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追伸、愛しています  作者: 聡子
第5章
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07. マルクス学院

 ハンナの声にコクリと頷いたリリアナ。

 意外だった。

 急な申し出にも関わらず、マルクス学院へ行く快諾がリリアナ嬢からもらえるだなんて。


 ベンジャミンが用意してくれた護衛を二人を連れて、マリアンヌは馬車へと乗り込もうとする。ちょうどその時、『私も行かせてください』となぜかティエラも一緒に行きたがった。


 『ティエラ?此度のお茶会の後片付けに、夕餉の支度。あなたにはまだまだ仕事は残っているのよ。分かって頂戴』


 ハンナがティエラにそう言って聞かせ、ティエラの残念そうな面持ちに後ろ髪をひかれる思いで、マリアンヌはハンナと共に馬車へと乗り込む。


 変な緊張がマリアンヌを包み込む。急な思い付きで外出することが人生で初めて、ということもあるが、それ以上にルナが四年間通ったとされる学院へと行くことができるから。


 一体どんなところなのかしら?

 何か分かることがあるのかしら…??


 少しのワクワクした期待と、ルナの欠けた記憶を何か一つでも取り戻すことができるのだろうか?というザワザワとした不安。マリアンヌはこの期待と不安が入り混じった心持で、馬車から流れる景色をぼんやりと眺めていた。



*****



 「奥様、つきました」

 馬車で15分くらい揺られた後だった。荘厳な建物の前に到着した。ハンナの手を取り馬車から降りるマリアンヌ。同じく、リリアナも自身の馬車から降りてきた。


 「リリアナ様、急なお話を快諾してくださってありがとうございます」


 ハンナは軽く頭を下げる。


 「ねぇ、なんで今日だったの?」

 「早く奥様に全てを思い出してほしくて…」


 こそっとハンナに耳打ちしたのだが、彼女は軽くそれだけを呟くと、直ぐにリリアナの元へと向かい、今度は二人で何かを小声で話し出した。


 何か大事な話なのかもしれない。マリアンヌはそんな二人から目を放し、代わりに目の前にそびえたつマルクス学院へと目を向ける。


 それにしてもなんて大きい建物だろう。王国には宮殿以外にもこんな建物があるなんて…。造りは教会のものとも少し違うし…。不思議な建物…。


 そんな時、ふと気が付く。こんなに広い建物。それなにも関わらず、なぜか人の気配は全くしないのだ。それが何だか不気味で少し恐怖を感じさせる。


 「なぜ誰も人がいないの?」

 「今は長期休暇ですから」ハンナに問いかけたのに、答えたのは意外にもリリアナ。「ルナも、私も含め、郊外からこの学院に通う生徒は大勢いました。領土経営や敷地の状況を確認するために、この長期期間を利用してカントリーハウスに殆どの生徒が帰省するんです」

 「それで今は人気がないのね…。納得だわ」

 「一方で平民の中には、学院が閉じられていても、自主的に勉強に来るものもいます」ハンナは補足する。「ただ、今回は学院に今日一日、完全に閉鎖をして頂くよう依頼しました。滅多にないことではございますが、奥様をほんの少しの危険からも遠ざけるためでございます」


 「そう…」マリアンヌは言葉を落とす。「それでも、身分関係なく、学校に通えることは素晴らしいわ。ぜひ帝国の皆にも教えてあげたい」


 ニコニコとしてマリアンヌが話す一方で、リリアナは遠慮がちに答える。


 「全ての国民に平等に勉学を、と謡ってはいますが、実際は爵位持ちの生徒と平民は学ぶ教室も棟も分けられていました。一部の頭の良い平民の生徒は別ですが…、私が通っていた時も陰で、貴族コース、平民コースと区別されていました。だから本当にみんなが皆、平等な勉学を履修できていたのかは、私の口からは答えかねます」


 少し空気が重たくなってしまった。


 「さぁ、向かいましょう」


 マリアンヌの声で、夕日が差し込み始めている奥の棟の方へ向かうマリアンヌ一行。



 そうか、この陽の当たりが悪い教室が平民の学ぶところなのね、と静かに受け止めていた。



******


 

 「フローレンス夫人はこの国をどう思っていらっしゃるのですか?」


 リリアナがある教室の前で不意に立ち止まる。かと思えば、唐突にマリアンヌにそう問いかけてきた。


 「無礼だとは百も承知です。だけど…。全ての恨みも憎しみも捨てて、夫人は今後、この国を心から愛していただけるのですか?」


 消え入りそうなリリアナの声にマリアンヌはゆっくりと目を閉じる。


 「皆同じ質問ばっかりなの。この国を憎んでないか?とか、どういう気持ちなのか?とか…」そして教室の方を向いているリリアナを今度は視界にとらえる。

 ルナの元親友の彼女。だけど、今の私には全く記憶のない不思議な女性。でも、不思議と彼女と一緒にいることが苦痛ではなかった。むしろ、他の人には言えぬような心のうちさえ伝えられるような、そんな不思議な空気をまとっている女性。

 「そんなにおかしいかしら?兄を殺された国を恨まない、って。だって私の親族なんだもの。だから、恨んでいないと言えば嘘になるわ…。だけど…」


 マリアンヌはゆっくりと深呼吸する。瞼を閉じれば大好きなお義兄様の姿が映し出される。


 「でも、誰かが歩み寄らなければ何も進展しないのよ?私は過去の過ちより、未来の平和を一帝国民として、そして、一王国民として望むわ」


 その声にリリアナは「おっしゃるとおりです」と頷き、その扉を開けた。



*****



 少し傾き始めた温かい陽射しに包み込まれた教室。

 マリアンヌはその中のある一つの席に何かを感じた。そして足早にそちらへと向かっていく。



 「フフ。さすがですね。そちらの机はルナの席でした。私とルナは席が前後だったんです。私たちはこの教室で出会いました」



 窓際の一番後ろの席。マリアンヌはその机を撫で、リリアナは後ろからついてきてそっと説明をしてくれる。



 『ねぇ、フローレンスさん、次は移動教室ですってよ』


 

 何かの記憶が流れ込む。マリアンヌはリリアナの話など聞いていなかった。

 流れ込んできた記憶を辿って、当時と同じようにその席から見ていた外の運動広場へと同じように目を向ける。


 「ええ。ルナもそうやって外をよく眺めていました。確か…、私たちの初めての会話は、なかなか移動教室へと向かわないルナに私が声をかけたのがはじまりです」



 『誰か知り合いでもいらっしゃるの?一体何をそんなに真剣に見ていらっしゃるの?』


 不思議と今回は頭が痛くなるようなことはなかった。それはまるで、今何をしようか度忘れしたものがすぐに思い出された時の様に、閉ざされていた記憶が閃くようにパッ、パッと優しく断片的に流れ込んできたのだ。だからマリアンヌはごく穏やかに思い出すことができた。


 『お、お義兄様…』


 「ルナが『お兄様を見ている』、って言った時は耳を疑いましたよ。なんてブラコンな女の子なんだろうって」フフと懐かしそうに笑うリリアナ。「でも…。きっと私には言えない何か重大な秘密を彼女は抱えていたのではないか、と今になって感じるんです。もっと当時彼女に寄り添っていれば…。過去を後悔しなかった日などございません」


 「ねぇ、リリー?」マリアンヌはリリアナの話を遮り声をかける。学院生活を全て思い出したわけではない。でも、微かにだけれどもリリアナの事を思い出したのだ。彼女に対して抱いていた友としての愛おしい感情も、今まで一緒に過ごしてきた温かな記憶の一部も。


 『貴女は確か…薔薇の君…の…?』


 ああ、そうよ。今しっかりと思い出した。二人で交わしたたどたどしい会話が頭に過る。


 彼女は見ず知らずの女性ではない。お義兄様をとられるかも、なんて一瞬の迷いですら恥ずかしい。


 なんでずっと忘れていたんだろう?あんなにも毎日毎日一緒に過ごしていたのに。お転婆な彼女に私は毎日救われていたのに…。そして、こんなにも、こんなにも、大切な大切な人だったのに……。


 『私のことはローズって呼んで?意外と気に入っているのよ?私の髪とおそろいのこの名前を』


 ルナの、私の大切な大切な親友。唯一無二の心を許せるたった一人の友。マリアンヌは涙を溜めた瞳でリリアナを見つめる。


 「私、ずっと後悔していたんです。ルナって両親と似ていないねって、卒業パーティーの前日に言ってしまったこと。もしかしたらそのことが引っかかって、あんな風に襲われても直ぐに逃げ出さなかったんじゃないか、とか。見知らぬ人の馬車に乗るほど、ぼーっとして思いつめていたんじゃないかって…」


 知らなかった。私自身が忘れているような些細な言葉も彼女はずっと思いつめていたのだ。自分がどのようにしてこの世を去ることになったのかは覚えていない。だから本当はどう私自身がどう思っていたのかは分からない。けれど、私がいなくなってしまったせいで、彼女は孤独と後悔でずっと押しつぶされそうになっていたんだ。


 『いやよ。だって、貴女の名前はローズではないのでしょう?』


 あんなにお茶目でお転婆だったリリアナ。今目の前にいる彼女とは大違い。きっと成人後、色んなパーティーで沢山しごかれ、苦しい思いをしたのかもしれない。彼女が淑女になっていく過程を共にに過ごせなかったことがこんなにも苦しいことだなんて、私は思いもしなかった。


 「夫人にこんなこと言うのは違うかもしれませんが、何であの時ルナが殺されなければならなかったのか。せめて、あんな冷たい場所で無惨な死を迎えるのではなく、皆に見守られて温かくこの世を去って欲しかった。だって、だって、いつかおばあちゃんになったら、ルナが心に閉まっていた大事な秘密を私に打ち明けるって、私、それをそれを…」


 『見た目で決めつけないで。貴女は薔薇のような華やかな姿をしているけれど、それが貴女ではないのでしょう?私は国王陛下も皇后陛下も怖くないの。だから、私は貴女の名前で貴女を呼びたい』


 目の前でボロボロ泣き崩れるリリアナに、マリアンヌは心を痛める。

 私が前に言ったこと忘れたの?見た目は関係ないって言ったこと。その時と私の気持ちはなんら変わってないのよ?

 リリーは気にしていたのかもしれないけれど、私は家族と似てないってどんな人に言われてもずっとずっと気にしたことなんてなかった。だってそれは本当のことだし、幼いころの記憶を辿ってもいつもそういわれたからと言ってメソメソしていた思い出なんて浮かばない。



 ねぇ、リリー…?あのね、私が貴女に隠していた秘密はね…。


 「違うの、リリー」


 マリアンヌの瞳からもボロボロと涙がこぼれてきた。

 ずっとずっと言いたかったけど、お義母様にこの秘密はまだ誰にも伝えてはいけない、って当時は言われていたから。だから…。



 「私はマリアンヌだけど、マリアンヌじゃないの。ルナ、なの…」



 でも、もういいよね?お義母様はもう他界されているし、この場にはハンナとリリアナと私たち三人だけ。外で待機している警護の人にはきっとこの声は届かない。



 「ずっとずっと黙っていてごめんなさい。本当は、本当は、私たち、血が繋がっていない義兄妹だったの。私は養子。父親は別にいて、フローレンス家の人達とは誰とも血は繋がっていないの…」




 その声にリリアナは目を見開く。

 そして彼女の後ろに立っていたハンナは、静かに涙を流しながら頷いていた。

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