第三話 進化の扉を探せ
ブラットはすぐさまフレンド一覧を開いて、『HIMA』と『はるるん』というアカウントネームの人物へとボイスチャットを繋いだ。
「緊急事態発生! もうなりふり構っていられない! 手伝って!!」
『え? なになに? どうしたの?』『どうした!?』
これまで進化のことばかりは他人を頼ってこなかった。頼る余地もなかったというのもあるが、ここまで貫いたという矜持もあった。
けれどもう、そんなことは言っていられない。目の前にぶら下げられ、これが終わったら食べていいですよ言われていたニンジンを下げられてしまったのだ。
これにはもう限界だ。今すぐにでも進化がしたい。そんな気持ちから、『HIMA』こと葵と『はるるん』こと治樹を頼ることを決心した。
先ほど読んだばかりのクエスト内容を、二人にもスクリーンショット付きで送り付け、現状を説明していく。
『進化にクエストなんて聞いたことがないな。
新たな進化先を増やすためのクエスト情報なら、いくらでもあるんだが……』
『それに進化の扉ってなんだろ。私も聞いたことない』
「でしょ? じゃなかった。だろ?」
オネエキャラでもない少年が女言葉では気持ち悪いかと、色葉はこちらでは『ブラット』として演じてきたことを思い出し言葉使いを訂正する。
『少し待っててくれ。俺はクラメンに聞いてみたり、情報を集めてもらうことにする』
『こっちもクラメンたちに聞いてみるね。とりあえずブラット、一町で落ち合おっか』
『レクーア』という名前が付けられているが、プレイヤーたちがはじまりの町を指す言葉は『一町』。
どちらにせよ、ここでモンスターと戦う理由もないブラットも否はない。すぐに一の町へと取って返すことにした。
幸いHIMAも、はるるんも大手のクランに所属している。
HIMAはBMOの世界の最前線を切り開いている有名クランの一つであり、入るための条件を女性プレイヤーとしている──『Holy Maiden Knights』の攻撃の要とまで呼ばれるエース。
彼女の言葉ならば、耳を傾けてくれるプレイヤーも大勢いる。
またはるるんに至っては、情報収集や検証好きが集まった変わり種のクラン──『百家争鳴』のクランマスターだ。
やりこんでいるプレイヤーでも知らないようなことまで知っている集団なので、誰か一人くらいは聞いたことがあるかもしれない。
そんな願いをこめながら、自分でも帰り道にそれらしきものがないが探してみることにした。
結局帰り道にそれらしきものはなく、一町の門まで帰ってきたブラット。
たいして期待していたわけではないが、それでも気を落としながら門をくぐろうとすると、奇妙なものを目の端に捉えた。
「うん? なんだろ?」
門をくぐるのをやめて、そこから少しはずれた町壁の方へと歩みを進める。
門の前に立っていたNPCの町兵が怪訝そうな視線を向けてくるが、無視して壁に顔を近づけた。
そこには奇妙な文字のような記号のような、キラキラと光り輝く何かが壁の落書きのように描かれていたのだ。
「こんなもの、今までなかったはずだけど……」
半年間ずっと通い詰めた町の、それも入り口に近いこんな場所に、こんなものが描かれていればさすがに気づく。
となればもしかしなくても、これがクエストのヒントなのではないだろうかと推察する。
『ブラット、今どこ? 私は一町についたよ』
『オレも今ちょうど門の前についたところ』
『了解。あと、クラメンに聞いてみたけど誰も知らないっぽいよ』
『ありがと。それなんだけど、ちょっと町の外に来れる?』
『え? うん、別にいいけど』
ブラットが舐めるようにそのナニかを見つめていると、後ろから声をかけられた。
「やっほ、来たよブラット」
「HIMA、ちょっとこれ見てくれ」
「ん? どれ?」
やってきたのは、非常に可愛らしいキャラクター。
背丈は一六〇そこそこ。フワフワと柔らかで毛量の多い、キラキラと光の粒子が舞うオレンジ色の長髪。
触れれば壊れてしまいそうなほど儚げな顔立ちに、優しい金の瞳。
エルフを思わせる長くとがった耳をして、頭の上には天使の輪が浮いている。
腰からはその天使を示す大きな白翼が生えているが、その翼は端に向かうほどにグラデーションのようにオレンジ色に透けた膜のようになっており、動かすたびに火の粉が舞う。
そして身にまとうのは現在プレイヤーが持てる最高峰の装備品の数々。
白い軍服に鎧とドレスを上手く混ぜ合わせたかのようなデザインで統一されていた。
このキャラクターはもともと『天使』の『劣等種』からはじまったが、進化を進めていったことによって天使をベースに『エルフ』と『焔光妖精』が混じった種になっている。
本人いわく、かわいくて強いを目指した結果なのだそうだが、その難易度はかなり高い。
そんなHIMAがブラットの指さす場所を、目を細めて確かめた。
「えっと、なにかあるの?」
「もしかして見えない?」
「なにが?」
埒が明かないので自分の視点をスクリーンショットで記録し、その画像データをHIMAへと送り付ける。
そうしてはじめて彼女にも、そのマークを見ることができた。
「こんなの私見えてないなぁ。でもブラットには、ここにこの模様だか記号だかが見えると」
「そうなんだ。それも進化条件を満たした後、急に。一応はるるんにも情報共有しておいてっと──よし」
自分だけ見えるようになったマークの画像を送りつけながら、文字も添えて説明しておく。
するとすぐに向こうから返信があり、マークの調査もすると請け負ってくれた。
暗号好きのクラメンが大はしゃぎで調べはじめてくれたらしい。
「う~ん、今のところ、はるるんさんの報告待ちだけっていうなら、他にも同じようなマークがないか探してみる?」
「そうしてみよう。とりあえずは……町の壁を一通りぐるっと見てきた方がいいか……」
「そうだけど……、ブラットのST的に一日じゃ無理だよねぇ」
ぽてぽて歩きでなければ、すぐにST切れを起こす体だ。広い町の外を一周となると、それ相応の時間が必要になってしまう。
「なら、こうするしかないね。ふふっ」
「うぅ……、ごめん」
だがそんな悠長なことはしていられない。HIMAがひょいとブラットを持ち上げると、左腕に座らせそのまま軽く走りはじめる。
彼女はこんな可愛らしい見た目をしているが、槍を手に敵に突撃し蹂躙していくパワープレイヤー。
小さな少年を片腕に乗せて走ったところで、そうそうST切れなど起こしはしない。
ただ絢爛豪華な装備を全身にまとった可愛らしい女性が、ボロの腰布を巻いただけのガリガリの少年を抱えて走る姿はあまりにもちぐはぐではあるのだが。
しかし結局町の外壁にはそれらしいものは見当たらず、今度は町の中へと捜索範囲を広げていった。
外にも人はいたが、中はもっといる。
ちぐはぐさ故に目を引く上に、HIMAは非公式ファンクラブがあるほどの有名プレイヤー。
ブラットは、ずっとモドキでプレイしている変態として知られる有名プレイヤー。
周囲の注目を集めながら抱っこされる気分を嫌というほど味わいながら、町の中を少し歩いていると、ようやく二つ目の光るマークを発見した。
「さっきのとはまた形が違う……。何を示してるんだろ」
「はるるんさんからは連絡きた?」
「今二枚目のSSを送ってみたけど、これまで出てきたゲーム内の記号や文字のどれにも近い物すらないってさ。とーーー本人はこっちに来るって。
自分には見えなくても、新種のクエストには興味あるみたいだし」
「それじゃあ、とりあえずここで待ってようか」
少しばかり待っているとドワーフのようなずんぐりむっくりとしたヒゲモジャで、モノクルを左目にかけたおっさんが軽快に走ってやってきた。
着ている服もどこかポップで、アニメキャラのように見えてしまう。
そんな彼こそが色葉の兄──『治樹』こと『はるるん』である。
そしてその隣にはもう一人。白磁がごとき人離れした白い肌に、鎖骨を見せるようなスクエアネックのペプラムトップスに、胸元の開いたジャンパースカートといういでたちの『アラクネ』の女性も。
その女性は一見ラフな格好に見えるが、細かな刺繍やレースもさることながら、現在このゲームにおいて入手が難しい上質な素材を用いたものを当たり前のように着こなしていた。
彼女は現実世界で治樹とお付き合いをしている『小春』。BMOでは『サクラ』と名乗り、服飾系の生産職上位プレイヤーとして活躍している。
余談ではあるが、彼女の下半身の蜘蛛はかなりリアルな蜘蛛。
けれどBMOにおいては個人の設定で苦手な形をしたものに対し、ゆるキャラのような姿に見えるようにすることもできる。
色葉たちは様々なゲームで慣れているので、その設定は適用せず、そのままの姿で表示しているのだが。
「サクラさんも来てくれたんだ」
「私も一応、『百家争鳴』のクランメンバーだからね。気になっちゃって」
「百家争鳴のクラマスとしても、こればっかりは見逃すわけにもいかんからな」
「まあ、はるるんはそうだろうさ」
さらに追加で有名プレイヤーが二名も増えた。
いよいよ何をしているんだと周囲の注目も増すばかりではあるが、いちいち気にしたりせず四人で町をグルグルと探索していく。
普段一町で過ごしているプレイヤーですら知らない妙な隠し通路まで、はるるんは網羅している。道案内として、これ以上最適な人物はいない。
それからNPCの民家の壁や石畳などいろいろな場所にマークが記されており、それらを順調に見つけていくと法則性がなんとなく見えてきた。
「ブラットがマークを見つけたという場所に、地図に印をつけていたんだが、今のところ全て直線距離で等間隔に記されているみたいだな」
「ならその距離の範囲内を目安に探していくのが効率的か」
まさにはるるんの言った通りで、以前の記号から決まった距離を円を描くように探してみれば簡単に見つけていくことができた。
そのままどんどん見つけながら、町の裏門のほうへと進んでいく。
「えっと、ついに町の一番奥まで着いちゃったけど、なにか変わったことあった?」
「とくにないね。クエスト画面にも変化ないし」
ずっとブラットを抱っこしながら歩いてきたHIMAに進展を尋ねられるが、未だに進化の扉とやらへの道が開けた様子はない。
「うちの暗号とか言語が好きな人たちも、全部のSSを見ながら何か繋がりがありそうなものがないか、ゲーム外のところとかからも調べてるみたいだけど、まだなんにも分からないみたいだよ」
「まだ手掛かりすらないということは、誰も行っていない先のフィールドになら、解析のヒントがあるのかもしれない。
モドキってのは設定的に必要な血統だと説明書きにも書いてあったしな。
後に出てくるモドキに関するストーリーイベントでも似たような記号が出てくる可能性も無きにしも非ず……そうなると…………ブツブツ……」
何やら一人で考察をはじめだすはるるんを置いて、今度はまた表門の方へと先ほどまでの法則を踏襲しながら探していく。
するとまだまだマークはあるようで調子よく見つけていくことはできたのだが、ここで新たな事実が発覚する。
行きに通ったときにはなかったはずなのに、帰りに通ったときにはある場所が複数あったのだ。
これにより、ブラットたちは見る順番が決まっているのだろうと推測。
さらにマーク探しを進めていく中で、これまでの記号があった場所を線で結んでいくと、町全体を使った魔法陣のような形になっていっていることにも気が付いた。
その完成像を浮かび上がらせながら、ブラットたちは町を右往左往と練り歩く。
そうしていると、不思議なことにブラットにはどちらの方向に記号が記されているのか分かるようになってきた。数をこなせばこなすほど正確に。
ブラットの示す方角へと進んでいくと、やがて町の中心部からは外れた薄暗く何のためにある区画なのかも分からない狭く寂れた場所の行き止まりに差し掛かった。
そしてその行き止まりの壁には、今まであったマークとはけた違いに大きく光り輝くものが記されていた。まるでここが最後だと言わんばかりに──。
「大きい……、それに目を細めないといけないくらい眩しい」
「ほんとだ。今送ってもらったSSじゃあ、光でどんな記号が描かれてるか分からないくらいだし」
「くっ、いろ──ブラット! どんなマークなんだ!? 絵に描いてくれ!!」
「いや今、本名言いそうになっただろ? マジで気を付けてくれよ」
「とか言いながら描いてあげるのが、ブラットくんなんだよねぇ」
「そうですねぇ」
何やら兄の彼女と親友が話しているが無視をしてはるるんが渡してきた紙に、目を細めながらマークを観察し写すと押し付けるように渡す。
嬉しそうに受け取るはるるんに苦笑しながら、ブラットはその光り輝く記号に近づいていくと、なぜか無性に触らなければならない気がして、そっとそのマークに指先を当てた。
するとその漏れ出るほどに周囲を照らしていた光が、扉の形へと収束するように目の前にドアが現れた。
「おー、派手だ。それでこの光の扉が、進化の扉ってやつで間違いなさそうだな」
「なにっ!? ブラット、はやくSSを送ってくれ!」
「はいはい──っと」
「おお! 自分の目で見れないのは残念だが、これだけでもありがたい!
これでいくと…………このあたり…………のようだが、俺にはただの壁だな」
「そうだね。マークが見えてたのもブラットくんだけだったし、そもそも劣等種を選択した私たちには、この扉を通る資格もないだろうしね」
ブラットが光の扉に手をかけると、次のような注意書きが目の前に現れた。
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この扉は進化の扉。
この扉を通った瞬間に進化への試練が始まります。
先で始まる試練において──
HP、MP、STは無限。
不死状態で死ぬことは絶対にありません。
敵を倒す必要もありません。
けれど後退は許されず、ただひたすらに前を目指しましょう。
途中でログアウトした場合、試練失敗。
後ろに自分の意思で下がった場合、試練失敗。
試練失敗後は速やかに、この場所に転送されます。
試練に挑めるのは一度だけ。
この試練に失敗した場合、二度と進化は望めません。
この先へ進みますか? Yes or No
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〝Yes〟と〝No〟の文字が点滅している。
ここで前者を選べば、すぐにでもこの扉は開きブラットを招き入れてくれることだろう。
だが、これはどうやら一発勝負。であるのに、どれほどの時間がかかるかもわからない。ならば──。
「ちょっとトイレ行ってくる!」
「「「はぁ!?」」」
──まずは憂いを失くしておいた方がいいだろう。
驚く三人を置き去りにしてログアウト。そしてパパっと済ませてログインしてから、三人に謝りつつ状況を説明した。
「なるほど。しかし一発勝負とは……これまた恐いな」
「どんな試練なんだろ。私も気になるなぁ、ブラットくん。後で詳しい内容教えてくれる? そしたら進化した後の姿にピッタリな衣装をタダで作ってあげるから」
「マジで!? サクラさんお手製とかめっちゃ高いのに。めっちゃ詳しく教えますね!」
凄すぎて分不相応になりかねない可能性もあるが、モドキの進化は前人未到の領域だ。情報の対価として好意は受け取っておこうとブラットは笑みを浮かべた。
「さて、それじゃあ行ってくるかぁ。どんくらいかかるか分からないから、適当に遊んでていいからな」
「どうせなら最後まで見届けたいし、私はここで待ってる。頑張ってね、ブラット」
「おうっ!」
親友の応援に満面の笑みで答えると、他二人の応援の言葉も耳にしながら、ブラットは進化の扉を開くのであった。