01. 再び王都へ
「最近ハンナさんと何かあったのですか?」
「あら、どうして?」
「お二人の仲が以前のそれとは異なるような気がして…」
デビュタントボールまであと数日。
今マリアンヌはティエラと共に王都へと向かっている。サリーさんに仕立ててもらった数着のドレスと共に先に出発したハンナの後を追うように。
確かにティエラの言う通りハンナの私に対する態度はあの日以降、まるで人が変わったかのようにガラリと変化した。あからさまに私を避けた態度を取ったり、睨むような視線を飛ばしたりすることは無くなった。その代わりに、ティエラの手が空いていない時は彼女が私の世話係に進んで買ってくれるようになったし、世間話なども普通にするようになった。兎に角、二人の距離はぐっと近くなったのだ。そしてそんな侍女頭の態度の変化が他の使用人たちの心境にも影響を与えたのだろう。彼らの態度もいつしか冷ややかなものではなくなり、むしろ心地よいものに変わっていった。
マリアンヌにとっては嬉しい変化だった。
けれども、急に距離を取られ避けられるようになったかと思えば、見知らぬ間に他の使用人とのわだかまりは解かれ、普通に仲良く会話しているマリアンヌ。
ティエラの立場に立って改めて考えてみれば、そんな急な周りの者たちの変化、何があったのかと不安にもなるだろうし、気分が良いものではないな、と今になって思う。
私はティエラにただただ嫉妬していただけ。そしてそれがたまたま運よく転び、ハンナと二人きりで話せる機会があって、全てではないだろうけど彼女が私を理解してくれただけ。
そう、私は単に運が良かっただけなのだ。
けれど、そんな事当然ティエラの知る由もない…。
「そうね。少しお互い慣れて来たからじゃないかしら?」
かといってなんて答えるのが正解か分からず、ついつい無難に返事を返してしまう。
ティエラは案の定、納得していない顔つきをしている。
「奥様はこの国が好きですか?」
「??どういう事?」
「私、分からなくなってきたんです。本当に彼らが悪人だったのか…。心の底から恨んでいたはずなのに…」
彼女の故郷のことを思うと、私だって胸が張り裂けるような痛い思いを感じる。でもルナとして、彼女の王国に対する気持ちに変化が表れてきたことは少し嬉しくも思う…。
「どうしても辛くなったら、帝国に帰国しても問題ないのよ…?ティエラは私なんかより、もっと自分を第一に考えて。ここまでついてきてくれただけで、もう充分私は感謝しているんだから…」
それ以上、ティエラは何も言わなかった。ただ寂しそうに、微笑み返してきただけだった。
*****
数ヶ月ぶりのフローレンス家のタウンハウス。
相変わらず、お義兄様は滅多に屋敷には戻っていないようで不在のまま。一方で、使用人たちはいつ帰ってくるか分からない主人の為に忙しなく働いている。
再び戻ってきた自室の窓を開け、外の喧騒に耳を傾ける。
馬車で大通りを通っている時にも感じたのだが、以前来た時よりも王都にはずっと多くの人で溢れていた。至る所に屋台も出ており、街全体が人々の笑い声で活気づいている。
デビュタントボールが近いからなのかしら?
帝国では夏の暖かい季節に行われるとても厳格な式、デビュタントボール。王国でも意味は同じはず。
ただ一点違うと言えば、王国全土から集まってくる貴族の新成人たちを祝うもの、ということに加え、社交界シーズンの始まりを告げる舞踏会でもあるという事。
帝国のそれとは全く違う催し物のよう、まるでお祭りみたいだ。貴族だけではなく、平民たちも同じようにお祝いするなんて、やはり異国の地に来たのだと実感する。
「気になりますか?」
外の声を聞いていたマリアンヌに声をかけて来たのはハンナだった。
「ええ。こんなお祭りのように祝うとは思わなかったの」
「帝国と異なりますか?」
「ええ、とても…。私の国ではもっと厳格に、神聖な式として祝うものだから…。だから平民貴族関係なくお祭りのように盛大に祝うなんて…。おもしろいわね」
「六年前、ルナお嬢様が王都に来られた最初の年なんですけど、同じようにかなり驚かれていました。まぁ当時はその後、お友達と毎年外へ出かけられて、楽しそうに過ごされていたんですけどね」
「そうなの…」
抜け落ちた記憶の中のルナの話。
けれども何故だが全くピンとこず、まるで他人事のようにしか聞こえない。
「ずっとお聞きしたかったんですけど、奥様のお心はマリアンヌ王女様でいらっしゃるのですか?それともルナお嬢様で?」
「そうね…。どちらも、が私の答えかしら」難しい質問だな、と思う。だって、自分でも良く分からないのだ。けれど、もしどちらか一方を選ばないといけないのならば…。「だけど、右も左も何も分からず真っ白だった私を助けてくれたのは、誰でもない、ソフィアお姉様なの。だから、お義兄様が、ハンナが、このお屋敷の皆が大好きだけれど、やっぱり私は帝国の王女マリアンヌ。お姉様を裏切ることなんて絶対にできない。私自身、これからもルナとしてではなくて、マリアンヌとして生きていきたいの。変…かしら?」
「そうですね…。お嬢様はいつでもレイ様が何よりも一番でしたから…」
少し寂しそうなハンナの声。
「でもね、一方でルナの気持ちも大事にしたいのよ。だって、ここに嫁いできた私にルナの記憶があるって何か意味がある気がしてならないから…」
「そうですか…。でも、奥様?あれから私、考えが少し変わったんです。どんな形であれ、お嬢様が戻ってきてくれたことが。それが何よりも一番なのだと。ですから、今目の前にいる奥様に私は精一杯奉仕させて頂きます」
*****
その夜。やはり、というかなんというか、お義兄様はお屋敷に帰ってくることはなかった。
いつものように一人寂しく夕食をとり、誰に見せるわけでもないけれど念入りな湯浴みをすませ、ティエラに手伝ってもらい寝衣へと着替える。
「奥様はそれでも耐えるのですか?」
「なにを?」
「あんまりじゃないですか?初夜も共に過ごさない。折角日にちを跨いで王都へ来ても、あの男は奥様を一人きりでお屋敷に放置…」
ティエラが私の代わりに義兄の無礼な行為に怒ってくれている。
心温まる嬉しい発言。けれども、初夜という響きに一人顔を赤らめてしまうマリアンヌ。
ソフィアお姉様に教えてもらった夜の作法を思い出す。お義兄様と何もお洋服を着ないで一夜を共に過ごすなんて、絶対に無理無理無理!恥ずかしさとか羞恥で、心臓が飛び出て死んでしまうかもしれない…。
「帝国に本当にちゃんと報告されていますか?おかしいですよ、こんな…こんな仕打ち…」
言葉を紡ぐティエラは涙声だった。
彼女が私の事を真剣に考えてくれているのにも関わらず、一人妄想に耽っていた自分が少し恥ずかしい…。
でも、ルナの記憶があるから分かるの。お義兄様が意固地になっているときは、どんなに周りがどう頑張ってもその気持ちを曲げることがないってことを。時が解決するまで、その時までずっと待っていないといけないの…。
「旦那様は奥様を一体何だと思っているのでしょう!?こんな…、まるで人形みたいに…。こちらが歩み寄ろうとしても、向こうがその気なら…」
マリアンヌはそっと立ち上がってティエラを優しく抱きしめる。
なんでこんなに心優しい子に私は嫉妬していたのだろう。こんなに私の事を一途に想ってくれているのに…。
「ティエラ。ありがとう」
ティエラの肩は震えていた。




