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5話 ホワイトムスクの元日





 元日の朝。

 朝と言ってももう昼に近い時間だった。

 私は重い頭を振り、とりあえずベッドから抜け出した。


 心なしかいつもより冷たく感じる水で顔を激しく洗い、パジャマの前がビショビショになり、脱いだパジャマを洗濯籠に放り込む。

 これは毎日の事で、元日だから特別と言う訳では無い。


 朝起きるとちゃんと顔を洗い、服を着替える。

 これは私のスイッチの様なモノで、こうしないと行動を開始する事が出来ない。

 電動歯ブラシに歯磨き粉を付けて歯を磨く。

 朝の歯磨きは電動、夜は普通の歯ブラシで磨く。

 これもいつの間にかそうなっている。


 洗面所の歯ブラシを見る。

 今年も一本の歯ブラシがあるだけ。

 まあ、正確に言うと電動歯ブラシと二本って事になるが、どっちも私のモノで、赤やピンクの歯ブラシが増える予定も今の所は無い。


 口を濯ぐのにコップなどは使わない、男は黙って手に水を溜めてそれで濯ぐ。

 上杉さんに訊いたところ、女性はコップを使う事が多いらしいが、あれはメイクが取れない様にという事らしい。

 って事は、男はメイクもしないので、って最近はしている男もいるようだけど。

 まあ、男は手に水を溜めてってのでも良いという事だ。


 顔を洗うと、パジャマを脱いで、服を着替える。

 今日は一日ゴロゴロして過ごすつもりなので、チノパンとボタンダウンの白いシャツ。

 それにカーディガンをとりあえず羽織る。

 まあ、今日に限って外に出る事も無いだろうけど、出る事になれば、これにコートかダウンのジャンパーを着ようと思っている。


 着替えるとキッチンへ行き、冷蔵庫を開ける。

 いつものヨーグルトと一杯の野菜ジュース。

 ヨーグルトは大きなパッケージのモノを買っていたのだが、面倒を感じで今は小さな食べきりサイズを買い込んでいる。

 自分で買いに行くよりも上杉さんに頼んで買ってきてもらう事が多い。

 野菜ジュースも飲み切りサイズの紙パックを大量に冷蔵庫に入れている。

 野菜ジュースは日に二回飲む事も多い。


 キッチンで立ったままヨーグルトと野菜ジュースを胃の中に入れて、ようやく目が覚めた気になる。

 と、言うか、此処までの記憶が無い日もあったりするので、人間は内臓が動き出すまでは起きていないのかもしれない。


 コーヒーメーカーにお気に入りの豆をセットして、箱で買っている「垂水温泉の温泉水」を注ぐ。

 色々と試したのだが、私の好みのコーヒーにはこの水が一番合っている様な気がしている。


 コーヒーが入るまでダイニングテーブルでタバコを吸う。


 ここまで正月らしい事は何もしていない。

 いつもと同じルーティーンだったりする。


 デキャンタにコーヒーがポトポトと落ち始める。

 すると部屋を支配するホワイトムスクの香りと淹れたてのコーヒーの香りの鬩ぎ合いが始まる。

 しかしこの二つの香りが混ざり合う事は不思議と無い。

 何故か交互に香っている気がするのだ。


 昨日、大晦日に簡単に部屋の掃除をした。

 埃を取り、床にワイパーを掛け、レンジフードのフィルターを交換した。

 まあ、一人暮らしなので、その程度で十分。

 真新しいシーツで眠ったのも久しぶり。


 コーヒーが入るまでに風呂にお湯を張るスイッチを押した。

 新年に朝風呂に入るのは、私の父がそうしていたからだ。

 そんな風習が私の父の生まれ育った町にあった訳でも無く、父がそうしていただけの事で、昨日の夜に入ったばかりだけど、また朝風呂に入る事にする。


 とりあえずデキャンタに落ちたコーヒーをいつものマグカップに注ぐと、椅子に座り、その香りを嗅ぐ。

 誰がコーヒーをこうやって飲む事を考えたのか。

 私は世紀の大発見だと考えている。

 豆を煎り、粉にしてお湯を注ぎ、その汁を飲む。

 私の様な凡人に考え吐く筈も無い。

 山火事が自生するコーヒー豆を初めて焙煎したと何かで読んだ事がある。

 偶然が齎した事とは言え、その習慣がもう何百年も続き、人はそれに改良を重ねて、更に美味いモノにした。

 これはこの星に人が生まれた事に匹敵する確率なのでは無かろうか……。


 今日のコーヒーを口にする。

 うん、いつもと変わらずいい味をしている。


 腹が鳴った。

 昨日の夜に年越し蕎麦を食べただけだったので、そりゃ腹も減る。

 

 私は冷蔵庫を開けて中を見た。

 正月らしいものは何もない。

 強いて言えばお歳暮にもらったハムの類が入っているのと、クリスマスにもらったチョコレートがある。

 ハムを切って食うのは面倒だし、正月の朝一番からチョコレートの気分でも無い。

 何か無いかと振り返ったら上杉さんが数日前に買って来てくれたクロワッサンがあった。

 私はそのクロワッサンをオーブントースターに入れて温める事にした。

 クロワッサンは使用しているバターの量も多く、直ぐに表面が焦げてしまう。

 絶妙なタイミングで取り出す必要があった。

 微かに表面の色が変わるタイミングで取り出して皿に載せた。


 何かを塗って食べよう……。


 私は再び冷蔵庫を開けた。

 カチカチのバターと真っ赤なジャム。

 カチカチのバターは溶かすのも面倒だし、ジャムは気分じゃない。


 私はカラシを出し、それを塗って食べる事にした。







「え、カラシを塗るんですか……」


 担当編集者の上杉さんは驚きを隠せない様子で私に言った。


「ん……。塗りませんか……カラシ」


「サンドイッチやホットドッグの時は塗りますけど、それだけ塗って食べる人って聞かないですよ。海外の文化ですか」


 私はそんなに海外に詳しい訳では無い。


「さあ……」


 その日は二人でバゲットにカラシを塗って食べた。


「なかなかイケますね……」


 目を丸くして上杉さんが千切ったバゲットを見つめていた。


「そうでしょう……」


 私は誇らし気に答えた。


 その日以来、少なくとも私と上杉さんはパンにカラシを塗って食べている。






 少し塩の効いたクロワッサンだった。

 塩クロワッサンと言っていた記憶もある。

 新年初の食事は塩クロワッサンにカラシを塗ったモノになった。


 塩クロワッサンとコーヒーを二杯。

 それが私のおせち料理という事になる。


 使った食器をシンクで洗うと、玄関に届いた分厚い新聞と年賀状を取りに出た。

 新年の風も冷たい。

 まあ、新年と言えども、昨日の続きである事は間違いない。

 私はそれらを小脇に抱えて玄関に逃げる様に入った。


 最近は新聞もそんなに読まなくなった。

 もうやめてしまえば良いのだけど、この数紙取っている新聞は出版社が契約したモノで、私の自由にはならない。

 上杉さんは定期的に溜まった新聞を持って帰ってくれるが、数か月上杉さんの車に乗ったままになっていた事もあったので、彼女も大変なのでは無いだろうか。

 最近はニュースの類もネットで見るのが主になっている。

 新聞もデジタル版と言うモノが普及してきているので、そっちの方が良いのかもしれない。

 私たちの作品もそうだ。

 デジタル書籍なるモノが増えて来て、いずれ紙の出版物は無くなってしまうのかもしれない。

 出版社自体は上手くデジタル化の波にも乗れそうだが、印刷会社は淘汰されていく事になるのだろう。

 デジタル書籍にシフトする意味で、デジタル版の校閲などを行う印刷会社も増えているようだが、私たち作家の様な微々たる力ではその流れを変える事は難しそうだった。


 年賀状を手に取りリビングのテーブルの上に置いた。

 そして三杯目のコーヒーをカップに注いで、リビングのソファに座る。


 自宅に来る年賀状は実は一部で、その多くは出版社に届く。

 私には遅れて年賀状が大量にやって来る。

 私の年賀状も上杉さんが代行して出してくれている。

 もう年賀状も出さないと言う人も多い中、この業界は少し遅れているのか、未だに出す人も多い。

 勿論、昔の様に手書きの年賀状など殆ど存在しないのだが。


 昔からの友人、親戚、会社の同僚だった人などからの年賀状がテーブルに並んでいた。

 私は毎年、自分に直接届く年賀状の返事を書く事にしている。

 返事は封書とメール。

 今はSNSという方法もある。

 便利になったモノだ。

 返事を書かなければいけない相手を選び、その年賀状を持って書斎へ入る。


 パソコンを起動し、まずはメールやSNSで新年の挨拶が出来る相手に返信を送る。

 ありきたりな文面と近況報告。

 中には私が作家をやっている事など知らない人もいるのかもしれない。

 勿論、未だ独身の私には家族の写真も話も無い。

 それ程に書く事も無いのだ。


 一気に数名への返信を書き終え、ダイニングへコーヒーを取りに行き、また書斎へと戻る。

 窓から庭が見え、寒そうなオリーブの樹が、申し訳なさそうにその幹を揺らしていた。


 ふと、我に返り、今度は封書で返事を書く準備をする。

 相手は恩師であったり、殆ど付き合いの無い親戚や、昔の上司などもいる。


 最近は年賀状に一言添えるなどという事も無くなった。

 ただパソコンで印刷しただけの年賀状が送られてくる。

 それに比べればこうやって文章をパソコンで入力し、返信を書く方がマシだろう。

 私は二口程コーヒーを飲んで、一気に文章を打つ。


 手紙と言うモノを殆ど書かなくなった。

 出来ればメールで……という文化が浸透している。

 それは便利でビジネスには都合の良いツールであるが、その反面、人との関係がどんどん希薄なモノになっている気がする。

 それでも人は生きていける事をこの二十年程で世界中のスタンダードにしてしまった。

 便利な世の中を創るという事は、世界を希薄なモノにするという事なのだろう。


 散らかった机の上に年末にもらったチョコレートを見付けた。

 私はそれに手を伸ばし、包みを開けると口に放り込んだ。

 特にチョコレートが好きな訳でも無く、かといって嫌いでも無い。

 高価なチョコレートを有難がって好む人も多いが、私は高価なチョコだからと言って、それを有難がる事は無い。

 チョコを食べたい時に期待した味覚を満足させてくれれば、それでいい気がする。

 そしてコーヒーに合うモノであれば、それでいい。

 したがって、チョコを自分で買う事は年に二度あれば多い方で、前に買ったのがいつだったかも思い出せない。


 歩いて数分の所にコンビニがある。

 タバコが切れた時と腹が減り、食べるモノに困った時だけ利用する。

 その他の理由でコンビニを必要とする事は無い気がする。

 そして担当編集者の上杉さんが色々と買って来てくれるので、私が家から出る事は殆どない。

 気分転換に散歩と称し、ブラブラと目的も無く街を歩く事もあるが、暑い日や寒い日はそれも敬遠気味。

 かといって春や秋はどうかというと、花粉症が酷いのであまり……。

 私はほぼ、この家で生きている事になる。

 まあ良い。

 私の時間は私のモノだ。

 どう使おうが誰にも文句は言わせない。


 そんな事を考えながら、数名分の封書を書き終え、封筒に万年筆で宛名を書いた。

 インクはペリカンのブルーブラック。

 万年筆など使う事も殆ど無い。

 先人の作家先生が書いてきた作品は万年筆で書かれたモノでは無いかと推測されるのだが、今はパソコン。

 少し前まではワープロで、これも随分と楽になったのかもしれない。

 書き損じた原稿用紙を丸めて捨てる事など無い。

 編集者も以前は出力し、紙の原稿を捲って読み、チェックしていたが、今は、編集者もモニター越しに原稿を読む様になってきた様子で、万年筆など誰も使わないのかもしれない。

 それでも事あるごとに記念品などで高価な万年筆をもらう事も多くはないがある。

 私も数本の万年筆を机の引き出しに入れてある。


 プリントアウトした手紙の名前の横にサインを入れる。

 これも烏滸がましいと思うが、作家の癖とも言えよう。


「コイツ、調子に乗って万年筆でサインなんて入れやがって」


 と思う知人もいる筈だが、これは癖だ。

 許せ。


 間違わぬ様に封筒に手紙を入れて、スティック糊で封をする。

 糊で封をするのはサラリーマン時代からやっている。

 糊にも拘りがあり、オレンジのキャップの定番のモノ。

 それも何本がストックを置いているが、一本使い切るのにかなりな時間を要する。

 それでも切れると嫌で、たまに行くドラッグストアやホームセンターで数本入っているモノを買う。

 上杉さんもこれは同じモノを使っているらしく、


「幼稚園の工作の時間からこのメーカーの糊を使ってますよ。今は、綺麗に剥がせるモノとか、裏写りしないモノとか沢山出てますけど、綺麗に剥がせる糊なんて、封をする事に関しては使用できないモノですよね」


 と言っていた。


 確かにそうかもしれない。

 中を開けられない様にする行為が「封」であり、綺麗に剥がせてしまうとそれは既にダメな気がする。


 机に転がった二つ目のチョコレートに手を伸ばす。

 それを口に入れるとコーヒーを飲む。


 目の前に並べた封筒を見て腕を組んだ。

 この手紙を今から出しに行くべきか、上杉さんが来た時に頼むべきか……。


 私はカップのコーヒーを飲み干し、窓の外を見た。


 正月の空気は何処となく澄んでいる気がする。

 確かに工場などは停止し、走る車も少ない、その分大気は綺麗なのかもしれないが、その程度で綺麗になるモノでは無い様な気もする。

 これも思い込みなのかもしれない。

 しかし、私もそんな空気は嫌いではない。


「正月くらい外に出てみるか……」


 そんな決意に近い言葉を声に出し立ち上がった。


 飲み終えたコーヒーカップと数通の封筒を手に取り、タバコをポケットに入れた。

 ダイニングテーブルに封筒を放り投げると、シンクにコーヒーカップを置き、壁に掛けたコートを取り羽織る。

 そしてスマホと財布をポケットに入れると封筒を持って、ポケットの中の家の鍵を確認した。


 滅多に履く事もない、ハイカットのレザースニーカーを出した。


「靴と鞄は革製のモノを使いなさい」


 昔、ビジネスマナーの研修で講師に言われた事があった。


「どちらにも革という字が入っていて、本来、革製である事がスタンダードなのです」


 講師はそう言うとホワイドボードにその二つの文字を大きく書いていた。

 それ以来、私の靴と鞄は殆ど革製。


 同じ思考なのだが、車もそう。


 本来左ハンドルで設計された車は左ハンドルで乗るべき。

 ガレージに停まる愛車も左ハンドルだ。

 滅多に乗る事も無く、バッテリーが心配だったりするのだが……。


 今日はその滅多に乗らない車で出ようかと迷ったが、外に出で冷たい大気を吸い込んだら、歩いてみたいと思ってしまった。

 私は車のキーをポケットに入れて、歩き出した。


 郵便局が直ぐ近くにあり、そこのポストに手紙を放り込む。

 ポストの口には「年賀状」と「年賀状以外」といったシールが貼られていて、私はその手紙を年賀状と書かれた口へと押し込む様に入れた。


 此処に越して来て数年経つが、実はまだ自宅の周囲さえも良く知らず、いつも行く店以外、曖昧な記憶だった。

 元旦からやっている店も少なく、シャッターの閉まる店を横目に、通りを歩く。

 傍目に見ると土地勘のない人が迷い込んだ様にも見えただろう。

 実際それに近いモノがあるのだが。


 歩く人の姿が増えていく。

 しかし、こちら側には駅などは無い気がする。


 私はその人並に着いて歩く事にした。

 そして角を曲がると、真っ直ぐな道が伸びていて、その奥に鳥居が見えた。


 こんな所に神社があるのか……。


 私は立ち止まり、その鳥居を眺めた。

 元旦の昼、そんな大きな神社では無いのだろうが、そこそこの人出もあり、出店も両脇に並んでいた。

 元日に初詣なんて何年振りだろうか。

 私はゆっくりと歩を進めた。


「参道の中央を歩くものではない」


 と昔、父に言われた事を思い出し、鳥居を潜ると私は、参道の端を歩く。

 賑やかな出店から漂う香りが私の腹を鳴らす。


「作家になったら良いモンばっか食ってるんだろう。痛風になるなよ」


 なんて言う友人がいた。

 しかし、そんな事は無く、コンビニのおにぎりやカップ麺を食う事の方が圧倒的に多い。

 勿論、出店の焼きそばや唐揚げ、烏賊焼きなども何の抵抗も無く食べる。

 むしろ今はそれが食べたい気分になっている。


 ある宮司の書いた本を読んだ記憶がある。

 鳥居は入口で所謂、膣孔であり、参道は膣、そして境内が子宮。

 神社を「お宮さん」などというのはここからきているそうだ。

 本殿に下げられる大きな鈴と綱。

 これがどうも男性のシンボルに当たるらしい。

 要は子宝に恵まれる事をすべての神に願うという事が神社の本質であるらしい。

 となると、私は今、精子となり、膣を遡っているという事になる。

 そしてその精子には栄養が必要であり、参道に出店を出し食べ物を売るという事も説明できる。

 まあ、そんな事を考えながら参道を歩く事も不謹慎と言われるのかもしれないが。


 出店の列を抜けて、更に鳥居のある場所に出た。

 そこからは石の階段が連なり、厳かな雰囲気を醸し出していた。


 ほう……。

 こんなところがあったのか……。


 私はその鳥居の端を潜った。

 少し階段を上がると御手洗があり、そこで手と口を清める。

 杓子を戻すと、また階段を上がる。

 そんなに長い階段ではないが、運動不足の私には骨の折れる階段だった。


 そして由緒ある神社なのだろうか、荘厳な本殿がそこにはあった。


 ほう……。

 これはなかなか……。


 私は、参列に並び、財布からお賽銭を出す。

 お賽銭はよく十円では「遠縁」と言い、縁が遠くなるなどと言われる。

 ご縁がありますようにという意味を込めて「五円」のお賽銭を投げ入れる人も多く、他にはその年に因んだ金額などを入れる人もいる。

 私の場合は、欲深い性格から二重に縁かありますようにと「二十円」を入れる事が多い。


 私の番が来たので、私は二十円を賽銭箱に入れた。

 しかし、何をお願いするのか……。

 何も考えて無かった。

 昔大きな神社の宮司さんに「何をお願いすれば良いか」と訊ねた事があった。

 その宮司さんはニコニコと微笑みながら、


「何もお願い事の無い方は、「世界平和」を祈って下さい」


 と言われた事を思い出した。


 私は仁礼二拍手の後に、「世界平和」を祈った。

 そして一礼してその場を退いた。


 御神籤を引くために並ぶ長い列が見えた。


 御神籤はやめておこう……。


 私は上った階段をゆっくりと降りた。

 長い時間並んで引いた御神籤が凶だったら、それこそ浮かばれない。

 引きたくない時は御神籤は引かないに限る。


 私は参道を引き返した。

 来る時にあれだけ香りに惹かれた食べ物に、不思議な程に興味が無くなってしまった。


 行きよりも短く感じた参道を抜けて、最初にあった大門のような鳥居を出る。

 鳥居の外にもいくつかの出店はあったが、私はそれを横目に見ながら家路を辿った。

 参拝の帰り道はいつも早い。

 気が付くと自宅のすぐ近くまで戻っていた。


 食べ物を買うのを忘れたな……。


 私は自宅を通り過ぎて、いつもタバコを買うコンビニへと入った。


 何か、正月らしいモノは無いかな……。


 特に正月らしいモノを並べている訳でもなく、コンビニだけはいつ来ても同じモノを置いている。

 私はタバコと少しばかり食料を買い、家に戻った。


 まあ、初詣も出来たし、散歩としては上出来だった。

 玄関を入ると上着の内ポケットの中でスマホが振動している事に気付いた。

 ポケットからスマホを取り出すと、画面には「上杉さん」の名前が表示されていた。

 私は慌てて電話を取った。


 上杉さんは気のせいか、いつもよりしっとりとした声で、


「先生、新年、あけましておめでとうございます」


 と言った。

 電話の向こうで頭でも下げてるような口調だった。


「ああ、おめでとうございます」


 私は靴を脱ぎながら言い、部屋へと入った。


 いつも、新年の挨拶を誰かと交わしながら、


「この挨拶は本当に必要な挨拶なのだろうか……」


 と考えてしまう。


「先生、聞いてらっしゃいますか」


 と上杉さんは言うが、実は何も聞いていなかった。


「あ、はい、聞いてますよ」


 私はダイニングの椅子に座りコンビニの袋を置いて、ポケットのタバコを取り出した。


「では、お願いしますね。明日の夜には戻りますので、帰りに寄りますので」


 と上杉さんは言って電話を切った。


 御殿場の実家に戻っている上杉さん。

 元日の昼間から電話をして下さいました。

 正月くらい仕事を忘れてのんびりすれば良いのに……。


 私はタバコを咥えて火をつけた。


「おめでとう。上杉さん」


 私は何故か、そう呟いた。








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