05. 記憶を取り戻したい
「奥様?いかがでしたか?」
バタバタとしたパーティーから、ハウスタウンへと戻ってきたマリアンヌ。生き生きとして目を輝かせている表情のハンナと、何やら陰った表情のティエラの二人の侍女に出迎えられた。
「あら…?旦那様は、どちらに?」
馬車から降りてきたのはマリアンヌ一人だけ。後ろから降りてくる気配のない主人に戸惑いの声をあげるハンナ。
「宿舎による用事があるみたいなの…」
少し声を落として、侍女に説明をするマリアンヌ。
今日は私の成人の日である。ルナであった時はお祝いする前に命を落としたのだと聞いていたもんだから、せめてマリアンヌとしてはお義兄様とこのイベントを一緒に過ごしたいと考えていた。だけど…。結局お義兄様は私なんかと一緒に過ごしてくれるわけはなかった。リリアナに対して無作法な態度をとってしまったから?それとも私、マリアンヌのことが嫌いだから??
こうなるかもしれないとは少し思っていた。けれど、分かっていたのに、いざそうなると、とても辛い。
なんで私は異国の王女へと生まれ変わったのだろう?それもフローレンス家が一番に恨んでいるあろう、私を殺めた国の王女へと…。自分の運命を呪う。
「そういえば、リリアナ様とお会いできましたか?」
マリアンヌの気落ちした気分には目もくれず、ハンナは楽しそうに話を続けながらそう尋ねてきた。
「え、ええ…」
マリアンヌの頭の中はハテナでいっぱい。なにをそんなにこの子は楽しそうに聞いてきているのだろうか?
「奥様、湯あみの準備はできております」
「ティエラ、私がお手伝いをするから、あなたはもう休んでいいわよ」
「え、いや…でも…」
マリアンヌの戸惑った態度に気を利かせたティエラはそれとなく声をかけてくれたけれども、それをハンナ利用する。戸惑うティエラから無理やり仕事をとったハンナは、その後マリアンヌを連れて、自室へと自身の主人をエスコートした。
「だってさ、ほら!」自室に入るや否や、目をキラキラさせたままマリアンヌに声をかけるハンナ。「ルナ様はリリアナ様と親友でいらしたから。もちろん、リリアナ様にもお伝えしたのでしょう?自分がルナだって!」
ああ、そうか。マリアンヌは腑に落ちた。だからハンナは楽しそうな顔をしていたのだ。私がルナの生まれ変わりだ、と知る自分と同じような境遇の人間がもう一人増えると思っていたから。
「前にも言ったでしょう?私はこの王都で過ごした四年間の記憶がないのよ。だからリリアナ嬢との記憶はないの」
再度そう説明しながら、浴室へと向かう。早く今のこのもやもやした気持ちを全て洗い流してしまいたかった。
「そうでしたね…」声を落として答えるハンナ。「でも、当時の友人と話されることで、思い出せない記憶の扉は少しでも開かれたので…」
「私、そんなにリリーと仲が良かったの?」
ハンナの言葉をかぶせるようにマリアンヌは話を続ける。
「??え、ええ。いつもどこに行くのもリリアナ様と一緒でしたよ?二人は唯一無二の親友でした。私がやきもちを妬くくらい」
「でも、なんでそんな私の親友がお義兄様の婚約者の第一候補だったなんて噂が流れたの?」
全身湯船につかる。この優しい香りに包まれて、マリアンヌは少し気を取り戻し始めていた。
「ルナ様が亡くなってからもうずっと、レイ様はリリアナ様以外との女性とは一切口を開かれておりませんでしたもの。それに、山のようにくる見合い話も全て無視。ですから話題になっていたんです。レイ様はリリアナ様以外の方とはもう二度と心を開くことはないのであろう、と」
説明をしながら優しくマッサージを開始するハンナ。デビュタントボールでの疲れが癒されていく。
「でも、お義兄様と噂があった人物が、私の親友だったなんて…。なんだか嬉しいような、悲しいような。とても複雑な気持ちだわ…」
「そうですね。でも、リリアナ様は他に想いをよせている人がいるって噂もありましたし…、私は何も思いませんでしたけど…」
「……」
勝手に個人的なことを聞いてしまっていいのか迷う。「あ!」そんな時マリアンヌは新たな質問が思い浮かんだ。「ねぇ、ハンナは知ってる?なんでリリアナ嬢を〝リリー〟って呼んではいけないのか?」
「??なぜです?誰かに何か言われたのですか?」
「ええ、私の口が滑ってしまって。でも不思議なの。リリアナという名前はごく一般的な美しい名前。そしてその愛称って、リリーくらいしか思いつかないし、それが普通でしょう?なぜ私の口が滑ったからと言って、そんなに怒られたり、驚かれたりするようなことになったのかしら?だってね?皆さん目の色を変えて…」
「口が滑った!?王宮内でですか!?」ハンナは大きな声を出し、すぐに、すいませんと謝った。「記憶はないのに、その名を出されたのですか?」
「ええ。きっと恐らくルナの口癖だったのね…。本当に無意識に、ごく当たり前かのように…」
「お・く・さ・ま!」
目を輝かすハンナ。その態度の急変にマリアンヌはついていけなかった。
「な、何?」
「そのご理由はリリアナ様から聞かれるべきですよ!だって、ルナ様が嫌悪していたことの一つでしたもの。きっと記憶が戻る手助けになるかもしれませんわ!」
「いや…え、でも…」
「無意識のうちに口が滑った、ということは、きっと奥様のリリアナ様に関する記憶が戻ってくる前兆に違いませんよ!ええ、きっとそうです!」ハンナは立ち上がりガッツポーズを決める。「私にいい案があります。早速明日聞いてみますね!任せてください」
「え、あの…ハンナ?」
マリアンヌの戸惑う声はもうハンナには届いていなかった。
「ルナ様の記憶がきっと全て戻れば、奥様はきっとまたルナ様としての人生を歩むことができるかもしれない。レイ様と幸せな家庭を築いていけるかもしれない!!!ずっとずっとそれが夢だったでしょう?私に任してください!何としても全ての記憶を取り戻してさしあげますから!!」
「ねぇ、ハンナ聞いて。あまり勝手なことしたらまたお義兄様に…」
「奥様?」マリアンヌはこの温かい湯船につかり過ぎたことでのぼせ始めていた。でも、ハンナは興奮してしまっていて、人の話を聞きもせず、大事な主人の体調の変化に気づくこともなかった。「レイ様には適当なことをベンジャミンさんから伝えてもらいますから!だってね、知っていますか?」
ハンナと目が合う。その目はこの湯船の湯気のせいなのか、いつもより彼女の姿が潤んで見えた。
「だって奥様は先ほどからずっと、リリアナ様を〝リリー〟と呼んでいらっしゃるのですよ?それってもう、リリアナ様のことは心では思い出しているってことではありませんか??」




