01. 父の記憶【side of レイ】
その集落に足を踏み入れた時、強烈な血の腐ったような死臭が鼻についた。
我々の隊は二人一組のバディを組み、この集落の生存者を捜索することにした。
私のバディーはいつもの如く、アルフォンス・グラン。二人で共に大声を出し、各家を周りながら人々に呼びかけた。だが、人の気配のないこの集落。我々の言葉たちは無情にも響き渡るだけであった。
そんな中、この集落の奥地を捜索していた隊の叫び声が聞こえた。
我々は直ぐに馬を飛ばし、その声のする方へと向かった。
すぐに二人組の部下が腰を抜かして地面に尻もちをついている姿を確認した。
どうやらそこはこの集落の広場の入り口であるようだ。そこからはより一層濃い鉄の匂いが充満しており、さらに地面が赤く染まっていた。
異様な雰囲気であった。
私はその部下に声をかけることなく、馬からおりて、その赤い広場の中へ足を踏み入れる。
惨劇な光景がそこに広がっていた。
私は確信した。もう生存者はいない、と。
我々は来るのが遅すぎたのだ。
『隊長…』
アルフォンスの震える声が私の耳元で聞こえた。
振り返り彼を見ると、アルフォンスは広場の奥を指さしていた。
その指を辿ると・・・
なんと、広場の奥に隠れるようにして一人の女の子が立っていた。
ああ、彼女は繋がっている!
生きている人がいる!
私の歓喜の涙に少女は気が付くことはない。ただ変わらずに、茫然と目の前の惨劇を見つめているだけ。
アルフォンスは私の許可なく急いで彼女の方へ走り寄っていった。
ようやくその女の子がアルフォンスに気が付き顔を上げた時、私は息をのんだ。自分自身が恥ずかしかった。
当たり前だ。齢5歳か6歳そこらの子供がこの惨劇の現場にいて心が壊れなくなるほうが不思議だ。我々はまず彼女の心のケアからしなければならないのだ。
彼女はこの民族の象徴である美しい銀灰色の瞳を目に宿してはいなかった。見てはいけないものを見てしまった少女の瞳は光を失い、まるで死んだような魚の目をしていたのだ。
アルフォンスは彼女に何かを話しているようだ。そして彼女が抱きしめていたソレを受け取った後…。
私の記憶はそこで途切れている。
私の意識が戻った時にアルフォンスより野営地で申告があった。
『彼女からあの悲惨な記憶を消すために強い魔法を使ってしまいました』、と。
私は彼の勝手な行動を責めることなどできなかった。
なぜならこれは私の隊皆の総意でもあるのだから。
幼い子が抱えるにはこの記憶はとても辛いものである。このような記憶を彼女が追う必要はない。
私はこの責任をおい、この隊の隊長を辞任する。そして、最前線で新平としてまた一からこの国を守ることを誓うことにする。
〇〇年××月△△日
ブライアン・フローレンス
*****
「またそれを読んでいるのか?」
デビュタント・ボールでの周りからのたくさんの嫌味や好奇な視線に心底疲れ果てていた俺は、今日も逃げるようにして自身の屋敷ではなく、すっかり我が家同然となっている騎士隊の宿舎に戻ってきた。
これは言い訳ではないのだが、本当に今日こそは王女さんと屋敷で一緒に過ごそう、と心に決めていた。対外的に自分たちは上手くやっている、心配ない、とアピールするために。
だが、あの日の領地での馬車の中。近い距離で王女さんと一緒の空間にいるとふとした時に違和感を感じ、それ以降なぜか彼女を一目見るとそわそわと落ち着きがなくなってしまう一面が俺の中に現れてしまった。
分かってはいる。例え嘘だとしても、外交問題に発展させないためにも、もっと王女さんに優しく接しなければならないってことくらい。
リリアナ嬢をリリーと呼び間違えたこと。確かに一瞬ひやっとする出来事ではあったが、別に目くじらたてて怒るようなことでもなかった。そう、本当に頭では分かっているんだ。
俺なりに憎しみを抑え彼女と話をしようと努力しようとしてみた。だけど、こればっかりはしょうがない。だって、俺の意志に反して嫌味や強い言葉が口から零れ出てくるんだから。王女さんと一緒にいる時だけ俺はまるで赤子のように、自身の感情を上手く表現できなくなってしまうのだ。
それは遠い昔にルナに感じた時の感情とよく似ていた。
好きなのに、傍にいたいのに、なぜかそれが恥ずかしくて、自分の気持ちを上手く表現できなくて、つい悪態ついてしまう、あのときの感情。けれどふとした時に自分の気持ちが落ち着くと優しく接することのできる、自分の中で芽生える矛盾。
この懐かしい感情はきっときっと…。
俺は俺自身が怖かった。もしかしたらルナの事を忘れ、未来に進もうと俺の心がそう望んでいるのかもしれない。でも、ルナを愛していた事実を忘れたくないし、やっぱり帝国を許したくもない。
だから今日、その王女さんから逃げるようにしていつものように騎士団の宿舎に戻ってきた俺は、親父の日誌を手に取った。
ルナがどれだけ悲惨な過去を持っていたか。
ルナがどういった経緯で王国に保護され、その保護も虚しく、彼女の最期の時が冷たく、暗いあんな路地裏で、恐怖で襲われながら命を落とすことになってしまったのか。あの事件を思い出し、再度、帝国へと怒りの感情を自身の心に刻むために。父の残した当時の日誌を読んでいたのだ。
そんな時だったのだ。背後から声がかけられたのは。
「あれ?隊長?お疲れ様です。リリアナ嬢と一緒におられたのでは?」
振り向くとそこにため息をつきながら俺を見下ろしている人物がいた。その姿をとらえた俺は急いで立ち上がり、ペコリと挨拶する。
彼の名はエリック・シュミット。俺が新しく配属された隊の隊長。いわゆる上司。
パーティーで隊長はリリアナ嬢と一緒にいたはず。俺らが会場を後にした後すぐ、隊長たちも帰ることにしたのだろうか?なんだか少し申し訳ない気分になった。
「家まで送り届けたよ。一応任務は終了だ」
「お疲れ様です」
彼の言う任務とは、リリアナ・ラングシュタイン嬢の護衛である。ルナの死後、当初誰を狙っての犯行であったか分からなかったため、フローレンス家を含め、ルナと親しかった友人や知り合いなど、多数の人間に人知れず護衛がつけられたのだ。(本当の目的が護衛であったのか、身辺調査であったのかは今になっては誰も分からないことではあるが…)
シュミット隊長はその任を任された一人であった。それがリリアナ嬢の護衛である。
実のところ、俺が王女さんと婚約後、国王陛下の勅令によりこの護衛の任は全て解かれた筈なのだ。が、隊長はリリアナ嬢と接点がなくなるのがどうやら不服なようで、機会があるごとにこの任務を口実にリリアナ嬢と共に過ごしている。
彼がリリアナ嬢に首ったけであるのは周知の事実である。それに人の感情把握に乏しい俺でさえ、リリアナ嬢が隊長に抱いている感情を知っている。もうあと一歩なのだ。さっさと告白でもプロポーズでもすればいいのに…。
「なぁ、フローレンス?リリアナ嬢から聞かれたんだがな」
隊長が突然真剣な声を出し話しかけてくるもんだから、俺は変に緊張してしまう。
王女さんの不躾な態度にキレて、リリアナ嬢の手の甲に口づけを落としたこと?
それとも、デビュタント・ボールへ向かう前『今日こそは一緒に屋敷で過ごします』と宣言したのにも関わらず、この宿舎にのこのこ帰ってきてしまったこと?
或いは、何か他のこととか…??思い当たる節はないけれど…。
でも、まぁ、隊長に叱咤を受ける理由なんて他にも沢山ある。どれだろう?と思いめぐらせ、固まっている俺に隊長は言葉を続けた。
「『一目ぼれしたことはありますか?』って彼女に聞かれたんだよ。なんだかなぁ…」
頭を搔きながらどさっと俺の隣に座る隊長に、俺は心中で盛大なため息をつきながら声をかける。
「そんなわけないでしょう?だってリリアナ嬢の気持ちは…」
ダダ洩れなんだから。そう言葉をつなげるつもりだった。でもそこである疑問がわいた。
なぜリリアナ嬢はそんなことをわざわざ隊長に聞いたんだ?
俺は彼女を近くで見守ってきたから誰よりも良く知っている。
ルナの死後、リリアナ嬢は落ち込んでいた時にずっと傍で護衛任務をしていた隊長に少しずつ心を開き、恋に落ちていったんだ、と。これは前回のルナの墓参りの際に彼女から言われたこと。
だったら、一目惚れだなんて、彼女はいったい誰のことを指しているんだ?
リリアナ嬢もルナと同様、交友関係は広くないし、何より人の噂を容易に口にするような下品な女でもない。だから、思い当たる節がない。にも関わらず、隊長にそんなことを聞くってことは…彼女自身に何かあったのか?心がわり…とか?いや、でも、今日だって大好き大好きオーラ全開にしていたしな…。
「ほら、パーティーって婚活市場でもあるし、綺麗な人もイケメンも多いですし…」俺も自分なりに頭の中でまとめながら隊長に考えを告げる。「他の女の子の事よそ見しないでね、ってことじゃないですか?それか、早くプロポーズしてくれって催促かも」
「俺の事を試すような令嬢ではないと思っていたんだが…。やっぱり信頼がないってことなのか…」
ガーンと頭を抱えながら分かりやすく落ち込む隊長。
「そんなことないですって。そんなに心配なら、さっさと気持ち伝えたらいいじゃないですか」
これは何度目かの助言だ。でもなぜか隊長はいつもこの答えを濁す。
「ちゃんと俺自身の禊がすんだらな」




