02. 家族の行方
『眠れないの…』
暗くなると思い出す。パパが迎えに来なかった時のことを。
『じゃあボクが眠れるまでルナと一緒に添い寝してあげる』
お義兄様はいつも優しかった。
『ねぇ、おにいさまはどこにもいかない?』
『もちろん。ずっとずっとルナの傍にいるよ』
もう二度と家族を失う悲しみなんて知りたくなかった。
*****
「やっぱりね、夫婦は一緒に暮らすべきだと思うの」
パリン
ドボドボドボ
マリアンヌのまさかの発言に昼食の準備をしていたティエラは皿を落とし、飲み物を注いでいたハンナはこちらを見たまま注ぎ続けるものだから、コップから液体が溢れ机へと零れていく。
「奥様!?えっ?あの旦那様ですよ!?」
ティエラの声にフフと笑うマリアンヌ。
「えぇ。でも、普通の夫婦は一緒に暮らすでしょ?私何かおかしいこと言った?」
朝食後、見慣れた屋敷を見て回りながら思っていた。
やはりどこもかしこも、自身の記憶とほぼ全く同じ風景。景色と共に思い起こされる懐かしい思い出たちは見知らぬ他人の記憶なんかではない。自分自身が見聞きし、感じたかけがえのない思い出なのだ。例えティエラにそうではないと否定されたとしても、私はルナの生まれ変わりに違いない。
だが一方で、なぜ自身に二人の人間の記憶があるのか分からなかった。それも近しい年代の二人。
頭をひねり、考えてみる。
マリアンヌとして思い出せるのは、高熱から目覚めた後の数年ほどの少ない記憶。
一方で、ルナとしての記憶の中で足りないもの。それは、孤児院以前でのパパと過ごした思い出と、タウンハウスで過ごし、命を落とすまでの四年間の記憶だけ。
高熱前の記憶や、幼い頃の記憶は興味があるけれど、これらの記憶はどれだけ努力しても回復することはなかった。でも、もしかしたら…。比較的新しい記憶、ルナが王都で過ごした日々の記憶は戻る可能性があるかもしれない…。
だから、マリアンヌはタウンハウスにもう一度戻りたかった。自身の欠けた記憶のピースを取り戻すために…。
それに、このまま一人で屋敷内にずっと籠っているのも嫌だった。それならば例えお義兄様に冷たくあしらわれようとも、同じ空間で一緒に過ごす方が良い。目の保養にもなるし、大好きな人と同じ時を過ごせるのだから…。
なのに、二人の侍女は猛反対してくる。
「なりません。また奥様のお心が傷つきます!」
お義兄様と初めて交わしたあの夜の会話の事を言っているのだろう。
確かに、馬車の中でかなりティエラに愚痴ってたものね、私…。
『あのシスコン男めー!!!』
みたいなノリで。って、シスコンって。ヘへヘ。照れるっ。
急にデレデレと一人にやけるマリアンヌにティエラはぎょっとした顔をみせる。
「なりません。また倒れられたらどうされるのですか?奥様は帝国からの大事なお客様でもあるのですから!!!」
そうハンナも重ねて拒否をする。
客、という単語に引っかかるものを感じたものの、確かに一理ある。本当はすっかり健康体であるのだが、実際に初日に意識を失ってしまった前科があるのだ…。まぁ、そのおかげでルナとしての記憶の一部を取り戻すことができたのだけど…。
思った以上に二人に大反対されて少し不貞腐れるマリアンヌ。
- 少しでもお義兄様と一緒にいたいのに…。それにもしかしたら、一緒に過ごすことでお義兄様は気づいてくれるかもしれない。私がルナだという事を…
「まだ領地の視察もできていませんし、ご一緒に暮らされるのは、もう少し後にでも良いのではないでしょうか?」
「奥様の体調もまだ万全とはいえませんし…」
どうしても私にタウンハウスに行ってほしくはないのだろう。会話したところも、目を合わせた姿を見たことがないくらい、お互い分厚い壁で距離をとっているのにも関わらず、こういう時だけは阿吽の呼吸でちゃっかりと意気投合している侍女二人。
なら、どうしよう?次の策を考える。
- そういえば、なぜお義父様もお義母様も結婚式に参列してくれなかったのかしら?
ルナを殺された恨みで?
でも、そんな私怨で礼儀を欠くような人たちではないわ。
ただ単に知らなかったから?
でも、この結婚は王国も帝国も皆知っている重大ニュースのはず…。
確かティエラの情報では、お義父様は本邸とは別の場所で暮らしているとの事…。お義母様も本邸にいらっしゃらないところを見ると、もしかしたら病状が悪化してあのいつものサナトリウムで療養しているのかもしれない。
会いに行きたいけれど、私の姿はルナじゃない。急に異国の王女に顔を出されても、困らせるだろうし、気を遣わせたりして、余計に義母の体調を悪化させるかもしれない…。
- きっと二人が結婚式に参列できなかったのは、義母の体調が芳しくないからよ…
なら今の私にできること…
そう思ってマリアンヌは考える。
- そういえばこの屋敷に来る途中の荘園。花がひとつも咲いていなかった。確かにもう冬がくるけれど、お母様が戻られた時、もしまた美しい色で彩られた花で迎えられたら?きっと喜んでくれるはず…
そう考えるともうどうしようもないワクワクが抑えきれなかった。
「ティエラ、決めたわ。今私にできること!」後ろを振り向いてもう一人の侍女に明るく声をかける。「ハンナ、申し訳なきけれど、庭師を集めてくれない?このモノクロの荘園を色彩豊かなお庭に戻すのよ!」
「奥様!」
ティエラが強張った声でマリアンヌを静止する声が聞こえる。
「恐れ入りますが、奥様…」そしてハンナは何故か殺気の籠った低い声。「恐れながら、あちらの荘園は亡きエミリア奥様によって管理されておられました」
「え?」
ガツンと鈍器で頭を殴られたような感覚がマリアンヌを襲う。
- 何を言っているの?亡きエミリア奥様って…
時が止まる。できれば聞き間違いが良かった。
だけど、ハンナの殺気を放った表情から、それは聞き間違いでないのだと、本当の事なのだと理解する。
あの大好きな、美しくて可愛い、たった一人のお義母様がもうこの世にいないなんて。
信じられない。ハンナの言葉がどこか他人事のように聞こえる。
「私の一存では決定しかねます。荘園の手入れは一度、旦那様か大旦那様にお声がけしてからにしてはいただけませんでしょうか?」
あまりの衝撃にもうこの日は何も食事が喉が通らなかった。




