08. 私のドレス
『チェリーパイはもう出さないでくれ』
『??』
『金輪際、封印するんだ。甘いものは』
そう言い切るお義兄様の声は苦しそう。
『何で?甘いもの好きでもいいじゃない?何で封印する必要なんてあるの?』
『あのな…。それだとナメられるんだ』
『誰に…?』
『……』
何でお義兄様は甘いものを封印したんだっけ?あんなにも大好きだったのに…。
記憶が戻っても、同じようにすぐに消え忘れてしまう思い出たちが悲しい。
*****
【サリーの仕立て屋】
「あ、ここ…」
お義兄様が連れてきてくれ場所。それは見覚えのある一軒の小さなお店。
見覚えはあるけれど、何か記憶とは異なるような…?
「ここはウチが代々贔屓にしている仕立て屋。王女さんならもっと華やかなお店が良いかもしれないが、この…」
何かを語りだしたレイの話を無視して、マリアンヌはそのままお店へと足を踏み入れる。
チリン
優しい鈴の音と、独特な新品の布の匂い。
- あら?ここって…。お店の外観が少し新しくなったような気がするけれど、よくお義母様と通った…
「いらっしゃいま…あら?大変ご無沙汰しております。領主様」
記憶と同じくさっぱりとした声で接客する女性。お針子のサリー。
「ご無沙汰しております。こちらは、妻のマリアンヌ」
「へへへ」
軽く手を挙げ簡単な挨拶の後、義兄にそう紹介された。〝妻〟という甘い響きに、少しこそばゆい感情が胸をくすぐる。
挨拶も忘れて一人頭を掻きながら照れているものだから、サリーに、「まぁ、可愛らしいお嫁様なこと」と笑われてしまった。
「それにしても体調はもう大丈夫なのですか?結婚式も出来ないほどに酷いと伺っていたもので、少し寂しかったんです…」
「今はもう十分回復したよ。心配かけてすまない。それに結婚式は内々で済ませたんだ。体調を考慮してね。ほら、何かあったらあちらの国に顔向けできないだろう…?」
ニコっとした笑顔でサリーにスラスラと嘘を話す義兄。けれど、その笑顔に悪寒が走る。だって、口元は笑っているのに、目は全く笑っていないんだもの。初めて見る義兄の奇妙な表情。
- な、何!?なんなの、その気持ち悪い笑み!?
固まるマリアンヌに、肘でコツコツ体をつついてくる。上を見上げるとレイは口パクで『あ・わ・せ・ろ』と合図を送ってきていた。
しょうがないからマリアンヌも引きつった笑顔で言葉を紡ぐ。「体調は随分と回復いたしました。お優しいお気遣いに感謝申し上げます、サリーさん」
「そうですか…」絶対に納得していなさそう。サリーの面持ちは少し怪訝。「それにしても、領主様がこちらに戻られているなんて大変珍しいですわね。今日は挨拶まわりで?」
「まぁ、そんなところかな。妻の姿を見せていないと、監禁しているとか変な噂が立ちそうだったんでね」
- 今お義兄様がしているのは〝軟禁〟よ
心の中で訂正する。
それにしても、領主にも関わらず領民に驚かれるほどこの土地に戻っていないだなんて…。お義父様でも定期的に本邸に帰省していた記憶がある。お義兄様ってそんな責任感の無い人だったかしら?とふと疑問に思う。
「あっ!私ったら大変ご無礼なことを!失礼いたしました。どうぞどうぞ、奥へお入りください」
両手を叩き、はっとした声を上げるサリー。
「あ、私は他に寄ることがあるから。結構」旦那様は店の奥に入ろうとせず、馬車を指さし戻るそぶりを見せる。「悪いが、サリーさんが妻に合いそうなドレスを見てやってくれ。一時間ほどしたら戻るから」
「こちらで数点奥様と見繕わせて頂ければよいのでしょうか?何かお色に指示とかございますか?」
「妻が好きなもので構わないが…。あ、ウチの家系色で何着かは頼む。デザインは妻と…」
「いいのですか?」
「「え?」」
レイの言葉にマリアンヌは率直に疑問を呈する。
だって、ルナであった頃許されなかったから。銀の刺繍が入ったフローレンス家の家系色である瑠璃色のドレス。お義母様もまだ辛抱だ、とばかり言って、一度も首を縦に振ってくれることのなかったそのドレス。
「もちろんじゃないですか」サリーの驚く声に何故かマリアンヌの心は少し傷つく。「王女様はフローレンス侯爵様の奥様でいらっしゃいますもの」
チクリ、と胸に針が突き刺さるような痛みを感じる。
なぜ傷ついたのだろう?ようやく、念願のドレスの許可を貰えたのにも関わらず…。
今にして思えば、きっと、心が通じ合っていなくてもフローレンス家の家族として認められたマリアンヌと、心が通じ合っていたのにも関わらず、家族として認められることのなかったルナ。その理不尽さに傷ついたのだ。そのことがただただ悲しかったのだと思う。
*****
「奥様、お疲れ様でした。全て終わりましたよ。まずは、直近の舞踏会用に至急で数着ほど直ぐに仕立ててお送りしますからね!」
サリーの声に力なく頷くマリアンヌ。
帝国ではいつも用意されていたドレスしか来たことがなかったから、こんなにも洋服選びがしんどいものだったとすっかり忘れていた…。体の採寸に、生地や、色、そしてドレスの型選び。一時間なんてあっという間に過ぎていった。
「これで暫くは大丈夫かしら?」
「そうですね…。帝国からどれほどのお洋服をご持参なさっているか存じ上げませんが、ドレスは沢山あっても困るものではないですよ」
「そうね…」ニコニコ微笑みながら話すサリーに力なく笑うマリアンヌ。
「その時は是非、ウチをご贔屓ににしてくださいね」そう言ってマリアンヌが選んだドレスのデザインや生地をサリーは再度確認する。「ふふふ。それにしても、奥様の好みはなんとなく分かるようになってきましたわ」
「あら?そう?」
「はい。なにせ、私の知り合いの子と好みが大変似ていらっしゃいますもの」
「あらそうなのね?その方と私、友達になれるかしら?」
「ええ。きっと」サリーは少し寂しそうな表情を浮かべている。
「??」
「さて、次回からはご用命の際は何なりとお申し付けください。私がお屋敷にまでお伺いさせて頂きますので!」
「あら、そう?とても助かるわ。ありがとう。今度はそうさせて?」
サリーと他愛ない話で盛り上がっていたら、お義兄様が本当に一時間後きっかりに現れた。再度サリーにお礼を言ってお店をでる。
- そういえば、私と好みが似ている方の名前を聞きそびれたわ…。まぁ、今度聞けばいいか
*****
「次はアクセサリーだな」宝石店をいくつか梯子し、「次は靴屋」そうお義兄様に言われるがまま色んなお店へと足を運んだ。馬車に乗ってはまた違うところへ、と、お義兄様に連れまわされるように半ば義務的に一つのお店だけでなく、何店舗も回った。
ずっと屋敷の中で籠っていたマリアンヌにとって、これはとても体力的に堪えるものだった。いくら長時間歩く必要がなく、荷物は持つ必要がないと言っても、馬車の乗り降りを繰り返すだけでも、意外と足には堪えるものだし、マリアンヌとして初対面の人たちと話すことは思った以上に気も遣うものだった。
加えて、お義兄様の機嫌を損ねたくて、そこにも気を遣っていたから。
だって、折角のお義兄様とのデートだし、今回の外出は領民たちへの私の顔見せだって兼ねている。できるだけたくさんの人に私を紹介したいとお義兄様は考えているに違いない。だから、疲れた、だとか、靴擦れだ、とか文句を言って、その思いを無下にもしたくなかった。
そんなこんなで、時間はあっという間に過ぎ去り、いつの間にか周りの景色は赤い夕焼けで包まれていた。
「これで十分だと思うが、他に行きたいところはあるか?」
ぴょこぴょこと足を引きずりながら、マリアンヌはレディーファーストを知らないお義兄様の後に続いて馬車へと乗り込む。
「あの…お時間がまだあれば、でいいのですが…」
冷たい表情を浮かべているお義兄様に、マリアンヌは恐る恐る記憶の中で微かに覚えているあるお菓子屋さんを口に出す。
「よくそんなマイナーな店知ってるな?」
少し驚いたお義兄様の顔。
当たり前だわ。だって、そこは私とハンナとお義兄様と三人で、昔よく隠れて行った思い出の場所だもの。
【ドゥルセリア】
ここは、お義兄様が幼いころに夢中になっていたあのお菓子が売っている唯一のお店。
マリアンヌは世話になっている使用人たちへと感謝の思いを伝えるためにお菓子を買いたい、と義兄に説明しこのお店まで馬車を回してもらった。
ティエラがこっそりと持たせてくれた少しの金貨たちがある。いくつかさっと選定し、お目当てのものも含めて買い物をすましたマリアンヌは颯爽と馬車へと戻ってきた。一つのお菓子だけ、こっそりと胸に抱えて…。
帰りも静かな道のりだった。
赤い夕陽がお兄様の白銀の髪を薄いピンク色に染めている。
話しかけたいけれど、話しかけるな、の雰囲気がヒシヒシと伝わってくる。でも、渡さなきゃ…。
「旦那様…」お義兄様をそう呼ぶのはまだ慣れないし、とってもとっても恥ずかしい。でも、今ならこの赤く火照った頬も夕陽が消してくれる。「今日はありがとうございました」
そう感謝を述べるとともに、ソレをお義兄様の胸元に押し付けるようにして渡す。
「??」
困った義兄の顔。そういえば、まだ記憶が戻ってからというもの義兄の笑顔を見ていないな…と思い返す。
「先ほどのお店で可愛かったもので…」
お義兄様が昔好きだったの、ちゃんと覚えていたのよ?
本当はそう言って褒めてもらいたかった。でも、急に私がそんなこと言ったら気味悪がられるに決まっている…。だから可愛い嘘で誤魔化すことにしたの。
さくらんぼの実が二つ仲良くくっついている、ハートの形をしたチェリー飴。
いい大人が貰うような立派な贈り物ではないけれど、お義兄様が「ありがと」と言ったとともに、ほんの少し口角が上がった気がしたから、間違いではなかった、とほっと胸を撫でおろす。
- 私、マリアンヌとして少しお義兄様と近づけたかしら?
「あの…もしよろしければなんですが…」
今なら少しの勇気が私の背中を押してくれる気がする…。
「今日、一緒に夕食はいかがですか?いつも広い部屋で一人は寂しいので…」
行きと違い、もうお義兄様の顔なんて見れなかった。答えを聞くのが怖かったから。折角良い雰囲気になったのに、断られてしまったらどうしよう?スカートの裾をぎゅっと握りしめ、皺になった部分を凝視していた。
たった数秒の沈黙が途方もなく長い時間に思えてしまう…。
「ああ」
ぶっきらぼうで、ほとんど聞こえない低い声。けれどたったそれだけの返事でも私の心は踊った。単純だと自分でも思う。でも、お義兄様が少し心を開いてくれたことが、何よりもとても嬉しかった。




