第百四八話 色葉の心
葵と一緒に遊園地で目一杯遊び自宅に帰ってきた色葉は、さっそく彼女との帰り際の会話で抱いた不安を解消すべく、鈴木小太郎のコール番号を表示しメッセージなどではなく直に通話をかけてみることにする。
以前と違い少し時間はかかったが、一〇コールほどおいて繋がった。
「もしもし? 鈴木さん?」
『ああ、そうだよ。済まないね。今、今後のBMOの方針でちょっと慌ただしくて出るのが遅れてしまった』
「こっちこそいきなりかけたから、別に気にしてないよ。それよりも今、大丈夫?」
『ああ、問題ない。うちのスタッフは優秀だからね。私が多少抜けても、きっといい周年き──いや、企画を作り上げてくれるはずだ』
色葉のおかげで用意していた一周年の企画が吹っ飛んだことで、小太郎もCEOとして慌ただしい毎日を送っていた。
そのおかげでブラットが強くなるというのなら、彼にとっては嬉しい誤算でもあるのだが。
「んん? まあ、大丈夫そうならよかった。実は聞きたいことがあるんだけど──」
色葉は掻い摘みながら、今日感じた不安について小太郎に語って聞かせた。
『あー……そのことか。確かに灰咲さんの言う通り、精神に何かしらの影響が出るかどうかと言われれば、出る可能性が高いと言わざるを得ない』
「やっぱりそうなんだ……。それって零世界にいればいるほど、いずれ私が私じゃなくなるってこと?」
なぜBMOが世に出るまで現実世界を忠実に模倣した仮想現実しか法律上許されてこなかったのかといえば、仮想と現実の区別が付かなくなり、現実に存在する本来の精神が汚染される危険性を孕んでいるとみなされていたからだ。
色葉は専門家ではないので詳しいことは分からないが、規制されていたということは、その状態が無害というのはありえないだろう。
『そのことなんだが、あまり心配する必要はないと先に言っておこう』
「それは何故?」
『他の前任者たちも大なり小なり本来の精神に影響が出たりもしていたが、それはいずれも軽微なものだった。
しかも彼ら彼女らは漏れなく全員が、それまでのことをゲームの中の出来事だと認識を変換したことで、そういった影響も全てなかったことになっているからだよ』
「あっ……そっか、そういえばそんなこと言ってたっけ」
『それはもちろん私のやっていること、EW社の真実なんかを外部に漏らさないようにするという理由もあるが、協力者たちの精神を守るためでもあるからね。
EW社はその認識の変換を超常の力ではなく、それを参考に科学的にできるようにしたことで、BMOにも適応されている精神汚染の起きないバーチャル世界の技術を確立したそうだしね。
だからもし君がベグ・カウを討伐前に、灰咲色葉という個を保てないというほど酷い症状に陥った、もしくは陥りそうで不安になったのなら、すぐ相談してほしい』
「……そこで私のチャレンジは強制終了ってことになるの?」
治す方法が零世界をゲームの世界だったという認識に挿げ替えることというのなら、色葉がブラットととしてあの世界でやっていけなくなるのと同義だろう。
そんなチャレンジの失敗の仕方でブラットを失うなんて絶対に嫌だと、少し責めるような口調で問いかけたのだが、通話先の小太郎は「いやいや、まさか」と一笑に付した。
『灰咲さん、前にも言ったと思うが君の代わりは、もう一人だって用意できない。君こそが私にとって最後の希望なんだ。
だから精神汚染が酷いからここで終わりだね──なんて、そう簡単に降りられてしまっては困るんだよ。私だって君に命を賭けているような状態なんだから。
私が言いたいのは日常生活に異常をきたしたり、ブラットという零世界にいるもう一人の自分との自我が混ざり合い、それを否定したくなったり、気持ち悪く感じるようになったのなら、それを治療する術もちゃんとあるということなんだ』
「ゲームの出来事だと思うこともなく?」
『そうだよ。まあ……その術を持つのは当然ながら私ではなく、EW社の人間なんだがね。私にはそんなことできないし、あっはっは』
「けっきょく人任せなんかいっ」
『もちろんさ。私は君にできもしないことをできるとは言わないし、隠し事もする気はない。
君が聞かせろと言うのなら、BMO内の隠し要素を全てリークしたって構わないよ。どうだい?』
「絶対にやめて。そんなことしたら、ブラットという存在に執着できなくなりそうだから」
『ははっ、だろうね。君ならそう言うと思うからこそ、私は必要以上に灰咲さんに情報を流したりしてないんだから』
BMOに隠された要素をリークしてもらえば、ブラットはもっと簡単に強くなっていくこともできるだろう。
なんだったら小太郎の権限で隠しイベントも何もなく、あらゆる制限を無くしてBMOでチート的な存在にすることだってできなくもない。
だがそうした瞬間、色葉にとって大切なブラットという存在は、一気に薄っぺらで空虚なタダのデータに成り下がる。
零世界においてもガンツ隊の皆やアデルやヌイにグリード、スフィア、イグニスに新たに加わったファフニールと大事だと思える人たちもいる。
だがBMOにいるブラットいう存在を強くしたいという思い、ゲーマーとしての思考がなければ、今ほどの熱量を持って今後やってはいけないだろう。
それにゲーム的な要素があるからこそ、異世界の人類を救うなんていう女子高生には荷が勝ちすぎることもやれているが、それがなければ重圧に押し潰されてもおかしくない。
だからこそ、そうした方がブラットという存在を簡単に強くすることはできると分かっていても、色葉は求めないし小太郎も自分からやろうとは思わないのだ。
もちろん、いきなり別人のように強くすれば自分の肉体のように思えなくなり、色葉の魂がブラットの肉体を拒絶するようになる可能性もあるからというのもあるのだが。
『というわけで、せめて私ではなく地球人サイドの組織であるEW社を信じて、このまま安心して零世界で活動を続けてほしい。
彼らは地球の常識内という枷がなければ、それくらいどうにかするのは訳もない。
だから少しでも変質した自分の精神が嫌だと思ったら、気軽に相談してくれ。すぐにそれが治療できる人間を呼ぶから、我慢する必要もないからね』
EW社が小太郎に協力しているのは彼のためではなく、彼が好き勝手に地球人を利用しないようにするため。
EW社は色葉か小太郎のどちらかしか守れないというのなら、躊躇いなく色葉を選択するような組織なのだ。
「分かった。とりあえず、その言葉を信じるよ。嫌だなって思ったら、すぐに相談させてもらうからよろしくね」
『変に我慢してブラットという存在に恐れや嫌悪を抱かれては、零世界での行動もままならなくなってしまうだろうしね。
それに影響はあると言っても、どこまでいっても君は君。過去の例を見ても、そうそう酷いことにはならないはずだから安心してほしい』
小太郎にとっても色葉の精神が安定している方が望ましい。
そんな彼にとっての打算もあるからこそ、色葉はその言葉を簡単に信じることができ、通話を終えた。
(この色葉の精神も、大なり小なり零世界でのブラットの影響は受けるのは間違いないみたいだね。
けど簡単に治す手段もEW社にはあるみたいだし、とりあえず安心かな)
別に今の状態を変だとは思わないし、違和感も感じない。これくらいなら許容範囲内だろう。むしろ少しだけ男性の頼もしさも加わって、クールで頼れる大人色葉ちゃんになれるかもしれないとすら思いはじめる始末。
ただ気になったのは──。
(私がもし、いつかベグ・カウを倒しちゃったら、もしくは死んじゃったら、アデルたちのこともただのゲーム──データの存在でしかなかったって思うようになっちゃうんだね。
でも……それはちょっと、寂しい気がするなぁ……)
零世界で築き上げた思いも本物だ。ガンツたちもアデルたちもグリードたちも皆、本物。
そんな当たり前のことすら、ただのゲームの登場人物たちとの思い出になってしまうことが、ここで少しばかり色葉の心にしこりとして残った。
遊園地に行った日もちゃんと訓練と稽古だけは忘れずにこなしてから、昨日も就寝したので抜かりはない。
そんな色葉はBMOにダイブし、必要な準備を済ませて零世界へと移動する。
いつものようにブラットとして目覚め、着替えて顔を洗い食事の準備──と朝のルーティンをこなしていく。
(家事なんかしたことなかったけど、案外慣れるもんだなぁ)
手早く食事の用意を済ませ五人で食卓を囲んで食べながら、ブラットはトカゲ型なので机の上に乗って食べているファフニールに向かって口を開いた。
「今日でたぶん、ファフは進化できると思う」
「キュルゥーー!」
ファフの愛称で呼ばれる彼は、経験値ポーションで少しだけ体が成長し、これ以上は大きくならないことからも成長限界が近いとみて間違いない。
そこでブラットは、彼の進化用の素材を今日こちらに持ち込んでいた。
「やったな! ファフ。けど俺のときより、めちゃくちゃ早くないか? 兄ちゃん」
「イグニスはちょっと特殊だったのと、ファフの場合は神様が用意する前に持ってたものらしいから早く準備ができたんだよ」
確かにこのメンバーの中で、ほぼ最速クラスの速度での進化だ。イグニスと比べれば雲泥の差といえよう。
だがとくにそれで嫌な空気が流れるほど、イグニスは複雑な性格をしていない。そうなんだと素直に受け入れ、弟分の進化を心から一緒に喜んでくれていた。
皆も気になっていたようで、急いで朝食を済ませ進化の時が来る。
ファフニールに必要な分だけ経験値ポーションを慎重にブラットが飲ませていき、完全にエネルギー供給の限界が来たところで進化素材を手早く渡していく。
一つ目は【毒蜥蜴王の血液】。二つ目は【ファフニールの繭片】。
そして三つ目として最近手に入れた【絶脈の雫】を──と最後の素材を渡そうとしたのだが、突然スフィアから待ったがかけられた。
「お兄ちゃん! その中に、これも混ぜたほうがいい気がするの!」
「えっ? これを?」
「キュウゥウ……」
「ほら、早くしないと進化しちゃうよ!」
「わ──分かった!」
スフィアに渡されたのは、棚に入れていた【命脈の雫】。それを真逆ともいえる【絶脈の雫】に混ぜてから渡せと言う。
そんなことはBMOでもしたことがなく、どうなるか全く分からない。
だがそう言っているのはスフィアだ。これも星の導きだとブラットは彼女を信じ、一瞬の迷いを切り捨て二つの素材を一対一の割合で混ぜ、一生懸命進化を我慢してくれていたファフニールに素早く手渡した。
するとガラス瓶の中に入った紫白色になった謎の液体だけを体に吸収していき、完全に肉体が進化をはじめる。
「グュキュギュウーーー!!」
メキメキと体は成長を遂げ、全長一二〇センチ程度まで大きくなった。形態はそのまま人型になることもなく、オオトカゲの形態だ。
不揃いだった鱗も綺麗に整い、色はほぼ全身紫色だが尻尾だけは紫白色になっている。歯も綺麗に上下生え揃い、噛まれると痛そうだ。
そして変わった特徴として、ファフニールの尻尾の先から紫白色の鱗が双葉のように二枚ぴょこんと飛び出していた。
「あの素材で、ちゃんと進化できたみたいだな」
「えへへー、だから言ったでしょ? ファフは大丈夫?」
「うん! ありがと、ブラット兄ちゃん、スフィア姉ちゃん」
「ファフも進化して、ちゃんと話せるようになったんだ」
「これでやっと皆とちゃんとおしゃべりできるようになったよ、グリード兄ちゃん!」
人懐っこくキュルキュル喉を鳴らしながら人の言葉を発し、今後のコミュニケーションも円滑に進められそうだ。
イグニスは「でかくなったな!」と、ファフニールの頭をゴシゴシと撫でる。
「おめでとう、ファフ。これでファフも皆と戦場に立てるようになったと思うんだけど、どうだ? いけそうか? 恐いなら別に無理しなくてもいいからな?」
「ううん、今の僕なら大丈夫だと思う! モンスターなんてガブッってやって倒しちゃうんだから!!」
グワッと口を大きく開けると、白い牙が一瞬で紫色に変色し先からポタポタと紫色の液体が口内に流れ落ちていく。
「ちょっと採取させてもらってもいいか?」
「ひーひょー」
口をあけっぱなしにしてもらったまま、空いたガラス瓶の中にその液体を入れて【ディテールドアナライザー】で確認していく。
「【強毒】……か。毒に耐性のないモンスターに対して有効な、汎用毒みたいだ。一次進化でこの毒素は、なかなかのもんだと思うぞ」
「やったー!」
「けど、となるとファフの戦い方は基本的に、噛みついて毒を注入するって感じになるのかもしれない。他には何かできそうか?」
「うーんと……うーんと…………あっ、こうかも!」
ファフニールが双葉のような鱗が先っぽに生えた尻尾を上下に動かすと、その鱗から薄桃色の粉が部屋の中に舞い散るのと同時に、花の甘い香りが広がっていく。
「これは…………毒ではないみたいだな」
「それどころか、なんか体の調子がいい気がするぞ! 兄ちゃん」
「言われてみれば、俺もそんな気がするかもしれない」
「いー匂いだね~」
人体に害はなさそうなので、適当に粉を集めさせてもらい【ディテールドアナライザー】で確認していけば、【癒しの花粉】という名称と共にその効果も教えてくれた。
「この花粉を吸いこめば、多少の切り傷や打撲なら治癒するのか。
モンスターに吸われても回復することになるだろうけど、そこは気を付けて使えばいいか」
「他にも、こんなことできるかも!」
「ん? 今度は黄色い粉か。どれどれ」
再び尻尾から舞い散る粉を採取。香りは柑橘系のサッパリしたもの。
【活性の花粉】。効果は五分ほどの間だけ吸引した者は疲れにくくなり、わずかに身体能力も向上するという。
その後の検証によって、他にも【吸毒の花粉】という甘いを通り越してネットリとした甘ったるい粉で、吸い込めば軽微な毒状態になるのと共に呼吸がしづらくなり、動きが鈍るという効果を持った毒系の花粉もきっちりと備えていた。
「回復、強化に毒か。毒が効かない相手であっても、ヒーラーとして充分に活躍できそうだ」
魔法系のヒーラーではなく、回復薬を自分で生成し、ばら撒いて回復させるタイプのヒーラー。
一度に複数回復させることはできるが、相手が近くにいるとそちらまで回復してしまうというデメリットもある。しかしブラットが欲しいと思っていた、回復役ができる人材だ。
(たぶんあそこで【命脈の雫】を混ぜてなければ、純粋な毒特化型の子になっていたのかも。
それはそれで強そうだけど……、スフィアの直感がこっちを選んだってことは、たぶんこの子はこっちが正解だったんだろうなぁ)
ファフニールを引き取ったことも、こうしてブラットが欲しがっていたヒーラーを枠を埋めてくれたことも、スフィアの直感がなければたどり着けなかった。
本当にあのとき、この子に出会えて幸運だったとブラットは改めて彼女の凄さを実感した。




