04. パーティーの帰り道
「そんなに詳しくこの国に対して、我が家に対して、調査してきたのか?お前の本当の目的はいったい何なんだ!?」
パーティーからの帰りの馬車でのこと。ルナの横ではなく、斜め前に腰かけるレイは外の景色を見ながら、まるで尋問するかのようにそう問いかけてきた。
***
実はあの後、リリアナの愛称がマリアンヌの口からうっかり出たことで、少し決まずい空気になってしまった。
驚いた顔を浮かべたリリアナに、目を見開いたまま固まるハンスとアラベラ。意外にもその空気をどうにかしようとしたのは誰でもないお義兄様だった。リリアナの肩を優しく抱き寄せ、弁明し始める。
「彼女は我が家の事を随分熱心に勉強されてきたんだ。その名で呼ばれるのは動揺することであろうが、どうか許してくれ」そしてマリアンヌを睨むレイ。「我が国では、初対面のものに、その方の愛称で話しかけるなど無作法極まりない行為なんだ。不躾だということを学んでくれたまえ」
「も、申し訳…」
「あ、あ、あの!!!」リリアナは目を見開いたまま、震える声で話を続ける。「なぜ、エルとルナしか呼ぶことのない私のそのあだ名を王女様は…」
レイはそっと片手をあげて、リリアナの声を遮る。それ以上追求しないように制止をするために。
「きっと王女様は大勢の人で、人に酔い、疲れが出てしまったのかもしれない」
レイはマリアンヌのリリアナに対する謝罪と、リリアナのマリアンヌへの問いかけに声を被せるようにして言葉を紡ぐ。「悪いが先に帰らしてもらうよ。また次のパーティーで、リリアナ嬢」
まるで見せつけるかのようにリリアナの手の甲にキスを落としたレイは、マリアンヌの手首を力強くつかみ、そのままデビュタントボールの会場を後にしたのだった。
***
で、今。気まずい空気が二人を包み込んでいる馬車の中へと戻る。
「おに…あ、旦那様、先ほどはラングシュタイン家のご令嬢様に不躾な態度を取ってしまいまして、誠に申し訳ありませんでした」
再度深く謝罪をする。でもお義兄様は何も答えてくれない。マリアンヌは涙が込みあがってくるのを感じた。これ以上、お義兄様に嫌われたくなんてないのに…。ぎゅっとドレスを両手で握りしめる。もうソフィアお姉さま直伝のポーカーフェイスを保つことはできなかった。だからせめて下を向いて、この顔をお義兄様に見られないようにする他なかったのだ。
「王女様がどう我が家について調べたのかは知らないが、リリーというあだ名は、彼女の従兄とルナしか呼ばない愛称でね、ごく一部の他の親しい友人ですら、彼女が亡き皇后陛下に与えられた名を呼ぶんだ。彼女にとって〝リリー〟と呼ばれるのがどれほど特別なことか、王女さん、あんたはちゃんと知っていたのか?」
マリアンヌは左右に首をふる。レイが深くため息をつく声が耳に入る。
「なぁ、王女さん。そちらの国ではのこういうのはごく一般的なことなのか?婚姻を結ぶ家庭の…。しかも故人の個人的なこと全てまで調べつくすことは…」
ふとお義兄様の冷ややかな声が止まる。
「はぁ、そんな風にドレスを掴むもんじゃない。皺になるぞ」
そう優しく声をかけてきた。マリアンヌは驚き、顔をあげ、潤む目でレイをじっと見つめる。
マリアンヌと目があったことに少し動揺したレイは再度窓の外を見つめながらボソッと言葉を落とす。
「とにかく、まだ名前程度にしか知らない人に対して、その方の愛称を軽々しく口にするのはこちらの国では大変な無作法な行為。金輪際、フローレンス家の名に恥じるような行為はやめて頂きたい」
「もちろんでございます」これにはマリアンヌも同意せざるを得なかった。「我が国でも、あまり交友のない関係の方を愛称で呼ぶのはご法度なことです」
そう、不躾な行為であるということは百も承知だった。けれど、お義兄様になぜリリアナの愛称が口から零れ出てしまったのかを、どう説明すればよいのか分からなかった。どう言い訳したら許してもらえるだろうか?だって、本当に意図もせず、口からさも当たり前のようにでたんだもの。
「私は彼女のことを今日まで全く存じ上げておりませんでした。誓って、何か意図があってリリアナ様のことを事前に調査などは行っておりません」これは本当の事。だけど、ルナの癖でついその名で呼んでしまった、だなんて口が裂けてもお義兄様に伝えることなんてできやしない。本音を言えば伝えたいけれど、それを言葉にした途端、罵声を浴びせられるかもしれないし、より嫌われるかもしれない。
お義兄様から私のことをルナだと気が付いてもらえるまで、やはりこのことはまだ黙っておこう。そう心に決めた。
だから、嘘を混ぜることにした。
綺麗に結ってある髪の一部分をくるくる右手の中指で漏れ遊びながら言葉をつむる。
「実は、帝国で知り合いに、リリアナという女性がおりました。その方の愛称もリリーでしたので、つい言葉滑らせてしまったのかと思われます…」
義兄がこちらを射付くような視線で見てくる。つい、そのビシビシとした威圧感に耐えられなくなって、マリアンヌはそっぽを向いた。
「その癖って…?」
「え?」
義兄の思いがけない問いかけにに思わず情けない声をあげるマリアンヌ。顔を上げると、そこにはなぜか眉を下げて困惑した表情を浮かべるレイがいた。
「何かおっしゃられました?」
「いや、いい。忘れてくれ…」
レイの珍しく慌てる声に、マリアンヌは一人首を軽く傾げる。
「まだ仕事が残っているから。王女さんを家に送ったら、俺は宿舎に戻るから…」
レイの声はもう冷ややかなものではなかった。それは困惑を隠しきれていない、初めて聞く声色のものであった。




