04. 卒業式前夜
グレイグが帰った後、ルナは部屋に引き篭もっていた。
どうしても逃れられない彼との結婚という運命に。自分をまるで悲劇のヒロインのように感じながら、窓から見える殺風景な庭を眺めている。
庭師と相談して育てることにしたあの花。結婚前までに花を咲かせるだろうか?一体あと何日ほどこの家にいることが許されるのだろうか?
「旦那様と奥様のご用意が終われました。ご夕食のお時間となりましたので、お嬢様もお越しくださいませ」
ハンナにそう声をかけられてから気が付いた。義両親が既に帰宅していたという事も、グレイグの訪問からこんなにも時間が経っていたという事も。
空はもう真っ暗闇だった。一体どれくらいもの間ぼーっと庭を眺めていたのだろう。
「分かったわ」
そう答えて、どんよりした気分のまま部屋から出て、夕食の席へと向かう。
「ルナ」
廊下に出てすぐ、聞きなれた優しい声に引き留められた。顔を上げ、その声の主を探す。が、彼女が目に入った途端、思わず体が強張ってしまった。
半年程前の長期休暇に会ったときはもっと元気だったはずだ。
そこには、以前とは比べ物にならないくらい病弱した義母、エミリアがハンナの母であり侍女頭であるレイチェルに支えられ立っていた。顔色は、化粧を施してていても真っ青で、衰弱しきった彼女はほとんど肉のついていない痩躯な体つきをしていた。
こんな体でここまで馬車に乗ってきてくれていたのか…。一体どんなにも体を酷使したことであろうか。体力に限界は来ていないのだろうか。
反対を押し切ってまで王都まで来てしまった申し訳なさと、それでも尚、血のつながらない娘の晴れ舞台を見に来てくれた彼女の優しさに、ルナの視界はゆっくりとぼやけていく。
「もう、どんどん綺麗になって…」
そっとルナの美しい艶やかな黒髪に触れる。その手は驚くほどの冷たかった。だが、そのヒヤリとした冷たさの中にわずかな義母の心の温かさを感じた。「よかったわ。卒業まであなたの成長を見届けることができて」
「お義母さん、ごめんなさい」
何に対して謝ったのか自分でも分からなかった。
反対されたのに、領地から離れたこの学院に来てしまったこと?
婚約を嫌がったこと?
自分の事しか考えていない我が儘な性格のこと?
どれほどの負担をその弱り切った体にかけてしまったのだろう。どれだけ心労をかけたのだろう。自分を引き取ることさえしなければ、義母はもっと元気に暮らせていたのかもしれないのに…。
思いつくこと全てに対して謝罪した。恩を仇で返してしまった自分のすべての日ごろの行いを悔やんだ。
エミリアは何も言わず、やせ細った腕でルナを抱きしめる。力なんてなかった。
- あぁ。もう義母は長くないのだ…
それは毎年領地に帰省する度に感じていた。それなのに、自分の卒業パーティーなんてちっぽけなイベントの為なんかに、彼女の大事な体力を消耗させてしまった。謝っても謝り切れない。
「夕食は食べれるの…?」
言葉に出せたのはそれだけだった。
義母は優しく首を振る。
「お母さん、今お腹減ってないから大丈夫。お薬を飲んで、明日に備えて早めに休ませてもらうわ」そしてルナの額に優しい口づけを落とす。「卒業、本当におめでとう」
レイチェルに連れられ、義母は先に部屋へと向かう。その足取りは大変重く、たどたどしいものだった。
そして、その後ろ姿をルナは悲し気に見つめていた。
*****
夕食の席に着き、辺りを見渡す。レイはまだ帰宅していなかった。嘘つきだ。夕食までにかえると言っていたはずなのに。
なので夕食は結局、普段と変わらず義父と二人だけのものとなった。
「旅路中、お母様の体調は問題ありませんでしたか?」
「大丈夫だよ。少し疲れただけだろう」
左眉を少し下げながら父はそう答える。
ああ、嘘だな。ルナはそう理解した。
例え血がつながっていない親子でも、もう何年も一緒に暮らしているのだ。父の癖くらいすぐに分かる。
明日の自分を気にして義母の体調の嘘をついた。恐らくかなり悪化している。ああ、やはり義母には領地でゆっくりしてもらうべきだった。
「エミリアはとても楽しみにしているんだ。たからルナがそう気落ちすることはないよ」
義父は優しくルナに笑いかける。そんな優しさが今の彼女には少し痛かった。
「そういえば、先ほど耳に挟んだんだが、今日、ロングベルト公爵家のご子息が来られたそうだな。明日の卒業式のお祝いに」
「ええ。素敵なアクセサリーを頂きました」
「それだけだったのか?」
「ええ」
ルナは首をかしげる。義父の反応を見るに、もしかしたら彼がここに来たのは何か別の意図があったのかもしれない。「色合い的にはドレスにお世辞にも似合うものとは言えませんが…。せっかく頂いたものなので、あの贈り物を身に着けて明日のパーティーに出席しようかと…」
グレイグの事を思い出したルナは複雑な気持ちに包まれる。
彼とは結婚したくない。でも、義母には生きているうちにウエディングドレスの姿を見せてやりたい。だって昔からルナのその姿を見たいとよく言っていたのだから。自分ができる最初で最後の恩返しになるかもしれない。せめて、義母の生きがいだけでも叶えてやりたい。それが例え自分の望む結果のものでなくても。
「いや」義父はフォークを置いて、否定する。その声にルナは現実に引き戻された。「実はね、我が家でも用意しているものがあるんだ。レイが今日持ってくる予定だったのだが、何か急ぎの用事でもできたのかな?まあ、ロングベルト家のご子息には私から後日断っておくから、それをつけていきなさい」
本当にいいのだろうか?揺れる目で義父の瞳を見るが、父のブルーサファイアの瞳からはその真実が読み取れない。
「大丈夫。それにレイがリメイクさせたとはいえ、それはエミリアからのプレゼントでもあるんだ。彼女がどうしてもルナに、と希望したものだからね。まあ、グレイグ君からの贈り物はデビュタント・ボールにでも身に着けていけば、公爵家の顔も立てられるし。グレイグ君に仕立ててもらったドレスに合わせた方が、アクセサリーも喜ぶだろう」
義父は自分自身に説得するように話していた。それにしても、義母からのプレゼントなんてどういう事だろう。疑問に思ったものの、義兄が義母の思い出の品をリメイクしてくれるなんて…。ダブルで嬉しい!胸が高鳴る。
「それにしても…レイの帰宅はまだなのか?」父は時計を一瞥し、扉近くに待機している執事のベンジャミンに問う。「本当はデビュタント・ボールの前夜にと思っていたんだが、エミリアと相談して今日ルナに渡したいものがあるんだ」
何のことだろう?ルナは首をかしげる。
「アルフォンスの形見だよ。あとで私の書斎に来てくれないか?ベンジャミン、食後の紅茶はそっちに用意してくれ」
”アルフォンス”
ルナ父親の名前。
この名を聞くのは実に何年ぶりのことだろうか?
そして彼の形見とは一体なんなのだろうか?
ルナは好奇心を胸に抱いて義父の後に続き書斎へと向かう。
何故義父が今になって形見を渡すなんて奇妙なことを言い出したのか…。そんな疑問には蓋にして。