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14話 ホワイトムスクの雨朝





 殆ど眠れなかった……。


 私は真っ暗な部屋で時計が朝の時間になっているのを見て起きた。

 明かりをつけると服を着替えて寝室を出る。


 ダイニングに行くと上杉さんがキッチンで鼻歌を歌いながら朝食を作っている姿が見えた。


 上杉さんは、眠れたのだろうか……。


 私は上杉さんの背中を見てそう思った。


 昨夜、上杉さんは私のベッドに枕を抱えて入って来た。

 しかし、何も無かった。

 枕を抱えてベッドに入って来た女性と何も無かったなんて話は、誰もしても信じてもらえない筈だ。

 でも、何も無かった。

 これは私が悪いのか、上杉さんが悪いのか……。


「あ、先生。おはようございます」


 上杉さんは、私を見るといつもの様に微笑み、そう言った。

 昨日の事など何も無かった様に振る舞う上杉さん。


「あ、おはようございます」


 私もいつもの様に……を装い挨拶をしてダイニングテーブルに着いた。


「少し待って下さいね……。朝食出来ますから」


 上杉さんはまた鼻歌を歌いながら背を向ける。


 ふと、窓の外を見ると、雨が降っていた。

 昨夜からそんな気配はしていた。

 雨の香りと言うのだろうか。

 そんなモノを感じていた気がする。

 庭の木々を叩く雨音がしている。


「雨ですね……」


 私は外を見ながら誰に言うでもなく口にした。


「そうなんですよね……。起きてびっくりでした。こんなに降るなんて思ってなかったので……」


 上杉さんはそう言う。

 確かに結構な降り方をしていて、庭のコンクリートや木々を叩く雨音も本降りのレベルだった。


「低気圧頭痛は大丈夫ですか……」


 上杉さんはカウンターから身を乗り出す様にして私に訊く。

 私は、微笑み、


「私の場合は、雨が降り出すまでが酷くて、降り出すと治まるんですよ」


 そう言うとタバコを手に取る。


「あら、じゃあ昨夜は辛かったんじゃないですか……」


 昨夜……。

 その言葉でまた昨夜の事を思い出した。

 上杉さんの背中がベッドの中で私の背中に密着していた。

 あの上杉さんの体温は今も感覚として残っている。


「ああ、どうでしたかね……。ビールも飲んだので」


 ビールを飲んだから何だと言うのだ。


 上杉さんは私に微笑み、うんうんと頷いていた。


「今日は和朝食ですけど、良いですか」


 上杉さんは味噌汁の味見をしながら言った。


 和朝食……。

 もう長い事食べていない気がする。

 私はタバコに火をつけて微笑んだ。


「良いですね……。和朝食なんて旅行にでも行かない限りは食べる事ないですからね……」


 旅行……。

 思い出した。

 上杉さんの友人の結婚式の二次会で、私と上杉さんはハワイ旅行とヨーロッパ旅行を頂いたのだった。

 それに高級ホテルの宿泊券も……。

 あと、束子……。


「駅前まで行けば、和朝食を食べられるお店はありますよ。先生も朝は少しお散歩でもされると良いかもしれませんよ」


 上杉さんは炊き立てのご飯を持ってテーブルにやって来た。


 確かにチェーン店の牛丼屋でも和定食は食べる事が出来る。

 でも違うのだ。

 そんなモノを欲している訳では無い。

 まあ、多くは語らないが……。


「冷凍庫に干物がありましたので……」


 食卓に焼いた魚の干物とお漬物、それに味噌汁が置かれる。


「それから……」


 上杉さんはキッチンに戻り、卵焼を載せたお皿を持って来た。


「先生は、卵焼きは甘いのとしょっぱいのどちらがお好きですか……」


 綺麗に焼かれた卵焼き。

 関西風の出汁巻きも好きだし、甘いのも良い。

 塩の効いたモノも好きだ。

 要は何でも食べる。

 特に上杉さんが焼いてくれたモノであれば……。


「パンケーキの時もそんな話をしてましたね」


 私はタバコを消して微笑む。


「あ、そうでしたね……」


 そう言うと上杉さんは私の向かいに座った。


「何でも好きですよ」


 上杉さんは、お箸を取り、手を合わせた。

 私も同じ様に手を合わせて、


「戴きます」


 と言う。

 お味噌汁の良い香りが漂う。


「先生の奥さんは楽ですね……。何でも食べて戴けるので……」


 上杉さんはお味噌汁と飲み、息を吐くとそう言った。


「あ、カレー以外はですね……」


 カレー……。

 そう私はカレーがあまり好きではない。

 もう少し付け加えると、ハンバーグも苦手かもしれない。

 子供が好きそうなモノが昔から苦手。

 ただ、苦手なだけで食べれない訳では無い。


「上杉さんは嫌いなモノとか無いんですか……」


 私は干物を食べながら訊いた。


「そうですね……。心太はダメですね……」


「と、心太ですか……」


 まあ、あまり食べなければいけないシーンは思いつかない食べ物だ。


「あとは、メイプルシロップ……黒蜜……」


 私はご飯を頂きながら頷く。


「こんな雨の朝も苦手ですね……」


 そう言うと私の後ろに見える外の風景をじっと見ている。


 ヘアスタイルが決まらないなんて理由なのだろうか……。


 私は、そんな上杉さんに微笑み、朝食を食べる。


「卵焼、凄く美味しいですね……」


「良かった。これだけはその家の味ってのがあるじゃないですか、先生の嫌いなカレーもそうですけど」


 上杉さんはお味噌汁のお椀を置いた。


「あ、お味噌汁もそうか……」


 まあ、食事にはその人の味があるという事だ。

 私は上杉さんの味は好きかもしれない。

 と、言うよりも手料理的なモノは上杉さんのモノしかこの数年食べていない気がする。


 上杉さんは嬉しそうに微笑みながら食事をしている。

 私もそれに釣られる様に笑顔になった。


「ほら、食事って食べてもらうために作るっていうのが基本なんですよね。でも一人で暮らすと自分のための食事って事になるじゃないですか。そうなると、何でも良くなるんですよね……。それは食事を作るという根本的な目的が変わって来る気がして……」


 確かにそうだ。

 自分が食べるモノならば何でも良いと考えてしまうのが普通で、人に食べてもらうって事になると、その相手の事を考えながら作る。

 それは根本的に違う気がする。


「なるほど……」


 と私は箸を置いてお茶を飲む。


「何か、ありきたりな感想しか言えないのが申し訳ないですね」


 すると上杉さんはクスクスと笑った。


「先生の事は、よく知ってますから、それで良いんですよ……。美味しいって言ってもらえたら伝わりますから」


 私はまた箸を取り、


「上杉さんの手料理をマズイなんていう人はいないと思いますけど、そんな人にはレトルトのカレーでも食わせておけばいいんですよ」


 私の言葉に上杉さんは声を上げて笑っていた。


「先生、レトルトのカレーに失礼ですよ」

 





 朝食を頂いた後、コーヒーを飲む。


「何か、お腹いっぱいになりましたね……」


「先生って小食なんですね……」


 上杉さんは自分のコーヒーを持って座る。


「そんな事は無いですよ。食べる時は食べます」


「朝からステーキとかいけますか」


 朝からステーキ……。

 うん、今はいらないが、すこぶる体調の良い日ならば行ける気はする。


「昔居たんですよね……。朝からステーキやカツカレーなんかを食べる人」


 朝から……。

 何だろう。

 昔の彼氏か……。


「若いと食べれるのでしょうね……」


 私は上杉さんから目を逸らし、窓の外を見た。

 まだ雨は本降りのまま、庭を打ち付けていた。


「あら、若い人ではないですよ……」


 私は振り返り上杉さんを見る。


 そうか……。

 上杉さんは年上好きなんだ……。


 私は顔を引き攣らせていた気がする。


「雨の朝が嫌いなのも。この人のせいなんですよね……」


 私は上杉さんの元カレの話を聞きながら、タバコを取る。


「朝早くに迎えに来てもらって……。その日が大雨で、凄い長い事、傘を差して待ちました。おかげでビショビショになって。だから雨の日に待ち合わせはしない事にしたんです」


 私は頷く。


「雨の日にデートはしないって事ですね……」


 上杉さんはコーヒーを飲んでいる手を止める。


「デートをしないのではなく、待ち合わせをしないって事ですよ。相手は彼氏とは限りません」


 なるほど……。

 家まで迎えに来てもらうか、何処か時間を潰せる場所での待ち合わせという事になるな……。


「何か、雨の日に雨音を聞きながら待っていると、虚しくなるんですよね……。雨音に馬鹿にされている様な気になりますし……」


 雨音に馬鹿にされている気になる……。

 これもまた上杉さんらしい表現なのかもしれない。


 私はコーヒーカップをテーブルに置いて、


「結局どのくらい待ったんですか、その雨の朝の待ち合わせは……」


 上杉さんは少し上を向いて考えると、


「一時間くらいですかね……。なんか忘れてたって言われて、一日怒ってましたね」


 私は俯いて、


「酷い彼氏ですね……」


 そう言って顔を上げると、上杉さんは目を丸くして私を見ている。


「私、彼氏って言いましたかね……」


 ん……。

 彼氏じゃないのか。


「違うんですか……。朝からステーキとかカツ丼を食べる年上の彼氏……」


 上杉さんはクスクスと笑い出す。


「やだな先生。父ですよ、父」


 え、父上の話か……。


「今でもそうですよ。朝からカツカレー、お代わりして食べるんですよ。ステーキも一ポンドなんて軽く食べちゃいますし」


 一ポンド……。

 パワフルな父上だな……。


「先生、勝てますか……そんな父に」


 ん……。

 上杉さんの父上に勝つ……。

 何のために……。


 上杉さんはクスクスと笑った。

 やっぱり私が困っているのを見て楽しんでいるのだろう……。

 私は苦笑した。






 私は書斎に入り、いつもの様に原稿を書くが、恋愛小説の進みは遅い。


 ふと顔を上げると、上杉さんがコーヒーを持ってやって来た。


「進んでますか……」


 私は無言で首を横に振った。


「私にわかる事なら訊いて下さいね」


 上杉さんはパソコンのモニターを覗き込んだ。


「ああ、元カノの存在を聞いてしまった時の心境ですか……」


 上杉さんは机の前にあるソファに座った。


 そんなシーンを書いていた。

 忘れられない元カノの存在を聞いてしまった時の女性の心境。

 そんなモノがわかる筈も無く、そのシーンでもう一時間程、止まっていた。


「私にも、忘れられない元カレが居るんです……」


 上杉さんは静かに言った。

 私はゆっくりと顔を上げてソファに沈む様に座る上杉さんを見る。

 平然を装うが、その話を聞いて良いモノかどうか、私は心中、穏やかでは無かった。


「それですよ……。先生の動揺……」


 上杉さんは立ち上がって私の傍に戻って来た。


 ん……。

 私はやはり遊ばれているのでは……。


 私はモニターと上杉さんを交互に見た。


「え、今の……」


「そうです、今のですよ……」


 いや、そうじゃなくて、今の話は……。


「この彼女としても聞きたい様な、聞きたくない様な。でも付き合う事に有るといずれは聞く事になると思うし、それがしこりを残す事になるのであれば知っておきたい。なんて色々な事が一気に脳内に雪崩れ込んで来る。そんな感じなんじゃないでしょうか」


 一気に捲し立てる上杉さんだったが、殆ど頭に入って来ない。


「その辺は男も女も同じじゃないでしょうか……」


 上杉さんは私の顔を覗き込んで微笑んだ。


「あ、でもこれは、先生が私の事を好きって前提の話になりますね……」


 私は考え込んでしまった。


「先生にも忘れられない元カノっているでしょう……」


 上杉さんはゆっくりとソファに戻り座る。


「ほら、以前のカレーが嫌いな女性とか……」


 以前に上杉さんにそんな話をしたことがあった。

 私もコーヒーカップを持ってソファに移動する。


「人って、そうやって忘れられない人が増えて行くにつれて成長するんだと思うんです。特に恋愛に関しては……」


 私は黙って頷く。


「終わった恋愛はすべて失敗の恋愛かと言うとそうじゃなくて、その恋愛があったからこそ、次の恋愛が出来る。そんなモンでしょ……。だからどんな恋愛でも無駄な恋愛なんてない。私はそう思います」


 上杉さんは窓の外を見ながら言う。


「そりゃ、この年になれば、失敗した恋愛の幾つかは誰でも持ってますよ。特にそれを誰かと付き合う度に共有する必要も無いと私は思います。勿論、訊かれたら話す事もあるかもしれませんけど、それが良いか悪いかは相手次第ですよね……」


 今日の上杉さんは良く喋る。

 私も窓の外を見た。

 オリーブの樹が雨に濡れながら揺れている。


「今の私は、その過去があるからこその賜物であって、過去が無ければ今の私も存在しないんです。先生だって……」


 上杉さんは私の方を見て微笑む。


「先生だって、過去の恋愛が無ければ、私が惹かれる事も無かったのかもしれませんし……」


 私はその言葉に、上杉さんに視線をやる。


 惹かれている……。

 私に……。


「あ……」


 上杉さんはそれに気付いたのか、顔を伏せた。

 そして勢いよく立ち上がる。


「さ、私、そろそろ帰ろうかな……」


 と言い、自分のカップを持って書斎を出て行った。


 私はじっと窓の外を見た。

 タツタツと雨音が聞こえている。

 時折吹く強い風にそのリズムが崩れるが、また元のリズムに戻る。

 それを繰り返す。

 その雨音が恋愛のそれに似ている気がした。

 たまに崩れるリズム。

 それがあるからこそ、いつものリズムを待つ自分が居る。


 机の上のタバコを取り咥えた。

 そしてマッチを擦ると火をつける。


「過去の恋愛か……」


 私は無意識にそう呟く。


 上杉さんの過去の恋愛を知りたい。

 そう思った事は無く、多分これからも無い気がする。

 しかし、この先の上杉さんを知りたい。

 今の上杉さんを知りたい。

 私はそう思う自分が居る事を認識した。


 私はやはり上杉さんを好きなのだろう……。


 私は煙を吐きながら微笑んだ。


 気持ちを伝える事の出来ない恋愛。

 そんなに苦しく、難しい恋愛は無い。

 伝えられないのではない。

 伝えてはいけない恋愛なのかもしれない。

 上杉さんの歴史に残る存在になってはならない。

 そんな気がしたのだった。


「難しいな……恋愛って……」


 また無意識に声を発した。


「難しいですか……」


 書斎の入口から上杉さんの声がした。

 私は慌てて振り返る。


「ああ……。なんか独り言を言ってましたね……」


 私は微笑むとタバコを消した。

 上杉さんはまた書斎に入って来た。


「恋愛って大人になるにつれて、頭で考える恋愛になっちゃうんですよね」


 私は向かいに座る上杉さんに頷く。


 まさにその通りだ。

 自分の気持ちを相手に伝えるだけの恋愛じゃない。

 相手の事も考える恋愛になる。

 そして共有する時間を考える恋愛になる。

 年齢を重ねるごとに時間の価値も変わって行く。

 その中で、一緒に過ごす時間にどれだけの価値を見出す事が出来るか。

 そんなことまで考える恋愛。

 これは恋愛なのだろうか……。

 過去に感じたモノとはまったく異質の恋愛になる。


「先生は、これからのビジョンってあるんですか。恋愛に関しての……」


 私は首を傾げた。


「恋愛ですか……。まあ、恋愛を諦めている訳ではないので、結婚とかは別としても、一緒に安らげるようなパートナーは欲しいですね」


「安らげるパートナー……。理想ですよね。なんか一緒に居て気を使わないとか、楽だと感じるとか……。結局、最後はそんな相手に惹かれる気がしますね……」


 私は上杉さんと一緒に笑った。


「まあ、上杉さんと私ではその辺りの価値観も違いますから、上杉さんはもっと情熱的なモノを求めても良いのかもしれませんけど……」


 上杉さんはクスクスと笑い出す。


「そこですよ、そこ。私って昔からそんな部分を求めてるんでしょうね……。だから年上が好きなんです。なんていうのか、金銭的な余裕とかそんなの別に求めていないんです。もっと人間的な余裕が分けてもらえれば良いなって思うんですよね」


「人間的な余裕ですか……」


 上杉さんは微笑んで頷く。


「ええ、私に無いモノを持っている人。そんな人が理想なんですよね。でも、そんな人でも、持っていないモノがあると思うんです。それを私が補えたらいいなって思います」


 実年齢よりもかなり大人なのだろう……。

 上杉さんには色々と教えられている。


「そうですね……。例えば家事なんて何も出来なくて良いんです。むしろ色々と自分で何でもできる人なんて私なんて必要ないって思われるかもしれないじゃないですか。パンツの置いてある場所も知らないし、シャンプーの詰め替えも出来ない。そんな人で良いんです。ただ、その分、私に「ありがとう。君が居てくれて本当に助かる。うれしい」って思ってくれる人が、私の理想かもしれませんね」


 私はコーヒーを飲み干した。

 そして、


「私みたいに何でも出来る人はダメって事ですね……」


 私はそう言って笑った。


「先生が何でも出来る人なら、世の一人暮らしの男性は皆スーパーマンですよ」


 上杉さんはそう言って笑った。






 雨は一向に止まない。


「雨脚が弱くなったら帰ります」


 などと言いながら、上杉さんはリビングでスマホを触っている。

 しかし、止む気配すらない。


 私は書斎を出て、リビングを覗き込む様に見た。

 私に気付いたのか上杉さんは身体を起こす。


「雨、止まないですね……」


「ええ……。もう梅雨ですしね……」


 私はキッチンへ行き、アイスコーヒーをグラスに注ぐ。


「送りましょうか。私に家を知られても平気ならば……」


 上杉さんはクスリと笑った。


「先生に家を知られる事に何の抵抗も無いですよ。ただ悪いなって思ってるだけで……」


 私はリビングのソファに座った。


「悪い……。何故でしょう……」


「だって、突然日曜に押し掛けて来て、彼氏の役までさせて、泊めて戴いて、偉そうに恋愛まで語って……」


 昨日からの出来事をダイジェストでお送りした様な上杉さんの言葉だった。


「私はそんな事、少しも迷惑だなんて思っていませんよ。ベッドに入って来られたのは流石にドキドキしましたけど」


 二人で声を出して笑った。


「先生が突然襲い掛かる人じゃない事はわかってたんであれも出来た事ですよ」


 自分の理性がまだ正常稼働してて良かった。


「そんなのわからないですよ……。これからあんな事をする時は覚悟だけはしておいてもらわないと……」


「あら、覚悟なんていつもしてるのに……」


 自然と二人の笑いが止まる。


 おいおい、上杉さん……。

 なんか、ズルいですね……。

 それならそうと……。

 じゃないな……。

 もしかすると、これも私に恋愛小説を書かせるための……。


 そう考えると、上杉さんの方が私よりも何枚も上手に思える。


「でも……」


 上杉さんは目を伏せて手に持ったスマホをテーブルに置いた。


「私、先生の事、好きですよ……」


 好き……。

 ん……。


 上杉さんは顔を上げて私を見た。


「作家として……、人間として……」


 あ、なんだ。

 そう言う事ね……。


 私の心臓は壊れたリズムを打ち鳴らし続けている様だった。


「勿論、男性としても……」


 え……。


 私の心臓は多分、一瞬だが止まった。


 上杉さんは私の傍に近付き、そっと唇を寄せて来た。

 私は、上杉さんの肩を抱く。


 目を閉じた上杉さんの吐息を感じる。


「上杉さん……」


 私はそう呟き、上杉さんの唇に唇を……。


 その時、上杉さんのスマホが鳴る。

 ふと我に返り、上杉さんは電話に出た。


「はい、上杉です」


 上杉さんは舌を出して私を見た。


「え……」


 そう言うと上杉さんはスマホをスピーカーにしてテーブルの上に置いた。


「私よ、緑川充子」


 上杉さんは怪訝な表情を私に見せた。


「あら充子……。佳奈の式、一緒だったらしいわね」


 上杉さんが髪の毛を掻き上げて言う。


「あら、彼氏に訊いたの……」


 上杉さんは一度息を大きく吐くと、


「ええ、そうよ。何よ、ファーストスクープに居るのね」


「ええ、そうよ。一度あなたの彼氏を取材させて欲しくて電話したのよ」


 上杉さんは私の顔を見て、首を横に振った。


「それなんだけど、あんまりメディアに出るのが好きな人じゃないのよね……。悪いけど」


 少し間があり、


「あら、そう。なら人気作家熱愛の記事を書かせてもらうけど良いかしら……」


 やっぱりそう来たか……。


 私は息を吐き、ソファに寄り掛かった。


「どうしてそうなるのよ……」


 上杉さんは強い口調で言う。


「あら、事実なんだし良いじゃない……」


「事実なら良いって話じゃないわよ」


「それになかなか良い感じの先生だし……」


 上杉さんは私にも聞こえる程、大きく息を吸った。


「充子……。悪いけど私の彼氏に手を出そうなんて、そうは行かないわよ」


 電話の向こうで緑川さんは笑っていた。


「とにかく、取材はお断りよ。それと先生には近付かないで……。変な記事書いたら法的措置に出ますからね……」


 上杉さんは声を荒げてそう言った。

 そんな上杉さんを始めてみた。


「先生、どうしよう」


 上杉さんはそう言って私に抱き付いて来た。


 さっきの続きって訳にはいかない気がするな……。


 私は上杉さんの髪を撫でた。


 嵐の予感がする……。








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