03. 元義弟【side of レイ】
「副長が午前休取るなんて珍しいですね。どうしたんですか?」
ラングシュタイン家から帰路についた俺はそのまま騎士の鍛錬場へと向かった。皆剣の素振りや打ち合いの練習に勤しんでいたのだが、ハンスの情けない声が聞こえた途端、一斉に鍛錬の手を止め、俺に一礼をしてくる。
俺は手をあげ、彼らに軽くあいさつした後、「野暮用で」と、そっけなく答える。
「そうなんですね。あ、そういえば先ほどロングベルト公爵が副長に挨拶に来られていましたよ。で、副長が休みを取られていると聞いて……」
「寄付の話だろ。別にいい。ソイツの話の報告なんかしなくても」
「え…あ…。いや…」
俺はハンスの声に言葉を重ね、さっさと話題を終わらせる。どうしてもあの公爵様は好かないし、気に食わない。だからこれ以上ソイツの話なんか聞きたくない。ただの俺の我儘である。
「アイツはただ騎士団に対する権力も欲しいだけ。貪欲で、汚い男なんだ」
権力なんて昔は特に執着していなかったはず。なのに、あの男グレイグはルナの死後、立て続けに起きた長男アレックスの事故死により、次男であったにも関わらず爵位を引き継いだ。グレイグがアレックスを事故に見せかけて殺したという状況証拠は揃っているのに物的証拠がなく、捜査は打ち切られた。ルナの死がどう彼を変えたのかは分からないが、確信を持って言える。急に権力に固執するようになったのも含め、彼は何かを企んでいるに違いない、と。
それに、何よりあの男はルナを苦しめた一人である。どんな汚い手を使ったのかは知らないが、一時でもルナの婚約者だったことに俺はいら立ちを隠せない。どれだけ望んでも手に入れられなかった場所を、あいつはいとも容易く手に入れた。醜い嫉妬だ。分かっている。でも俺はアイツが憎い。嫌いだ。
「そういえば隊長から聞いたんですけど、副長、王女様が王都に戻られてから、家に帰っていないんでしょう?ちゃんと休めてます?」
まだついてきているのか、とげんなりとして俺は後ろのハンスを睨む。
「俺の勝手だろう?」
「に、しても副長の奥さん綺麗でしたね。思ってたよりピンピンしてましたけど」
王女さんが病弱だ、というのは王国の周知の事実。だから俺もそれに乗っかって突き放していたわけだが、確かに思っていた病弱とは少し違うようだ。本邸に到着した時はかなり衰弱していた、と連絡を受けており、やっぱり、とは思っていたが、田舎の空気に触れたことで体調が回復したのか?今ではすっかり元気で、その振る舞いは王女、というよりはむしろ…。懐かしい俺の愛しい人に似ていた。少しおっちょこちょいな立ち振る舞いも、俺の行動、言動で簡単に一喜一憂する全く感情を隠せていないそのポーカーフェイスも。
だが、どうせ他人の空似。ハンスの声を無視して俺は、隊長の執務室へと颯爽と向かっていった。
*****
コンコンコン
「レイ・フローレンスです。戻りました」
「ハンス・ヴァイオレット。同じく入ります」
隊長室を開けたものの、隊長の目の前に座っている人物を目にとらえた俺は、直ぐに扉を閉める。
「おい、帰ったって言ってなかったか?」
「いえ、副長が不在だったので隊長室に通しました、と伝えようとしたのですが…」
これは俺がハンスの話を最後まで聞いていなかった失態である。俺は再度隊長室の扉をあけ、頭を深く下げる。
「失礼いたしました」
ああ。げんなりする。帰ったとばかり思っていた金色に輝く髪が俺の目に入ったからだ。
「ああ。ロングベルト公爵殿がフローレンスに話があったようで、こちらで待っていて貰ったんだよ」
隊長が申し訳なさそうに眉下げながら俺に言う。その表情はどこかリリアナ嬢に似ているような気がする。似たものカップルめ、と心の中で舌打ちをする。
「ご無沙汰しております。公爵様」俺の深い一礼に男は立ち上がり、「こちらこそ、お義兄様、ご無沙汰しております」と礼を返してくる。この男の無駄に良い礼儀作法も気に入らない。
「公爵様と義兄弟なんて恐れ多い話です。私たちは既に赤の他人ですで」と距離をとり、「どうかされましたか?」と無難に質問をぶつける。
「ハハ。手厳しいなぁ。いやね、義兄の結婚祝いに立ち寄っただけですよ。ようやく帰国できたので」
まだ俺の事を義兄と呼ぶこの男に心の中で舌打ちをする。
「ああ、どうぞ、こちらへ」
グレイグの優しい口調にハンスは失礼します、と大きく返事をするのだが、俺が返事もしないし、座らない為、どうすべきか、と少し困惑した顔で俺をチラチラ見てくる。座りたきゃ座れよ、と俺は無言でハンスを睨むのだが、「座りなさい」と隊長に冷たく吐き捨てられ、俺もこの男の目の前に座らなきゃいけなくなった。
「本当にご結婚、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
グレイグの勝ち誇った顔にイライラする。俺の欲しいものを全て奪っていくこの男に何度ムカついたことか。吐き捨てるように礼を述べ、早く帰ってほしいと態度で示してみる。なのに…。
「公爵様はまだ新しい婚約者様を探されないのですか?妹から聞いた話ですと、大変人気なのに、結婚にはまだ前向きになれていない、と聞いていましたので」
ハンスが横やりを入れてくる。別に誰も興味ないのにも関わらず。
「私はまだ前の婚約者が忘れられなくて…」
「ルナ様ですか?」
一々質問するハンスにも、まだルナを想っていると戯れ言をぬかすこの男にもイライラする。どんどん俺の心が黒く染まっていくのを感じる。
「まだ愛されているんですね…」
俺だって、俺だって!!!
叫びたくなるのを我慢する。
王令がなきゃ俺だって結婚なんかしなかったし、亡き妹を想ってずっと独身を貫こうかと思っていた。というか、いつ死んでも良かったんだ。
だけど俺だけ一人楽になることを、世間も誰も許さなかっただけ。自分がしてしまったことに責任を取るため、俺はこの王国の一コマになるしかなかった。政略結婚という檻で、俺は罪を償わないといけなくなっただけ。
「彼女は私にとっての太陽だから…」
このぽっと出の男にルナの何が分かるのか。
「きっと今後彼女以上に愛せる女性なんて現れないと思う」
俺だってグレイグのような言葉を吐きたかった。一人の女性を愛し、それを誰にも咎められることなく見つめていたかっただけなのに。
「跡継ぎは養子でもとって、私自身はずっと独身でもいいかなって…」
これ以上こんな男の戯れ言なんて聞きたくない。
俺は俺自身のこの現状を呪うしか他なかった。




