02. 誤解【side of レイ】
数日後。俺は午前休をとって、ラングシュタイン侯爵家のタウンハウスまで早馬で向かった。彼女に隊長の誤解を伝えるために。
実際、ここ数日隊長はことあるごとにぼーっとしており、仕事がはかどらず、いつもはしないミスをしていた。おかげで仕事は溜まっていく一方。隊長の憂いをどうにかできるのはリリアナ嬢のみである。早く彼女の口から誤解を解いてもらわないと。
「あら」俺の顔を見た途端、何やらイタズラな笑顔を浮かべる彼女。「来られると思っておりましたわ。どうぞ、おあがりください」そしていつものように、俺を優しく迎え入れてくれる。
いつもは家にいるはずのリリアナ嬢の両親はこの日に限って不在だった。独身の女性が(例えメイドがいようとも)一人でいる家に、既婚者である異性が上がりこむのは誠意にかける。またあらぬ噂が広まり、彼女に迷惑をかけてしまうかもしれない。それは十分すぎるほど分かってはいたのだが、玄関先で話すような内容ではないし、何より俺たちの関係は友人のものであるともう周知の事実であると思いたい。
だから、この時はこの俺の些細な行動が幾人もの人を傷つける行為になるかもしれないということに目をつぶり、俺はそのままリリアナ嬢に言われるがまま屋敷の中へと足を踏み入れた。
*****
「今日は急にどうされたのですか?」
応接間に通された俺は侍女に案内されるがままカウチに座るが、「結構。すぐにお暇するので」とメイドから用意された紅茶は断った。
「リリアナ嬢にさ、誤解を解いてもらいたくて…」
「誤解??」横にそっと首を傾げる。「あれ?私、何か誤解させるようなことしましたか?」
「ほら、先日のパーティーの帰り道で隊長に言ったそうじゃないか」
「??何…をですか?」
「〝一目ぼれ〟について隊長に何か聞いたんだろ?」
あ、ああ!そっちか!!と、何やら怖いことを呟くリリアナ嬢に、「隊長が色々と勘違いしていたぞ」ととりあえず話を続ける。
「え!?」途端、顔を真っ青にしたリリアナ嬢。「エリック様…。な、何を、勘違いされていましたか?」
「とりあえず、濁しといたから心配しなくてもいいと思うけど…」
でも、俺の言葉にまだ彼女はその顔色を変えない。そんなに心配するのなら、変なこと言わなきゃいいのに…。
「別にリリアナ嬢自身が一目ぼれしたからそんなことを言ったわけではないと思います、と言っておいたから、まあ分かってはいると思うけど…」
「ええ。ええ。もちろんですわ。私が他の殿方に一目ぼれなんてするわけないじゃないですか」
だろうな。俺はふっと安堵のため息を吐く。
「私、エリック様以外に特別な感情を抱いたことなんてないのに…」
どうしよう、とまだ顔を真っ青にするリリアナ。
「ま、大丈夫だろ。否定はしといたし。ま、一応リリアナ嬢からも誤解を解いておいた方がいいと思う。あの人、頭では理解していても、なぜか仕事に今手がつかない状態だし…」
俺の返答にうるうると潤ませる瞳のリリアナ。
「あれは、レイ様たちのことでしたのに…」
「は、え、俺の事??」
まさかの寝耳に水の話で、紅茶も飲んでいないのにむせてしまう。
「え、あ、はい…」
「は?え?ええ?俺だってないからな、一目ぼれだなんて。一応言っとくけど」
「ええ、知ってますわよ」
「え?は??」
「え??」
リリアナ嬢とかみ合わない。俺は眉間に皺寄せ再度念押しする。
「俺は一目ぼれ何てしたことないから。もしリリアナ嬢自身が変な勘違いをしているなら、それはそれで、しっかりと訂正しておいてくれ。俺はまだ…」
「え、あっ…。ああ。ええ、良く存じ上げておりますとも。レイ様が王女様に対し一目ぼれをしていないことも、未だなんの感情を持っていらっしゃらないことも…。なにせ、度を超すほどのシスコンですものね。兄妹そろって」言葉を選びながら彼女は続ける。「レイ様のことでもありませんわ。ふふ。変なこと言ってしまってごめんなさい。ちゃんと訂正しますからご安心くださいませ。ただ…。王女様がレイ様を見つめる視線が少し気になって。ただそれだけですわ。それでつい、エリック様に言ってしまっただけですの」
「それはないよ」俺は軽く否定する。結婚式の時、俺の顔見て泣いていたからな。俺の事よっぽど受け入れ難かったんだろうし…、「なにより、いつも俺の顔見たら第一声が〝鬼〟だしな」
「いや…でも…」とまだ納得していないリリアナ。でも、それ以上俺に突っかかってくることはしなかった。
「じゃ、話はそれだけだから…」と俺は席を立つ。「あ、そういえばさっき、『そっちの方か…』ってどういう意味だったんだ?」
「ああ。明日、私王女様にフローレンス家へとお茶会にお呼ばれしているのです。だからてっきりその話かと思って…」リリアナも同じく席を立つ。
「お茶会?」
「ええ。デビュタント・ボールの翌日にハンナさんからお手紙を受け取りましたの。そう言えば確か彼女って、ルナととても仲の良かった侍女さんですよね?ずっと侯爵家の本邸でお仕事をされていると聞いていたのですが、いつこちらにお戻りに?」
「ああ、ハンナか…。なぜか王女さんと一緒にこっちに戻ってきたんだよ。不思議なことにな。ま、ハンナからの手紙なら安心だ。恐らく、デビュタント・ボールでの不躾な行為の謝罪をあの女にさせようとしているだけだろ」
「別にそこまでしていただかなくても。リリーっていう愛称自体はそんなに珍しいものでもないのですし…」
「まあ、ハンナは未だルナを自身の主だとずっと慕っている侍女だしな…。ルナ大好きな奴だから、親友のリリアナ嬢を困らせたことに怒っているんじゃないか?まあ、あまり気兼ねせず行って、あの不気味な王女さんとお茶会を楽しんでくれ。それに嫌になったらさっさと帰ってくれても問題ないから」
「分かりました」と聞き分けの良いリリアナに一つ思い出したことをいう。
「そういえば、王女さんが連れてきた帝国の侍女にルナに瓜二つの女がいるんだ…」
「あら?」そして悪戯な笑みを浮かべるリリアナ。「もしかしてレイ様新婚なのに浮気をお考えで??」
「何言ってんだよ…」はぁ、と大きくため息をつく。「リリアナ嬢も言葉を交わせば分かるよ。どれだけ瓜二つでも、ルナとは全く違う人間なのだ、ということに。で、なぜかより一層傷つくことになるぜ」
王女さんが連れてきた侍女と始めてあった即席の結婚式を思い出す。結婚式をあの美しい銀灰色に見つめられ、後悔と申し訳なさで胸が押しつぶされそうになったあの日の事を。
確かに彼女は生き写しのようにそっくりで、ルナが生まれ変わって俺に会いに来てくれたのだと錯覚してしまうほど、よく似ていた。あの侍女の事をもっと知りたい。だけど、彼女は俺と会話をすることを拒否した。
その後、遠くから見るしかなくなってしまったのだが、聞こえてくるルナとは違う声色。遠くから俺を睨む目つき。彼女を見れば見るほど、より深くルナとの違いに気が付いてしまう。そして思い知るのだ。
ルナとは全くの別人であるのだと。やはりもう二度と彼女と会うことはできないのだ、と。
「ま、隊長にはくれぐれも言って、誤解を解いておいてくれよ」
もちろんです、とのリリアナ嬢の声を背に、俺はこの場を後にした。




