11. 二人だけの秘密【side of ハンナ】
『私、ルナ。ルナ・フローレンスの記憶があるの。ここにいればあなたと話が二人きりで話ができると思って…』
嘘だとしたら?冗談だとしたら?
もしそうであるならば、許しがたい。そんな奥様の発言。
どこか頭でも打ったのだろうか?それとも何か変なものでも口にした?或いは極度のストレスで気がおかしくなってしまったのだろうか?
少し奥様の体調を気にするハンナ。
けれども目の前にいる女は表情を崩さず、じっとこちらを見つめたまま。そのポーカーフェイスからはなんの感情も読み取れない。
もしかしてドッキリ?手の込んだ、度が過ぎた悪い悪戯??
そうではないと薄々分かっていたが、念のため後ろを振り返る。
案の定、やはり誰もいない。ここは私とこの女、二人きりの空間。
真偽はともかく、こんな発言をして私に一体何を求めているのか…。一体どうしてほしいのか…。彼女の意図するところが読めない。
だから困惑し、探るように再度女へと強い視線を送る。
だがそれでもまだ崩れることのない彼女のポーカーフェイス。
なぜ何も言葉を発さないのか。本当に女の意図がつかめず、余計戸惑ってしまう。
両手に持っていた掃除道具を床に置く。そして頬を引っ張ってみることにした。
奥様の気が変でないのなら、私がおかしくなったのでは?
夢ではないと分かってはいた。けれどこんな変な発言、夢でないというならば一体何なのか?
簡単に『はい、そうですか』と、信じられるものではないのだから。
「あの…ハンナ…??」
奥様がゆっくり立ち上がる。だが、それと同時にハンナも一歩後ろへ下がる。
だって、怖いんだもの。目の前の女が得体の知れぬモンスターのようにしか見えない。
何を企んでいるのか?けれど、後ずさりをする私を見て、眉を下げ、本当に悲しそうな表情を浮かべる奥様。
いや、でも普通に考えてよ!?
他人の記憶があるって一体全体どうことなの!?
しかもルナお嬢様のものとか…。嘘でも、仮に本当だとしても全く信じられないし、正直信じたくもない!だって、貴女はルナお嬢様の仇敵なのよ?被害者の記憶が加害者側に受け継がれているって…。そんなこと…そんな馬鹿なこと…。
でも、仮に奥様が嘘をついていたとしたら、それこそ一体なんの利益が彼女にあるのか?甚だ疑問である。
一方で…。残念ながら、もしこの女が言っていることが本当だとするならば、自分の中で腑に落ちる点がいくつも存在してしまうのだ。
例えば、今私たちのいる隠れ部屋のツリーハウス。
なぜこの場所を奥様が知っているのか。例え、私を尾行しこの場所を以前から知っていたからだとしても、私ですら知らないルナお嬢様の金庫のカギをどこからか見つけ出して、実際に金庫に収められていた日記を読んでいる。私だって血眼になって何度も何度も探したのだ。けれども何年間も見つけられなかった。彼女が実際にお嬢様の記憶を辿り、鍵の隠し場所を知りえた、という事でもなければどうも説明がつかないのだ。
ふと彼女がこの屋敷に来た時のことを思い出す。
そういえば、最初に彼女が私を見た時…。
『ハンナ、ごめん。変な夢を見てたみたい。水を一杯くれる?』
何故一目見ただけで、私の名前が分かったのか。あの時も疑問に思った。
だけど、帝国で予め使用人の情報などを含め、このフローレンス家について学んでいた可能性は十分にあった。だから、勉強熱心で記憶力の良い王女様なのかもしれないと、違和感に蓋をしたのだ。
そういえば、あの後…
『ハンナ、ふふ。奥様って…』
なぜ、〝奥様〟という単語にそんなに恥ずかしがって、顔を赤らめるのかに対しても不思議に感じたし、
『ハ、ハンナ!?どうしたのその髪!?何で?何があったの?』
私が髪を切ったことを知っていたことにも不審に思った。
そんなことまで学ばれたのかと、どれほど調べつくしたのかと、感心より恐怖が勝ったことを覚えている。
一つ何かを思い起こせば、他にも彼女に対して感じた違和感が山のように出てくる。
食事をするときに顔にかかった髪を上げる仕草。
いつもぼんやりと外を見るときに座る定位置。
デザートが足りないと席を立たなかったこともあったし、
逆にルナお嬢様の好きなアレを所望したときもあった。
どこか似ていると思ったことは他にも沢山ある。でも、きっと思い過ごしに違いない。お嬢様を恋しく思いすぎてしまった故の幻想なのだと、違和感に蓋をして、見て見ぬふりをしていた。
なのにこの女が変なことをいうもんだから、あの時感じた少しの違和感たちが、もしかして…と彼女の発言に信憑性をもたせてしまう。
どうしよう?一度沼に入り込んでしまうと、なかなか抜け出せない。
「やっぱり…そうよね…ティエラもあり得ないって笑ってたもの…。急にそんなこと言われて信じられないわよね…」
そうよ。信じたくないの。でも、そんな悲しそうな顔で言わないで。
辛いときに指をもじもじと弄る癖は、私の愛しているお嬢様と同じなのだから。
でも、もうこんなに似ているのなら…。真偽はともかく私自身を納得させるためにも…。
だから意を決して一つ質問してみることにした。
「お嬢様のお好きだったお料理は?」
私の返答にあからさまにほっとした顔を見せるマリアンヌ。
「お義母様の作ったチェリーパイ。お義兄様にも懐かしんでもらえると思って、あの日デザートにと出してもらったのだけれど…」
まぁ、これは知ってるか…。
確かにこの女の言う通り、旦那様と一緒に外出されていた日のディナー。この夕餉の時間に、ティエラを通して王女から【チェリーパイをデザートに】と、所望があったとコックからの情報も上がってはいたし…。
「お嬢様の将来の夢は?」
二つ目の質問に奥様は少し考え込む。しかし、揺るぎない眼差しでこちらを見て答える。
「お義兄様のお嫁さん…」
エミリア奥様には外では【素敵なお嫁さん】と話を濁すように言われていたはず。にも関わらず、この答え。信用していいのかまだ分からない…。ただ単に帝国で集めたルナお嬢様の情報から推測されたものかもしれないし…。
ルナお嬢様と私だけの二人だけしか知らない話…。
ふとあるものが頭をよぎった。
これはわざわざ王国に嫁ぐからと言って知らなくてはいけない情報ではない。むしろ知る必要もないこと。
「私の将来の夢は覚えておられますか?」
この侯爵家に嫁ぐのに、一使用人の将来の夢なんて知る必要がないから…。
最後の質問。それは私、ハンナの夢。昔お嬢様とこのお部屋で秘密を披露しあった時の大事な思い出の一つ…。
でも、聞いて少し後悔した。
だって、もし目の前にいるこの嫌いな女が答えられたら?それこそ、本当にルナお嬢様の記憶を持っていると、裏付けすることになるのでは?
彼女の回答を知りたいような、知りたくないような…。複雑な思いが交差する。
「二つあるのだけど、どちらなのかしら?」マリアンヌは左手を顎に添え少し考える。「レイチェル、あ、ハンナのお母様のような立派な侍女頭になりたいってこと?それとも…お嫁さんに…。ネスミ…」
「あああああああああ」
急いでマリアンヌの元へ駆け寄り、両手で彼女からそれ以上彼の名前を紡がれるのを防ぐ。
まさか王女さんが彼の名前を知っていたとは思わなかったから。だってまだ奥様は彼に会っていないはず!それなのになぜその名を?
それに、初心な私はその名前を耳にするだけでも顔から火が出そうになるくらい恥ずかしくなる。
「本当に?本当ですか?」
顔があげられない。だってどんな顔をして王女さんを見ればいいのかもう分からないんだもの。
顔も、髪の色も、瞳の形も…。背丈だって、彼女のつけている香水の匂いだってお嬢様と全く違う。
だけど…。少しの仕草が、口調が、笑い方が、そして二人だけの思い出が…。
だから…。でも期待していいの?本当に?本当に?
もう、彼女が敵国の人間だとか、お嬢様の敵の相手だとか、もうどうでもいい。
だって、また、会いたかったもの。また話したかったんだもの。
あの日、笑顔で送り出したお嬢様ともう二度と会えなくなるなんて思ってもいなかったから。
もし再び会えたなら、話したいことも、言いたいことも、たくさんあるの。
「し、んじて、くれるの?」
たどたどしい声が頭上から聞こえてくる。
でも、私は言葉を発することができない。何か喋ると熱くなった目頭から何かが零れ落ちてきそうで。だから代わりにコクコクと頭を揺らす。
だって、彼のことを好きだって、彼のお嫁さんになりたいってことを知っているのは、後にも先にもルナお嬢様だけ。お嬢様だけにしか話していない二人だけの秘密の話。
これで信じない、っていう方が無理あるわ。
「ハンナ、お願いがあるの…。私、この屋敷を離れてからの王都で過ごした四年間の記憶がないの…。だから、記憶の欠片を取り戻すお手伝いしてくれないかしら?」
何で記憶がないのか。
この時の私はお嬢様とまた話せることに喜んで、あまり深く考えずに、頭を縦に振ってしまった。




