08. 勅令【side of レイ】
『レイ・フローレンス。そなたにナタリー帝国の貴族との婚姻を命ずる』
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あの日以降、笑わなくなった。
あの日以降、人を愛せなくなった。
あの日以降、雨の匂いに恐怖を覚えるようになった。
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「陛下、おっしゃっている意味が分かりません」
終戦後、平和が訪れたほんの数年。
牢獄されるわけでも爵位を取られるわけでもなかったレイ・フローレンス。
いつものように騎士としての訓練中、急に国王からの呼び出しがあった。何事かと急いで駆け付けた結果がこの耳を疑うようなお達しだった。
一体どういう流れで、敵国だった国の貴族と婚約を結ぶということになるのか。自分がどれだけあの帝国を憎んでいるか知らないわけではないだろうに。できることなら、全ての帝国民に義妹と同じ苦しみを味わせてやりたいと、未だ激しく恨んでいるというのにも関わらず…。
決して顔色を変えることなく淡々と勅令を告げる国王に、レイは心の底からフツフツと怒りが湧いてきていた。
「そなたは大変な罪を犯したという事を忘れてはいまいな?例え国民から英雄と称えられようとも、そなたのしたことは極刑に処されても何らおかしいことではないのだぞ、レイ・フローレンス」
威圧をかける国王。
レイ自身も国王の言い分は十二分に理解できていた。
当たり前である。義妹の殺害現場を目の当たりにして、怒りを制御できなかったのはレイ自身であったのだから。周りの言葉に耳を貸さず勝手に始めたこと。決して許されることのない、王国への裏切り。極刑、つまり斬首刑相当の罪を犯したのだから。
「十分承知しております。怨讐に視野を狭め、停戦協定を破ってしまった自分の罪は王国への裏切り行為。極刑に値するものです」レイは自分のしたことを誰よりも理解していた。だからいつ極刑に処されても受け入れる覚悟はできていた。むしろ誰かに早く自分をこの世から消し去ってほしかった。「斬首刑でも何も弁明することはありません。受け入れます。ですが、婚姻とは一体どういう事ですか?なぜ私がナタリー帝国のものと縁を結ばねばならないのです?帝国に対する私の強い私怨を陛下はご存じでしょう?」
「もちろん。だからこそ、そなたへの命令なのだ」
帝国との休戦協定を破り、再戦への開幕となった事件を起こしたレイはこの国一の重罪人である。
だが、それ以上に国民からの支持は大きいものだった。決して許されぬ大罪を犯したのにも関わらず極刑に処されなかったのは、終戦へと導いた英雄だと国民に広く称えられたからである。だから、国王は民衆の声を無視してレイに罰を与えることができなかった。正当法ではないとはいえ、この王国に平和をもたらした人物なのだから。
「そなたの行った行為に対する罰はまだ与えておらん。もちろん、この婚姻がそなたへの罰というわけではない。だが王国への裏切り行為を、今度は王国への手助けという形で返してはくれんだろうか?」
「なぜ帝国の貴族との婚姻が王国への手助けになるのです?」
レイは自分が処されない理由は昔の上司である王太子からよく聞かされていた。だがその当時の罰が時を超え、形を変えて、王国への手助けとして婚姻を提示してくる国王陛下の真意を測りかねてもいた。
「そなたがこの王国の誰よりも帝国を憎んでおるからじゃ」国王は目を閉じる。例え終戦しても完全な平和とは呼べないこの王国と帝国との関係。国王は誰よりも心を痛めていた。「例えもう敵国でないとしても、未だ王国民の中には帝国へ恨みや憎しみを持つ者は少なからずおる。そなたのように…。じゃが、この王国一と言っても過言ではない、帝国に憎しみを持つそなたが、帝国と縁を結ぶと国中に知れたら?自らの憎悪の感情を考え直す国民はきっと出てくる。そしてそれがお互い両国が歩み寄るきっかけになるのではなかろうか?」
「それで、ナタリー帝国の貴族と婚姻しろ、とのことですか?しかし、適当な貴族と結んだところで今度は帝国側で何か問題が起こりそうですが…」
「左様。じゃが、向こうも愚王ではない。貴族と言ったがほぼ、第一王女のソフィア・ガリシア・アストゥリアスが有力視されておる」
「私のもとに王女が下賜するのですか!?前代未聞ですよ!王女であるならば、なおさら王太子のようなもっと爵位のある者のもとへと縁を結ぶべきではないですか!?」
国王からの突拍子もない発言に目を丸くする。侯爵の爵位があるとはいえ、騎士と他国の王女が婚姻を結ぶなど聞いたことがない。しかもその騎士によって自身の肉親を手にかけられているのだ。敵を討つべき者の所へ娘を嫁がせようなど、帝国の王の気もしれない。
「決定ではないのだが、まだあの年で婚約者すらいないとなると、ほぼソフィア王女が下賜するとみて問題なかろう。息子との婚姻を結ばないのはまあ、理由はいくつかあるのじゃが、最大の理由は既に王太子妃を迎えてしまっているからじゃ。他国の王女を第二妻として迎え入れるなんてそんな不躾なことはできん。それから、公爵家の者ではなく、侯爵の爵位であるそなたを選んだのは、先ほども述べたが両国間の国民の為にそなたの名前が必要なのじゃ。帝国ではそなたは一番恨まれておる。第一王子を手にかけたのじゃからな。だが、帝国もそなたの罪を許した上で婚姻を結ぶことに意味がある。良いか?憎しみからは何も生まれん。どこかで妥協し、歩み寄らねば未来など語れん。例えそれが冷酷に見えても、薄情に見えても、これが国を背負って立つものの責務なのじゃ」
王の言わんとすることは理解できる。だが、理解はできても自分の心はそう簡単に割り切れない。
「今国民はまだお互いの国を憎んでいるものが多い。お互いの腹のうちを探り、信用もなかなかすることができん。それに加え、国境付近は治安が悪く、喧嘩が絶えないと聞く」一度呼吸を整え話を続ける。「だからこそ、そなたの協力が必要なのだ。両国間でそなたの名は、良くも悪くも充分に知れ渡っている。よいか?兵士たちの殺し合いが終わったからと言って戦争は終るものではない。今からなのじゃ。まだ疑心暗鬼に陥っている国民たちを安心させてこそ、戦争が本当に終わったと胸を張っていえるのじゃ」
「それで私に結婚をしろ…と?」
「そうじゃ。そなたにとってそれが酷なことであると分かった上で命じるのじゃ。誰よりも帝国を憎んでいるそなたと帝国との新たな縁はきっと両国民の希望の星となる。当時、儂の言葉に耳を貸さなかったのじゃから、今度こそは従ってもらうぞ」
「しかし…」
それでもなお食い下がる。一体だれがこんなバカげた話を飲めるだろうか。
最愛の義妹を殺した敵と縁を結ぶなんて冗談じゃない。こんなことなら斬首刑の方が幾分もマシだ。
だがレイの気持ちを見透かしている国王は、彼に反論の余地を与えない。
「そなたに拒否権はないぞ」より一層強い口調と、厳しい視線でレイを睨みつける。
レイはもう何も口答えすることはなく、静かに受け入れるしか他なかった。
「レイ・フローレンス。そなたに命を遣わす。ナタリー帝国より伝達のあるものと婚姻を結べ」
始まりと終わりの騎士、レイ・フローレンス。
そして、ナタリー帝国第一王女との婚姻。
こうして、お互い遺恨を持つもの同士の政略結婚が人知れず進められることになったのだった。
つたない文章をいつも読んでくださって、誠にありがとうございます。
現在、コロナ陽性者が増えてきてしまったことで、
仕事が忙しくなっています。
頑張って更新に努めますが、少し遅くなると思われます。
申し訳ありませんが、ご理解いただければ幸いです。
時節柄、皆さまも何卒ご自愛くださいませ。




