01. リーツァン王国
「姫様、ご覧ください。ようやく王国の王都が見えて参りましたよ」
ティエラの声に馬車の窓から外の景色を覗く。そこには美しい赤レンガの街並みがすぐ傍まで見えていた。
我が帝国の緑豊かな街並みとは異なり、まるで絵本の国の中に迷い込んだかのように思えるこの景観。帝国とは異なる人々の活気と都市の街並みに心躍るものを感じる。
王国とは異なる、見慣れぬ帝国の軍服に身を包んだ一行。
王国民たちのなめまわすような視線を感じる。だが、それだけだった。
そしてそれはマリアンヌにとっては少し意外な光景だった。首をかしげて、ぼそりと呟く。
「もっと瓶が飛んできたりとか、怒声や暴動とかで滅茶苦茶な出迎えになると思っていたわ…」
「そんな物騒なこと言わないでくださいよ…」
なぜマリアンヌがこの光景を意外と感じたかというと、遡ること数日前、あれはマリアンヌが帝国を去る日だった。
王宮から旅立っていくマリアンヌ一行に帝国民たちは結婚に対する歓声ではなく、王女への同情の声や王たちの政への呆れ、そして巫女を失うことへの怒りを声高々に浴びせていたから。そして所々では、騎士たちが制止をせねばならぬほどの暴動もあったのだ。
そんな帝国民たちの暴動の声を背に、まるで逃げるように後味悪く出国したものだったから、王国での静かな出迎えに心底驚いたのだ。
- まあ、元敵国からの人質みたいな婚約だし…
自分にあまり興味のない王国民たちのなかで、上手く生活できるのか。マリアンヌは少し不安に駆られていた。
*****
リーツァン王国の城は可愛らしい街並みと打って変わって立派な要塞に囲まれたものだった。
「大きいですね」
「そうね」
「なんだか物々しいですね」
「そうね」
「狙い撃ちされてたら、私たち一巻の終わりですね」
「そうね…」
マリアンヌ一行を要塞の上から見下ろしてくる王国の騎士たちに恐怖を覚えたのか…。その思いを隠さんと、ティエラは饒舌になっていた。彼女の震えが空気を伝ってマリアンヌにも伝染してくる。
例えミカエルを含め、帝国の騎士たちが付かず離れずの位置で守ってくれているとはいえ、ここは敵国。何が起こってもすぐに助け出してくれる人たちなんていないし、王国民が口を閉ざしてしまえば全てが不幸な事故で片付けられる。
- でもこの冷たい騎士たちの視線よりも、何よりも、私には…
この王宮のどこかにいるであろう、自分の婚約者にマリアンヌは今更ながらに緊張し始めていた。
心臓がバクバクと激しく鳴り響く。結婚式をあげたら、この王国の国民となる。分かっているのに、未だ実感がわかない。
「マリアンヌ姫、長旅お疲れ様でした」
スラリとした騎士に声を掛けられ、馬車から降りるよう指示される。そして、「国王陛下のもとへと案内させて頂きます」、とマリアンヌに優しく頭を下げる。
「こちらです」
馬車を降り、ミカエルを含む数名の騎士と侍女のティエラと共に、騎士に案内されるがまま王宮内へと足を進める。コツンコツンと自身のヒールの音がやけに冷ややかに場内に響き渡るのだが、それがより一層緊張感を高まらせるのだった。
*****
案内された先には荘厳で立派な扉があった。
扉の両側で構えている者たちによってその扉が開かれる。
それから先のことは緊張でほとんど何も覚えていない。リーツァン王国の国王陛下との初めての大事な謁見であったのにも関わらず、だ。
「よく来てくれた」
大柄な体格に似合わず、くしゃりとしわくちゃな顔で優しく笑うフェリペ国王。
そして、その王座の下に座る姉とさほど年齢の変わらない王太子と王太子妃。
本当に敵国の人間だったのかと疑うほど親切に接し、話しかけてくれたことは、なんとなく朧気に記憶にある。
だが記憶を失ったマリアンヌにとってはこれが初めての他国の要人との交流。緊張のあまり、予習していた王国での挨拶が礼儀作法正しく行えたかどうか、とか、言葉を交わしあった時の自分の発した言動も、言葉遣いも、どうだったのか記憶が飛んでしまい、てんで覚えていない。
「はるばる帝国からの旅路で、この王国に到着したばかりで悪いのだが…」だがこの緊張の糸が切れたのは、国王陛下のあり得ない申し出が耳に入ったから。「フローレンスがの、このまますぐにマリアンヌ王女と式を挙げたいと…。さすがに無礼じゃと、こちらも叱咤したのじゃが…」
今から結婚式を挙げる!?!?そんなバカな話があるか!
緊張で真っ白だったマリアンヌは、寝耳に水の話にさすがに我に返った。
王国の英雄の申し出もさることながら、なぜ、もっと強く叱咤しないのかこの国王に対して不愉快な思いが湧き出てくる。
なぜ到着したばかりの婚約者にねぎらいの言葉もなく、休ませることもせず、さっさと式を終えようとするのか?王国のやり方に吐き気を覚えた。文句の一つも言ってやりたい。
- ああ、やはり自分は帝国の人質だった。やはりその程度での扱われ方なのか…
だが、自分はこの王国に人質としてやってきている、ということがふと頭をよぎる。例え言いたいことがあっても我慢せねばならない。一国の代表としてこの地に赴いたのだから。自分自身の振る舞いが全て帝国に、国民に降りかかる恐れだってあるのだ。
もうこうなってしまっては、大好きなお姉さまがこんな仕打ちをうけなかっただけでも、ヨシと思わねばならない。
「問題ございません。ただ、準備のお時間だけでも頂戴できませんか?」
震える拳を腹の前で大事に包み込み、できるだけ冷静沈着な声でそう答えた。




