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追伸、愛しています  作者: 聡子
第6章
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06. グレイグ・ロングベルトという男

 「マリアンヌ・フローレンスと申します」


 咄嗟に顔を下げて、軽く挨拶をするマリアンヌ。

 ドキドキと胸の高まりが止まらない。グレイグ・ロングベルト。もちろんこの人の名前は十二分に知っている。今日も挨拶まわりの時にハンスと一緒に何度も探したんだもの。でも会場にはいなかった。義兄と同様、欠席されているのかと思っていのだけれど、まさかこんな所に隠れていたとは。


 顔を上げる。爽やかな彼の笑顔はお義兄様ほどではないが恰好と思う。すっきりした目鼻立ちに、甘いマスク。世の女性が彼にとりこになってしまうのも頷ける。義兄を月と表現するのならば、彼は太陽。第一印象はそんな素敵な男性。


 「もちろん存じ上げています」でもハンナが随分と彼について悪く言っていた。実際はとんでもなく腹黒い男なのかもしれない。この雰囲気からは全くそんな感じがしないのだけれど…。「義兄の奥様ですから」


 私、ルナの元婚約者。

 王国の五大公爵家の一つ、ロングベルト公爵様。



*****


 

 『あの男はルナお嬢様との約束を破ったのです…。どれだけ旦那様を愛しているのか知っていた筈なのに…』


 それは社交界の為にハンナと共に勉強していた、王国の歴史やマナー、そして貴族たちの力関係などの勉強の最中でのこと。ハンナは苦虫をかみつぶしたような顔で、マリアンヌにグレイグの事をそう説明し、ボソボソと彼の悪口をいつも続けていた。マリアンヌには彼の記憶が一切ない。だからハンナからもらう情報が彼の全てであった。


 いったいどんな人なのだろう?

 どんな人で、どういった経緯でルナは彼と婚約したのだろう??

 こんなにもお義兄様のことが好きなのに…。


 ハンナが苦しそうな顔をするたびにいつもマリアンヌはその疑問を頭に浮かべていた。




*****




 「ルナ様の婚約者様ですよね…」


 一応、を強調して言ってみる。私は義兄が好きだから。未だになぜ彼と婚約したのか分かっていない、というのもあるが、ルナが他人と婚約を結んだ事実を認めたくない、というのもある。


 彼についての知識なんてまるでない。

 どういった人か分からないし、こういう時に限って頼りになるハンスは今隣にいない。

 だからいつも以上に警戒しながら彼と距離を取りながら話を進める。怖いけれど、私の欠けた記憶の一部について色々聞きたいし…。好奇心と警戒心が交じりあう。が、彼のマリアンヌに対しての反応は意表を突くものだった。


 「ハハハハ」

 警戒するマリアンヌに、グレイグは突然大きな声で笑いだしたのだ。

 「え???」

 突然のことに困惑するマリアンヌ。こんな爽やかな顔の人が大きな口を開けて笑うとは全く考えてもいなかった。

 「いや、申し訳ありません。そうです、婚約者です。だからフローレンス侯爵家とは今は全く無関係ですよ、王女様がおっしゃられる通り。ただ…、ルナは私の最愛の人。それは揺るぎない事実で、私にとってはまだ婚約者だと思っていたいだけなのです…」

 「あ、え…。申し訳ありません…」

 自身の無礼な発言に優しくそう答えるグレイグ。マリアンヌはチクリと心を痛めた。こんなにルナを愛してくれていた人なのに、ハンナの話ばかりを信じて、この人を疑ってたの?私、彼の事何も知らないのに…。なんて恥ずかしい…。とりあえず謝罪するも、自身の不甲斐なさについグレイグから顔を背けてしまう。

 「いえ、大丈夫ですよ。そう思われるのは仕方がありません。それより王女様は皆無表情だ、不愛想だ、なんて噂されていたから、一体どんな高飛車な女性なのかと思えば…。ハハ。実際はこんなに感情豊かな方だとは思ってもいませんでした。それにその表情に仕草…。なんだか懐かしいです」


 少し侮辱された気もするが、全く嫌味のない笑顔を浮かべるこの爽やかな紳士に、マリアンヌはしどろもどろしてしまう。


 「え、あ、いや……」


 返す言葉が分からない。


 「この会場、熱気がこもってますし。よけい疲れますよね。しかも慣れない国でいろんな人に顔合わせまでして…。本当は隣にはあの人がいるべきなのに。こんな味方が誰かまだ分からぬところに、たった一人で…」しかもマリアンヌの体調まで心配してくれる。「休憩中の中、こんなところにいて驚かせてしまいましたよね。こちらこそ、申し訳ありません」


 さっと軽く頭を下げるグレイグに、「え、あ…顔を上げてください!!」とマリアンヌは目を見開く。


 本当にこの人がハンナの言っていた公爵様?マリアンヌの頭の中にはいくつものハテナが踊りだす。全く嫌味な人じゃないし、腹黒そうな雰囲気もないわ。むしろ聞いていたよりもずっと紳士で話易い人…。


 なんだか拍子抜けしてしまう。ハンナ曰く、とても自己中で俺様で、ルナの気持ちを知っていたのにそれを踏みにじり婚約を結んだ最低最悪の人。そう聞いていたのに、マリアンヌの目の間にいるこ男性はとても優しい。


 「私こそすいません。婚約者様を亡くされて、一番辛いのは公爵様ですのに…。お気持ちも考えず、むしろ私の体調の心配までしてくださって…」


 「いいえ。きっと屋敷で私の話を聞いていたのでしょう?私はフローレンス家の人たちに嫌われているから…」


 「あ…いや…。でも、政略結婚では…??」


 マリアンヌの言葉が口から零れ落ちる。ずっとそうであってほしいと願っていた。義兄以上に好きな人ができて、その人と恋愛していただなんて信じたくなかったから。だから政略結婚でどうしようもない婚約であったのだと自分にずっと言い聞かせていたのだ。でも蓋を開けてみれば…。


 「ルナは分かりませんが、私は本気で愛していました」


 悲しそうな彼の瞳に激しく動揺する。彼の雰囲気からまだルナを想っている強い感情を痛々しく感じる。まさか自分ルナが見知らぬ人にこんなに愛されているとは思わなかった。ついグレイグのまっすぐな愛に、マリアンヌは顔を赤らめてしまう。

 「なぜ王女様が照れるんですか?」

 「そんなに一途に人を思えるって、素敵で…。つい…」

 嘘ではない。

 「フフ。ありがとうございます。ま、実際のところ、私は婚約者にはとても嫌われていたんですよ」

 「え、なぜですの??」


 ハンナからの情報と同じだ。つい寂しそうに笑うグレイグにマリアンヌは前のめりになって聞いてしまう。何でルナは彼を心底嫌っていたのだろう?こうして少し話す分には全く嫌なところ一つ見せないのにも関わらず…。


 「出会いが良くなかったとか、ですか??」

 「良くなかった?う~ん。どうだろう?ただ彼女は最初から私の事なんて眼中にはありませんでしたので…」

 懐かしそうに、それでも苦しそうにルナについて話す彼の横顔は美しかった。こんな人に好かれていた自分が少し誇らしくなってしまうほど。


 「初めのころは仲は良かったんですけどね…」


 なぜだろう?なぜこんな素敵な人が私を好きになってくれたんだろう?


 「私が裏切ってしまったから。彼女の立場を知って、全てが欲しくなってしまって…」


 なぜ私は彼を心底恨み、嫌いになってしまったのだろう?


 聞きたい。彼の口から。彼の視点から、ルナとの思い出を聞いてみたい。


 「私、その話聞くのは不躾かしら…?」


 何も考えずにそっとグレイグの顔を不思議そうに斜め下から覗き込むマリアンヌ。

 グレイグはとっさに手で顔を隠す。マリアンヌは驚いた。暗闇の中、会場から僅かに漏れる光で彼の耳が真っ赤に染まっていたのを確認したから。マリアンヌも同じように顔を赤くする。距離が近すぎたわ…。ごめんなさい…。


 「す、すいません…」

 「いえ、こちらこそ、ごめんなさい…」

 「わ、分かっているんですけど…」グレイグの震える声に、マリアンヌは顔を下に向ける。淑女がする行為ではなかったもの。穴があったら入りたい…。「先ほどから…。なぜか…。夫人の行動の一つ一つが懐かしく感じるんです。全く別人なんだと分かっているはずなのに、彼女を、ルナを思い出してしまうんです…」


 マリアンヌは顔を上げる。こちらを見ていたグレイグの深緑色の瞳と目が合った。飲み込まれてしまいそうになるほどその瞳は美しい。お互い顔を赤らめたまま少しの間見つめ合ってしまう。


 「やっぱり、とても似ています。顔も瞳も髪色も、何もかも違うのに。貴女の表情が、仕草が、ルナにそっくりなんです」


 お義兄様は気が付いてくれないのに、この人はすぐに分かってくれる。それだけでルナのことをずっと見てくれていたってことが理解できる。もう心臓が破裂しそうだ。この鼓動音が彼に聞こえないかしら?マリアンヌはそんなことばかり気にする。


 「あ…ありがとうございま…す?」ピクピクと頬が強張る。もうとてもじゃないけれどポーカーフェイスなんて保てない。顔から火が出そうだ。


 「憎まれているとばかり思っていましたから、だってルナ様の命は…」

 

 貴方も帝国の人間が殺したと思っているのでしょう?だから貴方だって本当は帝国の人間である私を恨んでいるんでしょう?

 

 「確かにルナは帝国の刺客に胸を貫かれ、私の腕の中で息を引き取りました」


 ひゅっと喉を鳴らす。自分自身が死んだ時のことを彼は知っている。

 先ほどまで少し温かな気持ちだったのに、足元から少しずつ体温が奪われていく気がしてきた。


 「腕の中で冷たくなっていく彼女に、どれだけ謝ったか。どれだけ懺悔したか…。確かに帝国の刺客によってルナは殺された。でも、そのきっかけを作ってしまったのは、私自身なんです」



 彼は誰も知らない彼自身のルナの死の真実を知っている。

 どうしても聞きたかった。聞いて自身の死の真実を知りたい。きっとそれが国同士の和平につながるかもしれない、そんな大そうなことを考えてしまう。


 「ああ、夫人。そんな顔しないでください。そんな顔を、させたかったわけじゃないんです」


 彼は今誰に向かって話しているんだろう?

 夫人、と言っているが、その声は甘く、まるで愛しい人に囁くかのよう。


 「なぜでしょう?貴女を見るとどうしても彼女と重ねてしまいます」


 彼の瞳から逃れることはできない。


 「懺悔させてください」


 マリアンヌはゆっくりと首を縦に振る。


 「教えてください。ルナ様のこと」


 「聞いてください、私の初恋のルナのことを」

初対面で絶対にこんなセンシティブな話をするはずはないのですが、

ストーリーが思った以上に進まないので、無理やり進めます。

ごめんなさい…。

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