06. リリアナとの再会
「この度はお招きいただきありがとうございます。リリアナ・ラングシュタインです」
丁寧なお辞儀をしてマリアンヌに挨拶をするリリアナ。
「どうかそんな風にかしこまらないで」マリアンヌは困った顔で目の前のルナの親友に声をかける。「この度は私の我儘を快く受け入れてくださってありがとうございます」
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ハンナの行動力はとても早いものだった。
翌日すぐにラングシュタイン家へと文を送ったとのこと。しかもなぜかとんとん拍子で話は進み、なんと今日、リリアナとお茶会をする約束を取り付けることができたのだ。
まだ一対一で再会する勇気なんてなかったし、一応私は異国の王族。勝手なことをして外交問題にならないかしら?なんて思ってもいた。けれど、
『これは公式のお茶会ではなくて、非公式のものですし…。それに、その他たくさんの令嬢を呼んだら呼んだで、リリアナ様と話す時間も減りますから』
とハンナに押し通されて、
『次のパーティーまで一週間近く開いていますので、その期間内でしたら問題ありませんよ』
とベンジャミンも優しい笑顔で背中を押すものだから、今こうしてスピード再会することにようやく決心がもてたのだった。
「リリアナさん、ご足労ありがとうございます」
『私ももっと王国民について知りたい』と意外にもティエラは乗り気。リリアナを応接間へと案内する重要な役目を彼女がかって出てくれた。
マリアンヌはその様子を直に見ることはなかったけれども、応接間に入室したリリアナの表情を見てやっぱり、と少し思った。ルナによく似たティエラの風貌に戸惑いを隠せておらず、リリアナはとても困惑している表情を浮かべたままだったから。
「デビュタントボールでは本当に失礼いたしました」ハンナが二人の前にティーの用意を音静かに始めていた。マリアンヌとリリアナはそのテーブルの対面越しのカウチに座る。「よく知りもしない外国人に馴れ馴れしく話しかけられて、さも驚かれたことでしょう…」
「いえ、滅相もございません。ただ久しぶりに呼ばれる名前でしたので…少し驚いただけでございます。こちらこそ、夫人を戸惑らせてしまい、なんと申し上げてよいものか…」
「いいえ。全て私の責任ですわ…。リリアナさん」そして髪をくるくると指で巻きながらマリアンヌは続ける。「ただ…帝国にも同じ名の知り合いがおりまして。その…。つい…。本当に無作法でしたわ」
義兄に伝えた文言と同じ嘘をリリアナに述べる。
「そんなことございません。何度もそう頭を下げないでくださいませ」
リリアナは少し眉を下げてそう述べる。マリアンヌも「では、その声に甘えて」と、朗らかなほほ笑みを彼女に返した。
二人のティーカップに紅茶が注がれる。甘い香りが二人を包み込む。
「この香りはアップルティーですね」リリアナは緊張が少しほぐれたようだった。「私、紅茶の中でもフルーツ系の甘い香りのするものには目がありませんの…」
ホホホと笑うリリアナ。
実はこれはハンナから聞いていた情報。ルナはよくリリアナと甘いものツアーに行っていた、と。だから今日は甘いスイーツでおもてなしをしようと決めていたのだった。
ハンナが笑顔で焼き立てのアップルパイを持ってくる。
「こちらは奥様が今朝仕込まれたアップルパイでございます。よろしければ、お召し上がりくださいませ」
「まぁ、夫人が直々に?ありがとうございます」
目をキラキラと輝かせながら、笑顔でマリアンヌに感謝を述べるリリアナ。
でも実はこれはマリアンヌの作戦。リリアナはルナの作るアップルパイが大好きだった、ということをハンナから聞いていたから賭けにでてみたのだ。
懐かしいパイの味に何かを感じ取って、私がルナだともしかしたら気が付いてくれるのではないか?と。もしそうでなかったとしても、何か共感を感じ、少しでも私に警戒を解いてもらえるのでは?と期待して。
「一つ不躾なことを尋ねてもいいかしら?」
マリアンヌは目の前に出されたパイを口にすることなく、リリアナに問う。
リリアナも、マリアンヌが先に口にしないものだから、ハンカチを口に当てて、「どうぞ、なんでもお聞きください」と無難に返す。
「なぜ、リリアナさんの愛称である、〝リリー〟という名を耳にした時、周りの人はあんなにも驚かれたの?」
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口がひどく乾く。
マリアンヌは震える手をぎゅっと握りしめ、紅茶を見つめたまま、そこから目を離せないでいた。
さすがに切り出すのが早かったのだろうか?マリアンヌは少し後悔していた。
「別に愛称としては間違ってはおりませんのよ…」フフ、と困ったように笑うリリアナ。「ただ、私は殆どの人から〝ローズ〟とか、〝薔薇の君〟と呼ばれることが多くて…」
「…?どういうこと?」
首を傾げるマリアンヌ。
理解できない。なぜ彼女は親に名付けられた名前とは全く異なる名前でそう呼ばれているのだろうか?
リリアナは紅茶を一口飲む。マリアンヌもその様子を見て、紅茶をほんの少し含み、口を潤わす。
「マルクス学院に入学したとき、私は主席でした」懐かしむように語りだすリリアナ。「主席のスピーチを終えた後、来賓で来られていた当時の皇后さまが私のスピーチに甚く感動してくださったんです。そしてその後皇后様が舞台に上がられ、新入生たちに向かって偉大なお言葉をかけてくださった際に、に、『薔薇の君のローズさんに盛大な拍手を』と仰られ…」興奮しすぎて、名前を間違えたんです。まぁしょうがないですよね、この髪色ですし…。と乾いた笑みを浮かべ話を続ける。「でも、誰も私の名前を間違えている、と指摘するものはいませんでした。誰も皇后様のお話を遮ってまで訂正することはなかったんです。当たり前といえば、当たり前のことですけど…」
リリアナはマリアンヌに悲し気に笑いかける。マリアンヌははらわたが煮えくり返りそうなほど怒っていた。一王族が、感動したとはいえ、大切な大切な自身の国民の名を間違えるとはなんということか。しかも将来ある有望な若者の。
「それから私は通称〝ローズ〟と呼ばれることが当たり前になっていたんです。私の愛称の〝リリー〟は別名、百合の花。この真っ赤な髪には似合わない名前。それに、お后様を辱めるわけにもいきませんでしたから…。私もそれでいいや、と半ば諦めていたんです」
「そうだったの…。でも、名前を間違えるだなんてあってはならないことだわ」
一王女としてマリアンヌはこの出来事に憤慨していた。人の名前を間違えるだなんて、そんなこと王族としてはやってはならないこと。とうの本人がこの世にはいないとはいえ、笑って見逃すことができないでいた。
「でも、たくさんの人に私の事を覚えて頂けたのはありがたいことでした」リリアナは和やかにほほ笑む。「ただ、ルナだけは。ルナだけはローズと名を呼ぶことを嫌がったんです。だから学院で私の事をリリーと呼んでくれるのは、当時、まだ卒業していなかった従兄のエルと親友のルナ。二人だけだったんです」
「そう…」
マリアンヌはなんと声をかけていいのか分からなかった。想像していたよりもシビアな事情があったから。
「こちらを一口いただいても?」
マリアンヌは頷く。
「ルナの話をしたからかしら」リリアナは気丈に、でも少しだけ鼻声で続ける。「このアップルパイ、とても懐かしい味がします。私の大好きな味」
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「恐れながら、リリアナ様。もしまだお時間が空いているようでしたら、奥様にマルクス学院の案内をしていただけませんでしょうか?」
二人でその後他愛ない談笑をして、そろそろお茶会もお開きにしましょう、と言っている時だった。ハンナがひょっこり現れてそうリリアナに頼む。
「ええ、お時間の都合の良い日をおっしゃっていただければ、是非案内を…」
「本日、学院からの許可をとっております。ですので、今から…」
「「え、い、今から!?」」
マリアンヌとリリアナは二人で声を合わせる。
「ちょっと、ハンナ!」手でハンナを近くに呼びつける。「一体どういうことなの?そんな急なお願いをするなんて、フローレンス家の恥だって、またお義兄様に叱咤をうけるに決まっているわ」
「でも、奥様!」ハンナは続ける。「戻りそうな記憶をそのままにしておく方が罪です。せっかく外にでてこようとしている記憶がまた奥様の心の奥底に沈んでしまう…。私は早く奥様の記憶を全て戻してさしあげたいんです。お願いします。レイ様を救うと思って!」
二人でこそこそ怪しく話している私たちに気を遣って、リリアナは優しい言葉で応えてくれた。
「私は帰り道なので大丈夫ですよ。フローレンス夫人さえ急なお話で問題なければですけど…」
「それは…」
マリアンヌはちらりとハンナを見る。彼女の目はキラキラと光り輝いていた。
「護衛をつけますので、問題ございません、リリアナ様、マリアンヌ奥様をどうぞ、どうぞ、よろしくお願いいたします」
マリアンヌに対して有無の返答を聞かず、ハンナは勝手にそう答えてしまった。




