第百十三話 ニア=エレ
スリーヘッド・シャドウデーモンを討伐すると、ボス扱いらしくドロップアイテムが三つ転がった。
レベルアップのアナウンスを聞きながら、ブラットはそれらを拾い集めていく。
元凶の悪魔が討伐された影響か無残な光景だった森の一角も、逆再生するかのように少しずつ元の美しさを取り戻しはじめた。
「えーと、【影悪魔の被膜】に【三首影悪魔の心核】、んでもって【穢れた風魔剣】?
あれ? なんか一発で魔剣が出てるんだけど、もしかしてラッキー?」
本来低確率のレアドロップ品である魔剣は、悪魔を倒した場合に限り確定でドロップする。
しかも妖精を倒して手に入れた場合は【劣化した風魔剣】と、【穢れた風魔剣】より性能が一段低いものとなっていた。
見た目は悪魔の尻尾の先についていた剣を、そのまま切り離したような黒い剣だ。
そんなこととは知らずに百回以上の往復マラソンも覚悟していただけに、拍子抜けしながら手持ちのスロットに魔剣をしまい込んだ。
「ギィ──ッ────がぁっ」
「そうだ、妖精っ」
ドロップアイテムにすっかり夢中になって忘れていたが、妖精がいたことを思い出して振り返る。
すると黒い靄を体から立ち上らせながら、苦しみ藻掻いていた。
「これは………………──ああ、もう、よくわからないけど助けてみよう!」
このままただ見ているか、それとも助けようとしてみるか、その二択から後者を選ぶ。
ブラットは手持ちのスロットから、回復ポーションを取り出して妖精に振り掛けていく。
聖なる素材を使ったものなので、この邪悪な靄にも対抗でき、同時に抗うための体力もつけられるのではと考えたからだ。
「ごほっ──ごほっ──」
「顔つきが変わってきた。大丈夫かっ? まだポーションならあるぞ!」
効果はそれなりにあり、黒い靄はポーションが触れたところから消えてくれ、少しずつではあるが穢れた妖精の体が浄化されていく。
あの頬まで裂けた不気味な口も通常の唇を取り戻し、黒く染まっていた眼球も緑色の綺麗な瞳に戻っていく。
髪色も艶のある緑に変化していき、邪悪な気配が消失していくのがわかる。
ブラットは回復ポーションを振り掛けながら【ヒール】もかけ、彼が完全に意識を取り戻すまで丁寧に介抱し続けた。
「ぅ…………ぁぁ…………。──ごほっ…………ぉ、ここ……は?」
「意識が戻った! ここは妖精の森だ。自分がどういう状況なのかは、わかってるか?」
「……ぇ……え? 僕は…………あ、ああっ、そうだ。
悪魔が急にやってきて、変な靄に捕らわれて、それからっ──あいつは、あいつはどこっ!?」
「落ち着け。もうそいつはいないから安心してくれ」
「ほ、本当に?」
「ああ、これが証拠だ。あいつの尻尾の先についてた剣なんだが──」
ブラットは証拠にと先ほど手に入れた魔剣を取り出し、妖精に見せた。
すると最初は穢れを見て顔を歪め、あの悪魔が使っていたと聞いて嫌悪感を露わにして顔をそむけた。
「僕の剣だ……。あいつが使ってたなんて……最悪だ」
「あー……これ君のだったのか。えっと、返そうか?」
「ううん、あいつが使ってた武器なんて手にしたくない。……欲しいなら君にあげる。
けどそんなに穢れた武器を君は使えるの?」
「オレはまあ平気だな。穢れてないに越したことはないけど」
種族として邪悪属性、または闇属性を有していなければ、むしろこれは害にすらなる魔剣。
もし今後、何かの拍子に邪悪属性がブラットから抜けてしまった場合、使えなくなってしまうので、できればどんな種族になろうと今後も使い倒せる方がいいとはブラットも思っていた。
「そっか……。あっ、なら、お礼ってほどではないかもしれないけど、ニア=エレ様に頼んでみようか。
あの方なら、きっと浄化もできると思うよ」
「なんか凄い人なのか?」
「凄いよ。世界の何割かは、あの方の影響を受けていると言っても過言じゃないんだから」
「すごっ。そんな凄い人に会わせてもらえるのか?」
「うん。最終的に会うかどうかはニア=エレ様が決めることだけど、悪いようにはならないよ、きっと」
「なら、お願いしようかな。そうだ、オレはブラット。君は?」
「僕はヒューザだよ。じゃあ、それを持ってこっちに来てブラット」
本来ならば妖精を殺したことで悪魔が去り、一時的に元に戻った森を後に一人、もしくはパーティメンバーとだけ進む道を、妖精──ヒューザに手を引かれブラットは【妖精の湖】イベントが起こるはずだった場所へと一緒に向かう。
ひどかった森もヒューザが元に戻った頃には完全に美しさを取り戻し、また清々しい空気に満ち溢れていた。
そんな道をヒューザと話しながら進んでいくと、大きな湖が視界に飛び込んでくる。
美しい湖といった風情で、湖面の上には何十という数の妖精たちが楽しそうに飛びかっていた。
ブラットの存在に気が付くと手を振ってくれる人懐っこい妖精もいて、思わず口元を緩ませながら手を振り返す。
だが近づくにつれて湖自体が発しているような、神聖な気配が本能に訴えかけてきて、近寄りがたい雰囲気に捕らわれそうになるが、ブラットはそれを振り払いヒューザに手を引かれるまま縁まで移動した。
「じゃあ、ちょっとここで待ってて!」
そう言うとヒューザは湖の中心に向かって飛んでいき、そよ風を起こしながらブラットには聞こえない声を発するように口を動かし、湖に波紋を浮かべていく。
波紋は次第に大きくなっていき、ブラットが感じている神聖な気配もどんどんと強くなりはじめる。
近寄りがたさを強く感じながらも、言われた通りその場で動かず待っていると、湖の中心から、ここまで垂れ流されていた神聖な気配を濃縮したような、この世のものとは思えない美しい女性の姿をした大精霊──ニア=エレが現れた。
ブラットの視線に気が付くと、慈母のような優し気な笑みを浮かべてくれる。
すると近寄りがたかった雰囲気が急激に収まっていき、気を張らなくてもいられるようになるのを感じた。
ニア=エレはその笑みを浮かべたまま、いつの間にか彼女の後ろに控えていた女性の水精霊、男性の風精霊、女性の植物精霊の三人と、オマケのようにヒューザを引き連れて、悠然とブラットの前まで湖面を歩いてやってくる。
三人の精霊も相当な強者の風格を持っているが、それでもニア=エレの前では霞んで見えた。
「此度の件、この子から聞きました。ありがとう、この子を救ってくれて」
「いや、たまたまそういう結果になっただけなんですけど……。
最初は普通に襲い掛かってきたヒューザを、倒そうとしちゃってたし」
「それでも、ありがとうと言わせてもらいます。
もしそのまま放置されていれば、より多くの者が傷ついていたかもしれないのですから」
「おそらくその悪魔は、この地や我々、そしてニア=エレ様を狙っていたのでしょうしな」
後ろに控えていた風精霊が、そんなことを口にする。
悪魔は妖精を操り、やってきた人間たちを殺して回り、ここが危険な場所、妖精は危険な存在であると周知させ、外の者たちにここを攻めさせ戦場に変える。
そうしてこの場を血で穢し精霊の力を弱らせ、死にかけの人間や妖精、あわよくば精霊や大精霊をも食べ、より上の存在に至ろうとしていたのだろう──と続けてニア=エレたちの見解も聞かせてくれた。
「それがホントだとすると、モンスターのわりに妙に知恵が回るやつですね」
「モンスターであっても、悪魔という種は自分の利となる匂いがわかるといいます。
今回もそれに従って、本能のままに動いた結果でしょうね」
本来ブラットがやろうとしていた【妖精の小道】イベントの妖精と何度も戦えるのは、悪魔がいるから。
妖精が倒されると悪魔が何もせず去っていくのは、次の傀儡となる妖精を探しに行くため。
そしてまた妖精の悪評を広めるために同じことを繰り返す、という行動を起こすからこそ、何度でも穢れた妖精と戦える──という〝裏設定〟があった。
なので本人はまだ気が付いていないが、実はもうブラットは【妖精の小道】イベントを起こすことはできなくなっている。
けれどその代わりに、ブラットはこの森の住民側に誰の犠牲者も出さず、原因の根幹ごと取り除くという最高の成果をもたらすことができた。
結果、【妖精の湖】でも【風精霊の湖】でもない、最上のイベント【ニア=エレの湖】を引き当てられた。
その三つの分岐点は、まず対処療法的に傀儡となった妖精を討伐し、一時的な平和をこの地にもたらすことで、誰もが知っている【妖精の湖】イベントが発生。
ここでは湖まで行くことで妖精たちから感謝され、ゲーム内時間で一日に一度だけHP、MP、ST、HUNのどれかの回復効果を、任意のタイミングで『10%』上昇させることができる称号:【妖精の隣人】を取得することができる。
次に悪魔を討伐するも妖精を助けられなかった場合。もしくは一度でも【妖精の小道】で妖精を殺したことがある場合、【風精霊の湖】イベントへ移行する。
これは悪魔を殺すことで妖精の傀儡効果が解け、自分の眷属たる妖精との繋がりを取り戻したことで、その死の理由(生きていた場合は過去に殺された妖精の暴走の原因)を知った風の精霊が湖に現れる。
そこで事情を説明することでプレイヤーは、風属性への適性を底上げし、それ関連の職業の取得RPを少し減らしてくれる称号:【風精霊の加護】。
加えて【妖精の隣人】の効果が『15%』に上がった、称号【精霊の隣人】が手に入る。
そして今回ブラットが引き当てた三つ目のイベント分岐は、一度も【妖精の小道】で妖精を殺さず悪魔だけを討伐し、なおかつ最後に傀儡となっていた妖精を無事に救うことができた場合のみ、【ニア=エレの湖】イベントへの道が開かれる。
ただし妖精の救出は意外に難しく、HPを半分以下の状態まで削ってしまっていた場合、傀儡から解放された後に発動する悪魔の呪いで確定死亡。
つまり悪魔を倒すまでの間、妖精のHPを最低でも半分よりも少し上程度に保っていなければ、体が持たずに死んでしまうのだ。
けれど今回ブラットは斬り合いにこだわったおかげで、相手はほぼノーダメージ。呪いでの死へのカウントダウンも、余裕を持って耐えさせることができた。
これがもしギリギリ生存範囲内のHPしか残っていなかった場合、呑気にドロップアイテムを拾っている余裕もなく、悪魔が死んだ瞬間にすぐ手を貸しはじめなければ死んでしまうほどシビアな判定になっていたところである。
「改めて、ありがとう。おかげで無駄な犠牲を出さず、事なきを得ることができました。
我々から、あなたに最大限の感謝を──」
「「「感謝を──」」」
「は、はい。どういたしまして」
大精霊であるニア=エレと三人の精霊からのお礼の言葉を、ブラットは少しだけ気恥ずかしそうに受け取った。
そんなブラットを微笑ましそうに、精霊たちや妖精たちが見つめてくる。
その生暖かい視線に耐え切れず、ブラットは話題を変えることにする。
「あの、ニア=エレ様ならこの剣を浄化できると聞いて、ヒューザに連れられてきたんですけど可能ですか?」
「ええ、可能ですよ。そのくらい私にとっては造作もないことですから。
けれど…………そうですね、ただ浄化するだけでは私の気持ちが収まりませんし……。
あなたは普段から剣を使うのかしら?」
「剣というか、魔剣なら魔刃の魔法と相性もいいので使おうかなと思ってて、なのでまだ一回もまともに使ったことはないです」
「では魔剣よりも、他にこういう武器や道具がいいというのはありますか?」
「え? 魔剣よりも……ですか?」
「はい。槍や斧でも、防具や工具でも、好きに答えてください」
なんとなく彼女の意図を察せたので、ここは重要な問いかけだとブラットは全力で頭を働かせ、魔剣以外に欲しい何かがあったかどうかを考える。
(たぶんこれ、好きなのをニア=エレ様がくれるってことだよね。
それでいうなら体操服の脱却を目指して衣装という手も……いやいや、でもそれがもしダサかったら目も当てられない。
それに私の基本スタイルは、攻撃を受けるんじゃなくて避けるほう。
無駄に防御を上げるよりも、倒される前に倒せる力があった方がいいんじゃない?
もともと魔剣が欲しくてここまで来たんだし……だからここは──)
他にもいくつか魅力的な案が浮かび上がるが、ブラットは初志貫徹することに決めた。
「いえ、今は魔剣が一番欲しいです」
「そうですか。魔剣でなくても、魔刃が使えればかまいませんか?」
「はい、大丈夫です」
「わかりました。──では少し、それを貸してください。すぐに終わりますから」
「あ、はい」
素直に魔剣を、差し出されたニア=エレの手に渡す。
ニア=エレは黒く染まったその剣を両手で持つよう水平に掲げ、力を少し込めた。
小さく剣が輝きながら穢れが浄化されていき、あっという間に美しい緑の刃の魔剣に姿を変える。
(お~、あれが自分のものになるのか~。なかなか、かっこいい剣────え?)
自分が手にしたときの姿を脳内に浮かべて見守っていると、ニア=エレの両手に乗っていた剣が粒子となって崩れていき、緑色の光だけがそこに残った。
「あなたたち──」
「「「はい」」」
ニア=エレが一声かけると、後ろで控えていた三人の精霊が彼女に近寄り、その手の平の上の光に向かって自分たちの属性を上乗せしていく。
風の精霊は力が均一になるように、他二人よりも力は少なめに。
赤、緑、黄緑色の光がまだらに合わさっていき、最後にニア=エレもそこに向かって自身の力を込めていく。
三人の精霊と一人の大精霊の力を受けたその光の塊は、やがて剣の形へと変化する。
「そうね。銘は──【精霊剣シルヴァーナ】」
最後にニア=エレが名を与えると、剣は煌びやかな銀色に輝いて、その眩しさにブラットの瞳につけられていた【タコンタクト】が自動発動し、視界がサングラスをかけたように暗くなり目を保護してくれた。
光が収まるとブラットの視界も元に戻り、はっきりとニア=エレが持つ剣の姿を見ることができた。
「──できました。どうぞ、これをあなたに差し上げます」
「あ、ありがとうございます?」
ニア=エレがニコリと笑いながら渡してきたので、ブラットは首を傾げながらも反射的に受け取った。
なぜ受け取っておきながら疑問符を浮かべているのかと言えば、あまりにもその剣の見た目が弱そうだったからである。
(これなら普通に浄化しただけの魔剣の方が強そうじゃない?)
その姿を簡単に言い表すとするなら、精霊剣などという仰々しい物ではなく『石剣』が妥当だろう。
まるでそこらの岩から剣の形に切り出して、それを木製の柄にくっつけましたと言わんばかりの見た目をしているのだ。
とてもではないが、大精霊と三人の精霊の合作とは思えない。
ニア=エレの手に乗っていたときは、異様なほどの力を感じていたというのに、それも今や一切感じられない。
本当にただの石でできた剣としか言いようがない、質素なものである。
(これもしかして、からかわれてる?
実はドッキリで、ちゃんとしたのがこっちに~とかいう展開が──)
「からかわれている──とでも言いたげな顔をしていますね」
「あっ、いや、その……」
「ふふふっ、大丈夫ですよ、安心してください。
それはまごうことなく、私が創り上げた精霊剣シルヴァーナですから。試しに魔刃を使って見てください」
ブラットは頷き返しながら剣を右手に持って構え、その刃に魔刃を重ねるようなイメージで使ってみた。
すると薄い輝きを放つ透明な刀身へと変化した。
(おおっ? なんか妙に手に馴染むし、魔刃の乗りもいい。
普通に魔刃を使うよりも、こっちの方がたぶん斬れる…………けど)
「思っていたほどではないな、ですか?」
「心を読むのやめてもらえます!?」
「ふふふっ、心なんて読んでいませんよ。あなたが凄くわかりやすい顔をしているだけです」
「うっ……」
「大丈夫です。その剣はもっと強い力を宿していますから。
ですがその状態ですと、今のあなたでは使いこなすことは到底不可能です。
今すぐ使いたいという者に、すぐに使えない物は渡せませんよね?
ですので少し手を加えて、あなたの成長と共にその剣の力が引き出せるようにしておきました。
あなたが真にその剣の力を振るえるだけの格を得たとき、本当の姿をあなたの前に現わしてくれることでしょう」
手に入れたばかりの魔剣を一本代償に、このイベントの報酬の一つとして渡されるニア=エレお手製アイテムは、ブラットが予想した通り、プレイヤーが欲しい物を創ってくれる。
剣士なら精霊の剣を、魔法使いなら精霊の杖を、鍛冶師なら精霊の槌を、裁縫師なら精霊の針を──と、あらゆるプレイスタイルに合わせた希望の物を与えてくれる。
だがその本来の性能は凄まじく、現時点において本領を発揮させられるプレイヤーは、どこにも存在しない。
だからこそ、どのプレイヤーが、どの時点でも使えるものをと考え、こういう形に設定されたのだ。
「そういうことか……ありがとうございます。疑ってすいませんでした。
いつか必ず、この剣が本来の姿を見せてくれるくらいになれるよう頑張ります」
「ええ、そのときはまた是非ここに来て私に見せてください」
「はい!」
元気よく返事をするブラットに満足そうにニア=エレは頷き返すと、残りの報酬も渡してくれた。
「あなたに私の加護を授けましょう。きっと役に立ってくれるはずです──」
「わっ」
ニア=エレから煌びやかな銀色の光が飛び出して、祝福するかのようにブラットに降り注ぐ。
《称号:【ニア=エレの加護】を取得しました。
称号:【大精霊の隣人】取得しました》
「あ、ありがとう!」
「ふふふっ、頑張ってくださいね。
──ではこれで、また会いに来る時を楽しみに待っています」
「「「では、また」」」
ヒューザと周囲の妖精たちを残し、ニア=エレを含め精霊たちは湖の中へと消えていった。
「よかったな、ブラット」
「ああ、ヒューザも紹介してくれてありがとう。おかげで、もっと強くなれそうだ」
「君に恩が返せたなら、僕も嬉しいよ」
思っていたイベントとは、かなり違う結果とはなったが、これはこれで大成功と言っていい結果。
ブラットは仲良くなったヒューザに出入口まで見送られ、妖精たちの森から去っていくのだった。




