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17話 ホワイトムスクの二人暮らし





 お昼前に寝て、夕方起きる。

 それだけ聞けば、


「何て羨ましい生活なんだ」


 と、思われる方も多い筈。

 しかし、これがやってみるとなかなかしんどい生活で……。

 確かに時間が過ぎるのは若干早い気がする。

 目が覚めると外は暗くなり始め、また明るくなった頃には寝るのだから。


「先生、寝るの早すぎませんか……」


 上杉さんは朝食を食べ終え、コーヒーを飲みながら言う。


「早いですか……」


 私と上杉さんはこの夏の間、サマータイムなるモノをやってみようという事になり、しかも、数時間ずらすサマータイムではなく、思い切って十二時間ずらすサマータイムを始めた。

 更に、


「帰りに運転しながら寝てしまう危険性があるので……」


 と言う理由で上杉さんはこの家に泊り込むという。


「だって、普通のサラリーマンも夕方帰って来て、夕食を食べると数時間はゆったりと過ごしてから寝るじゃないですか」


 私は少し考えた。

 確かに、朝の六時頃仕事を終えて、朝食を七時頃取る。

 そして風呂に入って絶対に九時には寝ようとしている。

 普通の人は十二時くらいまで起きているのかもしれない。


「普通の人の生活は、例えば朝、七時に朝食、お昼十二時に昼食。夜は七時に夕食。そうなると、私たちも夜七時に朝食。夜十二時に昼食、そして朝の七時に夕食って事になりますね……」


 上杉さんは私の話にうんうんと頷く。


「ですから、勤務時間も夜の九時から朝の六時って事で良いのかと……」


 なるほど……。


 上杉さんの言う事は理解出来るのだが、これがなかなか難しい。

 何が一番難しいかと言うと、夜の七時頃起きるって言うのが一番の難題になる。

 どうしても早くに目が覚めてしまうのだ。


 その原因が私の場合、寝る時間が早いのではないかという事の様だ。


「という事は昼前まで起きていて、それから寝るのが良いという事ですね……」


 上杉さんはまたうんうんと頷く。


 私はまた少し考える。

 どうして夜の十二時くらいまでは起きている事が出来るのに、朝寝るとなると、昼の十二時まで起きている事が出来ないのだろうか……。

 私は別にテレビを観る人でもない。

 夜の番組を必ず観る必要も無い。

 しかし、気が付くと十二時で、もう寝なければと思う時間になっている。


「上杉さんは、夜、テレビは観られますか……」


 上杉さんは少し考えて、


「そうですね……。知っている先生が原作を書かれたドラマなんてモノは観る様にはしていますね……。後はニュースなんかも。ほら、一人暮らしだとテレビをつい点けてしまう癖が付いてしまって。観てないのにBGM代わりにテレビが点いてるなんて事が良くあるじゃないですか……」


 私はそれに頷いたが、私自身がそんなにテレビに依存していない。

 一人暮らしでも殆どテレビを観ない。

 だけど、インターネットで映画を観るなんて事はある。


「テレビから得る情報ってのも馬鹿に出来ないんですよね……」


 上杉さんはコーヒーを口にした。


 確かにそうだ。

 テレビにヒントをもらって書いた作品も少なくはない。


 この家にもダイニングとリビング、そして私の寝室、客間にもテレビは置いている。

 しかし殆どが稼働していないテレビだったりする。


「一人暮らしの方がテレビって観るんですかね……」


 上杉さんの疑問に私はまた考える。


 一人の寂しさを紛らわすためにテレビを観る。

 そうなると二人で住み始めた新婚家庭なんかはテレビを観る時間は減るのだろうか。

 子供が生まれるとまた子供がテレビを観る事になるのかもしれない。

 しかも、今はネット社会。

 一人暮らしの人はテレビよりネットを観る事の方が増えていると新聞にも載っていた。


「まあ、寝ない様にテレビを観ようって事では無いんですけどね……」


 上杉さんはそう言って笑った。






 私が風呂に入っている間に上杉さんは買い物に出掛ける。

 そして風呂を出た頃に帰って来る。

 私はそのまま書斎に入り、上杉さんが風呂を出るのを待つ。

 風呂上りの上杉さんとダイニングテーブルで少し話をして昼前に寝る。

 そんなリズムを作ろうという上杉さんの提案だった。

 まあ、確かに夜七時に起きてから買い物ってのも、何か違う気がする。

 朝、スーパーが開く時間に買い物。

 そして戻ってお風呂……。

 夕方七時頃起きて、食事をして仕事。

 夜中の十二時に昼食。

 そして朝の七時に夕食……。


 うーん。

 頭ではわかっていても、夜の七時まで寝る事は出来るのだろうか……。


 私は、書斎で椅子に座ったまま考えた。

 ガレージに車が入って来る音が聞こえ、外を見ると上杉さんが買い物から帰って来た様だった。


 私は席を立ち、玄関まで上杉さんを迎えに出た。

 案の定、色々なモノを買い込み、両手に袋を提げて帰って来た。

 まだ先日の食材も使い終えてないのに……。


「戻りました……」


 そう言いながら玄関から入って来る。


「おかえりなさい……」


 私は上杉さんの持つ袋を取り、ダイニングテーブルへと運んだ。


 上杉さんは買って来たモノをしまい、ホッと息を吐いて椅子に座った。

 こんな時間でも暑いのだろう、上杉さんの首筋には汗が浮いている。


「あ、お風呂どうぞ……」


 私がダイニングにいると上杉さんがお風呂に入りにくいと思い、書斎へと戻る事にした。


「先生……」


 上杉さんはそんな私を呼び留める。


「はい」


「私が勝手に居候させて頂いてるので、気を遣わないで下さいね……」


 私は振り返り上杉さんを見る。

 正直、それが一番難しい話で、若い女性が同じ家に居る事に気を遣うなってのは……。


「ほら、新婚夫婦ってのも初めは気を遣うのかもしれませんが、徐々にお互いの前で平気でおならしたりするようになるじゃないですか……」


 上杉さんは私に微笑む。


 新婚夫婦はね……。

 しかし、私と上杉さんは新婚でも何でもない……。


「もっとも、もう先生と知り合って二年以上経っている訳ですし……」


 うーん。

 上杉さん……、何か違う気が……。


 私はキッチンへ行くとアイスコーヒーをグラスに入れる。


「飲みますか……」


 と訊くと、上杉さんも頷く。

 私は二人分のアイスコーヒーを持ってダイニングテーブルに戻った。

 そして椅子に座るとタバコに火をつける。


 確かに、上杉さんがうちに泊まるのは承諾した。

 しかし、結婚した訳じゃない。

 私は、こんな生活が上杉さんのためにならないと考えている。

 この事を伝えなければいけないのだろうか……。


 確かに、一人だと裸で部屋の中を歩き回る事もある。

 上杉さんが居るという事で風呂上りはちゃんと服を着て出て来る。

 その辺りは気を付けているが、これは一人暮らしでもやっている人もいるのかもしれないと思うと、不便ではなく、今までの私の怠慢なのかもしれない。


「上杉さん……」


 私はタバコの煙を吐き、アイスコーヒーを飲む。


「はい」


 満面の笑みで上杉さんは私を見ている。

 私は、グラスを置くと、少し姿勢を正した。


「上杉さん的にはどうなんですか……」


「と、言いますと……」


 私は一度咳払いをした。


「その……、私と此処に住むというのは……」


 私の言葉に上杉さんの表情が曇る。


「うーん……。そうですね……」


「私は良いとして、上杉さんはこれから結婚もされる訳ですし、此処で一緒に暮らしているとなると、変な勘ぐりをされる事もあるんじゃないかと思うのですが……」


 上杉さんは無言のまま頷く。


「あの……」


 ふと、上杉さんは顔を上げた。


「はい」


「先生はどうして良いのでしょうか……」


 ん……。

 それは一体……。


「先生だって、これから結婚される事もあるのかもしれませんよね……。何も無いとしても、私を此処に住まわせたって事で先生も変な勘ぐりをされる可能性はありませんか……」


 まあ、そう言われてみるとそうなのだが……。

 まあ、しかしこの場合はどうしても女性の方が損な結果になる気がする。


「私、思うんですよ……」


 私はその言葉に顔を上げた。


 上杉さんは少し身を乗り出す。


「先生のその意識が罪悪感的なモノを生んでしまってるのでは無いかと……」


 罪悪感……。

 確かに言われてみれば罪悪感と表現するのが一番近しいかもしれない。


「だって、実際に私と先生の間には今のところ何も無い訳じゃないですか……。普段だって仕事で先生と此処で二人きりですし、それでも何も無い訳ですよ……」


 もう少しでキスするところだった事もあったが……。


 私はアイスコーヒーのグラスを取り、一口飲んだ。


「まあ、その事実から言っても、私にとって先生は安牌ですね……」


 上杉さんはそう言うとクスリと笑う。


 安牌か……。

 男として安牌と表現されるのはどうかとは思うが、私と上杉さんはいわゆるビジネスパートナーである。

 その上では安牌である必要性が重要なのかもしれない。


「まあ、私が先生を押し倒すって事はあるかもしれませんけどね……」


 私は、顔を上げてそう言い放った上杉さんを見る。


「さ、私、お風呂戴きますね……」


 とそそくさと上杉さんは立ち上がる。


「え……」


 私は慌ててグラスを置くとタバコの上に置いてしまい、少し残っていたアイスコーヒーをテーブルの上にぶちまけてしまった。


 上杉さんは慌ててティッシュを取り、テーブルの上を拭く。


「もう、何やってるんですか……」


 そう言って笑っていた。


 綺麗に拭き終えると、空になったグラスをシンクに持って行く。


「では、お風呂……入ります」


 そう言って、上杉さんが使っている客間へと消えて行く。


 押し倒される事もあるのか……。


 私はアイスコーヒーで濡れたタバコの箱をティッシュで拭き、またタバコを一本取った。

 そして火をつけようとするが、何故か手が震えている。

 押し倒される恐怖を感じている訳では無いのだが……。


 上杉さんは着替えを抱えて戻って来た。

 そして私を見ると、


「あ、お風呂、覗いても訴えたりしませんよ」


 そう言うとクスクス笑いながら脱衣所の扉を閉めた。


 何て事を……。


 私はタバコの煙に噎せながら咳をした。






 上杉さんがお風呂に入っている間は、書斎か寝室に居る様にしていた。

 今日は書斎で、新たに淹れたアイスコーヒーを飲みながらタバコを吸っていた。


 本当にお風呂を覗いたと思われたら困るので……。


 しかし、普通は作家と編集者と言えども、二人きりの家に泊り込んだりするモノなのだろうか……。

 恋愛経験の乏しさが此処で災いを成す。


 例えば私が編集者だったとしよう。

 上杉先生の家に尋ねて行き仕事をする。

 そして泊めてもらう……。

 いや、無いな……。

 まあ、私が男で、上杉さんが女だという事も勿論ある。

 しかし、私が女だったとしても、これはかなり勇気のいる行動だ。

 それはやはり私が安牌だからという事か……。


 あ、安牌……。

 麻雀をしない人のために説明するが、誰もその牌で上がる事の出来ない安全な牌……、略して安牌と言う。まあ、言うなれば、何の害も無い男だと言われている様なモノだ。

 それは男としては面白く無い。


 私はアイスコーヒーを飲み、じっと書きかけの原稿を見つめながら考えた。


 この中途半端な状況だからこそ、私と上杉さんはぎくしゃくしてしまうのか。

 押し倒してしまえば、もっと楽になるのか……。

 いや、それはダメだ……。

 円滑に仕事をする事が出来なくなる可能性もあるし、それ以前に犯罪になる可能性もある。


「お風呂戴きましたよ」


 そんな声に私は顔を上げた。

 頭にタオルを巻いた上杉さんが書斎を覗き込んでいた。


「あ、はい……」


 私はそう返事をしてタバコを消した。






 ダイニングへアイスコーヒーのグラスを持って移動すると、上杉さんが髪を拭いていた。

 自然乾燥派だと言っていたので、しばらくは髪を拭いているのだろうが、風呂上りの女性を真っ直ぐに見る事は良いのだろうか。


 そんな事を考えながら、私は今朝読んでいない新聞を広げた。

 実際、読まない日の方が多いのだが。


「何か、目が冴えちゃいましたね……」


 上杉さんは私に微笑む。


「そうですね……。そろそろ寝なきゃいけないのに……」


 私は新聞をたたんでテーブルの上に置いた。


「あ、少しお酒でも飲みますか……」


 と立ち上がった。

 しかし、上杉さんがそれを止める。


「確かに寝る前ですけど、こんな時間にお酒を飲むのは、罪悪感が少し……」


 言われてみると、そうかもしれない。

 お風呂上りの上杉さんの同僚は、会社で仕事をしている時間だった。


「眠くなるまでお話しましょう……」


 私はその提案に乗り、上杉さんの向かいに座った。


「あ、何なら私、枕持って先生の寝室に行きますけど……」


 私は慌てて、それを止める。

 そんな事をされると更に目が冴えて、一睡も出来ない事になる……。


 それを知っていて上杉さんはそんな事を言うのだ……。

 男って言う生き物は絶対に女には勝てない様に出来ている。


「先生って女の人と暮らした事って無いんですか……」


 上杉さんもアイスコーヒーを口にした。


「勿論、身内以外の……」


 私は何度か小さく頷く。


「無いですね……」


 上杉さんが身を乗り出して来た。

 そして小声で、


「実は、私……」


 ん……。

 上杉さんはあるのか……。


「私も、無いんです……」


 そう言うと悪戯っぽく微笑んだ。


 私は息を吐くと窓の外を見た。

 暑そうな夏の日差しが降り注いでいる。


 上杉さんは、何も無かった様に……、現に何も無いのだが、髪を拭いている。


「もう何年も一人で暮らしていると、二人って何か良いですね……」


 私も同じだが、まだ良いとは感じる事が出来ない。


「ほら、顔を上げると誰かが居る訳じゃないですか。一人暮らしで誰か居たら、それはホラーですけど……」


 今の私に言わせると、ホラーでは無いモノの、充分にミステリーではあるのだが……。


 その時、テーブルの上に置いていた携帯電話が振動した。

 私はそれを手に取り画面を見ると、「椎名崙土」と表示されていた。


「椎名先生だ……」


 私はその画面を上杉さんに見せた。


 椎名先生は私の先輩に当たる作家で、色々と懇意にしてもらっている。

 私はその電話に出た。


「おい、生きてるか」


 椎名先生の電話はいつも突然始まる。


「あ、はい。生きてますよ」


 私はそう言って笑った。


「ちょっと頼みがあるんだけどな」


 どうやら移動しながらの電話の様だった。


「今、お前の所に向かってるんだ」


 私はそれに驚く。

 そして携帯をテーブルの上に置いてスピーカーにした。


「どう言う事ですか……」


「どうもこうもあるか。考えてみたらカミさんが編集だという事は、俺は二十四時間見張られているって事になる」


 上杉さんは声を殺してクスクスと笑っていた。


「ああ、逃げ場がないって事ですね……」


 私も笑いを堪えてそう言った。


「そうなんだよ、どうして気付かなかったのかな、俺は。くそっ、まんまと騙された気分だよ」


 椎名先生は締切が近くなると良く逃亡する事で有名だった。

 ホテルに缶詰めにされた日も、近くの駅からロマンスカーに乗って逃亡した話があった。

 もっとも横浜で飲み歩いている所を確保されたらしいが……。


「で、しばらく匿ってくれないか。今日はお前ん所に編集者来ない日だろ。お前の編集にバレるとうちのカミさんにも筒抜けだからな」


 上杉さんは堪え切れず口を手で押さえて笑っていた。


「あ、いや……」


 椎名先生は必死に逃亡しているつもりなのだろうが、その情報はもう上杉さんには伝わってしまった。

 このままうちに来られると、此処で編集者の奥さんに確保される事にしかならない。


「何だ、女でも連れ込んでるのか。まあ、お前は独身だから良いだろうけど」


 そう言うと嫌らしく笑っている。


 それが面白かったのか、上杉さんは吹き出す様に笑っている。

 そして、


「椎名先生。ご無沙汰してます。上杉です」


 と上杉さんは声を出した。


「え……」


 電話の向こうで椎名先生が固まっているのが想像出来た。


「上杉さん……居たの……」


 上杉さんは笑いながら、


「ええ、私、先生と同棲してるので……」


「え……」


 椎名先生の声のトーンが上がる。


「おいおい、それならそうと言ってくれよ……」


 と椎名先生は言いながらタクシーの運転手に「引き返せ」と指示していた。


「お前も編集者と結婚なんてすると逃げ場無くなるぞ。ったく、それを教えてやろうと思ってたのに……」


 椎名先生は一方的に吐き捨てると電話を切った。


 切れた電話を私と上杉さんは見ながら、声を上げて笑った。


 すると今度は上杉さんの電話が鳴った。

 上杉さんはその電話の画面を私に見せた。


「野々瀬和美」と表示されている。


 椎名先生の奥様だった。

 上杉さんも電話をテーブルに置いて、スピーカーで電話に出た。


「はい、上杉です」


「あ、私です。野々瀬です」


 野々瀬さんは上杉さんとは違う会社だが、同じ編集者仲間で、結婚しても旧姓のまま仕事をしていると聞いていた。


「野々瀬さん。椎名先生を探しておられるんですよね……」


 上杉さんは笑いながら言う。


「そうなのよ……。今日締切だからって言っておいたのに、ちょっと目を離した隙に逃げちゃって……」


 今度は私が声を殺してクスクスと笑った。


「でも、大丈夫なのよ……GPSあるから、大体何処に居るかはわかるのよ……」


 なるほどGPSか……。


「代々木の方に向かってたから、上杉さんの先生の所に隠れるつもりかと思ってたんだけど、何故か折り返しで戻って来てるのよね……」


 どうやらリアルタイムに追跡されている様だった。

 椎名先生も、上杉さんにバレた事で逃げ場所は無い事に気付いたのだろう。

 大人しく自宅に戻ってくれると良いが……。


「ええ、さっき先生に電話が入って、匿ってくれって……」


 上杉さんも野々瀬さんも声を上げて笑っていた。


「私にバレた事で、観念されたんじゃないですかね……」


 編集者ってのは怖い人たちだ。こういった結束は固い。


「じゃあ、帰って来るの待つわ……。またランチでも行きましょう」


 野々瀬さんはそう言うと電話を切った。


「GPS仕込まれるのも怖いですね……」


 私は苦笑しながらアイスコーヒーw飲む。


「ですね……。私が先生にGPSなんて仕込むと怒られちゃいますけど、椎名先生の所はご夫婦なんでね……」


 確かにそうだ。

 椎名先生は奥さんにGPSを仕込まれただけなのだ。


「まあ、編集者って何処までも追いかけますからね……。怖いですよ……」


 私は無意識に生唾を飲み込む。


「私も先生が逃亡する様なら、何処までも追いかけるつもりですからね……。覚悟して逃亡して下さいね」


 上杉さんはようやく乾いた髪からタオルを取った。


 私は、顔を引き攣らせて笑っていた。

 多分、笑顔にはなってなかった筈だ。


「あ、よく考えると、今の私と先生の状況が、椎名先生の家はずっと続いているって事ですね……」


 そうなるな……。


「まあ、向こうはご夫婦なんで、椎名先生も覚悟は決められるでしょうけどね」


 私はグラスに残ったアイスコーヒーを飲み干した。


 私は立ち上がり背伸びした。


「さあ、そろそろ寝ますか……」


 そう言った。


「そうですね……。よく笑ったし……」


 上杉さんも立ち上がった。


「眠れそうですか……」


 と上杉さんが訊く。


 私は首を回しながら、


「そうですね……。それなりに……」


「それなりに眠るってなんですか……」


 上杉さんはクスクスと笑った。


「まあ、多分……、きっと……」


 私も笑いながら答えた。


 すると、また私の電話がテーブルの上で振動した。

 そして画面には「椎名崙土」と表示されていた。


 私と上杉さんは素早く椅子に座り、またスピーカーで電話を取った。


「はい」


 私が言うのとほぼ同時に、


「おい、編集者と作家の二人暮らしなんて、作家にとっては地獄以外の何物でもないぞ。今日は俺も諦めて家に帰るけどな、絶対に止めとけ」


 椎名先生はマシンガンの様に話す。


「お前あれか、もうやっちまったんか」


 私は既に我慢できずにクスクス笑いながら、


「何ですか、やっちまってませんよ」


 椎名先生はしばらく無言になった。


「やっちまってないなら、まだ大丈夫だ。編集者なんて追い出しちまえ」


 大声でそう言うとまた一方的に電話を切った。


 私は上杉さんの顔を見ながらクスクスと笑い続けた。


「相当来てますね……。椎名先生」


 上杉さんは顔を伏せながら笑っていた。


「ですね……。もう野々瀬さんの作戦勝ちですね……」


 私はそう言うと再び立ち上がった。


「さあ、寝ますよ……。上杉さんも寝て下さい」


 私は携帯電話をポケットに入れて寝室に向かう事にした。


「おやすみなさい」


 とお互いに言う。

 そして、


「あ、先生……」


 と私を呼び留め、私に微笑む。


「覚悟出来たら、やっちまいますか……」


 私は、苦笑しながら寝室へと急いだ。


 二人暮らしは恐ろしいのかも……。








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