06. 当日の朝
小鳥たちのさえずりで目を覚ました。夜更かししたにも関わらず、気分の良い目覚めの朝だった。
ベット脇に置いてあるオルゴールを見つめ、一度そっと蓋を開く。優しい音楽。心が洗われていく。
- パパ、おはよう。今日学院を卒業するのよ?天国でしっかりと私の晴れ姿みててよね
「あら、もう起きていらっしゃったんですね」
数分後に部屋に来たハンナは驚きながらも、ルナを綺麗に清め、美しく着飾っていく。まるで魔法がかけられているような時間。甘い香りにつつまれ、鏡の前にいる自分が少しづつ変化していく。
「やっぱり!この日のために化粧を勉強していて良かったです!」
ハンナに化粧された顔は全くけばけばしいものではなかった。ルナ自身の各パーツの魅力が十分に引きだたされるよう、ほんの少しだけ手を加えただけのもの。だが、たったそれだけでも、もとより美人顔であるルナはより華やかで麗しい女性へと変身していく。
鏡の前にいる自分を見つめる。自分が自分でないよう。まるで他人の姿を見ているようであった。
「でも、残念です。この美しい瑠璃色のドレスにエメラルドの宝石はどう考えてもあっていないですもの」
今着ているドレスはレイから送られたもの。深い青色の生地に、薄い銀の糸で刺繍されたレースが上品に舞っている。
確かにハンナの言う通り、このドレスに昨日グレイグからもらったアクセサリーは似合わない。
「それなんだけどね、ハンナ?」そう言って、彼女の手を握りしめる。「頂いたアクセサリーはせっかくだから、デビュタント・ボールの際に使わせて頂くことになったの。ちゃんとお義父様から許可は貰ってるわ!それからね?お義母様が一枚噛んでいるようなのだけど、どうやらお義兄さまが新しいものを用意してくれているようなのよ!」
「レイ様が?」
「さ、ハンナ!今からお義兄様の部屋に突撃するわよ!」
「え?え?え?」ハンナの戸惑う声が後ろから聞こえる。「お嬢様~!お待ちください!レイ様はまだご支度中です~!!!」
*****
「お義兄様~!」
ハンナの声を無視し、レイの部屋の扉をノックもせずにあけた。そして後悔する。そこには上半身何も身に着けていないレイがいたから。忘れていた。彼もまたパーティーの為の着替え中だったのだ。
驚いて顔を真っ赤に染めるルナ。義兄の裸の姿(上半身だけだが)をみるなんて、久方ぶりだった。だが、恥ずかしさを感じながらも、しっかりと指の隙間から凝視していた。最後に目にしたのはいつだったのか定かではない。だが、こんなにも筋肉がしなやかにあっただろうか?鍛え抜かれたレイの体をまじまじと義兄に見つからぬように、観察しながらぼんやりと考えていた。
一方でレイもルナを見つめていた。
あら、化粧が変だったのかしら?服装はおかしくないはず。だってお義兄様が選んでくれたのだから。
変な緊張がルナに走り、つい目線を下に落とす。そんなにこっちを見つめないでほしい。こっちまで体が熱くなってしまう。
だが、レイはそんな乙女心を知ってか知らずか、暫くの間ルナを見つめたまま動きを止めていた。
「はぁ」
何分も経ったかのように思える時間が過ぎたのち、レイが浅いため息をついた。そしてルナに手招きする。「ほら扉開けっ放しにしないで。入りたいなら入っていいから」
妖艶な義兄の体に誘われるように、ルナは戸を閉めゆっくりとレイのもとまで歩いていく。
「お義兄様?こんなに体中に傷が…」
近寄ってみて分かった。義兄の美しい体には沢山の切り傷や火傷、刺し傷など、細かな傷の跡が残っていた。ルナは手を伸ばし、その傷の一部を優しく撫でる。誰だろう?こんなに大好きな私のレイを傷つけたのは。
「ふっ」だがレイはそんなルナを鼻で笑う。
「笑いごとではないわ、お義兄様?一体どうされたのです?この傷たちは…」
「騎士にもいろいろあるんだよ」
優しく頭をなでられる。今はハンナに綺麗に髪を結ってもらっているものだから、レイの手はほんの少し触れるだけだったのだが、ルナはレイに頭を撫でてもらうこの行為が大好きだった。義兄の大きな手に触れられると、彼女の胸いっぱいに温かな気持ちが広がるのだ。
「それより、ルナ。すごく似合ってる。やっぱりこのドレスにして正解だったな」
「お義兄様に包まれているようです…」
レイの深い海のような青い瞳に、白銀の細い髪。自分の着ているドレスと全く同じである。今、このドレスに包まれて、自分がレイのものだとルナは勘違いしそうになっていた。他の誰のものでもない。ただ一人愛する人のもの。
「俺の用意が終わったら、このドレスに似合うよう作らせたアクセサリーをルナに渡すから…。もう少し待ってくれるかい?」
レイが指さした近くのカウチにルナは座り、レイが支度する様をまじまじと凝視していた。
彼が腕を通した服はいつもの騎士団の服ではない。少しカジュアルなタイプの正装のもの。だが、その色はルナのドレスと同じ瑠璃色で、少し銀の刺繍が入っていた。誰が一目見ても、レイとルナがペアだとわかる代物。
付き添いでエスコートしてもらうだけなのにも関わらず、まるで熱々のカップルのように見えるお揃いの服に、ルナは心の中で歓喜の雄たけびをあげる。
「そういえばお義兄様、一つお願い事があるの」
「なんだい?」
昨日自分の中で気持ちに整理はつけたはずだった。でも、やっぱりレイをみると心の奥底に眠っていたはずの欲望が目を覚まし、自分を侵食していくのだ。
「今日の夜、昔みたいに添い寝してほしいの」
レイがボタンを留めている手の動きを止めた。そして、何をいっているんだ?と言わんばかりの困惑した顔でルナをみつめる。
「なんだって?」
「だから、今日一緒に添い寝してほしいの。昔みたいにこっそり部屋に忍び足で来てよ」
レイは頭を抱える。
ルナは自分をまだあの頃と同じ、何も知らない無垢な少女だとでも思っているのだろうか?後一か月後には、成人女性としてのデビューを控えているというにも関わらず…。それにもう自分だけの妹ではないのだ。彼女には婚約者が、未来の旦那がいるというのに…。
自分の立場を良く分かっていないルナに、レイは目も合わさず出来るだけ無愛想に咎めるように返答を返す。
「ルナ、一体何歳だと思ってるんだ?もう添い寝する年ごろではないだろう?それにロングベルト家の息子に悪いとは思わないのか?未来の旦那様も聞いて呆れるぞ…」
「グレイグ様は関係ないわよ!だって、所詮形だけの…、書類上だけの関係なのだから。私にとって一番は後にも先にもお義兄様だけよ」
自分の気持ちを伝えたい。でも伝えてはいけない。理性が動き、そこまで言ってルナは言葉を切らす。少し考え、違う角度からレイに要望することにした。
「そういえば、お義兄様は昨夜また嘘をついたのよ?夕食までに戻るって言っておいて、今日朝帰りじゃないの!許してあげるから、私の最後の我が儘くらい聞いてよ…」
「それとこれとは話が別だろ!」
咎めるようにそういうが、言葉は決して強いものではない。
レイはルナの気持ちに気づいていた。でもそれを受け入れられないし、かといって無理やり距離を置くこともしなかった。いや、本当は何度も拒絶した。だが、ルナはそれにもめげずに何度も自分の懐に飛び込んできた。強く言えなかった過去の自分にも、中途半端な関係のまま居続けた現在の自分にも非があるのだ。
「でもでもでも」いつものルナのデモデモ攻撃。「私がいつまでこの家にいれるか分からないじゃない!本当に今回が最後。私の一生に一度の最後のお願いよ」
消え入るようにそう所望するルナ。ばかばかしい願いで、到底受け入れられる話ではない。だが、レイはルナの涙をためたこの上目遣いにめっぽう弱いのだ。
上を向き、天井を仰ぎながら考えるふりをする。まあ、どれだけ考えても出る答えはいつも同じなのだが…。
「今夜が本当の本当に最後だからな」
こうして、いつものように最後はレイが折れるのだった。