痛くて、苦いチョコレート
少し遅れてしまった、バレンタインのお話。
こんなバレンタインの形があれば、という作者の願望。
いつだって本命のチョコレートは渡せたことはない。
何かしら自分のなかでブレーキをかけてしまって渡したことがない。
今年もまた渡せないなんて嫌だ――
そんな思いで丁寧にラッピングしたチョコが割れないように工夫をしてカバンに入れた。
「絶対今年こそは――」
*
私にとってのバレンタインデーとは戦争なのだ。機関銃が火を噴くように心音が跳ね上がる。
これまでした失敗を今年こそは乗り越えたいんだ。
小学校の頃は恥ずかしくて背中に隠したまま何もあの子の前で喋れなくて、結局トイレの個室で泣きながら作ったチョコを食べた。涙のせいもあるけど、ただ単に砂糖と間違えて入れた塩でしょっぱかった。
中学校最後も受験勉強をしながら、ちゃんと美味しく作れるようにお菓子作りも工夫した。想いを伝えて、あの子と縁を切るつもりだった。
なのに、直前で転んで割れたチョコ。
無惨だった。いつかと同じようにトイレで独りで食べた。しっかり甘いはずなのに涙が半端なくしょっぱかった。
ずるずると引きずった想いを高校生になっても捨てきれず、毎日をあの子の隣で過ごしている。
もどかしいけど、関係が壊れるのは嫌だ――これまでのバレンタインはそんなことを考えるより、まず渡さなければ、という思いでいっぱいいっぱいだった。
いつだって私を助けてくれるあの子に。
笑顔で一緒に行こうよ、と誘ってくれるあの子に。
この歪な気持ちを込めたチョコなんか渡して、関係が壊れるのが怖い。
そう――私の好きな子は、女の子だった。
ずっと好きな女の子。
今の友達関係を終わらせる、というか普通に男女交際みたいな関係になるというのも微妙に違うけど、あの子が私のことを少しでも特別に思っていてくれたらな、なんて思っている。
一方通行で完全な片想い。
もう言ってしまいたい。好きだと。
去年も言うつもりだったのに言えずじまいで高校についてきてしまった。
「一緒の高校に? また同じクラスだといいよね。そっか。じゃあ勉強頑張ろ?」
笑顔でそう言うあの子――里桜のことが。
ごめん。こんな感情を持ってしまって。
ごめん。私なんかと一緒に居てくれて。
少し泣きそうになりながらもうん、と頷きシャーペンを握り直した。
*
教室に入ってまず目に入ったのは里桜の机に積み上げられたチョコの箱。
十個はあるであろうその箱を見つめたまま固まる里桜の姿と周りではやし立てる男子がいた。
里桜は積み上げられた箱のひとつを取り呟く。
「えっと、こんなに貰っても……どうしてこんなに」
「俺なんかまだ一個しかもらってねぇのに。お前は女子のくせにモテやがって!」
はやし立てていた男子の一人がぼやくとそーだ、そーだと笑いながら他の男子も同調し、クラスがどっと湧いた。
せっせとカバンと机の中に押し込む里桜の姿に少し、ほんの少しだけ妬きそうだった。
でも、私は妬くようなご身分ではないのだ。
ちゃんと渡したことすらないのに。
私の姿に気づいたのか眉を寄せつつ里桜がおはようと声をかけてくる。
「おはよう。遥〜、こんなにチョコ貰ったんだよ」
ちりっと何か胸に散った。
ちゃんと笑顔を作れているだろうか、引きつっていないだろうか。
「あはは。すごい数だねぇ……みんな里桜のこと好きなんだなぁ」
苦笑いを浮かべる里桜はどこか、虚しさを感じさせる顔をしてカバンをロッカーにしまう。
「好かれすぎっていうか……お返しが大変だよ、これ」
そう言いながらも嬉しそうな顔をする。
ちょっと目をそらしたくなった。
苦しい。
「あ、もう座らないと。じゃあ」
足早に里桜の席からは少し遠い自分の席に向かう。
ぽかんとしている里桜が見える。
また渡せないような気がしてきた。
そしてまた、呪文のように呟く。言い聞かせるように。
「今年こそは……」
*
どんどん時間は過ぎていく。三時間目が終わった休み時間。
里桜、と声をかけたが、隣のクラスの子が廊下から呼ぶ声の方が大きかった。
「えへへ〜、頑張って作ったよ」
「……ありがとう。お返しするね」
目の前でチョコを渡す会が始まる。
痛い、苦しい。逃げたくなる。あそこに目を向けてしまったら、涙が出てしまう。
中途半端に立ち上がった腰を下ろして、机に突っ伏す私は何も出来なかった。
昼休み。いつもご飯に誘ってくれる里桜に「ごめん、今日は違うところで一人で食べるから。ほら、またチョコ渡しに来てるよ?」なんて言って弁当を抱えて教室から急いで出た。
こんな調子で渡せるわけがないのに、里桜を避けてしまう。
こんな感じで五、六時間目と過ぎていき、結局はもう下校時間ちょっと前。
教室に一人残ってうなだれて、勝手に泣き出しそうな私だけがいた。
「もう、部活終わって里桜……帰っちゃったかな」
部活を終わって、友達とか後輩と一緒に帰っている頃だろう。
「うあー……今年もダメかぁ。自分のせいだけど」
また一人で食べるか明日にでも渡そう。
机に掛けてあったカバンを肩にかけ、だらだらと教室から出た。
渡したかったな――
涙が出そうになって慌てて拭おうとした時、廊下を駆け上がるドタドタと音がした。
「ちょっと、待ってよ――ッ」
肩で息をして、膝に手を置く里桜がいた。
部活終わってからすぐに来たのか所々、砂で汚れたジャージ姿だった。
「里桜? なんでここに、」
「今日、なんで避けてたの? 私、なんか悪いことした?」
いきなり肩を抱かれ、距離が詰められてしまったせいで逃げれない。
必死な声色と私をまっすぐ見通す視線は無視できない。
「してない。けど……ごめん、何でもないんだ」
情けなく目線を斜め下の廊下に逸らす。
口も震えて言葉尻が弱い。
「すごい心配したんだよ。嫌われることしたかもって……! 何でもないってなんだよ!?」
肩を揺さぶられ、自然と視線がぶつかる。
「そんなの、言えるわけが……私の痛みなんか」
別に避けたいわけでもなかった。
痛い、苦しい、逃げた。
お互いだんだん怒るような口調になってしまう。
「何それ。言ってくれなきゃ分からないことなんて沢山あるのに。話さずに避けられたって私はどうしたらいいんだよ」
さすがに私も少し頭にきたんだと思う。
勝手に期待しただけだし、勝手に失望しただけなのに。
「里桜が鈍感だから――だから、今日だって話そうとしたのに。伝えられそうになくて、また今日が終わるんだよ……!」
すうっと息を吸い込み、里桜の目を穴が開くほど睨みつける。
中途半端な怒気がこもった視線と言葉にたじろいで里桜が一瞬目を見開く。
昨日の夜シミュレーションしたシチュエーションはぶち壊し。
ずっと言いたかった一方的な言葉を投げやりに叩きつけた。
シミュレーションなんて意味ないなって。
「もう何年も前から――里桜が好きだった。こんな奴に好かれるなんて里桜はついてないね。今日だってくだらない嫉妬で逃げた私なんかに」
一瞬、肩に置かれた手が戸惑いを見せる。
そして力なく、だらんと落ちた。
言いたいことは言った。もう嫌われただろうな。だから、無言で去ろうとした。
のに。
ブレザーの袖をぐいっと強く引っ張られ、強制的に振り向くような状態になる。見せたくなかった涙でぐちゃぐちゃの顔を見られた。
鼻先で里桜が放つ言葉は、私が抱えてた痛み、苦しさのようなものを帯びてちくっと刺さる。
「もう避けさせないから」
さらに引っ張られ、視界が暗くなる。
瞬間、唇に押し付けられたものが分からなかった。
柔らかい里桜の唇だった。
察してしまうと逃げたいのに離したくない衝動に駆られ、結局動けない。どうせ袖を引っ張る手の反対の手で後ろから逃がさないように頭を抑えられていた。
およそ二十秒くらいだろうか。もっと短かったかもしれないし、長かったかもしれないが息が苦しくなって離す。
「遥こそついてないんじゃないの? 何年も前から人の好意に気づいてるのにそのままにする悪いやつに好かれて」
今年のチョコもたぶん不味く仕上がっているだろうけど、その味を里桜に押し付けてやろうと思う。
了