01. プロローグ
暖かな日差し、爽やかなそよ風、賑やかな子どもたちの声。
そんな楽しい雰囲気とは打って変わって、孤児院の一番奥の日の当たらないジメジメした少し肌寒い部屋。その部屋の窓際に備え付けられている小さな棚の上がルナの特等席だった。
ルナがこの場所を気に入っていたのには理由があった。それは離れて暮らす大好きな父が裏門から忍び入ってくる姿を、ここからが一番早くに見つけることができるから。
約一年前に高熱がでたことが原因で、孤児院前の生活も、母親との思い出も一切の記憶を失った。気が付いた時にはこの孤児院で生活していたのだ。
だが一方でルナはこの孤児院では恵まれた子どもであった。なぜなら、毎週日曜日には会いに来てくれる父がいたから。親がいるのになぜ一緒に住んでいなかったのか。まだ幼すぎるルナはその理由は分からなかった。
だが、今から三ヶ月前。
『大事な用があるから、暫く会いに来れない。
でも、ルナの誕生日までにはそれらを終わらして迎えに来る。
そしたらここから出て、ずっと一緒に暮らそう』
そう父が約束してくれた。
幼いルナにとってはこの三か月は永遠とも思えるほど長く辛いものだった。
だが、それも今日まで。
なぜなら今日は父との約束の日、そう、ルナの7歳の誕生日であった。
だから朝日が昇る前からルナは用意を始め、それからずっとこのジメジメとした部屋で父が来るのを今か今かと待っていたのだ。
けれど、待てども待てども、いつまで経っても父は来なかった。
朝食後からずっと裏門を凝視しているのだが、高く昇っていた日が傾き、空を真っ赤に染め、外で遊ぶ子どもたちの影が長くなっても、裏門はピクリとも動かなかった。
ーパパは約束を破ったりしない。
必ず迎えにくるって、一緒に住むんだって、ずっと一緒にいれるって約束したんだもの
ルナは父が約束を守る人間だと信じて疑わなかった。
だから何度も何度も同じ言葉を頭の中で繰り返し、父を信じて待っていた。
やがて陽が完全に沈み、一番星が見え始めた頃、正門の方が騒がしくなった。
どうやら馬車が一台正門に到着したらしい。
貴族なのだろうか?珍しいお菓子だ、と孤児院の子どもたちのきゃあきゃあ騒ぐ声が、一番奥のルナのいる部屋まで聞こえて来た。
楽しそうな向こうの様子が気になった。だが、ルナは動くことをしなかった。もし、この場を離れた一瞬の隙に父が裏門から現れたら?そう思うとどうしても足が動かなかったのだ。
だから、ただ一人でこの暗い部屋の窓から、ずーっとずっと父の姿が現れるのをただただ待っていた。
騒がしい音が少しずつ落ち着いてきた。もう空には無数の星が見えていた。
ーパパは来ないのかもしれない。
みんなと一緒で、ルナも捨てられたのかもしれない。
そんなネガティブな感情が胸いっぱいに広がって、涙が溢れて来た。
『ねえ、君は誰?』
後ろから凛とした声がして肩を震わせ、振り返る。
その反動で、せっかく零さないようにと耐えていた涙が一筋零れてしまった。
『わあ、ごめん!』
そこには初めてみる男の子が立っていた。
爽やかな風に靡く彼の白銀の髪から覗く、青い水晶玉のような瞳に心を奪われた。
彼は跪いて私の手を取る。
これはお義兄様のほんの遊び心だと後に知ったのだが、心細い思いをしていた当時の私は、王子様が絵本の中から飛び出してきたのかと心を震わせていた。
それほど傷心していたルナにとっては衝撃的な出会いだった。
『フローレンス侯爵家、レイと申します。お嬢様のお名前を伺っても?』
『ルナ、私はルナ』
その答えに目の前の少年は破顔する。
『君がルナちゃんなんだね!僕たちは君を迎えに来たんだよ』
そう言ってルナの手の甲へとキスを落とす。
ルナが7歳の誕生日を迎えた日。
それは、リーツァン王国とナタリー帝国の約3年もの長い戦争の終止符を打つ休戦協定が結ばれた日。
そして、ルナに新しい家族ができた日でもあった。
これがルナとレイの初めての出会い。
一生忘れたくない大切な記憶の一部。
レイ・フローレンス
私の大好きなお義兄様。
初恋で、生涯を共に過ごしたいと本気で思った、
私の愛するお義兄様との最初の思い出。