02. デビュタントボール
シャンデリアが煌びやかに光り輝いている王宮の広間。
- 王国に来た初日以来ね…
私たちの結婚式以来、初めて来る王宮。隣で変な笑顔を張り付けている義兄を横目で見ながらため息をつく。
『悪いが手は添えるだけにしてくれ』
そう謎の依頼を受け馬車から降りたのはほんの数分前。
やはりお義兄様はちゃんと勉強していないみたい。馬車から先に降りたものの、私の手を取り降車の補助をしてくれることはなかった。
仮面夫婦だとしても、王宮にきたのだからこの時点から演技しなければ周りに怪しまれる可能性だって十分にあるのに…。本当にお義兄様は分かっているのだろうか?ティエラの声が頭をよぎる。
『こんな…こんな仕打ち…。旦那様は奥様を一体何だと思っているのでしょう!?』
でもね、ティエラ、ごめんなさい。私だってこんなバカげた仕打ちに怒りたい。けれどそれ以上に、女慣れしていないお義兄様に少しホッとしている自分もいるの。
*****
平民たちが祝う、賑やかで活気に溢れていた市街地とは異なり、王宮内の広間は美しいオーケストラの音色と紳士淑女たちの上品な笑い声で包まれていた。
ただそんな穏やかな雰囲気も、私たちが広間に足を踏み入れた瞬間、がらりと空気が変わる。
『あの人が噂の…ほら…』
『あぁ、あちらの国に見放されたっていう??』
『屋敷に籠ってばっかりで、王国のものとは交流したくもないようですし』
『あら、私は単にお体が弱いって聞いたわよ』
『そんなの建前よ。ご覧になって、あの健康的なお顔。ああ、白々しい』
コソコソと嫌味を言う声、ジロジロと軽蔑を含む強い視線。まるで見世物になったような、嫌な気分。
覚悟はしていた。私は決して歓迎される存在ではないと。けれども、私だって意地はある。だから、お義兄様の横で胸を張り、悠然と構える。ついでに、変な噂話をしているマダムたちに微笑みかけてやった。
ほら、みてよ。堂々としていたら、向こうだってコソコソ噂話なんてしなくなるんだから。
私と目が合ったご婦人たちはバツが悪いのか、いそいそとどこかへ散っていく。
フッ。勝ち誇った笑みを浮かべるマリアンヌ。
何やら誇らしい気持ちが胸いっぱいに広がるが、私たちが一歩一歩奥へと進む度に周りから人がいなくなっていく目の前の光景に今度は少し不安になる。これで大丈夫なのかしら?やりすぎた?
隣にいる義兄を見上げる。何か優しい声をかけてほしかったから。大丈夫だよ、って優しく笑いかけてほしかったから。だけど、私の視線に気づいたお義兄様は、あの気味の悪い笑顔をしまい、冷ややかな目をして私を見下ろす。
もっと、上手くやれ、と。
「フローレンス副長!」
少し自身の行動に反省しているときだった。
前から子犬のような人懐っこい笑顔を浮かべた男性がこちらへ向かってきた。
「初めまして」
私のお辞儀に、フワフワと薄い菫色の髪を靡かせながらこの男も軽く会釈を返す。
「副長の奥様ですね。噂通りの美しさだ!」
この子は私の噂を知らないのだろうか?それともただ天然なだけ?
この国に来て、初めて自身に向けられるニコニコとした人懐っこい笑顔に少し身構える。だけど、少し嬉しくもあった。
「僕は副長の部下のハンスです」
手を差し出すハンスに、マリアンヌは少し躊躇いつつもそっとその手に触れて握手を返す。
「お前は今日の警護だったか?」
「いえいえ、ほら今日は俺の妹のデビューの日ですので…」
「ああ」心底嫌そうなお義兄様の声。ハンスの妹と何かあったのだろうか?
私の不思議そうに義兄を見つめる視線に気づいたのか、ハンスは頭を掻きながら恥ずかしそうに続ける。
「俺の妹、学院で副長の親衛隊の代表だったんです。結構熱心に副長のことを…」
「おい」一際低い声でハンスの言葉を遮る。口角を少しピクピク震わせている義兄。少し恥ずかしい思いをしているときに見せるもの。久しぶりに見るこの表情に少し胸が擽られる。「あ、そういえば団長は?お前、見たか?」
「団長ですか?ああ…。はい。バルコニーの方でリリアナ嬢とお話ししてました。あの様子だと一緒に来られたのではないでしょうか?」
「そうか、おい、あとで挨拶にいくぞ。それより、先にさっさと陛下のところへ挨拶にいかないと」
ぐいっと手首を引っ張られる。
こんな強引な扱いなのに、それでも義兄とのスキンシップに顔を赤らめてしまうマリアンヌ。
- いつから私ってこんなマゾになったのかしら…?
「いってらっしゃい」
そんな二人に優しい笑みでハンスは手を振っていた。
*****
「王女様、王女様!」
後ろの女の子の可愛らしい声ではっとする。
気づかなかった。次は私の番だった。
義兄の腕が腰の近くに触れているものだから、恥ずかしさと緊張で何も見えてなかった。聞こえていなかった。
恐らく義兄も何度か声をかけてくれていたのだろう。上からの凍てつくような視線を感じる。
私はそれには気づかないふりをして、後ろの女の子に深く会釈する。ありがとう、の意を込めて。
お義兄様の腕から離れ、一人ゆっくりと国王陛下のもとへと向かう。
陛下の後ろには簾がかけられていたのだが、その薄いレースからは人影が見える。ああ、あそこに皇太子並びに皇太子妃や王族の方がいるのか…となんとも不思議な気持ちに包まれる。
何度もお屋敷で練習をした作法の通りのお辞儀をして、それからそっと陛下の前に膝まづく。
頭に何か触れる。これが噂の新成人のデビューを祝う花冠か、と冷静に推察する。
「マリアンヌ王女、もうこちらの生活には慣れましたかな?」
国王陛下の優しい問いかけにより一層頭を深く下げるマリアンヌ。
後ろからこの様子を見ているであろう人々の視線を痛いほどに感じる。
「まだまだございます…。これからも日々精進いたしますわ」
そんな深い意味なんてなかったのに。見上げた国王陛下の顔は眉を下げて、とても悲しそうな顔をしてマリアンヌを見つめていた。
「??」
「何かあれば遠慮なく文を送ってくだされ」
- 本当に何かあれば、お姉様に送るわよ…
心の中でそう呟く。そして、再度ひざまずき、低い姿勢のまま決して自身の背中を彼ら王族に見せないように心がけながらその場から離れた。
ようやく少し彼らから遠ざかったところにでたマリアンヌは顔をあげ、お義兄様の姿を探す。
- 一体どちらに?そんなに遠くにいないはず…
先ほど一緒にいた場所へと視線を戻し、ゆっくりとあたりを見回し始めた時だった。
「あの…」
後ろから可愛らしい声が聞こえた。振り返る。そこには同じく国王陛下から授与された花冠をのせた女の子がいた。菫色に光る髪。あれ、この色どこかで…?
「アラベラ・ヴァイオレットと申します。いつも兄がお世話になっております」
ああ、さっきのハンスさんの妹さんか。
そっと会釈し、にこりと微笑む。
「あの…。余計なことかもしれませんが…私、マリアンヌ王女様とフローレンス侯爵様が結ばれてよかったって、本当に心から思っています」
???私に媚びを売っているのか?
それでも彼女なりに私たちの婚姻を喜んでくれているのだろう。
「ありがとう」
とりあえず無難に返す。
「王女様はもうお会いになりまして?」
「?どなたに?」
「?ほら、ラングシュタインのリリアナ様に…。私、あの方と侯爵様が結ばれるのだけはどうしても嫌だったんです…。ほら、だって彼女の取柄ってルナ様と…。王女様?」
彼女が何を言いたかったのか分からない。でも、彼女の言葉が遠くに聞こえる。
結ばれるって何!?え、お義兄様に婚約者なんていたの??
みるみる顔から血の気が引いてくる。しかも、そのリリアナ嬢ってさっきどこかで名前の聞いた気がする…。
「リリアナ嬢ってどんな方なの?」
私の声は震えていた。アラベラから視線を外して、とりあえずお兄様を再度探す。
なんだか嫌な予感がしたから。ルナだった頃にも、一度感じたことのあるこの感覚。
ああ、やっぱり私お兄様をこんなに愛しているんだわ。
少し遠くに、白銀の髪を発見する。そしてそれだけで、あれがお義兄様だと分かるのだ。
「燃えるような赤い色の…」
だけど、アラベラはお兄様に気づいていないのだろう。
そのリリアナ嬢の情報を何の悪気もなく伝えてくる。
「少しくせっ毛が強い髪型をした…」
それ以上は言わないでほしかった。
私が見つけたお義兄様は、王宮に来た時に張り付けていたあの気味の悪い笑顔をもうしていなかったから。
そこには、心底楽しそうに微笑む、私の大好きな笑顔をしたお義兄様が一人の女性と楽し気に会話しているところだった。
クルクルくせ毛の、燃えるような赤い髪の…。
「侯爵様の婚約者の第一候補だった女性です」




