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2話 ホワイトムスクの午后






「私、太くて硬いのが好きなんですよね……」


 上杉さんは突然そう言って、カップ麺に箸を入れるとグルグルかき混ぜ始める。


 何を言い出すかと思えば……。


 私は自分のカップ麺に蓋をしてその上に箸を乗せた。


「あ、麺の話ですよ」


 上杉さんは悪戯っぽい笑顔を私に見せた。


「そりゃそうでしょ……。ラーメン食べるんだから……」


 私は一分程で蓋を開け、中の麺を解した。


「私も硬いのが好きです。もっとも私は細麺派ですけどね」


「先生はわかってないですね……。麺は太ければ太い程良いんです」


 上杉さんはポリポリと音がしそうな程硬い麺を口に入れる。


「もう少し待った方が良くないですか」


 私の言葉に上杉さんは呆気に取られ、


「そんな事したらラーメンの価値が半減ですよ。流石に私もカップのうどんだけは少し待ちますけど、後はお湯を入れて巻き交ぜて即、頂きます」


 私も硬めの麺を口に入れながら苦笑した。

 少し待った私の麺でさえ硬めなのに、上杉さんはかき混ぜただけ。

 これは相当硬い麺だと思う。


「太麺が好きなら博多ラーメンなんかはダメですね……」


 私は箸で麺を挟み、ふうふうとその麵を冷やしながら訊いた。


「嫌いじゃないんですけど、豚骨ってあまり好きじゃないんですよね。出来れば塩ラーメンが良いですね」


 なるほど、塩ラーメンね。

 悪くない……。


 私は麺をすすった。


「太麺って言えばつけ麺なんかは麺が太くないですか」


 上杉さんは少し考えて、


「私、つけ麺は食べた事無いかもしれません。ラーメン自体もそんなに食べないですし……」


 結構カップ麺なんかを食べる私からしたら意外だった。


「美味しいですよ。まぁ、店に寄るのでしょうが。私はつけ麺は熱盛ですね。スープ割ってのが出来る店もあって、これが美味しいんです」


 私はカップ麺のスープを飲む。


「アツモリ……ですか……あの人間五十年ってやつですか……」


 私はじっと上杉さんを見た。


「冗談ですよ。知ってますよ。同じ事を雑誌の担当をしてる友人に訊いて、笑われた事あったモノで。先生にも笑ってもらえるかと思って言っただけです」


 私は無言でラーメンをすすった。

 上杉さんも硬いラーメンを口に入れていた。


「でも、スープ割って何でしょうか……」


 上杉さんはお茶の入ったグラスを手に取り、私に訊いた。


 私もお茶を取り、一口飲んだ。


「つけ麺のつけ汁をラーメンのスープで割って飲むんです。麺を食べ終えた後にね。つけ汁って結構濃いので、スープで割るとちょうど良くて美味しいんですよ。やってくれない店も多いですけどね」


 上杉さんは無言で頷いていた。

 





 お昼を回った頃に自慢の赤いアウディを乗り付けてやって来た上杉さんは、忙しくてお昼を食べそこなったらしく、玄関を入るなり、


「先生……。何か食べ物ありませんか……」


 と言い、慌ててうちの食糧庫、と言ってもシンクの上の棚の事ですが……、を開けて、色々と物色し始めた。


 賞味期限の切れたレトルトのミートソースを見て、


「何で賞味期限が切れて三か月も置いてあるなんて事が起きるんですか。先生もパスタくらい作れるでしょ」


 と怒られ、更に、半年前に賞味期限の切れた秋刀魚のかば焼きの缶詰を見付け、


「信じられない。いつでも食べれるモノじゃないですか。缶詰の賞味期限が切れるなんて浜辺に流れ着いた缶詰だけですよ」


 流石は編集者。

 表現が面白いと感心してしまった。


 私はカウンターの上の鎮痛剤を一つ取り、口に放り込んでコーヒーで流し込む。


「またコーヒーで薬飲んでる……。お水も飲まないと賞味期限切れますよ」


 四十を過ぎてアラサーの女性にこんなに怒られる事があるなんて考えてもみなかった。


 上杉さんはカップ麺を見付けてそれを叩き付ける様にカウンターの上に置く。


「これも月末には賞味期限切れますので、食べましょう。どうせ先生もご飯まだなんでしょう」


 私は申し訳なさそうに頭を下げて、上杉さんに背を向けた。


 と、いう事でホワイトムスクの香る部屋の午後に二人でカップ麺を食べる事になった。






 カップ麺を食べ終えて、私は書斎に入り、上杉さんに渡す原稿の続きを書く。

 上杉さんはキッチンでパンケーキを焼くと言い、食糧庫にあった小麦粉の袋を開けてクンクンと匂っていた。

 小麦粉なんて男の一人暮らしで使う事も無い。

 多分、上杉さんが買ってきたモノの筈なんだが……。


「先生は甘いのとしょっぱいのどっちが好きですか」


 上杉さんは書斎を覗き込んで訊いた。

 主語の無い質問だが、もちろんパンケーキの事だろう。


「その時の気分ですね……。少し前に流行ったホイップクリームがこれでもかって程乗ったパンケーキも好きですし、カリカリに焼いたベーコンと一緒に食べるのも好きですね」


 上杉さんは、何度か頷き、ニコッと笑うとまたキッチンに戻って行った。


 私はパソコンのモニターに視線を戻した。


 待てよ……。

 パンケーキなんて言っているけど、昔はホットケーキって言ってた気がする。

 違うモノなのかな……。


 私はインターネットで調べてみた。


 なるほど……。

 ホットケーキは日本特有のモノでパンケーキの中の一つのようだ。

 明治時代に日本に入って来たパンケーキは薄く、薄餅として広がり、それが後にハットケイキと呼ばれる様になり、全国に広がった。

 なるほど。

 当時の日本は砂糖がまだ貴重で、甘いモノ信仰みたいなモノがあったのかな。

 

 私は納得した。






 上杉さんに渡す原稿のデータをUSBメモリーにコピーし、それを持ってダイニングへ行くと上杉さんのパンケーキもちょうど出来上がった様子だった。


「先生は鼻が利きますね」


 上杉さんは笑いながらパンケーキの載った皿を私の前に置いた。


「メイプルシロップなんて洒落たモノは無さそうなので、この高級そうな蜂蜜使って良いですか」


 何処から見付けて来たのか、確かに高級そうな蜂蜜の瓶を上杉さんは私に見せた。


 私は無言で頷き、椅子に座った。


 そして蜂蜜をすくう棒も何処からか見付けて来た様だった。

 その棒を私が見ていると、


「これ、ハニーディッパーって言うんですよ。覚えて置いて下さいね」


 上杉さんは私の向かいに座りながら言う。


 ハニーディッパーって言うのか……。


「蜂蜜をすくう以外に使い道無いですからね」


 そう言うと高級そうな蜂蜜の蓋を開け、ハニーディッパーを差し込んだ。


 確かに蜂蜜をすくう以外に使い道無さそうだ。


 私の前に置かれた焼きたてのパンケーキにトロリと蜂蜜がかけられる。

 溶けたバターが黄金色の蜂蜜に覆われ、食欲をそそられた。


「実は私、あまりメイプルシロップが好きじゃないんですよね……。だから私はいつも蜂蜜なんですよ」


 上杉さんは自分のパンケーキに蜂蜜を垂らしながら言った。


「カナダではステーキにもメイプルシロップをかけて食べるんですよね。カナダ人って味音痴なんですかね……。日本で言ったら何にでも味噌塗って食べるみたいなモノでしょ」


 私は想像した。

 刺身に味噌を塗って食べる。

 もしかするとそんな地方もあるのかもしれないが、それじゃ素材の味意を楽しむ事が出来ない。


「うん……。ステーキには塩と胡椒が一番良い気がする」


「ですよね」


 上杉さんは首を横に傾けながらそう言った。

 そんな可愛い仕草をたまにするのもこの人の特徴だった。


 上杉さんはナイフで大き目に切ったパンケーキを口に入れた。

 一緒に出して暮れたコーヒーから立ち上る湯気が窓から差し込む光に照らされてゆらゆらと揺らめいていた。

 私も一口大に切ったパンケーキに蜂蜜を乗せて食べた。

 表面がサクサクで美味しい。

 パンケーキなんて食べたのは何年ぶりだろうか。


「女性の身体に蜂蜜を塗って舐めるって……。あれは男性の願望としてあるモノなんですか」


 上杉さんは突然、突拍子も無い事を訊いて来る。

 これも彼女の特徴の一つ。


「は……」


 私は顔を上げて上杉さんを見た。


「AVで見た事あるんですよね……」


 上杉さんの表情に冗談めいたモノは無い。

 真剣に質問しているのだとわかった。


「蜂蜜だけじゃなくて、ホイップクリームだとか、そういう甘いモノ……」


 私は頭を掻いて、少し考えた。

 特殊なAVだとは思うのだが……。


「甘い夜とかって言いますモンね」


 上杉さんはまたパンケーキを口に入れる。

 一口が大きいのが気になる。


 私は湯気の上がるコーヒーを手に取り飲んだ。


「その場合の「甘い」は二人の気持ちの問題だと思うんですけどね……。物理的に甘いってのは……。ベッドもベトベトになりそうですし」


 私も真面目に答えると、


「そうなんですよね。そのあと身体を洗うのも大変そうですし、毛とかに着くとねぇ」


 私は冬のアフタヌーンティの話題には少しハードに思えた話題に苦笑した。

 そして、その状況がある意味、異端である事に気付く。


「何か、不思議ですよね」


「何がですか」


 上杉さんはナイフとフォークを置き、頬杖を突く。


「こんな会話って作家と編集者だから成り立つ会話で、普通のサラリーマンは冬の午後にお茶を飲みながらしないでしょう」


 私の言葉に上杉さんは少し考えて、


「私たちの世界って、普通、口にしない事や考えない事を真剣にやり取りしますよね。例えばこのセックスはどんなセックスなんですか……みたいな……。作品の中にある表現について真剣に話をしたりとか」


「そうですね……」


 私はコーヒーカップをテーブルに置いた。


「私や先生にとっては、それが日常で、こんな職業で無い人は非日常だったりするんですよね」


 私はパンケーキにナイフを入れながら頷いた。


「でも、読者はそれが非日常の人がその大半を占める筈なんですよ」


 確かにそうだ。


 私はパンケーキを食べながら頷く。


「さっき言ったAVなんかも、普通の人はそれを楽しみの一つとして観ますよね。だけど、私なんかは、性描写の表現方法をどうするか……、なんて事を考えながら見るんですよね。まあ、女性の身体に蜂蜜塗って舐めるなんて小説書く作家も少ないとは思いますけど」


 上杉さんはまた大き目のパンケーキを口に入れた。

 まったく美味しそうに食べる人だと私は思った。


「今はネットでAVを見る事が出来るので、私たちが恥ずかしい思いをしてレンタル店に借りに行く必要も無いですけど、先輩たちはレンタルビデオ借りて来て見ていたって言ってました。でも、当時はAV借りても恥ずかしくも何ともなかったって言ってましたね。多分、こんな仕事していると色々と壊れて来るんですよ……」


 上杉さんは私を見て微笑む。


「私も先生と昼間っからお酒も飲まずにこんな会話出来てるんですから、やっぱり何処か壊れてるんでしょうね……」


 作家も同じなのかもしれない。

 昨今の文学賞は性描写に対してかなり重要視されている様な気がする。

 同じ作家として性描写を読むと、その人の内面が見える様な気もして、粘着性のあるモノ、サラッと書かれているモノ、それがその作家の性なのかと考える事は多い。

 そんな風に性描写を読むのは作家として壊れている証拠なのかもしれない。


 私はナイフとフォークを置き、タバコを手に取る。

 甘いモノを口にするとタバコが欲しくなる。

 それを見て上杉さんは「どうぞ」という顔をした。

 私はタバコに火をつけると、上杉さんに煙が掛からない様に煙を吐く。


「先生の作品の中のセリフに、人は生かすより殺す方がずっと簡単で、生かし続けるよりも殺してしまった方がコストパフォーマンスも良いってのあったじゃないですか」


 確かにそんなセリフを書いた覚えがあった。


「アレを読んだ時に考えたんですよね。先生を作家として生かし続けるより、作家生命を終わらせてしまう方が、私たちには簡単なのかもしれないし、コストパフォーマンスの面から言ってもその方が良いのかもって……」


 上杉さんは頬杖を突いたままニヤリと笑った。

 私はその表情に身震いした。


「そんな事はしませんけどね……。先生の作品好きだし、暗いし、読後のモヤモヤが凄まじいですけど」


 上杉さんはコーヒーをゴクリと飲み、また頬杖を突く。


「最初はね。本当にそう思ってたんですよね。暗いなぁ……、先生って根は暗い人なんだろうかとか、もしかしたら病んでるんじゃないだろうかとか」


 私はまだ長いタバコを消し、またナイフとフォークを取り、パンケーキを食べた。


「けど、小説って人間を書くものじゃないですか。人間の根底って実は暗いモノなんじゃないかって自分なりに考えてみたんです。色々と問題を抱えて人って生きてるんですよね。いつも明るく振る舞っている人も、実は凄い借金があったり、奥さんと離婚調停中だったり……。だから、人を本気で書くと、暗いモノなのかなって」


 私は頷く。


「だから若い世代向けの小説って若い子には受けるけど、大人にはイマイチ刺さらないって事が多いんですよね。悩みの質がまったく違う訳ですし」


 私は二枚のパンケーキを食べ終え、ナイフとフォークを置いた。

 そしてコーヒーを飲んで、椅子に深く座り直した。


「読後もモヤモヤに関しても同じで、小説はそこで終わるかもしれないけど、作品に出て来る人にはその後もある訳ですし、何かに続く様な表現ってもしかしたら正解なのかもって思える様になったんですよね」


 私の書く内容を彼女なりに分析し、消化している。

 前任者はロボットの様な編集者だったので、


「此処はこんな表現にして下さい」


「此処は伝わりにくいです」


 と端的な会話しか存在しなかった。

 それに比べると上杉さんは人間味を持って私と会話をしてくれている事がわかる。


 随分と楽になった。


 私は自分の思う通りに書けば良い。

 間違えた時は信頼する編集者が方向修正してくれる。


「上杉さん」


 私は空になったコーヒーカップをテーブルに置いた。

 上杉さんは立ち上がり、そのカップにお代わりを注ぐ。


「私はあなたが好きです」


 上杉さんは私の言葉に手を止め、振り返った。


「え……」


 上杉さんの驚く表情を見て私は失錯を覚えた。


「愛の告白ですか……」


 上杉さんは私の前にコーヒーを置くと身を乗り出して構えた。

 私は少し身を引き、


「愛……と言うよりも、人間的告白と言った方が、しっくり……きますね」


 上杉さんはじっと私を見つめ、クスクスと笑い出す。


「何だ……。愛の告白かと思った」


 上杉さんも皿に残ったパンケーキを食べ終えてニコニコと微笑んだ。


「少し残念……」


 私は不可解な言葉に眉を顰めた。






 ホワイトムスクの香りが漂う部屋。

 割と冬の午後に合う香りだという事がわかった。

 私はソファで溜まっている本を手に取り、何となく読み始める。


 パンケーキを食べ終えた食器を洗い、上杉さんは私の横に座った。


「あ、それ、イマイチでしたよ」


 読んでいる横でそんな事を言い始める。

 まあ推理モノでも何でもないのだけど。

 私は手を止めて、本に栞を挟んだ。


「イマイチって言われてしまうと、読む気が失せてしまいますね」


 最初の方を読んだ時点でイマイチな事はわかっていたのだが……。


「あ、私、これまだ読んでないですね……」


 と上杉さんもテーブルに積まれた本、いわゆる献本と言われる本を手に取る。

 私はこの献本こそデジタルになれば良いのにと思う。

 年間百冊程の本が増えて行く事もあり、書棚からは直ぐに溢れてしまう。


「先に読んで良いよ」


 私はソファから立ち上がると背伸びをした。


「ありがとうございます」


 彼女は勢いよく本をパンと音を立てて閉じると、テーブルの上に置いた。


 私はキッチンに行き冷蔵庫を開けるとアイスコーヒーをグラスに注ぐ。

 いつもボトルのコーヒーを箱で買って置いている。

 簡単で良い。


 アイスコーヒーは夏の飲み物だと言われる事が多いが、日本という国は缶コーヒー大国で、冷たいコーヒーがいつでも飲める。

 私はこのアイスコーヒーを水代わりに飲む。

 コーヒーは体に良いと言う学者と体に悪いと言う学者が存在する。

 そしてその良し悪しはコーヒーに限らず時代によって変化する。

 少し前まで体に悪いと言われていたモノが、ある日突然体に良いと言われだしたりする。

 食べ物の焦げは癌になるとか胃の薬になるとか……。

 人はそんな情報に振り回されて生きている。

 情報とは最大のエンタメなのかもしれない。


「私も頂きます」


 ふと気が付くと上杉さんが私の後ろに立っていた。

 私はグラスを取ると氷を入れてアイスコーヒーを注いだ。

 上杉さんにそれを渡し、また二人でダイニングテーブルに座った。


「先生はコーヒー好きですね」


 上杉さんはグラスに口を付けた。


「そうですね。好きと言うよりは眠気覚まし的な要素が大きいかと」


「眠気覚ましですか」


 私はグラスを置いて、テーブルに肘を突いた。


「コーヒーもタバコもそうなんですが、私はいわゆるショートスリーパーじゃないですか」


 私の睡眠時間が極端に短い事は上杉さんも知っている。


「ショートスリーパーって、いつも眠いんです。短い時間で睡眠をとり、それで大丈夫なのかって言うとそんな事無くて、眠いのは眠いんですよ」


 上杉さんはうんうんと頷く。


「だからね。その眠いのを何とかするためにコーヒーやタバコを口にするんですよ」


 私はまたグラスを手に取り飲んだ。


「なるほど……。昔から作家という人は睡眠時間が短かったと言われてます。先生もそれかな……って思ってました」


 私はテーブルの上のタバコに手を伸ばした。


「確かにそうですね。けど、その多くはお酒が好きで、飲んで眠ってしまっていたりしたんでしょうね。私は普段は殆どお酒を飲まないでしょう。その代わりコーヒーをずっと飲んでますね」


 私はタバコに火をつけた。


「このコーヒーとタバコの組み合わせは胃に悪いと言われてますが、本当のところはどうなんでしょうね」


 上杉さんは微笑んで、グラスを置くと、優しく微笑んだ。


「長生きして下さいね。先生の作品、ずっと読んでいたいので……」


 私は、苦笑してタバコの灰を灰皿に落とした。


「そうですね……。短命の作家も多いですからね……。孤独な仕事程、ストレスを溜めるのかもしれないですね」


「そうですよ。吐き出す所が無いなんて可哀そう過ぎますよ」


 そう言うと声を上げて笑った。


「先生のストレスは私が解消しますので……」


 その言葉に私と上杉さんは動きを止め、クスクスと笑った。

 その声は次第に大きくなっていく。






 少し辺りが暗くなり始めた頃に上杉さんは会社に戻ると言い、バッグを持った。


「いつもすみませんね。色々とやって頂いて……」


 私は頭を下げる。


「いえいえ。いつでも言って下さい。あ、足らないモノはまたメッセージ送っておいて下さいね。今度買ってきますので」


 私は礼を言うと、上杉さんと一緒に玄関を出た。

 もう上着が無いと玄関を出るだけでも寒い季節になった。

 玄関から漏れるホワイトムスクの香りが冷たい大気に溶けていく。


「先生……」


 上杉さんは車にバッグを乗せると振り返り私の顔を見た。


「実は来月から雑誌の方へ異動しないかと会社で言われまして……」


 突然の話だった。

 会社という組織で働くからにはそれも仕方ない。


「それを先生に相談しようかと思って、突然やって来ました」


 私は無言で上杉さんに頷いた。


「けど、先生と色々お話をさせていただき、決心がつきました。私はもう少しだけ、先生と仕事がしたい。そう思いました」


 上杉さんは冷たい手で私の手を取る。


「もう少しだけ、一緒にお仕事させて下さいね」


 上杉さんはそう言うと顔を赤らめ、そそくさと車に乗り込んだ。

 そしてエンジンをかけるとガレージから出て行った。


 私は上杉さんお赤いアウディを見送りながら、微笑んだ。

 そしてポケットからスマホを出して、上杉さんの会社の編集長に電話を入れた。

 編集著は数回のコールで電話に出た。


「ああ、編集長ですか。私です」


 私は家に入り、玄関の戸を閉める。

 向こうは滅多にない私からの電話で困惑している様子だった。


「上杉さんから異動の話を聞きました。ええ、ええ……。上杉さんを担当から外されるのであれば、私もしばらくお休みを戴こうかと思います。ん……期間……、それは無期限という事で……」


 私は編集長に釘を刺す事に成功した。

 これでしばらく上杉さんの異動は無い。


 多分、上杉さんは私にこうして欲しかったのではないだろうか。


「私も、もう少し、あなたと……」


 テーブルの上の二つのグラスを見て呟いた。








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