05. 二回目の社交パーティー
リリー、いや、リリアナ嬢とはあのお茶会の日以降、連絡を取っていない。特に手紙でやり取りするような親密な間柄にもなれていないし、再度お茶会をしませんか?と気軽に声をかけられるほどの関係でもないからである。
マルクス学院で伝えた私がルナだってこと。それを聞いて彼女はとても困惑していた。お姉様に教わった人の表情から感情を読み取る観察力と洞察力。私は苦手だったけど、リリーのあの時のあの表情……。彼女が私の話を信じてはいないことくらい、手に取る様に簡単に分かるものだった。ああ、伝える時期を見誤ってしまった。むしろお義兄様と血が繋がっていないことを暴露してしまって、余計なことをし彼女を混乱させてしまった。
自分の行動が後手後手に回ってしまっているこの状況に嘆くマリアンヌ。
「そういえばティエラは?」
ふと思い出す。そういえば、最近ティエラを見かけなくなった…ように思う。
ハンナの話を聞くと、夜中に屋敷を抜け出して、朝早くに帰ってくることが多くなっている、とのこと。グレー色のウィッグを被って、まるで他人のように変装しているし、夜遊びじゃないですか?と簡単にハンナは言っていたが、マリアンヌは知っている。ティエラが仕事をサボったりするようないい加減な侍女じゃないことを。むしろ変装と聞いて、一緒に王国に来た時の引っかかっていたティエラの言葉が頭の中をぐるぐると回りだす。
『任務ですから』
彼女がどういった意味でそういったのかは分からないけれど、最近になってあの時の言葉がずっと気にかかるようになった。もしかしたら夜中に屋敷を抜け出し、頻繁に街へと繰り出している原因は、恐らく彼女が以前口にしていた〝任務〟が関係しているのかもしれない。何もなければいいのだけれど…。でも…。怖い。なんだか胸騒ぎがする。
「ハンナ、少しティエラを注意深く見てくれない?」
「??ええ、もちろん」
「その…。今までの事を思い出すと、私が悪いの。私がティエラに変な態度をとってしまったから。だから…変なことに巻き込まれないように…」
私の変な態度とは、お義兄様がティエラに向ける熱視線に嫉妬し、やきもちを妬いて距離を取ってしまった恥ずかしい行いのこと。
「了解しました。奥様」
ハンナはそんな私の気持ちを理解してくれているのだろう。あまり深く理由を聞くことなく、主の願いをすんなりと受け入れてくれる。
「そういえば、今日はお義兄様がエスコートしてくれるの?」
少し話を逸らすことにした。実際今日はこの国に来て二回目の社交パーティーの日である。今回はこの王国の特に有力貴族だけが集まるという、前回のデビュタント・ボールより少し小さな規模ではあるが、大切な社交パーティー。それに、再度お義兄様に会えるかもしれないのだ。義兄を思うだけで、私の胸は簡単にときめく。それにこの日の為にいっぱいこの国についてハンナと勉強したのだから。それをお義兄様に披露する絶好のチャンス!私がお飾りの人質のお姫様じゃないことを分かってもらうんだから!
でも、私の気持ちに反してハンナの顔は暗い。それだけで分かる。ああ、大好きなお義兄様に会えないんだと。
「その…旦那様は何か任務があるそうなので、今日の社交界には出席できない…と。なのでエスコートは、ハンスさんが代わりにしてくれると先ほど…」
「ああ、ハンスさんね。デビュタントボールで会ったわ」
内心はがっかりしていた。私のことを知ってもらうには一緒に過ごす時間が不可欠。なのにこんなにもつき放されているのだから、お義兄様との距離を縮めたくてもどうしようもできない。でもマリアンヌはハンナを安心させようと、つとめて明るい口調で返すことにした。確かに会えないけれど、領地でいた時よりもずっと今は物理的に近くにいるんだもの。またきっとすぐに会えるわ。そう信じて。
そう言えばハンスって、あの菫色の髪の毛をした、人懐っこい人…よね?王国で珍しく、私を敵対せず、優しく接してくれた数少ない人。
「あの人なら安心ね」
心からマリアンヌはそう思った。
*****
「ハンス・ヴァイオレットです。今日はフローレンス副長の代わりに私がエスコートさせて頂きます。それにしてもボクには勿体ないくらいやっぱり美しいや」
へへへと頭を掻いて笑うハンスに少し愛おしさを感じる。弟がもしいたらこんな感情なのかしら?
デビュタント・ボール以来の社交界。隣にはパートナーのはずのお義兄様はいない。少し落ち込んでいたけれど、この人懐っこい笑顔に癒されるマリアンヌ。
「今日はね、予めハンナと勉強していて…」
ハンスにそう言って、有力貴族の名前をひとりずつ上げていく。ハンスは横でウンウンと頷く。
「それにしてもよくこんなに大勢の名前をご記憶されましたね」
ルナの時の記憶に頼ったところもあったのだけど…、と言いそうになったのをぐっとこらえる。
「前回はお義兄様を怒らせてしまって、あまり皆さまとお顔を合わせ、お話する機会がなかったから…」フフフとルナはほほ笑む。「だから今日ははしっかりと皆さまに挨拶をしておきたいのです。おに…旦那様がいなくてもフローレンス家に嫁いだものとして、やるべき仕事はちゃんと行いたいです…。それになにより、私と話すことで、帝国の人間にもっと親近感も抱いて欲しいですし…。もう戦争は終わったのですから」
「立派です、夫人。でも、そんなに気張ることありませんよ」
ハンスは優しい。優しいからこそ不安になる。私はまだあまり社交界について深く知らないけれど、以前よりお姉様に口酸っぱく言われていた忠告を思い出す。
【社交界はドロドロした世界。絶対に感情を表にだしてはダメ。ポーカーフェイスを忘れずに】
「私が腕をぎゅっと握ったら、顔に力を入れて真顔に戻ってね」
私にできることはハンスのだだ漏れしやすい表情を私なりにコントロールすることだけ。
「はは。そんなに心配せずとも。じゃ、夫人、私の腕に手を添えてください」
こうして私たちは会場へと足を運んで行った。
******
「まぁ、すっかり体調は良くなったのですか?」
「こちらの生活には慣れまして?」
「私どもは、帝国産の宝石に興味があって…」
「王国でフルーツは召し上がられました?」
意外にもとても好意的に話しかけてくれる貴族たち。お義兄様がなかなか自分に寄り添ってくれないもんだから、未だに帝国と王国の関係は冷え切っているとばかり思っていた。けれど、実際はそうでもなかったのかしら?マリアンヌはほっと一息つく。けれど、話しているうちに、貿易や商売の話に進むにつれて、ああ、これが社交界か、と実感した。今回は有力貴族の集まり。教養に長けているものばかりだから顔には出さないだけ。加え私を新たな金づる、商売相手として色眼鏡で見ているだけなのだ。実際は誰もその胸の内を明かそうとはしない腹の探り合い。それを実感し胸が少し痛くなる。
大好きな国だったのに、実際にはこんなにも腹黒い人がいる国だったなんて…。
お姉様直伝のポーカーフェイスが保たれているか分からない。だけど、変な噂がたつことは、お義兄様にも、この王国にも、故郷の帝国にも皆に迷惑をかけてしまう。だから、できる限り角を立てないようにそれとなく会話を終わらせる必要があったのだが、意外にも社交界に飲み込まれてしまうのではないか、と危惧していたハンスが上手く会話のパスを回して、この場を収めてくれたのだ。
「まだ病み上がりですので…」
「その話は侯爵様に直接お伝えいただいた方が…」
「夫人は王国についてまだ勉強中です。ただ、とても興味を持たれています。商売の話はもう少し待っていただく方が無難かと…」
「侯爵夫人、次はあちらに向かいませんか?」
トゲなく会話を終わらせ、積極的に挨拶まわり、という仕事のみに専念できるよう環境づくりに努めてくれていた。
「夫人、お体は平気ですか?少しここの窓際で休んでください。お水を取ってきますから…」
一人を除いて全ての希望する人との挨拶周りは済んだ。ハンスは優しくマリアンヌに声をかけ、私に会場の端にいるように、絶対にここから動かないように、と念を押す。
「ありがとう」
この会場は二階でオーケストラが演奏されていた。マリアンヌは会場の端で優雅に演奏に耳を傾ける。ああ、曲が代わった。この曲はかつて子供のころ、お義兄様とダンスを何度も練習した曲。甘い音楽が会場を包み込む。少しノスタルジックな気分になったマリアンヌは会場に背を向け、窓を開けて外の空気を吸う。少し感情の高ぶりを抑えないと涙が零れてしまいそうになるから。
「ああ。お義兄様と一曲踊りたいな~」
ぼーっと外の暗闇に不満を漏らした時だった。
「帝国では王子とダンスの練習をされていたんですか?」
全く気配がなくて驚いた。窓の下へと視線を受ける。そこには会場の壁に背を持たれかけ地面に腰かけていた、金色に輝く美しい髪の男性がいた。彼は立ち上がりこちらへと振り向く。深緑の瞳と視線が絡み合った。
「初めまして。グレイグ・ロングベルトと申します、王女様」




