10. グレイグとの約束
辛かった。グレイグの話を聞くことが。
マリアンヌの瞳からは涙が流れていた。
「一体どうして…??」
結局、マリアンヌはグレイグの事を完全には理解することはできなかった。なぜならグレイグは事実を全てマリアンヌに全て言ったわけではなかったからである。
”ルナに恋していたと、随分たってから気づいた。でも、想いを伝えようとは思わなかった。何故ならルナにもまた恋している人がいるから”
”その後、ルナの想い人と偶然会った時、彼もまたルナを想っていることを知った。そしてその男性もまたルナと結ばれる為に試行錯誤していた。それを知り、自分が付け入る隙も無いと認識し、協力する、とルナに申し出た”
”けれどやっぱり自分の感情に嘘はつけず、最終的には自身の両親を巻き込んでルナへ婚約の申し入れの書類を送った”
簡潔にこれだけしか説明しなかったからである。彼はルナの想い人が義兄のレイであるということを決して明かすことはなかった。そして、なぜ婚約を半ば強引に結ぶことになったのかという理由も。
だからマリアンヌが理解できたことは、義兄もまた、ルナを想ってくれていて、結ばれるように何かをしようとしてくれていたということと、ルナの恋愛をグレイグが協力しようとしてくれたけれど、理由もなく結局はルナを裏切ったという二つの事実。義兄に関しては初耳で心躍る事実であったのだが、グレイグの心情は以前ハンナから聞いていたことと変わりのないことであり、なぜ?との思いがより一層強まっただけだった。
ただ…。こうやって私に説明する間、グレイグはとても辛そうな顔をしていた。だからその彼の苦しそうなその表情を見て、彼の裏切りにやはりもっと強い何か理由があるのでは、と感じる。
「一体どうしてそんな強行手段を取られたのですか?ロングベルト様はただ私…ではなくて、ルナさんを裏切りたかったわけではないのでしょう?」
グレイグの話を聞くに義兄と両思いだった。でもそんな嬉しい情報よりも、今この目の前にいる紳士の事を理解したい。なんでこんなに彼自身が泣きそうな顔をしているのか。その真実を知りたい。その思いの方が強い。
「故人のことは詮索しないっておっしゃってたでしょう?」グレイグはやはり苦しそうな笑顔をうかべたままそう返答し、「でも、なぜ王女様が涙を流すのです?」と頬を伝うしずくを優しくぬぐい取る。
「貴方の痛みを感じるのです。私は貴方を理解したいから…。だって、だって…!!貴方がどうしても悪人に思えないのです」
「ふふ。やっぱり、私はフローレンス家で悪人なのですね」
いたずらなグレイグの笑みに、マリアンヌは顔をそむける。
「ごめんなさい。そういうわけではなくて…」
「分かってますよ。王女様に悪気がないことくらい。ただ、私は悪人ですから。それは変えられない事実なのです」
なんでだろう?もっと傲慢な人で、嫌味な人だったら、きっとルナの記憶も関係なしに、彼の事を嫌いになれただろうに。でも、実際はこんなに話しやすくて、ただ、私を愛してくれた一途な紳士で、何かを必死に守ろうとしている善人な人にしか見えない。ハンナから聞いていた彼の像と今目の前にいる彼がどうしても同一人物に思えないのだ。
「ねえ、私にだけ理由を教えてくださいよ。理由があったのでしょう?貴方がそうせざるを得なくなるようなことが。それにまだ教えてもらっていません。なぜルナの死に公爵様が関係あるのか…」
本当の理由を教えてほしい。何でルナと婚約を結ぼうと決断したのか。何でルナの死に懺悔する必要があるのか。そのグレイグの胸の奥深くに仕舞われてある苦しい思いを私に伝えてほしい。
「理由ね…。もし王女様が…」グレイグがマリアンヌの頬に触れる。グレイグの行いは不躾だけれど、その手を払うことができない。彼の冷やりとした冷たい指にドキドキと鼓動が早打ちし始める。美しい深緑の瞳に吸い込まれそうになる。「フローレンス家の真実を知った上で、私の事をグレイグと呼んでくださるのなら…」
「旦那様?」
暗闇から低い冷たい声が聞こえた。グレイグは後ろを振り返り、暗闇の中にいるであろう、男に向かって、「はぁ、タイミング悪いなぁ」とため息を落とす。
ズキン
途端、頭に鋭い痛みが走る。この声、どこかで聞いたことある。
「失礼しました。ただ、全て手筈が整いましたのでその報告に」
「分かったよ」
痛い。痛い。痛い。頭が痛い。吐きそう。
マリアンヌは顔を歪め、手を頭に添える。
でも、グレイグはそれに気が付かない。
遠くの暗闇を見つめながら、話を続ける。
「もしも私の事をグレイグとそう呼んでいただけるのなら、そしたらお伝えするか考えます」
痛い。痛い。痛い。
なぜグレイグがそんな意味の分からないことを言ってくるのか理解できなかったけれど、マリアンヌは姿勢を正し、「もちろん、グレイグ様」と痛みをこらえそう返答する。グレイグと名を呼ぶだけで真実を教えてくれるなら、お安い御用だ。本当は頭が割れるように痛かったけれど、お姉様直伝のポーカーフェイスを思い出し、この痛みに気づかれぬように彼の名を呼ぶマリアンヌ。
グレイグがこちらを振り返った。なぜか顔を真っ赤に顔を染めて、満面の笑みを浮かべて…。
「本当に呼んでくれるとは。でも、申し訳ありません。今日はこの後、予定があるので」
グレイグとまだ話したい。でも、この痛みに気が付かれたくない。
「また、今度…。お話しましょう、グレイグ様」
痛みをこらえながら再度グレイグと名を呼んだ。
「手を」
グレイグはそう言ってマリアンヌの手を取ると、甲の上にキスを落とし、暗闇へと去っていった。
彼の姿が暗闇へと消えた。
もういいかしら?
マリアンヌは頭の痛みに耐えきれず、その場に膝から崩れ落ちた。
ちょうどそのその時、遠くから二つの声が聞こえた。
「夫人!」
ハンスの焦る声と。
「姫さん…だよな?」
とても懐かしい声。
その声はとてもとても懐かしい。ずっと昔に聞いたことのある声……。
マリアンヌの意識はここで途絶えた。




