速さは前の担当よりもわかりやすく、私には合っている気がする。


 上杉さんは優秀な編集者だ。


 そんなやり取りをしながらなんとか切りが良いところまで書き終えた。

 予定よりはかなり進んだかもしれない。


「お疲れ様でした……」


 上杉さんも分厚い手帳とノートパソコンを畳んだ。


 私は、とりあえずベッドに倒れ込む。


「夕食にしましょうか……」


 今日、何本の缶コーヒーを飲んだがと、机の端に並べた空き缶を数える。

 昼過ぎから六本。

 出来れば缶コーヒー以外のモノを飲みたいと思った。


 夕飯をと言っても既に夜の十一時を回っていた。


「こんな時間に開いている店って居酒屋くらいですね」


 上杉さんはスマホで店を探している様子だった。


「何でも良いですよ……」


 私は身体を起こし、項垂れたまま言う。


 本当にもう食事を楽しむ力は残っていない。


「後はファミリーレストランとか、ラーメン屋とか……」


 私は起き上がり、壁に掛けたコートを取った。


「とりあえず、外に出てみましょう。息が詰まりそうですし」


 私と上杉さんは夕食を食べられる店を探しに外に出た。

 ジビエ料理が食べられる居酒屋や、チェーン店の牛丼、定食屋、何処にでもあるファミレス……。

 そんなモノしかなかった。


 これじゃ椎名先生はロマンスカーで逃げ出すな……。

 私は白い息を吐きながら、周囲を見た。

 特に食事にこだわりのある方では無い。

 牛丼屋でもラーメン屋でも何でも食べるのだが……。


「富山ブラックって知ってますか」


 上杉さんがスマホを見ながら言う。


 富山ブラック。

 富山の黒いスープのラーメン。

 東京でも何軒か食べられるところがあると聞いたが。


「此処で食べられるんですか、富山ブラック」


 上杉さんは頷く。


「結構、美味しいって評判の店みたいですよ」


 それも悪くないな……。


「そこにしましょうか……」


 私は上杉さんの勧める富山ブラックのお店に行く事にした。

 と言っても十二時までの営業なので、ゆっくりと食べる時間は無さそうだった。

 食券を買い、二人でテーブルに座る。


「私、初めてです。富山ブラック」


 上杉さんは嬉しそうに水を飲みながらラーメンが来るのを待っていた。


 私は以前、京都で食べた事があった。

 しかし、富山ブラックを富山で食べずに食べた事があると言えるのだろうか……。


「私も京都で食べた事がありますが……。富山ブラックを富山で食べずに食べた事があるって言えるんですかね……」


 私はそのまま上杉さんに訊いてみる。


 上杉さんは身を乗り出して、


「そんな事言ったら、ピザはイタリアで食べないと食べたと言えない事になってしまいますよ」


 確かにそれは一理ある。


 私と上杉さんの前に真っ黒なスープの富山ブラックが置かれた。

 海苔が三枚、煮卵、シャーシューが三枚、それに白髪葱が載っている。


「四の五の言わずに食べてみましょうよ」


 上杉さんは髪を耳に掛ける様にしてラーメンを食べていた。


 上杉さんと外で食事をする際のラーメンの頻度は高い。

 もうラーメン屋くらいしか開いてない時に食事をする事が多いからだろう。


 二人とも腹が減っていたのだろう、一気に食べ終えた。

 黒いスープなのだが、濃い感じは無く、夜中に水をがぶ飲みしなければいけない様な感じでは無かった。


 その後、ホテルの近くにあったファミリーレストランに入った。


 二人でドリンクバーと甘いモノを頼んだ。


 窓の外を見ながら上杉さんはコーヒーを飲む。


「この街って都会でも無く、田舎でも無くって感じでしょう……」


 私も外を見た。

 確かに都会でも田舎でも無い。

 新宿から乗り換え無しで来れる事も有り、最近は人気の街になって来ている。


「これが、もう少し行くと私が生まれ育った御殿場なんですけど、一気に田舎になります」


 そう言って笑う。


 私もドリンクバーのコーヒーを飲んだ。

 間違いなく家で飲むコーヒーの方が美味い。


 注文した大きなパフェがやって来た。

 二人とも迷う事も無く、その大きなパフェを注文していた。

 相当疲れているのかもしれない。


「御殿場、行ってくれば如何ですか。私は一人でお利巧さんに出来ますよ」


 私は頬杖を突いて上杉さんに言った。


「まあ、先生が逃げ出す心配はしてませんけど」


 上杉さんは声を出して笑った。


 確か此処からだと車で小一時間もあれば御殿場まで行ける筈。


「どうぞ、明日にでも行って来て下さい。原稿は定期的に送る様にしますので……」


 上杉さんは嬉しそうに微笑んでいた。






 翌朝、八時に上杉さんが部屋に入って来た。

 近くのパン屋で買ったサンドイッチを持って来た。


「ホテルの朝食もあるんですけど」


 とサンドイッチとヨーグルトと野菜ジュースを机の上に置く。


「こっちの方が好みかと思いまして……」


 私はこっそりホテルの朝食を食べに行こうと思ってたのだが……。


「私は、お言葉に甘えて、ちょっと出掛けて来ます。夕方には戻るつもりなので、よろしくお願いします」


 上杉さんは御殿場に行く事にした様だった。


「従妹が顔合わせの日なんですよ」


 上杉さんは部屋を出ながら言う。


 なるほど、そう言う事だったのか……。


 先日、妊娠が発覚し、結婚する事になった東京に住んでいる上杉さんの従妹。

 とんとん拍子に話は進んでいる様だ。


「気を付けて行って下さい」


 私が言うと上杉さんは微笑み、


「何かお土産を買って来ますね。富士山以外、何も無いところですけど」


 そう言うと出て行った。


 私は上杉さんに、


「私が居ないと何も出来ない」


 と言われない様に今日も原稿を書くしかない状況になる。


 仕方ない。

 書くか……。


 私は着替えて、上杉さんが買って来たサンドイッチを食べた。

 生ハムが挟んである、カスクート。

 これはなかなか美味い。

 一気に食べ終え、一服するとパソコンに向かった。


 今日は自分でも結構ノッている気がする。

 休む事も無く、書いていた。

 昨日よりも進み、気が付くと窓の外は薄暗くなっていた。

 どうやら昼飯も食わずにこんな時間になってしまっていた様だ。

 このくらい仕事が進むのであれば缶詰も悪くない。


 机の上のスマホが振動している。

 上杉さんだろうと思い画面の表示を見ると、そこには椎名先生の名前が表示されていた。

 珍しい事も有るモンだ。

 私は電話に出た。


「はい」


「ああ、君が缶詰にされていると聞いてね。電話で陣中見舞いを……」


 椎名先生も律儀と言うか、


「何処に缶詰になってるの」


 私は椎名先生に場所の説明をした。


「ああ、私がロマンスカーで逃げたホテルだな」


 そう言って笑っていた。


「そのホテルの隣に安い中華屋があってな。そこが結構いけるんだよな。ただ、飲みに行こうと思ったら、小田急に乗って二駅行くしかないけどな」


 椎名先生は筋金入りの逃亡癖がある様だ。


「まあ、缶詰もたまには良い。このところ優秀だから缶詰になった事も無いが」


 多分、缶詰先で逃げられる方が椎名先生の事を見付けるのが大変だからだろう。


「実は今度、結婚する事になったんだ。それを伝えようと思って電話したんだ」


 私は驚いた。

 話を聞くとどうやら相手は担当編集者の女性らしい。


「まあ、また近い内に一杯やろうや……」


 先生はそう言って電話を切った。


「どなたとお電話されてたのですか」


 気が付くと上杉さんが立っていて、私は驚いて、ベッドにひっくり返った。


「あ、ああ。椎名先生だよ」


 上杉さんは私の隣に座り、手に持ったお土産を机に置いた。


「椎名先生、結婚されるらしい」


 それには上杉さんも驚いていた。


「野々瀬さんとですか……」


 私は頷くと机に戻り、仕事に戻った。

 出版社も違うが、上杉さんも仲の良い女性の編集者だ。


「お祝いしなきゃいけませんね」


 私はキーボードを叩きながらそう言った。


 上杉さんは御殿場の有名などら焼きを買って来てくれた。

 正月にももらったが、これがなかなか美味い。


 缶詰仕事も悪くないな……。


 私はそう思った。








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