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18話 ホワイトムスクの納涼祭





 日曜日。


 週に一日、いや、最初は二日休む事になっていて、週末には上杉さんは自宅に帰る事になっていたのだが、彼女は土曜日も私の家に居る。

 これでは労働条件が当初と違うのではないだろうか……。

 そして、日曜の朝、彼女は「自宅に帰る」のではなく、


「ちょっと出掛けて来ます」


 と言って出て行った。


 担当編集者の上杉さんはこの夏、私と「サマータイム」と称し、十二時間、生活時間をずらして仕事をする事にした。

 そして、睡眠不足で朝、車で自宅に帰るのも危ないという理由で、私の家の客間に住み着いてしまった。


「効率的でもありますし……」


 などと言っていたが、本当の所は私にも皆目見当もつかない。


 流石に土曜の夜、仕事はせずに私も映画をネットで観ていたのだが、上杉さんはダイニングテーブルで仕事をしていた様子で、「帰れ」とも言えずに、朝方寝るまで私は三本の映画を観た。


 上杉さんも少し寝た様子だったが、お昼過ぎに起きると、


「ちょっと出掛けて来ますね」


 と言って車で出て行った。


 私も今日は新しい携帯電話でも買いに行こうかと思っていたのだが、それを上杉さんに相談すると、


「新しい携帯電話は毎年秋に発売されますから、それを待って買われた方が良いですよ」


 とアドバイス。

 それには私も納得して、とりあえず延期する事にした。


 しかし、今年の夏は暑い。

 秋なんて来るのだろうかと思ってしまう程だった。


 気が付くとダイニングのテーブルの上に何処からか送られて来た箱があった。

 私はその箱に貼ってある送り状を覗き込む様に見た。

 送り状には「椎名崙土」と書かれていて、私が駆け出しの頃からお世話になっている椎名先生からだという事がわかった。


「椎名先生からか…」


 私はその箱を手に取り、包みを開けた。


 お中元は私が贈らなければいけないのだが、椎名先生は少し前に担当編集者の女性、野々瀬さんと結婚され、このような贈り物をマメにされる様になった。

 勿論その都度、私も何かを返す様にはしているのだが、とにかく出不精な私は、ネットで適当なモノを見繕い、送るだけ。


「先生、贈り物は心ですよ。先生の心ってのは、そんなネットみたいに簡単に済まされるモノなんですか」


 などと上杉さんには嫌味を言われる始末。


 贈り物なんて、印だけでしょう……。


 と言い返そうと思ったが、私はそれを飲み込んだ。


 椎名先生からの贈り物は、江戸切子のグラスで、綺麗な赤と青のペアだった。


「ほう…。先生にしちゃ、センスが良い……」


 私はそのペアグラスをテーブルの上に置いた。

 窓から差し込む夏の日差しで、その江戸切子の影がキラキラとテーブルの上に伸びる。

 その光が幻想的に見え、私はしばらくその影を眺める事にして椅子に座った。


 テーブルの上に投げ出したタバコを取り、火をつける。

 そのタバコの煙の影と江戸切子の影が重なり、更に幻想的な雰囲気が漂う。


 ふと、破いた包みを取り、ゴミ箱に入れようとしたが、包装紙と一緒に封筒が入っている事に気付く。


「ん…。手紙かな…」


 私はその封筒を手に取り、中から手紙を取り出した。

 そこには椎名先生の癖のある文字で書かれた手紙が入っていた。

 先生も原稿を書くのにはパソコンを使われている。

 しかし同封の手紙は珍しく手書きのモノだった。

 そして私はその手紙を見て頬を緩める。

 内容としては、


「今年の夏は暑いから少しでも涼し気に感じるモノをという事で江戸切子のグラスを贈る」


と言うモノだったが、その言葉のチョイスが椎名先生独特のモノだった。


「お前はこれから俺と同じ地獄への階段を上っている。いわゆるその階段の真下に居る事を忘れるな」


 これは不幸の手紙なのだろうか……。


 私はクスクスと笑いながらその手紙を読み、二枚目の便箋を捲る。

 そこには走り書きの様な文字で、


「やっちまう前ならまだ間に合う。今一度考えろ」


 と書いてあった。


 これは先生が「やっちまった」ところから地獄が始まったという事を書かれているのだろう。


 私はその手紙が何故か愉快で、冷蔵庫からアイスコーヒーを持って来て、再び読んだ。


 三枚目の手紙が付いている事に気付く。

 その三枚目だけはパソコンで印刷された手紙だった。


「椎名が申し訳ありません。どうしてもこの手紙の内容を先生に伝えなければいけないと申しまして」


 そんな内容の手紙で、どうやら奥様の野々瀬さんが書かれたモノの様だった。


 椎名先生と野々瀬さんはいわゆる名コンビであると言える。

 この二人の今の関係が続く限り、椎名先生の作品は売れ続けるのだろう。

 

 テーブルの上の携帯電話が振動した。

 私はそれを手に取って画面を見た。

 画面にも「椎名崙土」と表示されていた。

 この江戸切子が今日届くのを知っていてメッセージを送られたのだろう。


 私はメッセージを開いた。


「良いか、女ってのは化ける事の出来る生き物だ。確かに上杉女史はいい女だ。だけど、いい女は毒を持っているモンだ。地獄を見たくないならお前の人生をちゃんと推敲しろ」


 どうやら本気で椎名先生は言われているのだろうという事はわかった。

 それ故にそのメッセージが可笑しくて笑ってしまう。


 私は携帯電話の液晶画面のメッセージと椎名先生の直筆の手紙を並べて置いた。

 椎名先生の直筆の手紙など、なかなか手にした人はいないのかもしれないが、この内容だと、人に見せて自慢する訳にもいかない。

 まあ、自慢する相手も居ないのだが……。


 私はテーブルの上に置いていたノートパソコンを開き、先生に返すお中元を探す。

 私も出来れば椎名先生程、インパクトのある手紙を添えたいのだが、それをやるといつまでも過激な手紙のやり取りが続きそうな気がしてやめる事にした。


 最近なかなか手に入らないというウイスキーのセットを見付け、椎名先生のご自宅へ送る。


 まあ、酒好きの先生の事だから、飲んでくれるだろう……。


 私はテーブルの上に丸めて置いていた包装紙をゴミ箱に捨てて、またタバコに火をつける。


 ガレージに車が入って来る気配がした。

 どうやら上杉さんが帰って来た様だ。


 私は咥えタバコのまま玄関へ行き、ドアを開けた。


「あ、先生」


 上杉さんは両手に荷物を抱えて私を振り返る。


「ついでに買い物して来ました。これ持って下さい」


 と、私に荷物を押し付ける様に渡す。

 私はそれを受け取ると、とりあえずダイニングの椅子の上にそれを置いた。


 上杉さんが良く行く、会員制のスーパー。

 此処の商品はどれもサイズがおかしい。

 外資系のスーパーなので、向こうのサイズである事は理解できるが、これを小分けにして冷凍して、何て手間を考えるとその辺のスーパーで買った方が良いのではないかといつも思う。

 しかし最近はそんなスーパーの特集をテレビでもやっている程で、どうやら人気らしい。


「すみません。どうしてもいっぱい買っちゃいますね……」


 上杉さんはそう言いながら部屋に入って来た。


 そりゃそうだ……。

 一つでも多く買わせるように作ってあるのだから。


 私は苦笑しながら上杉さんの持つ荷物も受け取った。


 上杉さんはそのまま自分の部屋……、と言う訳では無いのだが、客間にどう見ても家から持って来た荷物を持って行く。


 今度は何を持って来たのだろうか……。

 このまま住み着くつもりなのか。


 私はタバコを消し、椅子に座った。


「先生、お昼何にしますか、お肉とか買って来ましたけど」


 上杉さんはダイニングに戻って来た。

 そしてテーブルの上に置いた江戸切子のグラスに気が付いた様だった。


「あら、綺麗な切子」


 そう言ってグラスに顔を近付けて覗き込む。

 その上杉さんの顔が江戸切子の赤と青の影に重なり、異様な表情に見え、私は身を引いた。


「女は化ける生き物だ」


 という椎名先生の言葉を思い出す。


「これが椎名先生からの贈り物ですか」


 上杉さんは顔を上げて私に訊く。


「ええ、受け取って頂いたんですね。ありがとうございます」


 私はお礼を言ってアイスコーヒーを飲んだ。

 上杉さんも立ち上がり、冷蔵庫からアイスコーヒーを出してグラスに注いで戻って来た。


「綺麗な切子ですね……。薩摩ですか、江戸ですか…」


 日本の切子で有名なのモノは江戸切子と薩摩切子。

 これは昔、調べた事がある。


「硝子が透明なモノは江戸切子、硝子に淡い色が付いているのが薩摩切子ですね。切子の入れ方にも特徴があり、角のあるシャープな切り方をしているのが江戸、少しぼかした様に切子を入れるのが薩摩切子です。したがって、これは江戸切子ですね」


 上杉さんはじっと二つのグラスを見ながら頷いている。


「ペアで贈って下さるなんて、椎名先生も粋な事して下さいますね」


 その言葉に私は口元を歪めて頷く。


「ま、まあ、そうですね…」


 グラスと一緒に入っていた手紙は、上杉さんには見せない方が良いのだろうか……。


 私はグラスに残ったアイスコーヒーを一気に飲み干した。






 結局、テーブルの上に置いていた椎名先生からの手紙は、すぐに上杉さんに見つかり、何度も読み返しては笑っていた。


「失礼ですよね……。私の事、悪魔とでも思ってるのかしら」


 何て言っていたが、椎名先生はそう思っているのだろう。


 まあ、笑い話で済んで良かったのだが。


 上杉さんは何故かご機嫌で、鼻歌を歌いながら、昼食用のパスタを茹でていた。


「お待たせしました」


 といつもに増して大盛のパスタがテーブルの上に置かれる。


「大盛ですね……」


 私はその皿を見ながら言う。


「パスタって腹持ちが悪いじゃないですか、食べてもすぐにお腹空きますし」


 上杉さんは私の前にフォークとスプーンを置きながら微笑む。


 確かに、他の食べ物よりは腹持ちは悪いのかもしれないが、この量を食べると動けなくなるような気がするが……。


 どうやら例の会員制スーパーで五キロ入りのパスタを買って来たらしい。


「戴きます」


 と上杉さんは手を合わせると大盛のミートスパゲティを食べ始める。


「スパゲティの事をパスタって言い始めたのっていつからでしょうね」


 何て事を言い出す。


 確かに、子供の頃はスパゲティと言っていた気がする。

 いつからだろうか。

 そして何故パスタと言い始めたのだろうか…。

 

 私は携帯電話を手に取って調べてみた。


「どうやらバブルの頃からみたいですね……」


 私は調べた内容を口にした。


「その当時に雑誌が挙ってイタリアン特集をやる様になって、小洒落た呼び方でパスタって呼び始めたそうです」


 上杉さんは唇を尖らせて頷く。


「本来パスタってのは小麦の練り物の事で、この棒状のモノは本場でもスパゲティと呼んでいるみたいですね。マカロニとかペンネとかそう言ったモノの相称がパスタだそうです」


 私もフォークとスプーンを手に取り、スプーンの上でそのスパゲティを巻いた。


「なるほど…。スパゲティの方が正しいんですね」


 私は口の中のスパゲティを飲み込んで、


「正確には、スパゲッティ。もっと言うとスパゲッチが正解なのかもしれませんけどね」


 私の言葉に、上杉さんは眉を寄せた。


「もう良いですよ。そんな難しい食べ物、美味しく無くなりますから」


 と笑っていた。


 二人で大盛のスパゲティを平らげて、腹を摩っていた。


「やっぱり多かったですね」


 見た目に普段の倍の量はありましたから、絶対に多かったのですが……。


「そうですね、しばらく動けないかもしれませんね」


「あら、動いた方が消化良くないですか」


 上杉さんは食べ終えた皿をシンクに持って行き、


「コーヒー飲みますか」


 と言う。

 そして当たり前の様にアイスコーヒーを二つ持って戻って来た。

 今の私にはそのコーヒーさえも入るかどうかわからないのだが。


 そして上杉さんは身を乗り出した。


「ねえ、先生」


「はい、何でしょう」


 私はアイスコーヒーのグラスに口を付ける。


「今日、近くの神社で夏祭りがあるみたいなんですよ。良かったら行きませんか」


 夏祭り……。

 近くの神社とは、正月に行ったあの神社の事だろうか。


 そんな事を考えながら上杉さんに視線を戻すと、彼女はキラキラを目を輝かせて私を見ていた。


「ああ……。良いですよ、行きましょうか」


 私の言葉に上杉さんはニッコリと笑って、コーヒーを飲んだ。


「良かった」


 上杉さんは心の底から絞り出す様にそう言った。


 ん……。

 良かった……。

 何が良かったのだろうか。


「そんなに夏祭りが好きなんですか」


「あ、ああ。違いますよ。さっき、浴衣を持って来たので、無駄にならないで良かったって事です」


 浴衣……。

 上杉さんの浴衣姿か……。


 私はそれを想像した。


「あ、先生、今、想像したでしょ……。私の浴衣姿」


 上杉さんはそう言って笑い始める。


 まあ、想像したのだけど、その想像はまだ、エロスの域には達してなかった。


「もう何年も着た事無いですが、結構似合う筈なんですよね」


 まあ、男は女性の浴衣姿を見て、「似合わない」とは言わないモノなんですが……。

 昔、友人が彼女の浴衣姿を見て、


「何か、バカボンみたい」


 って言ってしまい、その日に別れたという逸話を持っている奴がいた。


「良いですね、浴衣……。上杉さんは似合いそうだし」


 彼女は嬉しそうに微笑むと、


「私、結構和装って好きなんですよね。ピシッと締まる感じが好きで」


 そう嬉しそうに話す上杉さんを見ながら、私は自然に顔を綻ばせていた。






 その後、私は書斎に入り、遅れている原稿を書いていた。


「原稿なんて遅れて当たり前なんだよ。人間、一日に何万文字も書ける様には出来ちゃいないんだから」


 椎名先生がそんな事を言ってたのを思い出した。

 しかし、プロならば、何万文字と言うノルマをこなす必要もあったりする。

 そのための缶詰と言うのも一度経験したし……。


 私はどうにも煮詰まってしまい、ソファに横になった。


 今日はダメだ。

 そもそも日曜だし、休みだし……。


 昼に食べたミートスパゲティもまだ十分な存在感を胃袋の中に残していた。


 気が付くと眠ってしまっていた。


 ふと目を開けると、窓の外は少し薄暗くなっていた。

 私としては目を閉じて、再び開けた程度の感覚だったのだが。


 私はソファから飛び起きて、軽く頭を振った。

 数時間、完全に熟睡していた様だった。


 書斎を出てダイニングに向かう。


「上杉さん……。そろそろ、行きます……か……」


 ふとダイニングテーブルの椅子に座る浴衣姿の女性を見付けた。

 私はその女性に言葉を失う様だった。


 浴衣の女性はゆっくりと私の方を振り返る。


「上杉さん……」


 浴衣姿の上杉さんは、私の顔を見て微笑んだ。


 綺麗だった。

 髪を掻き毟りながら仕事をしている上杉さんとは全く違い、私はその彼女に見惚れていた。


 上杉さんはゆっくりと立ち上がると、


「どうですか……」


 と私に訊いた。


「美しい……」


 その言葉の選択が正解なのかどうかはわからないが、自然に零れた言葉だった。


「もう、恥ずかしいじゃないですか」


 と上杉さんは私の腕を叩いた。


 私は我に返り、


「じゃあ、行きますか」


 と上杉さんに言った。

 上杉さんもいつもと違い、コクリと頷くだけだった。






 家を出て、神社の方へと歩く。

 ちゃんと下駄も用意していた上杉さんは歩きにくそうにしていたが、それもいつもの彼女と違い新鮮に見えた。


 神社に近付くと浴衣姿の女性も増えて来た。

 周囲から見ると、私と上杉さんはどう見ても親子だろう。

 そんな事を考えていると自然と視線を落してしまう。

 背中を丸めた私を見て、上杉さんは小声で、


「先生、顔を上げて下さい。ほら、私の彼氏の顔して下さい」


 彼氏の顔……。


 私はゆっくりと顔を上げて、上杉さんを覗き込む。


「せっかくなんですから、彼女連れて歩いている彼氏の顔して下さいよ……。私も化けた甲斐がありませんよ」


 上杉さんはそう言うとケラケラと笑った。

 それに釣られて私も微笑む。


「そうですね……。せっかく浴衣美人が横に居るですもんね」


 彼女は私の腕に腕を絡めた。

 私は微笑みながら神社の参道を歩いた。


 何人もの人が浴衣姿の上杉さんを振り返る。

 それ程に上杉さんの浴衣姿は彼女を引き立てていた。

 そしてその視線は私にも向けられている様に思えた。


「何か、すみませんね……。私なんかと」


 何故か、そんな言葉が零れる。


「あら、私は、先生とこうやって歩くの好きですよ……。自慢の彼氏です」


 上杉さんは悪戯っぽく微笑み、小首を私の方に傾けた。


 この人のこういう発言は何処までが本当なのか、私にはわからなかった。

 そして彼女の事をまた意識してしまう自分がいる。

 こんな関係がいつまで続くのだろうか。

 終わってしまうのも嫌なのだが、このまま続くのも嫌なのかもしれない。

 私はそんな解けない問題をずっと抱えているのだ。

 しかし、恋愛とはそういうモノなのだろうか。

 若い頃の恋愛であればイチかゼロかみたいな感覚もあるのかもしれない。

 それは大人になると、そんなスイッチの様な恋愛の方が珍しい気がする。

 そのイチとゼロの間にも無限に目盛りがあり、その目盛りの上を浮遊するかの様に日々変わって行く。

 そんなモノなのかもしれない。


 鳥居の向こうに煌々と照らされた櫓が見えて来た。

 そしてその櫓の周囲を踊る人々。

 人いきれと汗、そして夜店から発する食べ物の匂いが混ざった空間。

 そこに少し湿った夜風が抜けていく度に、上杉さんの結い上げた髪の香りが漂う。

 少し現実離れした場所に居る様な気持ちになった。


「先生、少し休みませんか……」


 上杉さんの声で私は我に返る。


「そうですね。少し人酔いしそうですしね」


 私たちは少し人の少ない場所に歩き、遠巻きに踊る人々を見ていた。


 上杉さんは楠の幹に手を突いて、慣れない下駄のせいで痛そうに足を気にしている。


「やっぱり慣れないと痛いですね…」


 微笑んでいたが、その表情は辛そうだった。

 彼女も無理をして浴衣を着てくれたのだろう。

 私に見せたいばっかりに……。


 ん……。

 私に見せたい……。

 そうなのだろうか。

 私に自分の浴衣姿を見せたいのか……。

 何故。

 何故、私にそれを見せたいのか。

 また私は恋愛に不慣れな事が災いして、新たな疑問点にぶち当たる。


 辛そうにしている上杉さんを見て、


「帰りましょうか……」


 と私は言った。


「でも」


 私は首を横に振った。


「浴衣姿の綺麗な彼女を連れている彼氏気分、充分に味わえましたしね」


 私はそう言って彼女の手を取った。

 その言葉に上杉さんは微笑み頷いた。


 まだ帰る人も少ない参道を歩きながら私たちは家路を辿る。

 しかし、上杉さんは足が痛そうで何度も立ち止まり、参道を抜ける頃、とうとう歩けなくなってしまった。


 私は末杉さんの前に背中を向けてしゃがみ込んだ。


「え……」


「乗って下さい。上杉さんくらい負ぶっても歩けますから」


 私の言葉に上杉さんは背中に身を付けた。

 私に腕を回して、脱いだ下駄を手に持った。


「何か、すみません……。凄く迷惑かけてますよね」


 申し訳なさそうに私の耳元で言う。


「いいえ。なかなか浴衣美人をおんぶする機会なんて無いですし……」


 そう言って笑う。


「重くないですか」


「ええ。全然……。昼間のスパゲティの分、重いくらいですかね」


 神社から離れる程に人は少なくなって行く。


「せっかく、浴衣美人に化けたのになぁ」


 上杉さんはクスクスと笑った。


「上杉さんは浴衣姿じゃなくても美人ですよ。私が保証します」


「あら、嬉しい事を……。流石は作家先生ですね。女を喜ばせる言葉を理解してらっしゃる」


 私は見えない上杉さんを背中に感じながら、


「あれ、私が、恋愛小説が苦手な事、ご存じなかったですかね……」


「ああ……。誰よりも知ってますね。失礼しました」


 他愛も無い会話。

 それが私たちには丁度良い距離感で、まだまだ恋愛には至らないのかもしれない。

 彼女がそれを望んでいるのかどうかもわからないのだが。


「もう歩きますよ……。下ろして下さい」


 上杉さんが熱い息と一緒に私の耳元で囁く様に言った。


「いえ、もうすぐそこですから、そこで大人しくしてて下さい」


 上杉さんは私の背中に頬を付けた。


「すみません……」


 私は背中に感じる上杉さんの体温が心地良かった。

 人を感じている気がした。


「あ、先生…。お礼に一つ良い事教えます」


 また上杉さんが耳元で言う。


「何でしょうか……」


「私、今、下着付けてないんです……」








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