01. 私の正体
カントリーハウスに一週間。ようやく医者からの許可が下りて部屋の外へ出られるようになったマリアンヌ。
この一週間は時折くる熱に苦しみながらもベットの上で何度も自分自身について考えていた。二人の人間の記憶、一体どちらが本当の自分のものなのだろう、と。
けれども考えても考えても答えは出てこない。だから、熱が引いたとともに受け入れることにした。
自分はルナ・フローレンスであり、マリアンヌでもある、と。
「ティエラ?ティエラは前世があるかどうか信じる?」
朝餉の支度の為、マリアンヌの髪を結ってくれているティエラ。
- 急にこんな話をして変に思われないかしら?
ドキドキしながら彼女に尋ねる。
「急にどうしたんですか?」フフっと優しく笑うティエラの笑顔にホッとするマリアンヌ。少なくとも気が変になったとは思われていないようだ。「私の故郷では人の前世が見える人はいました。占い師と呼ばれていたんですけどね…。その人が言うには、私の前世は美しい毛並みの猫だったって言ってましたよ?」
「ね、猫!?人間ではないの?」
「ふふ。ずっとずっと昔の南にあるとある国の宮殿で飼われていたそうで、贅沢を知りつくした生意気な猫だって言ってました」
私の記憶の中で一番の笑顔を見せるティエラ。昔の話が楽しいのか、その当時の思い出が心地よいものだったのか分からないが、彼女の笑顔をみるとこちらまで嬉しくなる。
「そうだったのね。前世ってやっぱり存在するんだわ…」
「ふふ。それだけで決めてはいけませんよ。私は前世が猫だったと、信じていませんもの」
「でも占い師のおっしゃったことなのでしょ?」
「だからこそですよ。占い師のいう事ですから本当かどうか分かりません」
「そういうものなの…ね」
二人きりのささやかな女子会。和やかな雰囲気が辺りを包む。
マリアンヌは占い師に会ったことがなかった。だから、占い師の立ち位置も、その者の発言も正しいかどうかなんて分からない。
「あ、でも確か…。嘘か真か、前世の記憶があるって言ってた友人は一人いましたよ」
「えぇ!?本当に!?」
自分と同じ境遇だった人がいただなんて!驚いてつい顔をティエラの方へ向いてしまう。
「ふふ。もう少しだけ我慢してください」そう言って顔の位置を戻される。「私より二、三歳程その人はお兄さんだったんですけど、その人が私たちにいつも言ってたんです。前世の最期の記憶は、焼かれて熱かったことだって。熱い熱いって喉を焼かれていても叫び続けていたら、いつの間にか今の自分に生まれ変わっていたって言ってました。もしかしたらその辛い記憶は前世のものでなくて、未来予知したものだったのかもしれませんが…」
マリアンヌははっとした。そうだ、ティエラの生まれ故郷は…。
「ごめんなさい。辛いことを思い出させてしまったわね」
「いえいえ、全く問題ありません。それより急にどうしたんですか?前世なんて今まで気にされることなかったでしょ?」
「実は…。その…。変に思わないでね?もしかしたら私、前世の記憶があるのかもしれないの…」
マリアンヌは誰かとこの蘇った記憶の事を共有したかった。自分で考えても答えが出なかったから。嘘だと、変な人だ、と思われてももうどうでも良かった。誰かに自分が何者なのかを教えてほしかったのだ。
「私、この家のルナ・フローレンスの記憶があるみたいで…」
しばしの沈黙。だが、ティエラの反応は意外だった。
「それは…。前世とは言わないですよ?」そうマリアンヌに諭す声には冷やかしの感情はなかった。むしろ少し喜んでいるような、不思議な反応。「ソフィア様とご一緒にフローレンス家について熱心に学ばれてましたから。恐らく熱でうなされている時に、その当時の勉強の記憶と混交してしまったのではないでしょうか?」
「…」
違う。そうではない。けれども、どう伝えれば分かってくれるのか。マリアンヌは言葉を探し、しばし口を閉じる。
「それに不可能ですよ?」
「え?」
「同じ魂として生まれ変わるには、ある程度の時間が必要なんです。ルナ様と奥様は同じ時、すなわち同じ時代を生きておられましたので、不可能なんです。ただ…」
「ただ…?」
「奥様は記憶を失う前、〝巫女の力〟を持っていました。もしかしたらその力が戻ってきている証なのかもしれません」
「…?」
「きっと、奥様の本当記憶はそのうち戻ります。もう少しの辛抱ですよ!」
本当に嬉しそうにそう話すものだから、これ以上マリアンヌは何も言えなかった。
*****
朝餉の支度は既にダイニングに用意されていた。
記憶では『おはよう』と優しく義母に毎日迎えられていたのだが、今は誰もいない。広い部屋で一人寂しく用意されている席へ腰をおろす。
食事は卵サンドウィッチとサラダ、そして温かなコンソメスープだった。記憶にある味とは違い少ししょっぱい。隣でティエラが紅茶の用意をしてくれているのだが、食器の発するカチャンカチャンというぶつかり合う音がより一層この部屋が虚しいものだといい表しているようだった。
マリアンヌは考えていた。先ほどティエラに言われていた言葉を。
確かにルナとマリアンヌは二歳しか年齢が違わない。同じ魂で、しかも同じ時代に二人の人間として生きるなんてそんな事できるのだろうか?
ティエラの言う通りきっと、不可能だ。
でも、不可能ならば、なぜルナとマリアンヌの二人の記憶があるのだろう?
これが所謂〝巫女の力〟?
分からない。マリアンヌとしての記憶が少なすぎる。
「奥様?」
ティエラの声に我に返る。
「ん?どうしたの?」
「食事は終られましたが、部屋に戻られますか?それともお屋敷の案内をさせて頂きましょうか?」
「?」
何を言っているのだろう?
「まだ、いつものはちみつ入りのヨーグルトのデザートが来てないわ」
「奥様、すいません…」
ティエラに言ったのに、どこからかハンナがひょっこりと現れた。
「料理人は只今休暇をとっておりまして、今は臨時の者を雇っております。その者はヨーグルトの扱いが良く分からないとのことでしたので、暫くの間ご用意できないそうです。申し訳ありません…」
- あ、だから全体的に食事もしょっぱかったのか…
ハンナの硬い表情に疑問を覚えながらも、マリアンヌは一人呑気にそう思っていた。




