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追伸、愛しています  作者: 聡子
第2章
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04. 記憶をなくした王女

 「姫様の意識が戻られた!」

 「目を覚まされたぞ!」

 「ティエラを呼べ!」


 マリアンヌが不思議な夢から目を覚ましてからの初めての記憶は、沢山の大人たちの涙で震えた声。それらは男性や女性の混じったもので、安堵や歓喜などの感情を感じるものだった。



 「もう大丈夫です!すぐに私の力をお送りします!」


 黒い艶やかな髪をツインテールにした女がそう言って両手を握る。ああ、冷やりとしていて心地よい…。だがそう思ったのもつかの間、二人の触れ合った箇所から今度はなにか温かいものが流れてきたように感じた。

 - ん?


 違和感を感じたのとほぼ同時に、まるで静電気のような痛みを帯びた刺激が二人の間に走り、痛みで目の前の女は手を放す。


 「お姫様…?」


 困惑した声。

 何か話さないと。そう思うのに瞼に何か重いものがのしかかってくる。

 重たい。しんどい。動かない…。


 「おい、何とかしろ!」

 「早く治癒しろ!」

 「役立たず!医師を呼べ!」


 今度は先ほどとは打って変わって、怒りと焦りが垣間見える声色に変わっていた。

 なぜ周りの人たちが怒っているのか、何に対して怒っているのか分からなかった。


 だが重たい頭では思考が全て停止する。

 ぼやけた視界には、いつの間にか黒髪の女の代わりに、今度はブロンドの髪に薄い紫の瞳の女性が現れた。そしてその瞳からは次から次へと留まることなく、涙があふれ出てきている。


 「マリア!マリア!」


 ぎゅっと手を握りしめ、私に向かって何かを叫んでいる。


 「だ…れ…?」


 喉が焼けるような痛い。

 

 「マリア!マリア!」


 だが体力の限界なのか、先の刺激の痛みのせいなのか。

 これ以上目を開けることが困難だった。

 悲痛の声が聞こえる中、再度暗闇の中へ意識を飛ばすことにした。




*****




 「マリアンヌ姫、体調はいかがですか?」


 再度目を開けた時、体はずいぶんと軽くなっていた。

 ベットから起き上がろうとしたところ、丸ぶちの眼鏡をかけたお年寄りに止められ、今はその老人に何やら不思議な質問をされている。

 横にはどこかで見覚えのあるツインテールの女。ああ、手を一瞬だけ握ってきた人だ。何かあったのだろうか?その女の顔つきは神妙としており、どこか思いつめた表情をしていた。


 - それにしても、一体ここはどこだろう?この人たちは誰なのだろう?


 そこではっと我に返る。私は私が分からなかった。記憶がすっぽりと抜けていた。

 眼鏡のご老人にゆっくりと顔を向けて、首を傾げそして問う。


 「マリアンヌ姫?私の名前ですか?」


 四方八方から息をのむ音が聞こえてきた。

 でもしょうがないのだ、私だって何が何だか分からない。



 自分の名前すら思い出せないのだから。




*****




 「生死の淵を長い間彷徨われたことから記憶に障害がでているようです」


 そう説明を受けるがしっくりこなかった。まだあの綿毛のようにフワフワとした感覚が残っている。

 隣で黒髪の女性が再度マリアンヌに声をかけ、腕に触れる。だが、すぐにピリっとした痛みが走り、「申し訳ございません!」と慌てた声を発して離れていく。


 今度はその隣に腰かけていたブロンドヘアーの女性が、眼鏡の老人へ凛とした声で問いかける。


 「記憶は戻るのでしょうか?」


 「何とも申し上げられません。まずは命が助かっただけでも喜ばなければ」




*****




 

 「あなたの名前はマリアンヌ。マリアンヌ・ガリシア・アストゥリアス。私はソフィア。あなたの姉よ。そしてこの子がティエラ。あなたの専属侍女、兼、治癒係よ」


 ブロンドヘアーに薄い紫の瞳をした美人な女性は姉だと言っていた。それにしても鏡を見て驚いた。瞳の色は自分の方が濃いものの、この女性とよく似た顔立ちだったから。これが姉妹というものか、と理解した一方で、何故か自分の姿に違和感を感じ、ソワソワしてしまう。


 ソフィアは熱の下がったマリアンヌの見舞いに毎日欠かさず来てくれた。

 朝、目覚めたマリアンヌの髪を梳き、アップスタイルに結う。食事は部屋で共にとり、そして記憶の無い私を責めることなく、体調を気遣いながらも色々なことを教えてくれた。


 専属侍女と言っていたティエラもまた毎日一緒に過ごした。

 「本当にお姫様ですか?」

 よく穿った顔つきで問われた。だが、なんといってよいのか分からなかった。自分でもまだよく理解していないのだから。困り顔のマリアンヌに時折苦しそうな顔を浮かべるものの、ソフィアと同様寄り添ってくれる。有難く感じる一方で、一度も自分に触れようとしなくなったティエラに少し寂しさも感じた。


 そんなことがあったからなのか。

 より一層、何も臆することなく触れてきてくれるソフィアに、マリアンヌはすぐに心を開くようになる。


 「まだベットから起き上がってはダメよ」


 マリアンヌの体調を気遣いながら、まずは身の回りの使用人や護衛などたくさんの人の名前を教えてくれた。


 「あなたは王女なんだから、記憶はなくとも、人々の名前は最低限覚えていないと」


 父、エンリケ国王。長男レオン、次男フアン、三男カルロス。兄である三人の王子。侍女のティエラに護衛のミカエル。

 他にも父の側近や、有力貴族、そして身近な使用人たち。それぞれの人物像や性格、様々なことを事細かく教えてくれた。


 だが、どれだけ詳細に説明されてもマリアンヌの記憶が戻ることはなかった。むしろ懐かしさではなく、新鮮味を感じる。初めて聞く物語のように、それはそれはワクワクと心躍らせるものだった。




 記憶を失って約二週間が経った頃、父や兄たちが初めて見舞いに来た。

 ソフィアの話では、少し前に隣国によって停戦協定が破られたことにより、戦争が再度始まってしまった、と説明を受けていた。

 「決してマリアを心配していないわけではないの。戦争のせいで来るのが遅くなっただけ…」

 ソフィアはマリアンヌの手をぎゅっと握りしめ、「大丈夫よ」とまるで自分自身に言い聞かせるように何度も何度もそう呟く。



 「記憶はまだ戻らないのか?」

 「申し訳ございません…」


 初めて見る父上ことエンリケ国王。彼の姿は堂々としており、声もまたとても威圧的だった。目が覚めてから、数人としか言葉を交わしていないマリアンヌはすっかり委縮してしまう。


 「ソフィアに触れても平気なのか?」

 「???」


 だが、突然変なことを聞いてきたかと思うと、そのまま代わる代わる皆に手を触られた。

 

 ゴツゴツした手。

 カサカサした手。

 少し生暖かい手。

 逆に冷たすぎる手。


 「何も体に異変は起こらないのか?」

 「???」


 よく分からなかったが、とりあえず頷く。すると、兄たちのひゅっと息を吸い込む音が聞こえた。何かまずかったのだろうか?


 「父上、やはり…」

 「そのようだな。これでは…」

 「???」

 「今度は体調に変化があったら呼んでくれ」


 国王と王子たちとの再会はものの数十分程度で終わった。



*****


 

 ひと月もたつと、ようやく部屋から出ることが許された。


 マリアンヌは本当に何も覚えてはいなかった。医師もまた、普通に会話したり生活はできるのにも関わらず、記憶だけがないというのはおかしい、と頭をひねらせていた。だが、ないものはどうしようもない。再度王女としての教育のために、家庭教師を招き、再教育が施されることとなった。


 だが、この勉強会が始まってから、王宮内ではとある噂が囁かれるようになる。


 「マリアンヌ姫様は、実は、別人が演じているのでは?」


 この噂が広まった理由はたくさんあった。


 右利きが左利きに変わったから。

 美しい手本のような字ではなく、丸い可愛らしい文字を書くようになったから。

 挨拶も仕草も、貴族のように丁寧な動きをするものの、王女の品格は感じられなくなったから。

 そして何より、巫女の力を使えなくなったから。


 「お食事の好みも変わったみたいよ」

 「好きな色も変わったらしいわ」

 「香油も替えられたみたい」


 だが、ソフィアはそんな噂を聞くたびに優しく否定した。


 「保養地にいた頃は左利きで、可愛い文字を描いていたわ。でも、私が矯正したの」

 「きっと記憶がないから、全てが新鮮でなんでも興味があるだけよ」

 「巫女の力は使い方を忘れてしまっただけでないかしら?」


 やがて、変な噂が流れる発端となった家庭教師は王宮を追い出された。

 そして代わりに姉のソフィアが勉強を見ることとなる。


 昔と同じで二人きりでの遠慮のない時間。ほとんどの時間を一緒に過ごす日々。

 だからこそ、妹の変化に一番に気づいていた。

 だが、それらに目を瞑った。

 あの高熱にうなされていた時に何かあったのかもしれない。

 心境の変化が。身体の変化が。

 でも、生きている。ソフィアはそれだけでよかったのだ。


 たとえ、違和感があったとしても。

 目を瞑りさえすれば、笑顔も、声も、その温かな手も。何も変わらない。

 マリアはマリアなのだから。




*****




 幾夜もすぎたある雨の降るどんよりした日。

 王宮内が騒然とした。

 第一王子、レオンの訃報だった。


 そしてその翌日、動かぬ死体が王宮内に届けられた。

 その体は王国の紋章の入った長い剣で貫かれていた、と後に聞いた。



 この兄上の悲劇と共に、ナタリー帝国はリーツァン王国との長い戦争に終止符を打つこととなる。

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