和の心
東京の人は冷たいというが、単に人が多いだけ。いろんな人がいて冷たい人がいれば、温かい人もいる。大学にしてもそう、東京もしくは関東の人は半分以下で、他は地方や外国から来た人。多分暮らしている人もそんな感じだから、東京の人は冷たいと言われるのは誰の事を言っているのだろうか? とも思う。このアパートに住む人は皆優しくて温かいが、東京出身者なんていない。
コチラにきてみて一か月。俺の感覚では、東京に昔から住む人も決して冷たい人ではないように感じる。特に商店街というのは、客商売であることもあるのか人好きな人が多いのか、俺のような貧乏学生にも優しい。肉屋さんで唐揚げを買ったら『中途半端に余っちゃっているから』と言ってサラダを付けてくれたり、八百屋の親父は自炊初心者でも簡単に作れる料理の作り方を伝授してくれたりと、フレンドリーで温かい。
俺は駅前のネットカフェのバイトを終え、アパートに帰って郵便受けを開けると、ジャガイモが三つ入ったレジ袋が入っていた。
【バイトお疲れさまです。
今日、スクールで掘った芋です。どうぞご賞味下さい。
ジロー】
一筆箋に筆文字の綺麗な字でそんな事が書いてあった。筆ペンで書いたモノだと思うが俺が見ても感心する程達筆である。書道の段を持っていると自慢していたが、それも嘘ではなさそうだ。
俺は芋にお辞儀してから受け取り部屋に一旦戻る。ノートを取り出す。
【Thank you!
お芋有難く頂きます。実家から送られてきた、カリントウです。良かったらどうぞ。
乕尾】
そう書くが、ジローさんの手紙に比べると恥ずかしくなるほどの幼い文字。そこに若干の情けなさを感じつつそのページをちぎり二〇三号室の郵便受けに親の仕送りのひとつであるカリントウのお菓子を入れておく。すると既に他にも、紙が入っていたほかの部屋の住民からのお礼の手紙だろう。丁寧に書かれた手紙で来たら、LINEではなく手紙で返したくなるのも不思議である。
ジローさんはここのアパートの暮らしも長い分、皆の兄貴的な存在。俺がここに来た時も庭でバーベキューをして歓迎会を開いてくれたり、このように色々差し入れをくれたりと面倒を見てくれている。三十半ばという年齢的なものではなく、LINEの会話からすると昔から面倒見が良かったらしい。逆に年下にご飯奢ってもらってりと無邪気に甘えて面倒みてもらっていたというクロネコさんやシロネコさんも凄い大物な気がする。
商店街でギャラリーやらカルチャースクールを経営している方で、他にも何とか国際交流系のNPO法人のメンバーをしていたり、この地域のさくらねこの会の会員だったりと、何をメインにしているのか分からない謎の人。着流し姿に真っ直ぐな長い髪を縛った姿で歩いていることで近所でもちょっとした有名人となっている。とはいえ、俺は男性でそれほど着物を粋に着こなしている人って他に見た事がない。
次の日、目を覚まし窓を開けると庭で作務衣姿の人がモノと遊んでいる。猫じゃらしを動かす度に明るい金の髪が朝日に透けて揺れる。今日は縛ってないのでサラサラとした髪の細かい動きが楽しめる。日本人が脱色して抜いている金髪ではなく、本物の金髪は柔らかそうで透け感が本当に美しい。無邪気に遊ぶモノは。普通の猫のように可愛らしく見えた。少し離れた一〇一号室の窓柵に嵌ったサバは冷めた目でその様子を見ている。
「ジローさん、おはようございます!」
そう挨拶するとジローさんは青い目を細めて笑い挨拶を返してくる。二匹の猫はチラリと俺をみるだけ。
「昨晩はジャガイモをありがとうございました!」
そうお礼を伝えると、ジローさんはフフフと笑う。
「こちらこそ『カリントウ』ありがとう。こないだ友達から新茶を貰ったのでそれと一緒に頂くよ」
金髪碧眼の相手から流暢な日本語で、日本人的な答えが返ってくるのは、未だに違和感がある。スアさんやシングとは違って外国人喋りではない美しい日本語を、ジローさんは話す。
ジローさんは所謂【二朗】ではなく【Giraud】という名前のフランス人。『次男ではなく三男だけどジローです』と初対面の時の挨拶された。
日本が大好きだから留学してきて、そのまま日本で生活をしてしまっているらしい。そしてこのアパートの長屋のような生活をいたく気に入って未だに住み続けている物好きな方。
「新茶ですか……そんな良い茶とあわせるのは申し訳ないくらいの駄菓子ですが……」
「最高の御茶請では。お茶の渋みとカリントウの甘さは最高の相性だよ」
俺は顔を傾ける。
「まさか、抹茶をたてて食べるなんて事はしませんよね?」
ジローさんはハッとした顔をしてニッコリ笑う。
「なんて素敵なアイデア! そうして頂く事にするよ!
乕尾はやはり日本の心をしっかりもった若者だね~良い事だ」
そのカリントウは、実家の近所にある製菓会社が近隣住民だけにサービスとして売っているもので割れていたり形が悪かったりするものをパッケージしたために安く手にはいったというもので、お抹茶で頂くような高級なお菓子ではない。
「乕尾はいつも何と一緒に食べているの? やはり抹茶? 緑茶? ほうじ茶?」
ジローさんの言葉に俺は悩む。日本人の癖に、急須でお茶をいれることもしてなくて、飲んでペットボトルのお茶だという事に気が付く。
「珈琲かな? 結構苦味と、あの黒糖の甘味が合うんですよ」
「なるほど! 珈琲という選択肢もあるのか! そういえば名古屋では小倉珈琲があるくらいだしな。そういうあえて和でないものを合わせてくるセンス、素敵だよね!
そういう日本人の感性は面白い。それも試してみるよ!」
えらく感動されているが、日本人の感性とやらは俺よりもジローさんの方が絶対もっていると思う。そしてジローさんは俺とはちがって、インスタントではなくちゃんとドリップした珈琲を用意するのだろう。
「今度、乕尾が時間あるとき、お茶会でもウチでしないか? 美味しい和菓子とか用意してさ」
ジローさんがニコニコそんな事を言ってくる。
「え? 俺お茶の作法なんてまったく知りませんよ!」
茶道なんて俺には未知の世界で、したことすらない。そんな状態なのでフランス人のジローさんにちゃんと教えられる筈もない。本気で日本を学ぼうとしているジローさんに下手に間違えた事を教えるのも失礼である。
「大丈夫、大丈夫。俺が教えるから! もう少しで紋許もとれそうなんだ!」
「もんきょ?」
聞きなれぬ言葉に、俺は首を傾げる。
「もう、人に教えても良いという資格はあると言うこと」
俺は『はぁ』と、間抜けな音を返すしかなかった
ジローさんの日本文化に対するスキルが高すぎるのもあるが、日本人である俺が、日本文化に対するスキルが余りにも低すぎるのも問題な気もする。ジローさんに日本についての事で教えられる事は俺には何もない。ここは日本人としてもっと頑張らないとダメなのかもしれない。
「あ……お願いします……」
そう言って頭を下げた。