何を書くか?
アパートの皆とは仲良いが、俺がよく家を行き来する関係な相手はシングとスアさんとジローさんだけ。基本アパートに居ないミケさんの部屋は上がった事もなく、ノラーマンの二人の部屋は何かと荷物が多く三人入れば窮屈な感じになる事から、他の部屋で集う事となる。
そして俺がアパートの中で一番長く滞在しているのはジローさんの部屋だと思う。
商店街の仕事を手伝ってる事もあり、二人で長く作業や打ち合わせをしている事が多いからだ。
あとマシロが俺の膝に乗ってきて離れないから動けなくなることも理由の一つかもしれない。
今日もYouTuber番組【ねこやまもり】のアップロード作業を二人でしていた。膝にマシロを乗せて。
編集した動画をジローさんにも確認してもらい、タイトルや紹介文やサムネイル画像を決める。
ジローさんは目的やすべき事が常に明確な為かこう言う事の決定力と決断力が早くて的確。いつも感心してしまう。
公開時刻の予約を設定して今回の仕事は終了する。
「お疲れ様。何か飲む? お茶? 珈琲? お酒でもいいけど」
「カフェラテでお願いします!」
この部屋においての珈琲はマキネッタで入れたエスプレッソ。俺はそれをタップリのミルクで飲むのが俺のお気に入り。
スチーム圧で作るというマキネッタの構造が理系な俺の心を擽ることと、それにエスプレッソを嗜むという大人な雰囲気が格好良くてなんか好きで堪らない。
マキネッタで淹れた珈琲の味を知ったのもジローさんの部屋。酒より先に覚えた大人の味がジローさんの珈琲だった。
とはいえそのままではまだ飲めない俺だけど、所謂は普通の珈琲とはまた違ったスモーキーな味わいは俺の気分を少しハイにする。
濃厚で香り高いカフェラテを飲みハァと至福の溜息をつく。そんな俺を見てジローさんは微笑む。
「やはり君はそうやって笑っているのが一番だね」
皆に心配ばかりかけてしまい俺は申し訳ない気持ちで頭を下げる。
先月は色々手違いで激務となっていた事は説明は既にしている。それでも
「そう言えば、なんだか乕尾が、またウンウンと悩んでいるみたいだ。
そうシングが言っていたけど、またなにか困っているのかい?」
別にそこまで悩んでいる訳では無いが、シングがいつも俺の部屋にいて、田邊さんさんの宿題をパソコンの前で考えている所をいつも見ているからそう見えているのだろう。
田邊さんに新たに出された課題は、俺の普通の日常がテーマのエッセイ。
俺ならではの視点で見た世界を文章として纏めろと。
しかもそれは次年度から【アレコレコラム】として使えるレベルのもの。それは頁の半分を使って編集者が交代で数回分担当しているコーナー。
そうなると高いレベルのモノが求められてしまっている。
今は清酒さんが【珈琲は飲むもの、嵌るもの】というタイトルでディープな珈琲の世界を語っている。これは清酒さんが嵌っている世界と言うよりコーヒーオタクの旦那様の生態を描いたもので清酒さんと共に濃いコーヒーの沼へ進んでいくような感じのコラム。
その前は別の編集者の【寄り道のススメ】と言うコラム。寄り道で見つけたモノを描きつつ、寄り道は最終目的地が定まっているから寄り道ができると、人生論にまで展開していて面白かった。そしていろんな意味で読む人に何かを学ばせてくれるモノだった。
そこに載せるとなると小学校の絵日記のような稚拙なものではなく、人が読んで楽しめる内容でなければならないだろう。
だが単なる学生でしかない俺の生活なんてドラマチックであるはずもなく、かといって盛ったりして誤魔化す事は許されない。それに何か人に役に立つ知識を示せるモノでもない。
どう日常を切り取るべきなのか? そこが悩ましくてアレコレ悩んでいた。
ニャンDKの延長で猫ネタや、ねこやまもりでやった日常の隣にある歴史散歩として近所の遺跡旧跡ネタ等を書いて、求められているモノとはなんか違うと自分でボツにしていた。
「いえ、悩んで苦しんでいるのではなくてーー」
俺は日常をテーマにしたコラムを課題として出された事を説明した。そこに至った経緯と共に。
「何でもないような所に素敵なモノが落ちている。なんかいいな。そう言うの考え方」
ジローさんは楽しそうに聞いている。やはりフランス人の目から見た日本の当たり前の面白さがあるようでそれを嬉しそうに語るジローさん。
いつもは知的な大人! という感じなのに日本について語ると無邪気で子供っぽい感じになるのが面白い。
「で、乕尾はどういう日常を書くつもり?」
ひとしきり日本を語って満足したのかジローさんが聞いてくる。
「日常って漠然していて切り口が難しいのと、人が読んで面白いネタというのも見つからなくて」
ジローさんは首を傾げ俺を見つめてくる。
「そう言うの乕尾は得意なのでは? 日常の中の【素敵】探し」
「え?!」
俺は首を傾げる。ジローさんは立ち上がり棚から俺の本を撮って戻ってくる。
なんか本を差し出されると照れくさい。それに和装のジローさんの綺麗な茶道のような所作で差し出されると、何やら意味のあるものに見えるのが不思議である。
ジローさんの宝石のような青い目が真っ直ぐ俺を見つめてくる。
「君の本、俺はとても好きなんだ。友達が書いた本だからという贔屓目抜きでね。この世界が。
何故だか分かるかい?」
「内容もジローさんにとって馴染みの世界だからですよね? それに猫の本ですし」
猫好きさんはそれなりに楽しんで貰える本だろう。
「確かに猫好きだけに猫の本は俺は好きだよ。
逆に考えて何故出版社は乕尾のブログを本にしようとしたんだろうな?
この本の何処が一般の人から見て楽しめる所なんだろうね?」
ジローさんに問われ悩む。自分で面白いというのも恥ずかしいし。
「猫二匹のキャラクターが強烈な所ですか? 世の中に溢れている可愛い猫、美しい猫の真逆を言っているから」
ジローさんは苦笑して顔を横に振る。
「確かにサバの強烈なキャラクターは表紙で人の目は確かに引いているが、俺が面白いと思ったのはそんな事よりも、君の視点だよ。乕尾」
俺はジローさんの顔を見て本に視線を改めて動かす。四足だった時代の写真のサバと視線が合う。
「この本に書かれているのは、野良猫が居ついている東京の安い家賃のアパートに住む学生の話」
そこはその通りなので俺は頷く。俺本人がよく分かっている情報だ。
「それって所謂ごくごくよくある状況だろ? 東京だけでそんな学生いっぱいいるだろうし。
ならば何で本になったのか?
可哀想な猫を救った心優しい青年の感動的な美談だからか?」
そう言われるとサバと俺の関係が偽善的に聞こえてなんか嫌なものである。
「そうじゃなくて純粋に面白いからだよ」
なんでだろう、知性的なジローさんに言われると、同じ言葉でもより嬉しく感じる。
「ありがとうございます」
俺は照れながらお礼を返す。
「お世辞ではないからね。
先程も言ったように書かれているのは、日本にどこにでもあるような商店街が近くにある、野良猫の居着く家賃の安いボロアパートに住む貧乏大学生の本。
書かれている世界は珍しいようでいて、ありきたりな普通の光景なんだよね。
この本は、君の師匠の言う所の普通の中にある素敵なモノ。それそのものなのでは?」
ジローさんの顔を見つめ返すと、真剣な感情の籠った青い目がそこにはあった。
「人によっては、このアパートは今どきでもない。ボロなだけで設備も微妙で住みにくいし、可愛くない猫が我が物顔でいる困った場所でしかない。
野暮ったい商店街しかなくて都会っぽさは皆無。せっかく東京に来たのに意味が無い。と言うやつもいるだろうね」
俺は頷く。
実際ここより設備もセキュリティも良く、猫も居着いてないアパートに住んでいる大学の友達がそんな愚痴を漏らしているのをよく聞いている。そしてそういうやつは俺のアパートにきてひいてしまうのか、その後俺の家で飲もうとは言わなくなる。飲み会するとシングがシラッと部屋にきて飲み会に参加してくるし、猫がやたら警戒して威圧してくるから居心地もよくないのかもしれない。
「でもね君の視線を通すと、そんな環境が素敵で楽しそうな世界に変わるんだよ。
読んでいる人がここが羨ましくなリ、自分も住んでみてくなるような世界に」
確かにそう言う感想もいくつかもらっている。そう言っている人のTwitterを見るとおしゃれな家具の部屋で俺には手も出せない素敵な猫用家具を持っていてそれで楽しそうに血統書付きだと思われる猫さんが遊んでいる写真があったりする。逆に俺のような生活が物珍しく新鮮には見えているのかもしれない。
でも俺の生活を楽しそうと肯定してもらえる事は嬉しいと思う。
「変に奇を衒って、コアな部分を書こうとしなくて自然体な君を見せるものを書いたほうが、俺は乕尾ワールドが楽しめる気がする。そう言うコラムを俺は読んでみたい。
そしてこんな小さなコラム。これで人生の勉強とか求めている読者もいないのでは? 読んでクスリと笑えるそんなものでいいのでは? そこで哲学とか語られても……と俺は思う」
他でもないジローさんにそう言ってもらい、何だか気持ちが軽くなる。田邉さんにもそんな事は求められていない。
勝手に自分で色々制約をかけて書けなくなっていた心が自由になった気がした。




