05. ソフィアの婚約
前話の誤字報告、ありがとうございました。
終戦後、時は経てーーーー
「マリア、今日の調子はいかが?」
「もうずっと調子はいいのよ。お姉さま、それよりも婚約おめでとう」
ソフィア第一王女は、王女としては遅い婚約が結ばれた。長らく恋人関係にあったルイス・ランドマン・アストゥリアスと。それはマリアンヌもまた心待ちにしていた婚約だった。
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勉強の合間、暇があればいつも姉から聞いていたある一人の男の子話。ティーパーティーで出会ったソフィアの想い人の話。
それはまだ王妃イサベルが存命だったころに開かれたお茶会。
周りが楽し気に笑いあい、大人たちは紅茶やお菓子を嗜んでいる一方で、子どもたちは元気に庭を走り回っていた。だが、その中で一人だけつまらなそうに端っこで本を読んでいた。その男の子こそがルイスだった。彼は元気に動き回るよりも、一人で本を読むことを好んでいた。
ソフィアは今まで知り合った子たちと毛色の違うその男の子に興味が湧いた。
『何の本を読んでいるの?』
答えは覚えていないらしい。
なぜなら、その問いに答えたルイスの満面の笑みにソフィアは衝撃を受けたから。キラキラと光る輝かしい笑顔に甘い刺激が彼女の胸に広がった。
恋に落ちるとは、こんな簡単なものなのだと。
自分だけの王子様を見つけるのはこんなにも簡単なものなのだと。
ソフィアはこの時知ったのだ。
その男の子に一目ぼれした姉。だが、不幸が重なり彼とはそれきり会えなくなってしまった。
王宮で一人寂しく過ごしている時も、保養地に移った時も、気が付くといつもルイスのことを考えていた。そのくらい彼に夢中だった。
やがて停戦協定が結ばれ、王宮に戻った時に彼と再会することができた。やはり幼いころと同じく、一目彼を見ただけで心地よい甘い胸の高鳴りを感じたという。
それからのソフィアの行動力は目を見張るものだった。彼女はルイスに猛アタックをして、遂に交際にまで発展した。
その後、国王に直談判もした。彼と婚約したい、と。だが、国王は答えを渋っていた。ルイスは血筋こそ高貴であるし、申し分ない家系の嫡男である。だが、戦後まだ思うように復興を遂げていない帝国にとって、ソフィアの婚約は今後の最大の切り札。だからなかなか首を振ることはなかったのだ。
時は経て、既に王女は20歳を超えていた。成人になるまでに許婚がいることが当たり前のこの帝国で、まだ婚約すらしていなかったソフィア。行き遅れだ、と平民たちの笑い話になることが多々あった。だが、それでもソフィアもルイスも時期を待っていた。国王から許しを得られるその時を。
そしてつい先日、ようやく重い腰を上げたエンリケ国王。
二人の長い交際期間は貴族の間でも周知の事実だった。だから皆、二人の交際を優しく見守り、誰も二人の仲に水をささぬよう、婚約の話を持ち掛けなかったのだ。
そしてまた、すっかりと行き遅れてしまったソフィアに隣国からも見合いの話が来ることがなかった。
ようやく念願が叶い、ランドマン家と婚約契約を交わした。今後、時期を見て帝国全土に結婚時期と共に公表をする予定とのことである。
「婚約発表はいつの予定なの?」
「もうすぐマリアの成人式でしょう?そのタイミングを見計らってする予定なの」
「ならもうすぐね!ああ、今から結婚式もとっても楽しみだわ。うふふ!本当に、ほんっとうに、おめでとう!!」
マリアンヌの記憶はこの4年分しかない。だが、その短期間の記憶だけでも、どれだけソフィアが心優しく、そしてどれだけルイスを愛しているのかはよく知っていた。だからこそ、自分の事のように、それ以上に喜ばしいのだ。
「私も絵本のような王子様が早く現れないかしら…」
いつもソフィアが読んでくれていた絵本。
記憶の亡くなる前のマリアンヌも大好きなものだったらしい。いつか、自分にも王子様が現れるのか、マリアンヌはソフィアの吉報を聞いて次は自分だと期待に胸を膨らませる。
「そうね…。記憶さえ戻れば…」
困ったように眉をさげるソフィア。
実をいうとソフィアの代わりにマリアンヌのもとへは幾度もなく婚約の話は届いていた。王族と縁を結びたいものなんて引く手数多なのだから。
記憶がないとはいえ、もう十分に社交界で通用するくらいにはマナーは叩き込まれているマリアンヌ。だが、何故なのか。国王陛下が見合いの話を本人に告げることはなかった。
「別にね、私もう記憶が戻らなくてもいいの」
マリアンヌは沢山試した。治療も何もかもできることは何でも協力して行っていた。だからこその潔い諦めだった。
「私は王女として、この国のためになるならどんな政略結婚だとしても受け入れる準備は出来ているの」
「でも、もし記憶が戻ったら、その時は後悔するわ。だってマリアだって…」
「この四年間、その騎士を私だって待っていたわ。でも会えなかった。運命ではなかったのよ」
「でも、あんなにも大好きだったのに…」
「記憶がないから懐かしむことももうできない…。でも私にとってはそれが良かったわ。後ろ髪をひかれることはないもの…」
ソフィアからよく聞かされていたマリアンヌの想い人の話。身分不相応の恋だからと、決して許されることのなかった恋。サン、という名の騎士。ずっとずっと想いを寄せていたマリアンヌの王子様。
でも、どれだけ彼との思い出を語られても、他人事のように心に全く響かないのだ。それはまるで赤の他人の痴話話を聞かされているような、少し苦痛を感じるものに近かった。
マリアンヌ自身も、そんなに自分が心から慕っていた人なのなら、一目見るだけで記憶が幾分か戻ると思っていた。だが、彼とは会う機会が一向にないのだ。侍女のティエラも、護衛のミカエルですらも行方を知らない。だからマリアンヌももうとっくの昔に諦めていた。
「私もね、父上に沢山相談したわ。でも、居場所すら教えてもらえないの…。今大事な任務に就いているからって…」
部屋の中は外から差し込む赤い夕焼けに染められていた。
*****
ソフィアが帰った後、自身の部屋は人気のない寂しいものになってしまった。
「ティエラ?」
人恋しくなって侍女を呼ぶ。だがいくら待っても、返事が返ってこない。
何か用事でもしてるのかしら?
ティエラがいないのならば…。マリアンヌは少し考え、部屋の外にいる護衛に一言声をかけて、共に王宮内を散歩することにした。
行く当てはなかった。だが、部屋に一人寂しく籠ったままでいるのは嫌だった。ただそれだけだった。
マリアンヌから数歩下がり護衛も後ろをついて歩んでくる。
「この時間になると人が一気に減るわね」
時刻は既に夕方だった。仕事を終えた人ものはそれぞれ帰路につき始める頃。
王宮はディナーの用意に使用人たちが一斉に集められるため、この時間の廊下は部屋と変わりなく人気が無く寂しいものだった。
少し冷たさを感じる廊下を進む。コツンコツンと自分のヒールが放つ音と、カチャカチャと鎧が擦れるミカエルの足音が響き渡っていた。
「ですから、ここはソフィア姫しかいないでしょう」
誰もいないはずの廊下の奥から、一人の男性の籠った声が微かに聞こえてきた。
途端に、胸がざわつく。
ねっとりとした話し方。
こんな声色を今まで聞いたことなんてない。初めて聞く声のはずだ。それなのに、鼓動が激しく打ち始め、頭がガンガンと頭を放ち始める。
-この声を知っている…
顔を真っ青にして疼くまるマリアンヌに、慌てた顔で駆け寄るミカエル。
この場から離れようとした時だった。
聞き捨てならない言葉が耳に入ってしまう。
「リーツァン王国との婚約はソフィア姫以外考えられません。王女が縁を結ぶと言えば、それで全てが丸く収まります」




