11.王女様の笑顔【side of ハンス】
「国境辺りで少しきな臭い動きがあったらしい」
隊長室に呼ばれた副長と俺は黙って隊長の言葉を聞く。
社交シーズン中に何やら不審な動きがあるってことは、目的は王都に集まる貴族たちか。或いは主が不在の各地の領地か…。どちらにせよ、輿入れされたばかりの王女様を抱えている王国にとっては、良くないタイミングの知らせである。
「副長、どうしますか?俺、早馬で向かいましょうか??」
何かあって外交問題になりでもしたら、それこそ大問題だ。隊長は別任務があり、副長はパーティーに参加する予定がある。都合がつくのは俺しかいないから…。だからそう提案したのにも関わらず、副長は俺へと目くばせすらすることなく、こう言葉を落とす。
「いや、俺が行く。代わりに王女さんのエスコートを頼む」
は?と一瞬時が止まったが、主張したところで副長が俺の言葉に耳を貸すことはないだろう。
こうして俺が副長の代わりに夫人のエスコート係として、パーティーに行くことになったのだった。
*****
数週間ぶりに合う副長の奥様。
美しいブロンドの髪を綺麗に結われ、薄い化粧しかされていない筈なのに、どんな女性よりも華やかで存在力のある女性。その顔は血色良く、とてもじゃないけれど、病弱のか弱い王女様には見えない。副長は体調を崩してずっと領地で療養中、とは言っていたけれど、やっぱりそれは副長の嘘であるのだろう。
可哀そうだな、と率直に思う。
僕は特に帝国に恨みはない。親しい人も知り合いも殺されたわけではなかったから。ただ、うちの国と長いこと戦争をしている他国、という認識なだけ。だから、身一つで人質としてこの地に来て、しかも副長に妻としての役割も上手く貰えず、ずっと領地や屋敷内で籠っているだけの日々を送る余生だなんて。
本当に幸薄な王女様だ。
俺は心底同情した。
「迎えに来ました」
僕の顔を見て切なく微笑むマリアンヌに、ハンスは心を痛める。こうして人形のように閉じ込められた人生を送るだけだなんて、本当に不憫だ。せめて俺が一緒にいる時だけでも、穏やかな時を過ごしてほしい。
「今日はね、予めハンナと勉強していて…」
けれど、さすがというか、やはり一国の王女様。自身の役割をしっかりと理解しる。こんな待遇を受けているにも関わらず、このフローレンス家の女主人としての役割を果たそうとしている。
「それにしてもよくこんなに大勢の名前をご記憶されましたね」
マリアンヌの口から有力貴族の名前を耳にするたび、心から関心した。ハンスの口からはぽろっと尊敬の本音がこぼれた。
「立派です、夫人。でも、そんなに気張ることありませんよ」
俺が言えることは、ただそれだけ。腕を夫人へと差し出してエスコートを試みる。
こうして二人で会場へと足を踏み入れた。
*****
夫人の振る舞いは完ぺきだった。
挨拶の言葉も、所作も、会話中の言葉遣いまで。もとからこの国の人間であったのではないか?そう思えるほど、動きに無駄がなく丁寧で、完璧だった。きっとこの国について沢山勉強され、血のにじむような努力をされたに違いない。本当に頭が上がらない。
一方で、たまに見せる夫人の本音の見え隠れする表情。王族であったことを忘れてしまっているのか、ごくたまにではあるが、感情がダダ洩れする瞬間が何度かあった。今夫人が話をしている貴族たちは、この王国の中でも強い権力をもつものたちばかりで、癖が強く、あわよくば夫人を利用しよう、そう考えている狐や狸たちだらけだ。心も体も疲弊するのは分かる。でも、ちょっと顔にですぎじゃなかろうか?王族と言えば感情を顔に出さないポーカーフェイスを保つ特殊な人間とばかり思っていた。でも、夫人はまるでアラベラの友人たちと同じように、感情を顔にだすどこにでもいる普通の女の子。これでは狐や狸たちにいいように使われてしまう。
しょうがないから、俺自身がしんどい表情を大げさにしてみたり、会話の話を丁寧に終わらせたりするようにふるまうことにした。俺の表情に気づいた夫人が、か弱い握力で腕を強く握ろうとするのが腕越しに伝わる。でも俺は心の中で、”夫人の方が顔にでてますよ”と呟いていた。
*****
「ロングベルト公爵様は結局のところ、参加されないのですかね…」
残りあと一人。副長が心底嫌うグレイグ・ロングベルト公爵への挨拶を残すのみとなった。
夫人はよく立ち回ったと思う。殆ど家から出られないから体力も殆どないであろうに、長時間のあいさつ回りに、話す内容も決して断言することなく、相手が不快にならないように心がけておられたから…。
残るロングベルト公爵への挨拶なんか別にもう良くないか?と思う。それに、もし、この場に副長がいたらきっと彼の元へは挨拶なんて行かないだろうし…。
「夫人、お体は平気ですか?少しここの窓際で休んでください。お水を取ってきますから…」
そう言って会場の窓際近くに誘導する。会場は熱がこもっているから、窓の近くだと、少し冷気を感じられるだろうし、一息つくにはきっといい場所に違いない。俺なりの気遣いであった。それに、国境付近での怪しい動きの知らせを受けた騎士たちが、この会場を囲むように警備し、また会場内にもたくさんの護衛が王女様を含め貴族たちを見守っている。俺は二階のオーケストラの方へと顔を上げた。数人と目が合った。彼らはオーケストラの演奏家に扮した護衛。れっきとした騎士である。
少し目を離すから、しっかりと王女様を見守っといてくれよ。
そう視線で上で待機している仲間たちに合図を送る。
こうしてほんの少しだけ夫人から目を離した。
夫人は一体全体何が好みだろうか?
分からないから、右手に水。左手にワインのグラスを持って直ぐにマリアンヌの方へと戻ろうとする。
やはり会場が息苦しかったのだろう。夫人は近くの窓を開いて新鮮な空気を吸い、外の暗闇を見つめているところであった。
あれ?
でも何だか様子がおかしい。どうやら、窓の外に誰かがいるようで、その何者かと話をしているようだ。俺は少し警戒し、足音を消して夫人に近づいていく。
あ…。
マリアンヌ姫の顔を見た時、俺はこれ以上彼女に近づくのをためらってしまった。なぜなら夫人は見たことのないくらい、まぶしい笑顔を浮かべていたから。その顔はキラキラと輝いていて、年相応の、どこにでもいる普通の可愛い女の子そのもの。
誰と話しているのだろうか?気になる。
夫人に気が付かれぬよう、そっと陰から話し相手を覗き見た。だが、金色の髪を目にとらえた途端、つい両手で持っていたグラスを落としてしまいそうになる。
彼女は本当に楽しそうに、副長が憎んでいる公爵様。グレイグ・ロングベルトと話をしていたのだ。
*****
近くのテーブルに水を置いて、ワインを口に含む。
本当はこのワインは夫人の為に用意したのだが、中々彼女に話しかけられずにいたし、俺自身少し動揺していたから。だからアルコールの力でこの動機を落ち着かせようとしたのだ。
ロングベルト侯爵はいったいどう夫人を口説き、その緊張を解いたのだろうか?そして今、どんな話をしているのだろうか?
コロコロと目まぐるしく表情を変えるマリアンヌ。驚いたり、喜んだり、はにかんだり、悲しんだり…。それは本当にどこにでもいる普通の女の子と同様。王女様という王族の品格を感じられるポーカーフェイスなんてもうなかった。
夫人は既婚女性。にも関わらず、近くの男性がチラチラと夫人に熱視線を送るほど、とても魅力的な表情をされていた。僕自身も、そんな二人の話の間に入りこむ勇気は湧かず、こうして少し離れたところからワインを飲みながら見ているしかできなかった。
少しした後、公爵様が夫人の頬に触れた。
彼女はなぜか涙を流していた。公爵様は優しくその涙をぬぐったのだ。
きっと警護の役目を請け負う身としては、この状態を放置していることはありえないことなのだろう。でも、副長に肩見せまい思いをさせられているのを知っている身としては、少しくらい夫人に自由を与えたかった。だから、何も言わず見守っていただけ。こんなところ副長がみたらどう思うだろう?そんな思いを胸に秘めながら。ま、でもあの人なら何も言わないか…。
やがて、夫人がその顔色を変える。
あからさまに急に青白くなっている。何かあったのか?
彼女が倒れこみそうになると同時に俺はようやく夫人の元へと駆けて行った。
「夫人!」
念のために窓の外の暗闇を見ると、そこにはもう、ロングベルト公爵様はいなかった。




