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美シキ世界ノ鎮魂歌  作者: まめぐされ
プロローグ
4/11

冷たい世界に、1人

ーーーー冷たい。

生きていてこれ程冷たさを感じることがあるだろうか。その冷たさは北の国特有の冷たさでもなく、冬に吹き荒れる寒風でもなく、暑い夏の日に大量に使われるクーラーでもなく、ただ、冷たかった。全てがまさに終わってしまった冷たさ、クラウスにはそれを今初めて理解した。冷たさの割にこの場で瞳を閉じる心地良さは格別だった。死は神が与えた快楽であると語る人間がいる。彼自身、死はアダムとイブが神に離反したことにより罰として与えられたものと教えられたが、今ではそれすら忘れさせられる。今までの自分の人生、先程までの怒りも全てどうでもいいと考えてしまう。

死後の世界というものはこんなにも静かで冷たくて、心地好い。





「あらあら、もう死んでしまうつもりなのかしら。残念」




はっと目覚める。誰かがいる。この居心地のいい死の世界に誰かがいる。関与している。それと同時に、クラウスは気づく。

ここは死後の世界ではない。

開かれた瞳が映したものは先ほどと変わらぬ風景、世界が滅亡したあとの風景であった。おかしいことといえば、風が吹かず、気温も感じられない。そして何より、胸に空いた穴や口から血が出ていないこと、それに痛みを感じないこと、それが一番奇妙である。戸惑うクラウスに再び声がかけられる。


「大丈夫、何も気にすることは無いわ。何も、ね」


今度は声の方向が鮮明だ。向こう側に目をやると、瓦礫の上に腰掛ける金髪の女性がいた。青い大人しめの肩を出したドレスを見にまとい、赤い瞳がこちらを眺めている。髪は黒いリボンで下でひとつに括られ、胸元に流している。滅多に居ない美しい女性である。その声もまた耽美なもので、どこかの精霊のような美しささえ感じる。クラウスは立ち上がり、瓦礫の元まで歩き、見上げた。女性は目を細めてクラウスを眺め、笑う。


「痛そうね」

「……痛かったさ」


もはや何者かと問うまい。今知ったところで何になるというのだろう。

女性は相変わらず座ったまま、クラウスを見下ろして口を開く。


「見たところ、聖ヨハネ騎士団の人よね。どうしてそんなに真っ赤なのかしら?」


彼女はおそらくその答えを知っている。クラウスはそんな予感を感じていた。知っていながら彼の口から直接聞こうというのだ。


「……友人に刺された」

「どうして?」

「俺が哀れだと、そう言っていた」


忘れていたことを口にすることで鎮まっていた怒りがふつふつと再び湧き上がっていた。そこからは止まることも、止めることも誰にもできない。


「あいつらについて行かない俺が愚かだと、そう言った。神が創る新世界を見れないのが哀れだときっと思ったんだろう。だが、それが罪のない人々を消す理由になるのか!?これは暴虐だ!愚かだ!こんな神を信仰していたなんて、反吐が出る!それと同じで、騎士団の奴らも、外道なことに口出ししないなんて、気が狂ってる!」


そこからもクラウスは時々言葉にならない言葉を吐きつつ、怒りを全て口に任せて吐き出した。それを女性はただ傍観している。なにか興味深い番組を見ているかのような様子であった。暫くして女性は、ようやく口を挟むことにした。


「でも、あなたの怒りの理由はそれ以外にもあるんでしょう?」


プツリとクラウスの怒りの羅列が途切れる。今まで正義やら、道徳やら、正当な言葉を本人は並べていたが、それを遠回しに否定したのだ。女性は、根本的な問題は別にあると主張している。


「それ以外……」


それきりクラウスは黙り込んでしまった。

今ここで言葉にしてしまっては自分の醜悪さを、貪欲さを認めてしまうことになるのではないか、そんな理性が働いていた。

そんな彼の姿が滑稽なのか、女性は笑った。今までの上品な笑いとは少し違う、本当に面白おかしいという様子で。


「ふふ、あっはっはっはっ……。いきなりしおらしくなっちゃって、可愛いのね。いいじゃない、正直になっても。それに、今更でしょう?」


さっきまでの醜い咆哮を思い出してご覧なさい。

そう言われている気がした。クラウスは彼女の妖しいカリスマ性というものに揺さぶられていた。彼女が言うなら、そうなのかもしれない。そんな錯覚が彼を襲う。そんなことに気づく余裕はなく、また、気づいたとしてもおそらく抗えない運命である。それを無意識に彼は悟り、言葉にする。


「…………今まで、俺は神に尽力した。色んなことを我慢して、生きてきたんだ。騎士団にだって、貢献してきたつもりだ。それも色んなことを後回しにして。なのに、なのにあいつらは俺を裏切ったんだ!まるで使い捨てのボロ雑巾のように!」


一息で叫び、クラウスは息切れを起こした。呼吸を整えるのに必死な彼を見て、女性は初めて立ち上がり、クラウスの元へと駆け寄る。重力を感じさせず、優雅に彼の元へと駆け寄る。彼女はクラウスの頬に手を添え、恍惚の笑みを浮かべた。


「本音は裏切られた悔しさなのね?否定されるまで綺麗な言葉を並べて取り繕うその姿、嗚呼!なんて滑稽!醜悪!でもそれがいい!人間の本能ほど美しく醜いものは無いわ……」


ねぇ、と今度は頬を両手で挟み込み、クラウスと間近で目を合わせる。赤く美しく光る瞳はクラウスの視線を逃さない。


「欲望は罪などではないわ。欲望があるから人間はここまで発達した。発達願望もまた欲望なのよ。欲望は醜悪ではあるけれど、それを認めなければ人間は人間ではいられない。もっと言えば生き物ではないわ。ただの機械よ。愛も、慈愛も、生存も、全て等しく欲望が根底にある。でも、そんな欲望がきっと神は気に入らないんでしょうけど」


クラウスには彼女の言葉は全て正しいものに思えた。いつの日か聞いた神の教えのような、聖書のような、そんなものに聞こえていた。まさにその通り、そのはずだとクラウスは素直に納得してしまっていた。

まるで悪魔の囁きのようだ。


「あなたの望み、私は叶えてあげたいわ」

「……何故?」


初対面の人間の願いをなぜ叶えたいと思うのだろうか。

素朴な疑問が脳裏に過ぎる。女性は微笑み、答えた。


「だって、死の恐怖を感じるよりも、願望をあんなに口にされたら、嫌でもそうなるわ」


それに、と彼女は続ける。


「死をものともせず、強く願っちゃう人の魂って大好物なの」


舌なめずりをする彼女は正しく悪魔。

本当の悪魔の囁きだったのだとクラウスは理解した。クラウスでなくても、どんな人間でも理解出来る。彼女は悪魔で、クラウスと契約して魂を奪わんとしているのだ。

今まで自分が蔑み、憎んできた存在にクラウスは少しも抵抗を感じなかった。もはや彼には神に対する信仰心はなく、神に対する殺意しか存在しなかった。


「本当に……あなたが死ぬまでに間に合ってよかったわ」

「……結界か?」

「いいえ、ただ時を止めてるだけ。あなたの負傷部位と世界のね。これ、契約したい悪魔の特権なのよ?」


契約しようとする悪魔の特権という言い方から、普段から使えるものでは無いのだと推測できる。それが出来ていれば今頃悪魔が天下をとっているに違いない。

クラウスは悪魔と契約するつもりでいた。それで神が殺せるのなら、この魂さえ捨てることが出来る。そんな覚悟が彼にはあった。


「お前と契約すれば……神を殺せるのか?」

「ごめんなさい、人間ならともかく、神は無理よ。それならもっとたくさんの上質な魂が必要になるわ。なんならこの地上全ての魂って言ってもいいぐらい」


確かに、自分一人の魂で神が殺せるなら既に誰かが殺しているだろう。そんな予想が出来たので、クラウスは彼女に大して咎めることはしなかった。


「悪魔との契約での魂の質、大きさ、個数は奇跡の大きさに比例する。あなた一人の魂なら、そうね……」


少し女性は、考え込む。止まった空を見上げて彼女はうろちょろと歩き回り、考える。それをクラウスはただ見ていた。こういうことは専門家に任せた方がいい、そんな彼の考えによるものだった。少しして女性は立ち止まり、クラウスに振り返った。


「時を巻き戻すことなら可能よ」


それがあなたの魂で起こせる奇跡、と付け加えた。

いわばタイムスリップだろうか。それとも自分自身も時が戻るのだろうか。

そんな疑問が浮かぶことを予想していたのか彼女は話を続けた。


「あなた自身も巻き戻るわ。でも、この時間軸での記憶は消えることは無い。どう?安心したかしら」

「……確実に神が殺せる訳では無いんだな」

「えぇ。でもそれはあなたの頑張り次第。あくまで私は神を殺すための挑戦チケットをあなたに握らせてあげることを叶えるだけ」


望んでいた答えを聞き、クラウスは素直に頷いた。そして決心する。


「……いいだろう、俺と契約してくれ」

「いいの?あなたは私のお気に入りだから、魂を取るのは死んでからにしてあげるけど、それでもあなたは生まれ変わることは無い。その覚悟はあるのかしら?」

「あぁ」


怒りと憎しみによる返事だった。まさに愚かで短絡的なものである。しかしそれを恥じる余裕は彼にはない。それと同時に彼女はそんな愚直さが好きだった。


「他に質問はないの?聞くなら今のうち。まぁ、後で聞いてくれてもいいけれど、契約に文句言われたら困るから」

「……問題ない」

「そう。あなたの名前、聞かせて頂ける?」

「クラウス・プラウドウッド」

「その名前、確かに覚えたわ」


悪魔に真名を名乗ることはほぼ魂を売却したのも同然だ。もう後戻りはできない。そんな恐怖を僅かに体が感じ取り、鳥肌が立つ。


「お前の名前はなんだ」

「そうねぇ……セレスティア、とでも呼んでもらえたら」


そうか、とクラウスは返事する。そしてすぐに跪き、胸に空いた穴に左手を当てた。


「セレスティア、俺はお前との契約を望む。この魂、お前に授けよう」


まるでプロポーズをされているような錯覚に陥りそうになる。しかし、セレスティアは分かっていた。彼の瞳に宿る決意と怒りと憎しみの眩い輝きが。

セレスティアはひとつ息をついて、彼の右手をとり、指ぬき手袋を外し、手の甲に自分の手を重ねた。


「えぇ、喜んでその契約、引き受けましょう。クラウス・プラウドウッド」


それと同時に彼の白く美しい手の甲に赤い紋様が浮かび上がった。焼印のように見えるその紋様は悪魔の紋様であった。

悪魔と契約した人間の体のどこかに悪魔の紋様が刻み込まれる。それを何度も彼は見てきたが、とうとう自分の身にそれが刻み込まれる。そのことに対して少しの背徳感を覚えた。少し。


「……もうすぐ時は戻る。そこで貴方は神を殺すために尽力なさい」

「あぁ」

「まぁ、そんな簡単に殺せるはずもないでしょうから、私から特別に餞別を送るわ」


そう言って彼女は剣を出現させる。それは黒く、どこまでも黒い。そこには1種の美しさもあった。


「あなた、神からの施しとか言われて神性武器を貰ったんじゃないかしら」

「……あぁ。悪魔殺しだと聞いている」

「これも同じようなもの。神性のある存在にはうってつけなのよ。とても高価なものなの。こう見えて私、上級の悪魔なのよ」


俗に言う神殺しというものだろう。神を殺すのにふさわし禍々しい雰囲気が感じ取られる。

騎士団では隊長や実績のある団員には神性武器が授けられる。安易にさずけられるものでは無いのだ。神に認められた人間は基地内の教会に入り、そこで祈りを捧げると、目の前に武器が現れ、それを手にして初めて神性武器を自分のものにせることが出来る。それは普段は己の体内に光となって入り込み、念じれば武器として現れるのだ。

目の前にある神殺しの武器はどうなのだろう。少しの不安をクラウスは感じた。


「どうする?一旦あなたの持ってる武器、取り出す?私我慢するけど」

「……いや、いい。どこかで使えるかもしれないし、お前が辛いだろう」


神性武器に触れて無事なはずがない。そうわかり切っていたので、クラウスは断った。悪魔に優しさを見せる彼にセレスティアは益々興味を示した。

なんて素直で純粋な人。だからこそ、騙されやすいし、付け込まれやすい……

彼の人間性を彼女は既に把握していた。これでは哀れに思われても仕方ない、そう彼女は感じる。しかし、それを口に出すことは自殺行為であると分かっているため、彼女の内に秘めておく。

セレスティアは剣を手のひらサイズの丸い闇のモヤに変化させる。


「こういう武器って体内に保管されてるけど、具体的にどこにあるか知ってる?」

「……さぁ」

「あら、案外無知なのね。それとも、神は意地悪なのかしら」


意味ありげに笑うセレスティアにクラウスは怪訝そうな視線を向けた。勿体ぶる時間が無駄だと少し焦っていた。それも事実で、早くしなければ時間は巻き戻ってしまう。どこまで戻るのか彼には知る由もないが。


「それはね、心臓よ。神性武器も、悪性武器も」

「ーーーーッグア!?」


セレスティアは唐突に右手をクラウスの胸の穴の中へ突っ込んだ。今まで傷の痛みがなかったはずなのに、彼女によって与えられる痛みはすぐに感じとれた。痛みに悶え、仰向けに倒れ込むクラウスに馬乗りになってなおセレスティアは右手を押し込む。


「本当は、こうやって、直接、入れるのが、基本、なんだけど、神は、プロだから、直接こうしなくていいし、痛くないのよ」


力みながら解説するセレスティアの言葉はクラウスには届かない。体内を抉られる痛みは想像以上のものであった。これまでにないほどクラウスは叫び声をあげる。本当ならのたうち回るところだが、さすがは悪魔。クラウスの体を馬乗りでしっかり固定して、心臓に悪性武器を取り込ませようとしている。


「1回、貫かれてるから、ちょっと、大変だけど、もう少しの、辛抱!」

「あっ、がっ、ぎぃっ!!ぎゃ、あ、あああ!!」


セレスティアは彼の悲痛な姿に少々愛おしさを感じていた。サディスティックな面を持ち合わせている彼女は、愛でてやりたいとも思ったが、思いの外理性的な悪魔であった。1番最適で最短になるよう、彼女なりに努力をしていた。ショック死されたり、出血死されたり、意識を飛ばされてはどうしようもない。この空間では彼の元からあった傷はなんの影響も与えないが、それ以外の追加された傷は彼の生死に関与する。それがよく分かっていた。だから彼女は急いでいた。しばらくして、悪性武器の光が心臓と一つになったことを感じ取り、素早く手を体内から引き抜く。それと同時に血液も流れ出て、肘までの透けたグローブがはめられた彼女の美しい腕はクラウスの血液で真っ赤に染っていた。

クラウスは力なくひゅうひゅうと息を漏らし、瞳は虚ろだった。そんな彼の美しい金の髪を血塗られた手で撫でる。


「お疲れ様。もうこれであなたは悪性武器と神性武器を持っていることになる。使い方は同じだから、あとはどっちを出すか、それだけ注意して」

「あ……」


クラウスには言葉を紡ぐ力が残っていなかった。今度こそ死ぬ、そんな気がしていた。それは正しい。しかしそれは叶わない。なぜならもう時が巻き戻る。消えゆく意識の中、セレスティアの声が響き渡った。


「巻き戻った後でもまた会いましょう。頑張ってね」


それを最後にクラウスは意識を手放した。

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