02. ティエラの任務
「奥様!奥様!」
天井にボーっとしたまま片手をあげている私に、ハンナは少し焦った声で何度もそう呼び掛ける。気がおかしくなったのかと思ったのだろうか?横を向き、ハンナにニコリと笑いかける。なんだか安心する。
戻ってきた。いつもの場所に。なぜかそう感じた。
「ごめん。ちょっと気分が悪くなっちゃった」
ヘラっとした後で、周りの使用人たちのガヤガヤした声に気が付く。あまりにもフランクな言葉遣いをしてしまっていた、と。私はルナじゃなくて、マリアンヌなのだから。王家の品格を保った話し方をしないと…。
「心配かけてしまって、すいません」
念のため言い直した。
「とんでもございません。お体だるかったりしませんか?」
返ってくるのは、優しいハンナの声。その心地よい声に、毎日聞いているはずなのに懐かしく感じて涙が出そうになる。大丈夫。そう意味をこめてゆっくりと首を左右に振る。
「お水、飲まれますか?」
次に聞こえてきた、侍女の声で自分のやらねばならないことを理解する。恐る恐る声をかけてきたのは、マリアンヌの侍女、ティエラだ。
「ティエラ…」
侍女の名を出した途端、同時に涙があふれてきた。周りの使用人たちは、突然泣き出したマリアンヌに焦りの声を次々にかけ始める。
「ごめんちょっと気が動転しただけ」
右手で使用人たちの不安な声を遮断した。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
今までずっとマリアンヌの願いを忘れていて。
二人分の記憶があるから、ずっと勘違いしていたの。私はルナからマリアンヌへと生まれ変わったのだ、と。
でも夢の中での記憶がある今なら分かる。私は本物のマリアンヌから体を譲渡され、マリアンヌとして再度生きることを許されただけ。魂が弱ったマリアンヌはこの体を動かせないけど、まだ私の中に一緒に生きている。私は生まれ変わりなんかじゃない。ただ、仮初の姿で延命できているだけ。
「ハンナ、申し訳ないんだけど、ティエラと二人にしてくれないかしら」
体を借りている身なのだから、ちゃんと持ち主の願いを叶える約束を果たさないと。
ティエラにサンの居場所を聞いて、サンという名の騎士を助け出さないと。
そして、記憶を返してもらって、私は…。私は…。
*****
ハンナはマリアンヌの世話をしていた他の侍女にも声をかけ、この部屋から立ち去り、ティエラと二人きりにしてくれた。一方でティエラは何だか顔が強張っていた。思えば随分と久しぶりに彼女を見る。お義兄様がティエラに興味を持つもんだから、勝手に一人で嫉妬し、ティエラを遠ざけていたのだ。私の醜い嫉妬で…。ごめんね、ティエラ。
「覚えてる?ティエラ」
ごめんね。嫉妬して、あなたを見知らぬ土地で一人にしてしまって。
「ここに来る前に言ってたでしょう?貴女の本当の名を知ったら、そしたら教えてくれるって」
ごめんね。あなたの大事な主を私が…私なんかが奪っちゃって。
「はい…」
ティエラの顔は依然強張ったまま。私は言葉を探す。
「シエラ、なのね。貴女の名前」
夢の中でマリアンヌ本人から聞いたの。
「お、思い出されたのですか…奥様…」
私は何も答えない。だって、私自身にはあなたとの思い出なんてないから何も思い出してない。ただ、マリアンヌとの約束を果たすため。サンの居場所を教えてほしいの。だからお願い。そんな目に涙を溜めた顔で私を見ないで。
「サンを助けたい。この国にいるのでしょう?」
それにようやく全てを理解したの。お姉様が以前教えてくれたサンという騎士…。マリアンヌが愛していたという男の人。マリアンヌはその男性を助けたいから、私に体をくれたのに、私はすっかり忘れていた。私の中でマリアンヌはどういう気持ちだったのだろう?願いを忘れて、義兄と夫婦になれた喜びを噛みしめている私を見て、どれほど辛い思いをしていたのだろう?
お義兄様を愛しているからこそ私はマリアンヌの手助けをしたい。全てを解決させてから、お義兄様と向き合いたい。それにお義兄様に距離を置かれている今なら、私には十分すぎるほど時間があるのだから。
「おくさ…、いえ、お姫様」ティエラはきっと勝手に解釈しているのだろう。私の全ての記憶が戻ったのだ、と。心苦しさを少し感じるけれど、このまま勘違いしたままでもいいから早くサンという名の騎士に会いたい。「私もサンを助けたいです。一緒に任務をしていた彼の体は戻ってきたのに、サンは帰ってこなかったから。きっとここでまだ生きている。だから隊長の指示で奥様の侍女としてこの王国にお供することになったんです…」
「もしかして最近屋敷にいないのは、外でサンの居場所を探っているからなの?」
ティエラは涙を拭きながら、答える。
「はい。私の任務はサンを連れ戻すことなんです。サンたちは任務を失敗させましたが、また体制を整えて行うことにしましたので。それを伝えに」
「失敗?なんの任務を失敗したの?」
少し戸惑うティエラ。でも、意を決して信じられないことを言う。
「ブライアン・フローレンスの暗殺です」
私の義父を殺そうとしている計画だった。




