醤油の貸し借りはしていません
俺のアパートのご近所付き合いが、大学の友人からみたら奇異なものでなようだ。曰く隣人との付き合いが今時な距離感ではないと。
しかしそれまで住んでいた所のほうが俺には不自然な世界だった。田舎だが、社宅でもあることもあり、ご近所付き合いがどこか特殊だった。顔を合わせたら笑顔で挨拶をして当たり障りのない会話を交わす。互いに名前と顔どころか父親の地位までも知っているという状態。平和ではあるがどこか歪な関係が出来上がっていた。辛かったわけではないが、俺は近所では必要以上に気を使い良い子を演じてきていた。
そういった変なしがらみの無い世界に来た事の解放感は半端なかった。ハジけて破目を外すというか、伸び伸びと生活ができていた。東京での一人暮らしというのは、あえて変な刺激を求めなくても俺には十分面白い。大学一年ということもありうけるべき講義も多く忙しいし、周りも賑やかでホームシックになる暇もある訳はない。周りに程よく人の気配のあるこの空間が心地よい。
しかしそう感じる俺は大学においては少数派のようだ。大学が近い事もあり、最初は遊びにきてくれた友達には居心地はあまり良くないようで、その後誘っても困った顔をされて遠慮されるようになってしまった。
友達からしてみたらこのアパートでの隣人との距離感というか干渉が心地が良くないようだ。
干渉といっても、玄関前の通路や庭を通りかかったとき開いた窓超しに挨拶してくるとか、スアさんはお菓子などの差しをもってきてくれるなど、それくらいである。
まあシングにいたっては部屋にノックなしで入ってきて共同で買っている洗剤や調味料を勝手に持っていく所は驚かれるのは少しわかるが、来ていた友達に挨拶はしていくし事情は説明するのでそこまでビビることもないと思う。
一番友達の居心地悪くしているのはサバ、誰か来客があると窓の柵から睨み威嚇する。招き猫ならぬ、追い出し猫がいるのが問題なのかもしれない。
サバの存在は兎も角、一人暮らしだと調味料や洗剤を共同で買った方が経済的。また隣人にお客様がいたら挨拶するのは当たり前だと思う。
「醤油の貸し借りって、いつの時代だよ!」
友達からしてみるとそれは昭和以前の感覚なようだ。それに醤油・砂糖・塩は貸し借りしているのではなくて、シングと共有しているだけ。そして俺の方がしっかり管理してくれそうだからという理由で、俺の部屋にストックが置いてある。借りるとしたら、カレーの日にシングがスアさんにチリソース等の特殊調味料を少し拝借するくらいである。借りるのは醤油ではなくスパイスやハーブ。
「乕尾の部屋は昭和っぽいというか、異世界となっていて何処の国のいつの時代にいるのか分からなくなる」
何故か友達にこんな事まで言われる。日本人の隣人は忙しくしており、そのようにマメに絡んで来ることないので、友人からしてみたら俺の部屋に行くと外人が当たり前のように部屋に入ってくるアパートと、なっているようだ。
そう言ってくる友達は、鉄筋コンクリートで、防音性に優れ、利便性の高く、隣人と殆ど関わりなく過ごしているだけに、そのギャップが大きく驚くのだろう。シングに言わせると大学に近くて快適な部屋だと、たまり場にされる可能性もあるから、少し嫌厭されて寄り付かないくらいが、丁度良いと何故か威張った顔で言われてしまった。もしかして、友達が来る時に限って何が取りに来ているのは態とだったのだろうか? サバとモノ同様自分の縄張りを守っていただけなのかもしれない。
大家さんである田丸さんの家の庭が台風でグシャグシャになり、その後始末を手伝っている時にその話をしたら笑われた。
「確かに今時の子は、大人しくて内向的で自分の世界を大切にする傾向にあるみたいだから、こういう雰囲気合わない子も多いでしょうね~」
田丸さんは縁側から俺達の作業を見守る猫のナツメちゃんに笑みを投げかけそんな事を言ってくる。おかしい俺は平成生まれで今時の子だというのに。
「なんとなく既に感じるのよね、大家である私が顔を出して挨拶した若干退く表情を見せる子が多いの。そういう子はまずこのアパートを選ぶ事はない。私のように隣に住む大家さんとの関係が億劫に感じるのでしょうね」
悲しげにそう言って田丸さんは溜息をつく。
最近は不動産屋さんが仲介して大家さんと接触するということ事態が珍しい。不動産を通して事務的な付き合いをする方が互いに気も楽という人も多いようだ。
俺は田丸さんと初対面でどういう応対をしたのか思い出せない。多分普通に挨拶しただけだと思う。しかし安いだけではなく、なんか雰囲気が好きだったからだと思う。千円違いで鉄筋コンクリートのアパートも候補もあったが迷うこともあまりせずここに決めた気がする。
「時代と合わなくなってきているのかしらね~」
そう呟く田丸さんにオレは顔を横に振る。
「そん事ないですよ! 俺は今時の子です。そしてこのアパート最高ですよ! 大家さんは母親みたいに話を出来るし、隣人は面白いし優しく良い奴ばっかり!」
俺がそういうと、田丸さんはニコニコと嬉しそうに笑う。
「嬉しいわ、確かに皆良い子ばかりで、私も恵まれているわよね大家として」
縁側のナツメちゃんが起き上がったと思うと大欠伸してノビをしてから毛繕いを始める。
「田丸さんの人徳ですよ」
二人でナツメちゃんの行動を見守ってから、俺は田丸さんさんとの会話を再開させる。
「年取ってくるとそういう煽てに弱いのよね。
そうだ美味しい梨頂いたの。一緒に食べない?」
俺は記憶に蘇った瑞々しい梨の味に思わず笑顔になり、元気に頷く。
「嬉しいです! 喜んで!」
そんな俺の言動が子供っぽかったのか田丸さんは可笑しそうに笑う。そして縁側から俺を家の中へと誘う。
二人がリビングに行くとナツメちゃんも、ついてくる。そしてソファーに座った俺の横にくっつくように腰下ろす。サバとモノとは違ってやはり飼い猫は人懐っこくてこういう所が可愛い。撫でるとゴロゴロ喉を鳴らす。猫と何もしなくてもこんな近い距離感というのも嬉しいものだ。サバやモノはオヤツやブラッシングの時は近付くが、それ以外スリスリと近付くことなんてない。撫でていると甘えるように擦り寄ってきて膝の上に座る。
俺はナツメちゃんの身体を優しく撫でその柔らかさを堪能する。
海外映画で悪の組織のボスが猫を膝の上に乗せているが、あれって邪魔ではない? と思っていたがなるほど程よい温かさ重さで心地よいものだと気が付く。
クーラーのよく効いた部屋で田丸さんと美味しい梨を食べながら、穏やかな会話を楽しみみ猫を愛でる。考えてみたら最高な夏の昼下がりの過ごし方なのかもしれない。




