10. 歴史の授業*
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『今我が国は平和ですが、戦争が終わったわけではありません。我々は未だ停戦中だということを覚えておいてください』
様々な記憶が思い起こされる中、ふと昔聞いた授業の一コマが頭をよぎる。
『そもそも戦争ってなぜ始まったのですか?』
眠気を誘う近代史の授業だったはずなのに、一人の男子生徒のふとした疑問から違う授業へと変わっていったのだ。
『それがね、両国のどちらから始めたものなのかよく分かっていないの。ある民族の大量虐殺がきっかけなのだけれど…』
それは、リーツァン王国とナタリー帝国の国境に集落を構えていたある民族の話。
『分からないって?』
『我が国ではナタリー帝国が。帝国側では我が国が。それぞれ相手国が始めたものだと伝えられているから』
『なにそれ?意味わかんない。どちらが嘘をついているってこと?』
『それは先生にも分からないわ。どちらかが嘘をついているのかもしれないし、どちらもついていないのかもしれない。ただ一つの事実として、マヒーア族と呼ばれる民族が大虐殺にあったということだけ』
そしてその民族の持つ不思議な力の話。
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『マヒーア族?初めて聞く名前だわ…』
『大虐殺ってことは、その民族は皆殺されてしまったのですか?』
『そもそもなぜその民族は殺されないといけなかったのですか?』
ルナはぼーっと窓の外を見ていた。外では騎士科の生徒たちが訓練していた。だが、期待していた学年ではなかった。そこの中にはいくら目を凝らしても、白銀の髪をした人はいなかったから。
『マヒーア族はね、帝国と我が王国との国境に集落をいくつか構えて暮らしていた民族なの。どちらの国に属することなく…、ね。なぜ、どちらの国にも属することがなかったかというと、彼らは自分たちの力を集落外に出さないように細心の注意を払っていたから。魔法が使える、という夢のような力をね…』
『なにそれ!すごい!』
『いいな!魔法!私も使いたい!』
『俺も俺も!!空とか飛んでみたい!』
『先生も使えるなら使いたいわ』ふふふと優しく笑う。『だけどね、彼らは自分たちの力の脅威を誰よりも理解していたの。きっと歴史の中で、何度も自分たちが危険な目にあったのでしょうね…。だから極端に部外者から遠ざかるようにその境に住んで、集落外でその力を使うことを禁止していたのよ』
教師は持っていた教科書を教卓に置き、一息ついて話を続ける。
『だけどその隠された力を知った何者かが、他国にその力が渡るのを恐れ、彼らの大虐殺が人知れずに始まってしまったの。そして、最後の集落で、お互いの騎士たちがその現場を目の当たりにしてしまった…。それに怒った両国が、お互いの国を批判し、責め立て、戦争が起こってしまったのよ』
『そんなの帝国がしたに決まっているわ!王国がそんな酷いことするはずないもの!』
『そうだよ!それに、王国はそんな不思議な力がなくとも強いし!』
『帝国が王国に濡れ衣を着せただけだ!』
生徒たちの声に、教師は苦笑する。
『でもお互い、そう主張したのよ?我が国ではやってない。だからお前の国が犯人だ、って。そして折り合いの付かないまま、何年も、何年も、戦争は続いた。関係のない国民たちも巻添えに、沢山の人が血を流したの…』
『でも、どうやって停戦になったのですか?』
『両国の第一戦士たちがそれぞれ命を落としたからよ。帝国では、グリフォン・ソフラン・マッケドーニ。そして我が国は…』
『アルフォンス・グラン騎士ね…』
誰かがパパの名を口にした。ルナは窓の外から教師の方へと視線を移す。
誰にも言えなかったがルナには誇りだった。パパが王国一の騎士であり、あの大きな戦争を終わらせた張本人だということに。
『その二人の騎士が共に命を落としたことで、両国とも戦意を失い、まもなく停戦協定が結ばれたの』
教師が教科書を持ち直し、授業を再開しようとした時だった。
『でも魔法が使えたなら、そのマヒーア族も抵抗したらよかったのに…。先生!なぜ彼らは抵抗しなかったのですか?』
一人の女生徒が腕を高く上げ質問した。また、授業は一時中断する。
『そうね、きっと抵抗したと思うわ。でも、突然の襲撃に、無差別攻撃、もし大量の兵士が何か爆薬でも使用していたら?人質を取られていたとしたら?彼らは満足に抵抗できたのかしら…。先生は出来なかったと思うわ…』
教室がしんと静まり返った。生徒たちは皆各々頭の中で考える。
もし、今の平和になったこの国が急に攻撃でもされたらどうなるのだろうか?
誰もが思ったかもしれない。急に対応できるものなんてそうそういない、と。
しかし、絶望を思い浮かべていた生徒たちとは異なり、数人の生徒たちは夢のような魔法の力を想像していた。そして、自身の考えを思い思いに述べる。
『俺だったら、火の魔法で敵を燃やし尽くしてしまうけど…』
『私だったら、水の魔法で大雨を降らせて、火薬とか全部だめにしちゃう』
『僕だったら、風の魔法で空を飛んで、一人で逃げてしまうかもしれない…』
そんな空気の中、一人の男子生徒がふとある疑問を教師にぶつけた。
『本当にマヒーア族は皆殺されてしまったのですか?生き残りは本当にいないのですか?』
教師は眉を下げて苦しそうに答える。
『両国ともの報告書には”生存者無し”で記録されているわ。だから生存者の望みは少ないと思う…。ただね?何度も言うように、本当の事は分からない。もしかしたら、数人生きているかもしれないし、本当に滅んでしまったのかもしれない…。ただ…』教師は何かを考え、一度言葉を発するのを悩んだ。だが、生徒たちの自分に向ける強い好奇心の眼差しに考えを改めたのか、そっと言葉を落とす。『ただ…。もしどちらかの国の騎士たちが…、あるいは両国の騎士たちが記憶操作されていたとして、その記録が改ざんされていたとしたら…。やはり、本当の真実は闇の中になるわ…』
『記憶操作…?』
教師が口にした不穏なそのワードに何人かの生徒が食いついた。
『ええ、彼らは他人の記憶の一部を消したり、入れ替えたりすることもできるの。皆ではないのだけれど、一部の人たちはね…』
『なぜ記憶操作なんてする必要あるのですか?自分たちの民族を殺す人の痕跡をわざわざ消す必要なんてないのに…』
『何か隠したいことがあったのかもしれない…』教師はそう呟き、はっとする。何でこんなあやふやで不確かなことを授業で発言してしまったのか。ここは教室なのだ。友人たちとバーで喋っているわけではない。もし、自分のせいで子供たちが間違った歴史認識をしてしまったら…。自分の言動に深く後悔し、反省する。
『まあ、あくまで、あくまで私の意見よ!!』
だから、声を荒げて今までの発言を訂正しようとした。
『記憶操作なんてされていたらどうしようもないじゃないか』
『もしかしたら両国とも被害者なんじゃないの?』
『実は犯人はマヒーア族の誰かとか?なら戦争の発端は彼らではないか!』
だが先生の思わぬ意見、そして考えもしなかった新たな仮説に、たくさんの憶測が教室内に飛び交ってしまった。教師は青ざめる。
- どうしよう、私の口が軽すぎたから…
このままではいけない、そう教師が思ったのと同時に、声を上げ、この空気を変えたのはルナ・フローレンスだった。
彼女だけは”記憶操作”というワードに皆と違うことを考えていたのだ。
もしかしたら、自分の失った記憶も戻るかもしれない。産みの母親について何か思い出せるかもしれない。その魔法の力に少し期待を抱いていた。
『先生』
ルナが発言したこと。それは学院に入学して以来の初めての事だった。突拍子もない人物の発言に、他の生徒たちは話すことをやめ、皆彼女を見つめる。何事か、とザワザワと教室が唸りだす。
教師も驚いた顔を一瞬見せたが、すぐに優しい微笑みに変わった。
『どうしたのフローレンスさん?』
『もし事故や病気で記憶を失った人がいたとしたら、魔法で治せるものなのでしょうか?』
思いがけない質問に、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。だが、チャンスだと教師は思った。このまま話の論点をすりかえてしまおう、と。
『完璧には難しいかもしれないけれど、戻す手助けはしてくれると思うわ』
『それがマヒーア族でなくて他国民に対してだとしても?』
『ええ。もちろん。ただ、もし記憶を失った原因が事故や病気でなく、本当は他のもの…。例えば誰かに記憶を操作されたものだったら戻すことはできないわ』
『なら、どうすれば戻るのですか?』
『魔法をかけた術者本人に解いてもらうのが一番ね。だけど、似た魂の人でも解ける、って聞いたことがあるわ。それは親、兄弟、親友、似た境遇で育った人…。誰が似た魂の人なのか、誰も分からない。ただ、運よくその人にあたれば、解ける、ってだけ。あ!だけど、術者本人の他にもう一人、確実に解ける人はいるわ…』
ルナは思い出した。
- あぁ、だから、私は今記憶が蘇ったのか。このタイミングで…
あの当時の教師の声が、ぐわんぐわんと頭の奥深くで反響している。
『双子は魂の色や形が同じらしいの。だから、お互いがお互いに知らずにかけられたものだとしても、その術を確実に解けるみたいよ』
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