ワンダーランド
俺はYouTubeチャンネルの動画を編集している。秋と言うことで、「〇〇の秋」三連発。学生向けのデカ盛り特集と、街の中にあるアートな空間特集と、マラソンすると良さそうななコースの紹介。
画面の中に流れる俺の大好きな優しい世界。そして今回の動画は、忙しかった俺の代わりにシングが撮影しただけに目線が違っていてなんか新鮮に感じる。食いしん坊だからかシングは人より食べ物に。そして同じ人物を撮影していても人物というより行動を撮っている。それが誰であるかというより、何をしている人なのかということを表現しているのが面白い。
俺はあの日から、田邊さんの宿題について悩み続けている。
俺の普通の学生生活。俺ならではの視点で面白いモノを探してみろ。そのように言われて、改めて自分の平和で平凡な生活を見直してみる。
俺自身は何の変哲もない一般人だけど、芸能人とか、個性的な外国人に囲まれているのは面白いところとも言えるかもしれない。
しかしここは東京。俺が住んでいた東北の田舎とは違って芸能人はそこまでも珍しくはない。有名かどうかは置いといて、大学にもモデルや俳優をしている人とかもいる。それに外国人もそこまで珍しいものではない。大学にも街にも普通に外国人が歩いている。
編集の終わった動画を見直すと、庶民的で在り来りだけど俺にとっては馴染み深く温かく優しい世界が広がっている。
画面から目を外すとシングが和室で寝そべり漫画を読んでいて、モノはシングが放り出している漫画の上で寝転がっている。サバが俺の膝に前足を乗せて作業を見守っているのか邪魔しているのか時々キーボードを叩いてくる。そんないつもの状態。ここにも俺の普段の世界。
猫は兎も角インド人が部屋に転がっている東京の男子大学生ってどのくらいいるものなのだろうか? 俺がジッとシングを見ていたからだろうシングと淡い茶色の目も俺の方を見つめ返してくる。
「トラ! どうした? 疲れたか? 一息入れるが良い。
柑子殿が持ってきてくれた柚子茶を共に飲まぬか?」
俺の部屋にあるものに関して、俺と同じくらい詳しいシングがそう話しかけてくる。
シングの就職活動は希望の会社から内定を貰えたことで無事終わった。
残す課題は卒論のみとなりノンビリとした生活を楽しんでいる。
「あ、うん。もう編集の方は終わったから、飲もうか」
俺は頷いた。
卓袱台に俺とシングが向かい合わせで座り、俺の両脇には何故かサバとモノが座っている。謎の面接フォーメーション。ウチの猫は何故かお客様を迎えるときは一緒に卓袱台を囲む。
シングは猫二匹の鋭い視線も気にした様子もなく、嬉しそうに虎のイラストのついたやたら大きなマグカップで柚子茶を啜る。このマグカップはシング専用のマグカップ。
この部屋には俺と柑子さんペアのマグカップのほかに一応客用のカップもある。しかしシングは自分で持ち込み、それを気に入って俺の部屋で使っている。
来客用のマグカップは実家で余っていた小洒落たソーサーのモノ。飲み物をタップリ楽しみたいシングにはそれは小さいらしい。
そして柑子さんのカップは恐れ多くて使えないからから自分用のカップを持ち込んだ。
嬉しそうに茶色の目を細め柚子茶を楽しむシング。隣で俺に甘えて撫でられているサバと同じ表情をしている。
「シング結構柚子茶気に入っているんだな」
シングは頭を横に揺らす。最初は戸惑ったシングのこの動作はインド式頷きの所作。話をしていてそんな様子でいるから余計に惚けた感じになっているのだろう。
「シングの目からこの街やアパートってどう見えているんだろうな」
俺の呟きにシングは首を傾げてコチラを見てくる。シングの目は切れ上がった大きく形の良い印象的な目をしている。黙っていたらインド人らしい精悍な顔立ちの為か神秘的にも見える。
「嫌、今シングが撮影した【ねこやまもり】編集していただろ? そしたら俺とは違う街を少し感じたから」
シングは俺の言葉に少し悩むようにウーンと声を出す。
「俺にとって根子山森商店街は普通にワンダーランドで、いとおかし」
ここでも普通とその後普通とは真逆な要素をもつワンダーランドという言葉がでてきて俺は驚く。
「普通にワンダーランド?」
俺の言葉にシングは顔を揺らす。
「日本的にはスタンダードな世界なのであろう。
だがインド人である俺からしてみたら色々と面妖だ」
確かに外国人の目からしてみたら、日本での生活なんて不思議な事いっぱいだろう。田舎から出てきた俺でさえ少しはあるのだから。
「それにしても日本はとにかく細かい決まり事、暗黙の了解的なルールが多いのう。どれほどジローに怒られたか……。
約束の時間は守れとか、人の家に自由に入り込むなとか、ジローやシアはすぐ怒る。
トラはその事には怒らないからこれはフランス人やタイ人の特徴なのか?」
「いや、二人はおおらかな人だよ!
時間を守るのは世界どこでも同じだし! シングが自由すぎるんだよ!
あと部屋に自由に入るのは日本人というより人によるから! というかシングだから許しているんだよ。他の人なら少し嫌だよ」
シングは嬉しそうに俺の話を聞いている。
「トラは俺が愛しているのだな。
俺もトラを愛しているぞ」
俺はその言葉に脱力する。
「ありがとう」
「相思相愛だな。俺達」
「そうだな」
男二人でこんな会話するのも変だけど、シングにしてもシアさんにしても「愛」という言葉を普通に使ってくる。
最初はドキッとしていたけど今では慣れて素直に受け止められるようになった。
「日本での生活は気に非常に満足しておるが、ゴミの捨て方の難解な事困ったものだ。
だいたい残飯なんてインドだったらそこらに捨てておいたら野良犬、野良猫、野良牛、鳩らが片付けてくれていたのに、日本では匂いが漏れないようにシッカリビニールの口を閉めて捨てないとダメという。難儀なことだのう」
「野良牛……」
「日本では野良犬すらいないからな」
「野良犬はもう居ないかな。捕まえられてしまうから。
それにしても牛ってそれは野良なの? 野生とはちがって……」
「野生ではないな、街に当たり前のようにいるから。奴らは路上でこの近所にいる猫のように暮らしておる」
俺には平原ではなく、街に普通に牛がいる風景が想像出来ない。しかもIT業界等においてはかなり優秀な人材を排出しているインドでまだそんな状態だというのが信じられない。しかしシングの様子からも冗談ではないようだ。
「俺の国はまだ良いであろう。シアの所なんて野良象がいるから怖いぞ」
「流石に野良象は……」
と言ったが、時々世界の仰天ニュースとかで象が道路で暴れている映像を見る事もあるからあながち違うとも言えないのかもしれない。
俺からしてみたらアパートの皆の方がワンダーランドから来ているのだと感じた。




