第五話 鈴木小太郎
(やばい、こいつ完全にいかれてる……。しかも私の個人名まで調べ上げてるし、もしかしてストーカー?)
「その顔。こいつはヤバいやつだとでも言いたげだね。
はははっ、分かるよ、その気持ち。実際に私が君の立場だったら、私もそう思っていただろうしね」
「……分かるのなら、今すぐ解放してほしいんだけど」
「それは少し待ってほしい。別に君を捕えたくて連れてきたわけではないからね。
話が終わり次第、すぐにでも君を自由にすると約束しよう」
ブラットに真偽を見抜ける能力はなかったが嘘を言っている様子はなく、自身に邪な思いを抱いているようにも感じられない。
なので全てをひとまず飲み込み、ため息をつきながらソファに背を付け、彼の言い分に耳を傾ける態勢をとった。この状況で抗う術など、どうせないだろうからと。
「ありがとう。まあ異世界云々なんて非科学的なことを言われたところで信じろと言うほうが無理な話だ。
そのほうが分かりやすい、受け入れやすいというのなら、今から私が話すことは全てそういう〝設定〟のゲームだとでも思ってくれて構わない。
では……なにから話そうか。そうだな、まずは私の目的から話すとしよう」
「はあ」
「君には今いる私が管理する世界──分かりやすく以後は零世界と呼称しようか。
その零世界でブラットという人間として生き、人類の寿命を延ばしてほしい」
「人類の寿命を延ばす? 生活改善でも目指せってこと?」
「当たらずといえども遠からずというところか。
実は今この世界の人類はモンスターたちの進化についていけず、滅亡の危機に瀕している。
そこで君には人類の希望の星として、今の人類では敵わないモンスターの討伐をしてほしい」
「それのどこが当たらずといえども遠からず、なのさ。確かにヤバいやつがいなくなれば、人類の危機とやらは去るんだろうけど」
ブラットはもう完全にゲームの世界の話ということにして聞くことに決めたためか、小太郎の言いたいことへの理解が早くなっていく。
「強いモンスターが住まう所ほど、生物が生きるのに必要な資源に満ち溢れているからね。
その場所を奪うことができれば、おのずと人類の生活も向上するというものだ」
「ふーん。そのために私には、その資源の宝庫に居座っているモンスターどもを駆逐してほしいと」
「ああ、そうだ。できれば零世界にいる全てのレイドボス級のモンスターを駆逐して回ってほしいところだが、それはさすがに難易度が高い。
だからとりあえずの目標というのか、ここまでやってくれれば──というものがある。
もしそれを達成した暁には、君の望みをできうる限り全力で叶えてみせよう」
「へぇ、それはゲーム的な意味で? それともリアルの私の方の意味でのどっち?」
「ははっ、こういうときだけゲームの設定という観念を捨てるのだね。
答えはもちろん、お望みとあらばどちらでも、だよ。
BMOのゲームバランスを崩壊させるレベルのチートキャラになりたい、というのならそうすることだってできる。
リアルにおいて、今後一生働かずに豪勢な暮らしをできるようにしてほしい。というのなら、君を生涯援助し続けることだってできる」
「なんかまた、胡散臭くなってきたなぁ」
あまりにも大層な言い方にブラットが疑わしそうな視線を小太郎へと向けると、当の本人は苦笑する。
「そう言いたくなる気持ちは分かる。だが君の前任者たちで見事私が提示した目標をクリアした者は、自分の望みを叶えて今も幸せに暮らしているよ」
「前任者? あんた他の人にもこんな拷問みたいなことしたっていうの? よく訴えられなかったね」
「こんな痛い目を負わせたのは君だけだからね。
他の人たちはもっと穏便にここに招いたから、そういったことで訴えようとした人は誰もいないよ」
「なんで私だけっ!?」
「それはもうこの手が使えるのが、外からの協力者を招き入れられるのが、これで最後だからだ。
だからこそできるだけ適性があり、途中で諦める可能性が低く意欲も高い、それでいてその仮想体を自分の本当の体のように失いたくないと執着している、最高の異常者を選出したかった」
「最高の異常者って……。あんたにだけは異常者なんて言われたくないんだけど」
「おや? でも君はいつだって引き返す道は用意されていたのに、あれだけの目にあっても諦めずにここまでやってきた。
私が言うのも確かになんだが、君は立派な異常者だよ。
モドキという種でいたことで最後の一押しをしてしまった可能性も否めないが、それでも灰咲色葉という人間に、そういった異常者の適性があったのは間違いない」
「えっと、もう帰らせてもらっていい?」
「おっとすまない。機嫌を損ねてしまったようだね。私からしたら最高の誉め言葉だったんだが」
「どこが誉め言葉だ。で?」
しかし自分でも客観的に見れば相当に異常な行動だったなと思ってしまったので、無言で睨みつけながら話の続きを促した。
「さっきも言った通り、もうこれが最後のチャンスだった。
だから妥協なんてできはしない。そこで私は強固に反対する協力者たちを脅してでも、今回の選出方法を強行することにした」
「脅した? っていうか、そもそも協力者ってのは誰?」
「協力者というのはBMOの出資者でもある、EW社のトップとその重役たちのことだね。
彼らは私が好き勝手に地球という星がある君たちの世界──私が六世界と呼んでいる所から零世界へ人間を勝手に拉致しないことを約束させる代わりに、協力しながら監視をすることになった存在でもある。
ちなみに『君の望みをできうる限り全力で叶えてみせよう』なんてカッコつけてさっきは言ったけれど、それを実現させるのは私ではなくEW社の人たちだね」
「まぁ、あんた個人が叶えるというよりかは、そっちの方が説得力があるかもね。
なんたってEW社って言えば、世界でも指折りの大企業様なわけなんだから。
けどさぁ、それが本当だとしたらそのEW社の人たちはいったい何者なのさ。
異世界からやってきた誘拐犯を犯行前に見つけて交渉するとか、普通じゃありえないでしょ」
「だってEW社のトップ層は私の世界とは違う、また別の異世界に行って絶大な力を得て戻ってきた、もしくは向こうで生まれた強者たちをこちらに呼び寄せた、一種の化け物たちで構成された組織だからね。
ちょっとこちらの世界に干渉しようとしたらすぐに察知されて、あのときは無いはずの心臓が飛び出るかと思ったよ」
「また妙な設定が増えたなぁ……。じゃあ、あんたの語る設定ではEW社の人たちは異世界の超絶パワー持ちの化け物集団ってことでOK?」
「その解釈でいいと思うよ。どうせそちらの異世界とは君が関わることはないだろうし、なんとなくそういう人たちが零世界からの干渉から六世界を守ろうとしていると思ってくれればいい」
「ならこんな回りくどいことしてないで、どうせならその凄い人たちにあんたの世界の厄介ごとを解決してもらえばいいんじゃないの?
協力してくれてるんだったら、わざわざ一般人でしかない私を選ぶ必要なんてなくない?」
「ごもっともな意見だし、そうできるのなら私も喜んで靴を舐めてでもそうしてもらっていただろう。
けれどそれは無理な話なんだ。なぜなら彼らはあまりにも莫大な力を持ちすぎている。
あんなのを私が管理している壊れかけの世界に入れたら、それだけであっという間に私もろともお陀仏だ」
「ちょっと待った。壊れかけ? そんな世界に私は今いるってことになってるの?」
「実はそうなんだ。この世界は既に六度の調整失敗によるリセットを繰り返してしまったせいでボロボロ。
君たち人間の体で例えるのなら、その行為は再生医療すらない環境で、自分の体を切り落としていくに等しい行為だからね」
「確かにそんなことしてたらボロボロにもなるね」
「ああ、そして最後の機会であった七度目の試行も、このままでは調整に必要な〝人類〟というピースを失い、失敗確定という状況でもある」
「あんた、それだけ失敗を繰り返した上に、最後の最後でまた失敗したの?」
世界の管理云々など想像もできないが、いくら何でもその設定は自分が無能だと言っているようにしか聞こえず、思わず呆れたような態度が表に出てしまう。
そんなブラットに、小太郎はまた苦笑する。
「いや、いちおう言い訳させてもらうと六度目までの失敗は私ではないよ。
リセットされるたびに、この世界は管理者も消してやり直していたみたいだからね。
私はこの世界が七番目に生み出した管理者で、世界の調整も生まれて初めてだった」
「前の失敗から学んだことを考慮して、もう一度同じ管理者に任せようとか失敗の中で思わなかったのかなぁ」
「そんな器用なこともできない世界なんだよ。
だからこそ全部を無理やりやり直すなんて強引な方法しか取れないし、何度生み出してもちゃんと調整できる管理者を生み出すこともできなかった。
ポンコツが作った子は結局全員ポンコツだった──なんて、つまらない落ちだよ、まったく」
あまりにも自嘲に満ちたやるせない笑みを前に、ブラットはなにも言うことができず押し黙る。
「けれど幸か不幸か、私は自分の世界を管理する能力はなかったが、他世界への干渉をする能力は高かった。
自慢じゃないけれど他世界を観測する程度なら他の世界の管理者だってできるだろうけど、その他世界に干渉して任意の人間を誘拐したり、自分の依り代を作り自由に動かすなんて芸当ができる存在はそうそういないはずだよ」
「さいですか。ってことはつまり、内に向ける能力が低いけれど外に向ける能力は高かった。
だから外の力を使って、自分の世界の調整を上手くすることはできないかと考えて今に至ると?」
「いいね、理解が早くて助かるよ。
でも先ほど言ったように、力を持ちすぎる存在を連れて行ってしまえば、それだけで崩壊する。
さらに連れていくにしても、できるだけ私の世界に負担のない方法で、負担のない人物を呼び寄せる必要があった。
そこで私は君たちの世界の仮想現実というものに目を付けた。まず──」
まずは仮想現実で小太郎の管理する零世界と似た環境と似た人類、似たモンスターを構築し、そこへ地球人類を投入する。
地球人類にその仮想世界を楽しんでもらう過程で、その世界での自分の体をもう一人の自分の形として深層心理に馴染ませる。
そして限りなく近く作ったおかげで、通常よりもずっと負担なく繋がりやすくなった仮想世界を扉として零世界へと通路を自ら開かせ、外の人間を協力者として呼び寄せる。
その協力者も自分の慣れ親しんだ仮の体と全く同じ体が用意されているので、異世界間移動の際の魂の移し替えもスムーズに済ませることができた。
「そしてその協力者はできるだけ存在が希薄なほど、こちらの世界に元からいた存在だと錯覚させやすくもあった。
それこそ自分の種族すらもあやふやで、存在そのものが希薄なものが望ましい」
「……それが〝モドキ〟という血統だったと」
「ああ、モドキという存在ほど協力者になってもらうに相応しい存在は他にいないだろう。
〝モドキ〟という名称は私が後付けで命名した血統だが、実際に零世界にも存在する超大器晩成型の人類のこと。
結実するまでが大変だが、熟してしまえば最強ともいえる人類の切り札たる存在として私が創り出した血統だった。
けれど今の人類には、そんな悠長に成長を待っている余裕なんかない。即戦力以外は邪魔者扱いだ。
結果モドキどころか劣等種と呼ばれる血統にあたる種族の子らまで、成長する前に国外に捨てられ余計に人類は自分たちの首を絞めている状態に陥っている。
BMOの世界で言い表わすとすれば、王族種や貴族種が最も優れた種であり、一般種はそのほとんどが雑兵扱い、劣等種以下はそもそも存在すら許されていない世界──といえば想像しやすいかな?」
サービス開始当初は王族種や貴族種がBMOのトップ層を占めていた。
けれど半年経った今は、メキメキと成長を遂げた劣等種を選んだプレイヤーたちに追い抜かれている状態だ。
つまり王族種や貴族種は即戦力にはなりえるが、メイン戦力になれるような器でないということでもある。
けれど小太郎の零世界は目先のすぐに成長し戦える存在だけに注目してしまっているために、貴重なメイン火力となりえる人類が育たず、その状態でゲームでいうレイドボスに挑み勝たなければ人類滅亡という無理ゲー状態に陥ってしまったのだ。
「確かゲームの最初の説明でも王族種や貴族種じゃあ、高難易度ボスを倒すのは難しいとか書いてあったっけ。
ん? でもそれでいくと〝モドキ〟の私が行っちゃったら結局、爪弾きにされるだけじゃない?
嫌だよ、痛めつけられた上にいじめられに行くなんて」
「ははっ、心配しなくてもいいよ。今の人類は強いやつが正義。
そもそも生まれたときに虚弱な子を捨てているだけで、BMOで言う劣等だのモドキだのと判断できているわけでもない。
また弱いモドキであってほしいのは、こちらの世界に最初に来るときだけ。つまり今このときだけだった。
一度ブラットという人類が存在していると零世界に認識させてしまえば、後は一次進化を終えた状態でも問題なくなる。
そしてモドキであれば例え一次進化の段階であっても、向こうでは一般的な大人の戦士と同等、もしくはそれ以上の力を持ち合わせた子供になれる。
つまり一時進化した状態で人類に合流できれば、君は間違いなく期待の新人として喜んで迎え入れられることになるだろう」
「そうだった! 私はあんたの妄想設定を聞きに来るんじゃなくて、進化するためここまで来たんだった! 私はもう進化できるんだよね」
「ああ、もちろんだとも。これから私の協力をしてくれる、くれないに関わらず、一次進化は、できるようにすると確約しよう」
「…………一次進化『は』ってどういうこと? それ以降はどうなるのさ?」
「それ以降に必要なピースはゲーム内では手に入れられないようになっている。
それ以上の進化をしたいのなら、零世界で私に協力するしかないね」
「はぁ? じゃあモドキとして今後もBMOを楽しむためには、結局あんたの妄想設定に付き合うしかないってことなの? ふざけてんの?」
「ふざけてなんてないさ。さっきも言ったが君をこの場に受けいれてしまった時点で、協力者を招き入れるというカードを全て使い切ってしまった。
これ以上外部の魂という存在を誤魔化そうとすれば、どこかがさらに壊れてしまうだろう。
だからもう私にとって君がこのことを公にし、BMOのゲーム会社を訴え、このゲームがサービス停止になったとしても構いはしない。
どうせ無理なら私は零世界もろとも消えるしかないのだから何と言われようと、鈴木小太郎という存在がどんな刑につくことになろうとも関係なくなるからね」
ここで改めてブラットは、目の前の小太郎という人物が狂っているのだと思い知らされる。
その瞳から、どこまでも虚ろでありながら、奥にはネバつくような黒い炎が宿っているような、そんな捨て鉢な精神がありありと映っているのがハッキリと感じ取れてしまったのだ。
例えここまで語られた設定が嘘であろうと本当であろうと、目の前の男は今言ったことを絶対に曲げはしないだろうと。
(ってことは、ここで協力しないという選択をしたら、私のブラットは一回進化しただけで終わりってこと?
これだけやって、ここまでやって、あんな思いまでしてここまで来たってのに、たった一回進化しただけでエンディング? はいお終いって? そんなのありえない!!)
伊達や酔狂でここまで来られる人間などいなかっただろう。
むしろそういった人間を振るい落とす意味も、ここに至るまでの過程に盛り込まれていたと言っても過言ではない。
つまりここに来れてしまっている時点で、ほとんど答えなど決まっているようなものなのだ。
ブラットとして灰咲色葉として、彼は彼女は決断した。
「協力すれば二次進化もできるってことでいいんだよね?」
「ただ生きているだけで進化できるわけではないが、零世界で戦っていれば必要なピースも集まって二次、三次と進化を繋げていくことは可能だ」
「あんたの設定によれば、この今のブラットとしての体は完全に生身って言ってたよね? なら向こうで傷つけば当然──」
「──ああ、相応の痛みを感じることになるだろう」
ここまでは予想の範疇。痛みくらいならば、もう覚悟はできている。
だが最後に一つ、例えブラットという存在を捨てたとしてもリタイヤを選ばざるを得ない要素が存在していた。
それはすなわち〝私〟の〝死〟。
「あんたの設定を信じているわけじゃないけど、それでも一応聞いておきたいんだけどいい?」
「遠慮なく何でも聞いてくれ。私は君に一切の嘘も言わないと約束しよう」
「……もしBMOというゲームから外れた、零世界とやらのブラットが死んでしまったら、いったいどうなるの?
灰咲色葉という『私』も、そこで…………死ぬの?」
これこそが最大の不安。どれだけ小太郎の話を設定と思うにしても、そのことだけがどうしても不安で仕方がなかった。
さすがに異常者と言われてしまった色葉でも、自分の命を懸けてまでブラットというキャラクターを守ろうとは思えない。
「零世界でのブラットは、君の生まれた六世界で灰咲色葉という人間が存在しているように、実際に生きている存在とこの世界に認識された。
だからもし零世界でブラットが死ねば、君のブラットという存在は零世界で生き返ることはない。それは未来永劫の『死』を意味する」
「なら『私』は──」
「──しかしだ。君は六世界において、ちゃんともう一つの体を持っている。
灰咲色葉の体はこちらでブラットがどんな惨たらしい死を迎えようとも、まったくの無傷だ。
もしブラットが死んだとしても、灰咲色葉という魂はちゃんと元のBMOのゲーム上の仮想体に戻るし、そこからログアウトすれば灰咲色葉という少女の日常に戻ることもできる。
これは君の前任者たち全員が漏れなくそうなったし、君だけそうならないということはないから、そこだけは安心してほしい」
「……えっと、つまり、ブラットの死は零世界への通行券を失うだけ。
『私』という存在は変わりなく地球で生きていける、と思えばいいってこと?」
「その認識で間違いない。ブラットという生身の肉体は失われるが、BMOのブラットだって消えることはないしね。
ただ注意してほしいのは零世界への通行券を失うということは、それ以上の進化は望めなくなるということでもある。
ゲームでそれ以上強くなれないという意味では、ある意味ゲームとしてのブラットも終わりとなってしまうだろう」
「つまり進化条件を満たし続けるためには、零世界で死なないようにすればいいということね。
1デス即終了はきついけど、安全マージンを多めに取り続ければいける……かな?
BMOの方ではいくら死んでもいいんだよね?」
「ああ、そっちはただのゲームだからね。
そして零世界で実在する危険なモンスターも再現しているから、それらと戦う前にイメージトレーニングとして挑むのをお勧めするよ。
あくまでイメージで同じ行動をする保証はないけれど、できるだけ同じように動くようにはしてあるから」
「なるほど、BMOで敵の予習もできると……。それなら難易度も少し下がるかな。
あ、零世界だとログアウトできないみたいだけど、さっきからの話しぶりからして行ったら行ったっきりってわけじゃないんだよね?」
「こちらの世界から向こうに帰りたくなったら、ログアウトと念じながら眠りにつけばBMOのブラットの仮想体に戻って来られるようにしてある。
時間の流れもデフォルトでは異世界に行ったときとほぼ同じ時刻に戻るし、その逆は眠りから目覚めたところからはじまるから、どちらで何日過ごしても問題ないようになっているから大丈夫だ」
「なら、こっちでたっぷりと準備していくこともできると……。BMOでの所持品の持ち込みは?」
「手持ちのアイテムスロットに入っているものだけ持ち込める。
身に着けている装備品はそちらに入れておかないと、持ち込むことはできない。
ただし向こうで出して置いておくことはできるから、こまめに出入りすれば大量に物資を持ち込むこともできるね。
向こうから帰ってくるには〝寝る〟必要があるから、眠れないと無理だけど」
「その逆は?」
「ゲーム内に存在していないアイテムはアイテムスロット枠を埋めるだけで取り出せず、バグみたいな状態になるから、BMOに持ち込みたいものは事前に存在するか確認したほうがいい。
それとゲーム的に蘇生薬なんてものがBMOには存在しているが、こちらでの蘇生薬はどんなに死にそうな状態でも癒せる万能薬くらいで、実際に死んだ者を生き返らせることはできない──と、零世界的に再現不可能なアイテムは性能が変わったりするから注意してほしい」
「蘇生薬はダメなのか。零世界の現地人にでも持たせれば、死んだときの保険がかけられると思ってたのに」
どんどん気になることを小太郎に質問していき、ブラットはどう進めていけばいいのか、ゲーマーとしての思考で考えていく。
そしてそんなブラットを前にして、小太郎はほっとしたように肩の力を抜きはじめた。
彼からしたら、これで終わりなら本当に全てが終わりだったのだから、自分でも気が付けないほどに内心緊張していたのだ。
やがて質問が収まってきたところで、小太郎はもう一つ重要なことを話していなかったことに気が付いた。
「やる気になってくれたようだし、君に要求する目標をそろそろ発表してもいいかな?
もしその目標を叶えることができたなら、君の望みにプラスして、こちらに来なくてもBMOの方でブラットがちゃんと進化していけるように調整することも約束しよう」
「つまり零世界とやらにおける、私のクリア条件ってわけだ。いいね、聞かせてよ」
「君に達成してほしい目標は、ずばり『ベグ・カウ』と呼ばれている人類史上最も多くの人を殺したモンスターの討伐だ」
「なんかいかにもラスボスって感じでヤバそうだね。けどベグ・カウ……? はて、どこかで聞いたことがあるような」
「BMOサービス開始初期の頃に開催した限定イベントで、最後の難関として出たことのあるレイドボスだからね。
まだどのプレイヤーも辿り着いていないけど、もっと先の方でエリア解放ボスとしてまた出てくることになってるから、ブラットとして再戦して予習することはできるよ」
「えっと……レイドボスや今の攻略組がいる場所よりもっと後にエリアボスとして登場するようなのを相手に、私だけで立ち向かえと言ってる?
それともモドキって、それができるくらいの存在ってこと?」
「いやいやいや、プレイヤーと共闘することは不可能だけど、これは零世界側の人類の咎でもある。
貴重な戦士たちを失うのは痛いからできるだけ死なせないように立ち回ってもらいたいが、それでも必要ならば肉壁にだろうと、パーティメンバーにだろうと好きに協力させてもらって構わない」
「いや、肉壁て……」
「そこはさすがに極端な例だけど、君が共に戦える仲間や戦いを支える仲間なんかを育てるなり集めるなりして、向こうで強敵と戦える場を用意することを前提にした難易度だと考えれば分かりやすいかもしれないね」
「王族種や貴族種がメイン戦力の現地人が役にたつのかなぁ」
「言っただろ? 育てるなりとも。君が現地で劣等種なりモドキなりを戦士に育て上げれば、BMOの最前線プレイヤー並み……にはさすがに成れないとは思うが、十分戦力として活躍できるはずだ」
「そ、そこから手を付けなきゃならんのね……。
NPC育成要素とか、BMOとはもはや別ゲーだぁ……。
けどそういう戦力の集め方ができるなら、絶対に無理ってことはないかもか」
さすがに自分と同じモドキを育てるのは厳しいとしても、劣等種を育てるというのならまだ望みはある。そうなれば共に戦う戦力として見なすこともできるようになるはずだ。
「あと、私にとっては君が最後のチャンスだ。もっとやる気が出るよう、さらに椀飯振舞といこうか」
「やる気が出る話なら大歓迎だけど、なんなの?」
「あちらの世界にはベグ・カウ以外にも、いろんなモンスターが存在している。そういったモンスターたちにも懸賞金をかけようか。
その強さに応じてその都度、臨時ボーナスを六世界の方の君個人の口座に振り込もう」
「零世界でのモンスター討伐で、リアルマネーが振り込まれるってこと……? んなアホな」
「そうだねぇ、別に大物でなくても例えば──」
小太郎は不意にどこからともなく写真を虚空から複数取り出し、それを机に並べて指さしていく。
「こいつの場合は……精々五千円がいいところか。こいつは大量にいる雑魚だから、一体五~一〇円くらいかな。
そしてここからここまでのモンスターなら、一体につき一万円。
ここからここまでのモンスターなら五万だそう。それからこっちはそこそこ大物だから三〇万。こいつは一〇〇万、こいつは──」
振れ幅は五円から数百万と大きいが、割のいいバイトと考えればかなりいい条件だ。
もしこれを本気で言っているのだとしたら、零世界でブラットとしてモンスターハンターになるだけで、色葉のほうも生活していけるのではないかというほどに。
「臨時ボーナスと言っても、全部EW社に出してもらうんだけどね。
はははっ、後で文句を言われそうだ」
「なんて無責任な……」
「けどこれが最後の我儘だ。君が失敗しようと成功しようと、私は君たちの世界への干渉を今後一切しないと彼らにも改めて誓おう。
だから何としてでも、この条件を向こうに呑んでもらえるよう説得するから心配しないでくれ。
お金ではなく他の物が欲しいんだったら、そっちでの相談にも乗ろう。
他にも後で聞きたいことがあったら、君のBMOのアカウントで運営に向けてメッセージを飛ばしてくれ。
これからは君のメッセージだけは私に直通になっているから、なんでも自由に聞いてくれてかまわないから」
「それは助かる。なんかあったら遠慮なく使わせてもらうよ」
「あとは……まぁ、長々とここでこれ以上説明していてもしょうがないし、残りの細かな説明事項は君のアカウントのほうにメッセージとして送っておくよ。暇なときにでも見ておいてくれ」
「はいよ。で、これで話が済んだっぽいし、そろそろ私の本来の目的を果たさせてもらってもいい?」
なんだか変なことに巻き込まれてしまった感は否めないが、そもそもブラットはこんな話を聞きに来たかったわけじゃない。
小太郎も心得ているとばかりに大きく頷き、ソファからゆっくりと立ち上がった。
「もちろんだ。それでは、君がここに来た本当の目的を果たそうか」
「やっと進化できる!」
「ああ、もうお預けはなしだ。むしろこっちも、君に進化してもらわなければ戦力にならないからね。こっちに来てくれるかい?」
小太郎が移動しはじめるので、ブラットも慌ててソファから立ち上がりその後を追ってみれば、入って来たときにはなかった虹色に光る扉が入り口から見て右側の壁に現れていた。
その扉を小太郎は無造作に開け放ち、先に中へと入っていく。
ブラットも何がはじまるのかと期待半分、不安半分な気持ちで、その扉の先へと入っていくのであった。