05. パパの形見
ベンジャミンが用意してくれたのは、ノンカフェインのミルクティー。夜、寝れなくなると明日に差し支えるから、という執事の優しい気遣いからだった。
「アルフォンスは立派な騎士だった」
義父からパパの話を聞くなんて何年振りのことだろう?
カウチに座り、温かなティーに口をつけながらパパの話を聞く。
「出会いは最悪だったけど、身分関係なく誰とでもすぐに仲良くなれる奴だった。ずかずかと人の心に土足で踏み込むんだが、全く憎めない男でね。私は大好きだったよ。一つ覚えていてほしいのだが、アルフォンスは戦争が終わったら騎士をやめ、私の領地で働く予定だった。ルナに寂しい思いをさせないように。ずっと一緒にいられるように」
「そうだったの?戦争が終わったら一緒に住もうとは言ってくれていたけど…。騎士をやめる予定だったなんて知らなかったわ」
初めて聞く話だった。騎士という職業はパパの誇りだったはず…。
「確かに、アルフォンスは騎士としての実績も貢献度も高かった。平民では異例中の異例で、騎士号も貰うほどだったしね。だから、もちろん騎士の誇りは誰よりも強いものだったよ。だけどね、ルナより大事なものはなかったんだ」
嬉しかった。
騎士よりも、仕事よりも、自分のことを大事だと言ってくれていたパパ。
記憶をなくしてしまっているからパパとの思い出なんてほとんどない。だけど、その少ししかない思い出にいるパパは、自分の知っている一年だけのパパは、嘘偽りなく自分を愛していてくれた。この上ない喜びだった。
「二人で住む予定だった家も、アルフォンスは用意してあったんだ。ずっと黙っていてごめんね。卒業したら、見に行こうか」
義父の最期の爆弾発言に開いた口が塞がらない。思ってもみない話だった。パパが二人で過ごす家を用意していただなんて…。何故、今まで義父は隠していたのだろう?だがそんな疑問も一瞬の事。まだパパとの繋がりが残っている、という事実に喜びと嬉しさが勝ってしまった。
「えぇ!もちろん!!お義父様、ありがとう!」
卒業パーティー後、デビュタント・ボールや結婚の準備できっと目まぐるしい日々が訪れるだろう。そんなことは分かっている。だけど、あぁ、どうしよう?早く行きたい。早く見たい。そしてそこで寝泊りもしてみたい!!!
「あっ」パパが残してくれていた家でパパと二人で暮らしていたかもしれない。そんな妄想の生活を思い描いているときだった。ふと、その妄想の中に足りない人物がいることに気が付く。義父は何か知っているだろうか?教えてくれるだろうか?
「あと、お義父さま…。不躾で申し訳ないのだけれど…。母は…。あ、私のママのことは…。やはり何も分からないままなの?」
ルナは自分の産みの親の話を聞いたことがなかった。孤児院前の記憶はないし、パパからママの話を聞いたこともなかったから。ルナにとって母親といえば、育て親であるエミリア・フローレンス、義母であることには間違いはない。だが、興味はあったのだ。パパの妻で自分の母親。それは一体どんな人だったのだろうと。
「ごめんね、アルフォンスから聞いたことはないんだ。ルナの母親のことは私たちも一切分からないんだよ」
そう続け、義父は頭を優しく振り、視線を落とした。だが、ルナは義父の左眉がまた少し下がっているのに直ぐに気が付く。
あぁ、また嘘をついている。
何故ママに関しては頑なに口を閉ざすのだろう?何か言えない事情でもあるのだろうか?
義父の優しい嘘に違いない。だが、その気遣いにルナの心はモヤモヤとした黒い感情が広がってきた。
「そうそう。さっき話したアルフォンスの形見を渡すよ」
だが、義父も長年ルナと親子をやっているのだ。ルナの顔に違和感を感じる。これは不機嫌な合図。だから無理やり話の話題を変えることにした。
義父はデスクの一番下を開け、その中から一つの木箱を取り出しルナに手渡す。
両手で抱えて丁度な大きさ。だが、見た目よりは少し重たかった。そしてその箱にはたくさんの花々や草や蔓。様々な植物が所狭しと綺麗に彫刻されていた。
- 何の花かしら?
じっくりと木箱を観察し続けているルナに、父は笑いながら「上の蓋をあけてごらん」と伝える。
ルナはその言葉に従い、そっと花と蔓の絵が彫刻されている蓋を開けた。
~♪~♪~♪
どこかで聞いたような懐かしいメロディーが箱から聞こえて来た。
「これは?」
突然鳴り出した音楽に驚く。
「オルゴールというんだ。アルフォンスの部屋から見つかってね」そして、金色のタッセルのついた小さな鍵も手渡す。「その蓋のに下にある収納スペースをあけるカギだよ。ルナの母親の手がかりが隠れていると思って、暫く探っていたんだが、何もなかったんだ。渡すのが遅くなってごめんね。アルフォンスの形見だ。大事に使いなさい」
ルナは両手で大事にその箱を抱きしめる。オルゴールの下の部分に確かに鍵穴があり、そこのロックを鍵を使って開錠すると、下の取手が引っ張れるようになっていた。まるで手の込んだジュエリーボックスのようだ。
「お義父様、ありがとう。本当にありがとう」
「さて、レイは帰ってくるのはもう少しかかりそうだ。先に寝ていなさい」
父はルナの頭を優しくなで、明日早いんだから、と就寝を促す。
ルナも父の頬にキスを落とす。
「本当にありがとう。お義父様、おやすみなさい」
*****
ルナが出て行った扉を見ながらブライアン・フローレンスはキスを受け取った頬を撫でる。そして、執事にワインを持ってくるように頼んだ。
「ベンジャミン、私は今日まで良い父を演じていられていただろうか?」
「旦那様は演じずとも、ご立派な父親であられます。胸をおはりください」
執事の返答に胸を撫でおろし、そのままワインを少し口に含む。
ルナの事実を知るものは、執事のベンジャミン、侍女頭のレイチェル、そしてその娘のハンナだけ。だが、その中でも本当の真実を知るものはこのベンジャミンだけなのだ。だから彼がそう答えてくれたことに心の底から安堵する。
ブライアンは空になったグラスを眺める。
なぜか、不気味に胸がざわついているのだ。
両手を広げる。真っ赤な血で染まっていた。
なぜ、君が死んで私が生きているのか…。
後悔がどっと押し寄せてくる。
でも、でも。明日はようやくルナの卒業の日。
- アルフォンス、君に変わりよき父になれただろうか?
どうか、ルナの記憶がこのまま戻らんことを…
どうか、ルナが幸せに暮らしていけるように…
君も空から見守っていてくれ…
ブライアンは血塗られた両手で頭を抱え、そう願う事しかできなかった。
*****
義父に急かされ、レイの帰宅を待つことなくルナは自室に戻った。
ベットの横にある机に、パパの形見のオルゴールを置いて蓋をあけ、優しい音に耳を潤わせる。どこかで聞いたことのある懐かしいメロディー。ほんの少ししか流れないのに、なぜだかとても癒される。
パパとの思い出は年々色あせていた。なんとなく顔は覚えてはいるものの、もうはっきりと思い出せない。だが、この音が流れている間だけは、不思議と嬉しかったり、楽しかったりした思い出の日々が色鮮やかに脳裏に蘇ってくる。
机にしまってあった便箋を一枚とりだす。
これは、リリアナが以前文通したいと言い出した時に買い求めていたもの。
毎日学校で顔を合わせるのだから、別にわざわざ手のかかるようなことをする必要なんてない、と説得したのだが、巷で人気だから絶対にやるといって聞かなかったのだ。ルナはこの時のことを思い出しクスリと笑う。
「結局数か月後の長期休みが始まってから、お互い手紙なんて書かなくなってしまったのよね…」
余っていた便箋に文字を書いた。
宛名はもちろんあの人。ずっとずーっと大好きなあの人。
自分の想いを赤裸々に描いた。思い出も、感謝も、辛かったことも。
自分の将来のことも、昔の過去のことも。
順番何てめちゃくちゃだった。なにせ自分の想いを思いつくままに書き並べたものだったから。
色々な思い出が頭の中で蘇る。
便箋に書き下ろした文字たちが、ルナの瞳から溢れ出たものでにじみ始めた。
誰も悪くない。
誰も憎んではいけない。
戦争がなければ、きっと今ごろ本当の家族と仲良く暮らせていたかもしれない。
でも、レイとは出会えなかっただろう。
もしフローレンス家に引き取られていなかったら、こんなに胸が張り裂けそうな気持ちを知ることはなかったかもしれない。
でも、レイとは出会えなかっただろう。
もし、もっと早くに自分が養子だと世間に公表していたら、きっと違う未来を進んでいたかもしれない。
でも、きっと…。それでもレイと交わる将来はこないだろう。
これは貴方に宛てた手紙であり、自分の日記であり、誰かに悲痛な心の叫びを理解してほしいものでもあった。
何枚も何枚も書いた手紙たちを、レイからの入学祝で贈られたアクセサリーと共に、パパの形見の秘密のスペースに入れる。そして鍵をかけた。
明日、義父の言っていた義母からのプレゼントのアクセサリーも、パーティーの後ここに一緒にいれよう。
そして、全ての思い出と共に義兄への想いも封印しよう。
- そうだな、鍵はあそこに隠すのがいいかな
そんなことを考えていた。
- でも、とりあえず今の間は…
ハンナにもこのオルゴールの鍵の存在を隠したかったルナは、目の前に飾ってある海の絵の額縁の裏に、束の間それを隠すことにした。
こうしてようやくルナは浅い眠りについた。