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追伸、愛しています  作者: 聡子
第3章
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05. ティエラとの約束

 「ティエラに何の用ですか?」


 ティエラ!?なぜ?


 心の中では激しく動揺してはいたものの、いたって冷静に問うことができた。

 きっとポーカーフェイスは崩れていない筈。お姉様、ありがとう。


 ティエラに用。それはあの絵が関係しているのだろう。想像に難くない。

 妹君のルナ・フローレンスに瓜二つのティエラ。

 もしかしたら、この男はティエラを妾として囲いたいのかもしれない。

 え?待って。妹君に似ているからだけで?

 この男どれだけシスコンなんだ?


 一度疑問に思うとどんどんあらぬ方向に妄想が膨らんで行ってしまう。


 「王女さんに言う必要が?」


 加え、男のこんな低くて冷たい声を聞いてしまうと、よからぬ考えばかりが頭の中をより一層支配していく。

 この結婚に恋愛感情なんてないのだから、いつかそういう事が起こる可能性はあると理解していた。だから、現時点でもし彼に他に女性がいてもそれは受け入れようと心に決めていた。

 けれど、自分の侍女とそういう関係になるのは言語道断。


 王国にきてまだ二日目。右も左も分からない状態のマリアンヌ。今はティエラのみが自身の心の支えであり、頼みの綱なのだ。



 「私の侍女ですので」


 ティエラに何の用なのか。

 マリアンヌの中には彼女を守ってあげないと、という思いと、彼女を獲られたくない、という気持ちで交差していた。


 二人の間に冷たい空気が流れる。


 そんな二人の息苦しい空気を割ったのは執事のベンジャミンだった。


 「恐れ入りますがティエラさんは体調がすぐれず、休んでおられます。旦那さま、どうか日を改め直してくださいませ」


 執事の声にフンっと鼻息を飛ばして幾人の使用人と共にマリアンヌの前を颯爽と過ぎ去っていく。


 ティエラが変なことに巻き込まれなければいいけど…。


 男の後ろ姿を見ながらマリアンヌは一抹の不安を抱えていた。





*****





 「奥様、おはようございます」


 翌朝朝の準備に迎えてくれたのは侍女のティエラだった。


 「もう体調は大丈夫なの?」

 「はい。ご心配をおかけし、大変申し訳ございません」


 体調のこともそうだけど、マリアンヌはそれよりも聞きたいことがあった。


 昨夜やはり旦那様と話をしたのか?

 それとも、今朝早くに話をしたのか?

 そして、あの絵を、ルナ・フローレンスを一目見て、なぜ涙を流していたのか…。


 ここまでついてきてくれたティエラ。敵国に同行したくない使用人たちばかりの中で、たった一人だけこの土地まで付いてきてくれた。彼女自身もまた王国に強い恨みを持っているのにも関わらず…。マリアンヌは大変感謝している。


 だけど、今となっては、あの時のティエラの言葉が何度も頭をよぎるのだ。そしてそれは昨夜から悪夢のように繰り返し何度も何度も思い起こされる。



 『姫様は別人になってしまわれた』



 以前はどうだったのかは記憶にない。けれども周りのものたちは皆声をそろえて言うのだ。記憶を失ったマリアンヌとティエラの二人の仲は以前に比べ、随分と冷え切ったものになってしまった、と。



 「奥様、心配しないでくださいね」ティエラはマリアンヌの髪を優しく梳きながら話を続ける。「奥様をお守りし、奉仕し続けることが私の任務(・・)なのですから」


 「えぇ…」少し意味深に言葉を紡ぐティエラに何か違和感を感じる。「でも、私たち二人だけなのだし気軽に何でも相談してほしいわ」


 そう言って後悔する。一国の元王女に気軽に相談できる使用人なんて存在しないに決まっている、と。


「私は大丈夫ですよ」

 思った通りの模範回答。だが、そう言って笑うティエラの顔に少し陰りがあったことを見逃さない。


 「でも、この土地には私とティエラ二人だけしか帝国民がまだいないのよ?お互い支えあっていきましょう。私にできることは何でも協力するから…」


 ティエラの手が止まり少し何かを考えているような仕草が目に入る。


 「それでは…。不躾かもしれませんが、一つだけお願いがあるのです。もし可能でしたら、フローレンス前侯爵様と二人で少し話したいことがあるのです」


 「?大旦那様と?」

 ティエラの思いがけない頼みごとに首をかしげるマリアンヌ。一体何の用があるのだろう。


 「はい。失礼を承知の上です。もし難しそうであれば結構ですが…」


 「大旦那様は今は領地でお一人で暮らしていると聞いたわ。向こうに着いたら聞いてみるから、そんなに遠慮しないで」


 「ありがとうございます」


 「でも、何を話したいの?」


 横に首を振るティエラ。

 「申し訳ございません…今はまだ…。ただ…私の中で疑問が膨らんでいて…。その答え合わせをしたいだけなのです…」


 「それは、ティエラの生まれ故郷が関係するの?」


 彼女の育った村は確か…。ソフィアお姉さまに聞いていたほんの少しの歴史の知識。彼女がこの国に対する疑問なんてそれしか思い浮かばない。ただ、なぜ旦那様ではなく大旦那様と話をしたいのか。その謎だけが引っかかる。


 「左様です」その小さな声にマリアンヌは息をのむ。「でももし、奥様の記憶が一部でも戻って、私の〝本名〟を思い出してくださいましたら、そうしたらちゃんと全てお話しますから…。それまでは本当に…」


 ティエラの中で記憶を失う前後のマリアンヌに彼女なりの何か違和感を感じているのだろう。やはり全てをさらけ出してはくれない。

 ただこの土地でのたった一人の味方なのだ。彼女の頼みを断る理由なんてないし、彼女のためになるなら…。マリアンヌはティエラを失いたくなかった。だからその願いを受け入れることにした。


 「分かったわ。もし思い出せたら、約束ね」



 笑顔でティエラにそう告げるも、マリアンヌは少し自分に絶望している面もあった。

 なぜなら何度も何度も記憶を取り戻そうとトライはし続けているのに、一向に戻らない自身の記憶。一向に前進しなくてイライラは募っていくばかり。最近では少し諦めモードに入っていた。


 しかしながら一方で、マリアンヌはこの屋敷にきてから変な期待が新たに芽生えていたのだ。

 自分の記憶は戻らないけれど、他人の声が、誰かの思い出の一部が何度も何度も脳裏に映し出されるのだ。これが自分とどう関係があるかなんて分からないし、自分と全く関係ないのかもしれない。

 けれども記憶をぽっかりと失ったマリアンヌにとってはそんな些細な新たな情報でも何かが前進している気がして嬉しいことだった。






 朝餉に向かうためにティエラにつられ階段を下りる。

 その時、丁度屋敷から出ていくレイ・フローレンスの白銀に輝く髪が視界に入った。



 『おにい様!今日こそは早く帰ってきてね!』



 屋敷にきてからもう何度目かの可愛らしい鈴のような声。


 誰の記憶なのだろう?

 度々耳にし、男を見るときに胸に響き渡る懐かしいこの感情に、マリアンヌは一人困惑していた。

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