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転生機ゼフィルカイザー番外編 ~女騎士リリエラ・ハルマハット(30)の婚活~

作者: 九垓数

 夜の帳が降りた薄暗い部屋を、月と、夜空を両断する天津橋スペースブリッジの光が照らしている。

 部屋にはベッド、タンス、テーブルに椅子が一つと、最低限の家具が並んでいるのみだ。

 そのベッドの上。軍服を着崩して、膝をベッドから投げ出す形で横になった女の姿があった。

 だらしなく投げ出された両足は、ズボンの上からでもその肉付きの良さがうかがえ、緩んだ襟元からは熟れた谷間が覗いている。


「……まあ、都合が良すぎたってことかねえ」


 女、リリエラ・ハルマハットは、どこか自棄的な呟きを漏らした。十五で嫁入りを考えるのが常識の世において、三十という大年増の誹りを免れない年齢ではあるが、その仕草には独特の艶が感じられる。

 かつては没落した家を再興せんとする女騎士、それが故合ってごろつきを率いる女頭目に身をやつしていた。

 だが数か月前、炎の大公国トメルギアの公都で起こった騒乱において、リリエラは民を助けんとする王太子イルランドに助力した。

 その功によって精霊機エレメンタライザーフラムリューゲルを拝領し、かつてハルマハット家が歴任してきた公王代理騎士に返り咲くことができたのだ。

 だが今リリエラにあるのは、満足とは程遠い焦燥感だ。


「っとに、いい加減身ぐるみ剥がれるのともおさらばかと思ったんだがねえ。

 公王代理騎士、か。あんたと一緒にいられるのも、あとどんだけかね」


『嬢』


 リリエラが語りかけたブレスレット、そこに象嵌された焔色の宝玉が明滅する。これこそがトメルギア公王機たる紅蓮の精霊機フラムリューゲル、その顕現器だ。

『すまない。我の力が及ばぬせいで』

「別にあんたのせいってだけじゃないよ。あれは、私の手には余るわ」

 明日の正午、リリエラは公王代理騎士の位を賭け、決闘を行うことになっている。その敵手は、どう贔屓目に見てもリリエラより上手の相手なのだ。

 用いる機体も、操者の魔力もリリエラを凌ぐ。技量も、身のこなしから読み取れただけでも肌に粟が立った。


「トメルギアにゃあ人物はもう残っていないと思ってたけどねえ。

 あんな隠し玉があるたぁ、ナギウスメリン侯爵も人が悪い」


『……しかし、嬢。どうしてそこまで気後れしているのだ。らしくないと思うが』


「まあ、ね」


 息を深く吐いて勢いよく起こすと、たわわに熟れた胸の圧力で上着のボタンが外れ、中のものがこぼれそうになる。

 嘆息したリリエラはひとまず上着のボタンを全て外した。歳の割に張りのある肌に纏っているのはタンクトップだけだ。本来色気もなにもないはずのそれは、汗で張り付き、乳房の隆起、突起の陰影を露わにしていた。

 ミンミンと、夏の鳥であるセミの声が煩わしい。暑さに汗が浮いては、谷間へと零れ落ちていく。


「発端は下らんこと、黒幕の思惑もある、果たしあう相手が因縁つけてきてるのも身に覚えがある。

 騎士稼業なんてやってりゃ、こんなことは日常茶飯事さね。ただまあ……信頼されてるってのは、私の気のせいだったんかねえ」


 己の若き主の言葉が、未だにリリエラの中でわだかまっている。

 果たしてこのような心持ちで、敵手と相対できるのか。憂鬱げなため息をついたリリエラは、部屋のドアがノックされているのに気付いた。


「誰だい、開いてるよ」


 剣を手繰り寄せながら呼びかける。どこか及び腰に入ってきたのは、果し合いを受けてからこの方、見ていない顔だった。


「陛下……」


 鬣の生え揃わぬ、若獅子の少年。トメルギア公王、イルランドだ。

 普段の豪奢な装いではなく、平服姿だ。両腕で、何か包みを抱えている。


「その、リリエラ。夜分に申し訳ありません。少し、いいでしょうか」




 先の騒乱で公宮が崩壊したため、ベリエルクガン侯爵の公邸が、現在のトメルギアの仮本陣となっている。

 リリエラもそこに住んでいるので、こうしてイルランドが居室を訪ねてくるのは珍しいことではなかった。

 だが決闘が成立した折に一悶着あってから、リリエラはこの若い主君を避けていた。

 主君には椅子を薦め、自身はベッドに腰を下ろしたまま向かい合う二人は、しかし無言のままだった。

 蝋燭の揺らめく明かりが、二人をぼんやりと照らしている。

 腰かけた当初はどこか浮ついた風だったイルランドだったが、しかしリリエラの憮然とした様子に、今は沈んでいた。

 主君のそんな様に、リリエラも頬杖をついて目を逸らしている。


『……二人とも、口をきいたらどうなのだ』


 溜まりかねて口を出したのは、人ならぬ精霊機だった。うながしてきたブレスレットをひとまず外し、ベッドの際に置いたリリエラは、苛立ちを噛み殺しながら切り出した。


「して陛下、何用で」


「それは、その……」


 イルランドはなんというか、気恥ずかしがるように目線を右往左往させていた。だが、意を決したように、リリエラを見据えた。


「明日の決闘、どうか、出ないでください」


「……はぁ」


 リリエラは、ため息に籠った落胆を隠す気もなかった。


「陛下。正直あんたは、もそっと聡明だと思ってた」


 騎士としてではない、荒っぽい女頭目の口調のリリエラの瞳には、ただ幻滅しただけではない、咎めの色がある。


「一度目はいい。私の身を案じてくださる、そりゃあ光栄なことだ。けどねえ。そう何度も引き留めるってえのは、私の沽券に係わるってもんだ」


「……わかっています。ですが、僕はそれでもリリエラに、戦ってほしくないのです。

 あれほどの相手に、無事でいられるかどうか。そんなことで貴女を失いたくは――」


「――私の面子が潰れれば、自分の玉座までぶっ壊れる、そこんとこまで承知でおっしゃってるのか」


 公王であるイルランドには、出生に不明がある。

 先王と、その正妃の間に生まれた王太子。だが先王が没し、戴冠の儀において、その血筋に疑惑が生じた。

 公宮の地下には、"真なる玉座"と呼ばれるものがあり、先王に近しい血筋の者のみを認めるのだ。だが、イルランドは真なる玉座に弾かれた。即ち、先王の血を引いていなかったのだ。

 だが真なる玉座、その正体たる魔法文明伝来の遺産、大魔動機ヴォルガルーパーの認証システムは、機体ごと跡形残らず消し飛んでしまった。また戴冠の儀に居合わせた典礼官らも、その騒乱の折に死んでいる。

 証拠はほぼ隠滅されており、真実を知る最後の一人、イルランドの母は公都を去り、現在行方不明。

 さらに言えば母親の実家、ベリエルクガン侯爵家は、公王家の血筋に最も近くある。やや詭弁ではあるが、イルランドに継承権があるのは確かだ。

 しかし不義の子であるのも、また確かだ。物証がないだけで、その噂はトメルギア貴族の大半にとって周知のことだ。

 ではイルランドの王権を保証しているのは何か。一つは、母方の実家であるベリエルクガン侯爵家の力。だが、これはともすれば、侯爵家による王権の簒奪とも映る。それ以外にもう一人、イルランドの王権を支えているものがある。


「僕の、生まれのことですか」


「わかっているなら話は早い。不義の子であるあんたが王様として認められてんのは、自分で言うのもなんだが、私が忠誠を誓ってるからだ。

 フラムリューゲルを従えたハルマハットの女が、過去の因縁を流して、あんたを王と認めてる。だから、あんたは公王やってられんだよ」


 かつて先代の公王代理騎士、ガリカント・ハルマハットは、十八年前の内乱の折、ギルトール伯爵家の筆頭騎士に敗北を喫した。しかしルイベーヌ侯爵と協力しての二重の策によって、戦には勝利した。

 だが先王はその敗北を不服とし、己に恥をかかせたガリカントを斬首の刑に処した。ハルマハット家は取り潰しにこそならなかったものの、領地も館も召し上げられ、リリエラは令嬢としての生活を捨て、若いうちから働かざるを得なかった。

 さらには先王の妹、ハクダとの因縁によって、騎士としての地位も追われ、流浪の傭兵団、その女頭目に身をやつすこととなった。

 リリエラ・ハルマハットほど、トメルギアに刃を向ける義を持つ人間はほかにいない。そのリリエラが支持したからこそ、ほとんどの貴族たちは公王の出生について言及しないでいる。


「私が逃げたら、みんなこう言うだろうさ。

「何しおうハルマハットも、今ではこの程度」「そのハルマハットが戴いた王など、どの程度」、とね」


「ですが、敗れたとしても同じではないですか。貴女自身、自分が勝てると信じていないでしょう」


「ッ……」


 イルランドの言葉が、胸に刺さる。確かにそれはその通りだ。今のリリエラには、まるで勝算が見えないでいる。だが、それはそもそも、


「ならば無意味な決闘など――」


「……なら、あんたはどうなんだい」


「え?」


「あんたは、私が勝てるって信じてくれないのかい。それで、どうして勝てるって思えるんだい」


「そ、それは……」


 確かに手強い相手だ。しかしリリエラに引くことは許されない。ましてイルランドは、誰よりもリリエラを引き留めてはいけないはずだ。

 そのイルランドをここまで不安がらせていること、それこそが、リリエラを何より打ちのめしていた。


「……所詮、私みたいな粗野な女武芸にゃあ、この辺が限界ってこった」


「で、ですけど、もし敗北したなら――」


 敗北した場合、リリエラは公王代理騎士の座を追われ、決闘の相手がそのまま公王代理騎士の座に就くことになっている。

 すなわち、イルランドという神輿の担ぎ手の座に、そのまま居座れるのだ。決闘の相手、厳密には、その主家たる、ナギウスメリン侯爵家が。

 そうなればイルランドが思い描く政策は根こそぎ封じられ、公都はベリエルクガンとナギウスメリン、二つの侯爵家の暗闘の場と化すだろう。


「はっ、自分のお膝元がそう心配かね」


「そんなことはどうでもいいんです!」


 テーブルを叩いて、イルランドがいきり立つ。その剣幕に、リリエラはびくりとした。はて、何かほかに、敗北の際のデメリットがあっただろうか。


「……奴は、リリエラを、自分のものにすると言っているんですよ」


 ああ、それがあったかと、リリエラは手を打った。


「そういやんなこと言ってましたねえ。ま、生きてたらですけど。

 まあこんな大年増に情念燃やしてるってえのは、趣味が悪いったらありゃしない」


「……趣味が悪くて悪かったですね」


「へ?」


 イルランドの呟きの意図が、リリエラにはわかりかねた。だが、すぐに理解する羽目になった。

 立ち上がり、リリエラへと歩みよったイルランドは、どこかぎこちなく、抱えていた包みを手渡してきた。

「……とにかく、リリエラを、あのような者に渡すわけにはいきません。

 ――これを、貴女に」


 部屋を訪れたときから、後生大事に抱えていたものだ。さほど重そうなものではないが、なんだろうか。


「……開けてみてもよろしいんで?」


「どうぞ」


 包みを解くと、白い布地が目に映った。マントかなにかかと思い手に取るが、荒事に耐えるような生地ではない。広げてみると、果たしてそれは、ワンピースのドレスだった。

 見たところ派手さもなにもない質素なものだ。だが仕立てたばかりのようで、今の公都でこんなものを用意しようとすると、大変なことだろうとリリエラは思った。


「……ドレスかい」


「はい」


「……で、これは一体?」


「貴女への、贈り物です。決闘になど、出ないでください。

 どうか、ずっと僕のそばにいてください」


 イルランドは緊張からか、髭が逆立っていた。

 はて、と、リリエラは首をかしげる。

 自分にドレスを送る。負けたら嫁に行く自分への餞別だろうか。

 いやだが、決闘には出るな、側にいろという。

 自分の王位よりも、リリエラの婚姻がかかっている方が問題らしい。

 そしてこの、自分の齢の半分ほどの少年は先ほどなんと言ったか。あの言いようだと、少年も悪趣味な年増好きのようで――


「――――ッ~~~~~!!??」


 気づいた時には、顔どころか、全身が火を噴いたように熱くなっていた。


「へ、へへ、陛下!? ままま、まさか、じょ、冗談で、らっしゃいます、よね? こんな大年増のオバサンからかって――」


 先ほどまでの悪態はどこへやら。しどろもどろになりながら尋ねるリリエラを、イルランドはじっと見据えている。


「あうぅ……」


 その真剣なまなざしに、覚えがあった。民のために己の命を捨てんとしたとき、燃え盛る公都を救わんと赴こうとしたとき、この国を、トメルギア公王家の罪業と共に背負って立つと、リリエラに告げたとき。

 王の器を感じさせた、イルランドの本気のまなざしが、リリエラを射抜いていた。


「その、いつから、で?」


「最初に出会ったとき、貴女に諌められ、抱きすくめられてから、ずっと、貴女のことをお慕いしていました」


「ああ……」




「子供がそんな、泣きそうな目で死にたがるもんじゃない」


「あ、う……」



 先の騒乱の折、己が身を捨ててでもと言っていたイルランドを、リリエラは優しく抱き留め、諭してやった。

 ハクダを追い掛け回している最中だったリリエラとしては、だんびら片手にいきなり部屋に突撃すると言う不敬をかました印象の方が強かったが、それからずっと、イルランドはリリエラをそういう目で見ていたのだという。


「で、でもですね? 私、三十ですよ? 陛下の倍生きてて、下手すりゃ陛下くらいの子供がいてもおかしくない年齢ですよ?」


「たとえ貴女があと十、上でも、関係ないです」


 呼吸荒く、イルランドが断言する。駆け引きなど何もない、若さゆえの真っ直ぐな思慕に、リリエラはどうしていいのかわからない。


「慕われてるとは思ってましたけど、お母上の代わりとかそういうのでは」


 イルランドの実母スレイジアは、不義を暴かれた恥ゆえか、それとも息子の足枷となることを厭うてか、ある人物が出奔するのを追うように公都を去った。だが、イルランドは首を振ることもなく否定する。


「母に思うところがないではないですが、それとこれは、まったく関係ないことです」


「あ、はい」


 どうしよう。リリエラは絶句した。

 女など、当に捨てたつもりだった。

 兄の死で終わった少女時代、そこから先は家の再興のためにひたすら働く日々。騎士となり、隊を率いる身となり、流浪に身をやつし、その間、色めいた話など、何一つなかった。

 時折女友達の誰彼が結婚した、子供ができたという知らせをもらうたび、自分がつかみ損ねた女の幸せを思い、へこんだ。

 そして公王代理騎士として返り咲いた時、女の自分は死んだと思った。ハルマハットの名跡は、フラムリューゲルの次の担い手が継げばいいと、そう思っていた。

 彼女をその地位に任じた当人が、誰よりもリリエラのことを女と見ていたのだ。困惑もなにもするなというのが無理だろう。


「……もし、夜伽をお望みならば、そう命じてくだされば――」


「僕は、そんなのは望んでいません」


 困った。逃げ道が悉く塞がれた。

 イルランドが求めているのは、ただ一つ。他の何もかもを捨て置いて、ただのリリエラとして、この少年を受け入れるのか、否か。そういうことだ。


「……困らせてしまって、済みません。あれだけ屈強な方たちを従えているのです、僕のような若輩者では――」


「いやいやいや、違う、違うから。あのごんたくれ共はそういうのじゃないから」


 流石にそこは全力で否定する。ゴロツキを侍らせるのが趣味のあばずれの様に思われるのは流石に嫌だ。


「ならやはり、ケレルトのほうがいいんですか」


「え、なんでそこでケレルト君が?」


 イルランドの側近、ケレルトは、砂の大陸から戻り、再度出港した船に、正式な使節として乗艦していった。今頃はまだ海の上のはずだ。


「言っていたではないですか。後継ぎに困ったら、ケレルトにもらってもらおうか、と」


「いやそれは家名の話で、別に私をもらってもらおうとかは……というか陛下、ひょっとしてケレルト君を遠ざけようとして使節に?」


「まさか。僕の代わりに見分を広めてきてほしかっただけです、他意はありません」


 とは言うが、目が思い切り泳いでいる。


「……では、ひょっとして婚約者とか、そういういい人が?」


 向こうも引けないのだろう、これ以上切り返されまいと、突っ込んで聞いてきたイルランドの問いに、リリエラの頭が少し冷えた。目を伏せて、ぽつぽつと語り出す。


「……いいえ。婚約者はいましたけど、残念ながら、あの売女に、ね」


 リリエラの婚約者は、ハルマハット家と長らく付き合いのあった、大店の商家の次男坊だった。リリエラが苦しかったころから何くれと援助してくれた家だ。

 幾多の貴族や土豪、商家を籠絡し、破滅させてきた傾城傾国の売女、王妹ハクダ。リリエラの婚約者も彼女に籠絡され、破滅した。ハクダに刃を向け、流浪の身となったのも、それ故だ。 

 いまだ行方不明で、死亡したとの公式声明も出ているが、リリエラは確信している。あの女は必ず生きていると。そして必ず殺さねばならないと。

 だが、そう思うが、リリエラの中でかつての婚約者の姿は霞んでしまっている。ハクダへの憎悪も、婚約者当人よりは、その親族の仇というのが大きい気がする。何より本人の煽り様が頭に来たのが一番だが。

 ならばと伏せた目を上げて、リリエラを見つめる若獅子と目が合ったとき――冷えたはずの頭が、瞬時に沸騰した。


「あ、う……」


 猫科の形質としては鼻筋の整った顔立ち。綺麗に生え揃った牙。大きく開いた猫目は、闇夜に爛々と輝いている。鬣こそまだまだ生え揃わないが、既になかなかの貫録がある、有体に言って美少年。

 加えてこの歳で公王としての務めを果たせる器量の持ち主。

 イルランドが、この決闘から逃げることでどうなるか、わかっていないはずがなかったのだ。

 その彼が、民のため、一時は死すらも覚悟した少年が、王位をかなぐり捨ててでも、リリエラを欲している。

 それが、すさんだ道を歩んできた女騎士の胸を、何とも言えず熱くした。

 ――――女を捨てたなどと言うが、この大年増の女騎士、ぶっちゃけこういう方面にはやたらめったら初心うぶであった。


「わた、わた、私など、で、よろしけれ、ば――ンッ!?」


 他の何を言っても嘘になると、しどろもどろになりながら返事を口にし、終えた途端、押し倒されながら唇を塞がれた。


「んっ……お、お戯れを」


「戯れなどでは、ないです。リリエラは、無防備すぎです」


 荒い息に混じる獣欲を抑えきれないとばかりに見下ろすイルランドに、リリエラは今更ながら、もう一つ気づいた。

 来室したときイルランドがドギマギしていたのは、あれはリリエラが半ば肌着姿だったためなのだと。


「あはは、へ、陛下を誘惑しちゃうとわ、わ、私も、まだ捨てたもんじゃない――んっ」


 また重ねられる唇。髭や毛並みのちくちくした感触。


「リリエラに、捨てるところなんて、ないです。それを、教えてあげます。

 だから僕にも、女性のことを、教えてください」


「おお、教えるっていっても、私、その――あっ」


 それ以上は要らないとばかりに、三度、口がふさがれ――それ以上言葉は要らなかった。




『――――』


 謀らずも出歯亀をする羽目になった紅蓮の精霊機は、何とも居心地が悪かったが――しかし一方で、嬉しくもあった。

 先代の主が、幸せにならんとしているのが。そして、トメルギアの末裔が、愛する者と結ばれるのが。




「んっ……」


 日差しに、リリエラは目を覚ました。倦怠感漂う体はべたついており、それ以上に、抱きつく獅子の毛のちくちくした感触と、どこのとは言わないがまだ残っている異物感が、煩わしくも愛おしい。


「……そうか、夕べ……」


「うん……り、リリエラ?」


「あら、起しちゃったかねえ、陛下?」


 目を瞬かせるイルランドに微笑みかけるリリエラ。二人とも裸身のまま、いろんなものが混ざった汗でぐっしょりと濡れていた。


「いや、なんと言いますか、その……すみませんでした。考え無しに、勢いだけで」


「そんなこと言いなさんな。陛下の逞しいところが見られて、満足ですとも」


 ベッドから這い出て、窓から外を見上げる。日はちょうど中天に達したころ。


「夕方の約束だし、ま、身だしなみ整えるには十分かいね?」


「っ、リリエラ!? 決闘には出ないでいいと――」


 だがイルランドは、それ以上の言葉は継げなかった。シーツを巻きつけてイルランドを振り返ったリリエラ。その静謐なたたずまいに、圧倒された。

 そこでイルランドは理解した。リリエラに避けられていた理由、何をどこで間違えたのかを。だから、何より言うべきことを告げた。彼女が大切ならば彼女の身よりも大切にせねばならないものがあるのだと。


「……必ず。必ず勝利してください」


「御意……あ、それと陛下。私の方から言うのもなんですが、側をもうけることを考えてください」


「っ!? そんな、僕のほうに何か不備が――」


「いや、私、気軽に子を授かったりできないし」


 現状でも十二分に多忙な状況だ。そこでリリエラが産休などとったらえらいことになろうというものだ。

 あっけらかんと言うリリエラに、しかしイルランドは気づいた。リリエラは、決闘の後のことを話しているのだ。なら、何一つ憂うことなどないだろう。


「ですけど、昨日の今日で言うことですか? 流石にへこみますよ?」


「そういうことも考えなきゃならん身分さね、お互いね。それにトメルギアの公王家は少子の家系だからね、後継ぎは作ってもらわないと困るよ。

 なにより……我慢できるってのかい?」


「ッ……」


 いたずらっぽく言われたイルランドは、息が止まったようになり――リリエラの腕を取ると、引き倒した。


「あっ、ちょ、陛下!? あ、あれだけしたのに」


「リリエラが、リリエラがいけないんですよ……!!」



『――――――――――』


 紅蓮の精霊機はその盛りように当惑しつつも、嬉しくあった。

 トメルギアかハルマハットかは知らないが、後継ぎの顔が、早く見れそうだと。





 じきに日が暮れようとする中、公宮跡地では、集まったギャラリーが固唾を呑んで決闘者たちを見守っていた。

 不安がるイルランド派、愉快がる反対勢力に、さらに物見遊山のノリの宮廷雀たち。

 ただ一部、大声を張り上げて檄を飛ばす者たちがあった。トメルギア近衛連隊の徽章をつけた彼らは、しかし近衛というにはいかにもガラが悪い。ゴロツキ同然というか、そのものと言った風体の者ばかりだ。

 これはいずれもリリエラの配下だった者たちだ。リリエラが返り咲いた折、一味は解散するところだったのだが、一味の者たちは是が非でもリリエラのもとで働くことを望んだ。

 今までのような狼藉は許さない、調練も徹底的にやると告げられた一味だったが、近衛に組み入れられた彼らのうち、誰一人として音を上げることはなかった。

 むしろ、元々の近衛兵たちのほうが先に根を上げる始末だ。


「うおーっ! いけーっ、姐さーん!!」


「やっちまえー!!」


 他の宮廷雀たちがこそこそ囀る中、豪快なエールが飛び交う。そんな中、わずかに、しかし確かに、戸惑いの声も混じっていた。


「……でもなんつうか、今日のお頭、エロくかったべか?」


「何言うてるんや。姐さんが色っぽいのはいつものことだろうがよ」


「そーそー。あばずれっぽい割に堅物だし、かと思えば妙に隙だらけだし……なあ?」


 リリエラの配下たちは思う。つくづく俺ら、よく襲わずにいれたもんだと。だがその経験が、余計に何かを勘付かせていた。


「や、それが、なんつうかこう、つや? みたいのがあったってぇか……ドロフのダンナならなんかわかるんじゃねえか?」


 尋ねられた副長は、一息吐いて、


「俺らが考えることじゃあない。俺らは黙ってついてくだけだ。違うか?」


「そいつぁそうだ!」


「そもそも姐さんがいっくらエロいからって、手ぇ出せるわけもねえしなあ」


「空気が違うもんなあ」


 リリエラの配下たちは思う。正直俺らでは、姐さんを幸せにはできない、と。どれだけ無頼を気取っても、ゴロツキたちを気後れさせる気品が、リリエラにはあったのだ。

 まあだからこそ余計に辛抱たまらんかったのだが。もっとも、抜け駆けすれば他の誰かに殺されるのも目に見えていたわけで。

 そんなぼやきの中。


「……ガリカント様、お嬢が、なんというか……ま、騎士としちゃ忠を尽くすのみってな」


 かつてガリカントの近習も務めた、ハルマハット家唯一の家臣。やってきたリリエラとイルランドの手のつなぐしぐさでいろいろ察してしまった男は、複雑な笑いを浮かべている。

 一段落ついたら、故郷に戻ってみようかと、そう思った。待っていると言ってくれた幼馴染は、まあどうせ嫁に行くなりなんなりしているだろうが、顔を見ておくくらいは悪くないだろうと。




「ふン。逃げずにやってきたこと、まずは褒めて差し上げますわ」


 豪奢なドレスを纏った、見るからに貴族令嬢といった風体の少女が傲慢さを多分に含んだ嘲笑を浮かべる。

 鼻筋や耳、それにドレスから伸びる尻尾などから、ネコ科、奇しくもイルランドと同じ獅子の形質であることがうかがえる。


「全く、公王家に恥をかかせた家の生き残り、それもこんな貰い手もない大年増が公王代理騎士などと……天が許そうと、トメルギア公王の正妃たるこのワタクシ、メイミ・ナギウスメリンが許しませんわ!」


 手に持ったセンスを、びっ、とリリエラに突きつける。

 名乗った通り、少女の名はメイミ・ナギウスメリン。トメルギア東の大領主、ナギウスメリン侯爵家の長女であり、イルランドの正妃筆頭候補でもある。

 この決闘を挑んできた張本人だ。メイミはリリエラからイルランドに目を移すと、途端にその表情をほころばせた。その表情は、恋する乙女そのものだ。


「イル君、待っていてくださいまし。すぐにこのあばずれを、この世から消し去ってみせますとも!」


「……はあ」


「公王家に恨みを持つハルマハットがイル君のそばにいるなどと、メイミは耐えられませんの。イル君が害される悪夢に、何度うなされたか……」


「……左様ですか」


 目じりに涙を浮かべるメイミ。そこに相槌を打つイルランドは、それはそれは嫌そうな顔をしていた。


「……アレが婚約者とか、正直かなり嫌なんですが」


「まあ、悪い貴族令嬢そのまんまな感じですからねえ」


 齢十八となる娘盛りのただ中のこの少女、とにかくリリエラのことを目の仇にしていた。茶会の場など、居合わせるたびに嫌味を言ったり、見合いの身上書を突きつけてくるなど、その嫌がらせは多岐にわたった。

 リリエラ自身は年齢攻撃に内心くじけそうになりながらも受け流しつつ、しかしどうしてここまでリリエラを目の仇にするのか疑問に思っていたのだが――今となっては実に単純な事だった。


「ま、惚れた相手が別の女に懸想してりゃねえ」


 メイミの、イルランドへの思慕だけは本物だ。そのイルランドの視線が誰を追いかけているか、そこに何が籠っているか。気づかないわけがないし、それは穏やかではいられないだろう。

 そう思えば、自分に殺意を向けるこの少女が、いっそいじらしく見えてくる。


「これが女としての優越感ってやつなんかねえ。

 ……ま、その辺は陛下が躾けてやればいいでしょうよ」


「気楽に言ってくれますね。なら……鍛練に、つきあってくださいよ?」


「ひゃんっ!?」


 さわりと、尻を撫でられた。なんとも自然な手つきである。僅か一晩でここまで剥けるとは。にやりと牙を剥く若獅子に、リリエラは胸の奥が熱くなるのを感じた。


「……ひょっとして私、いらんことしちまったんかねえ」


「しかるに、このワタクシこそが誰よりもトメルギアの王統を、そしてイル君のことを想って――聞いていますの!?」


「「あ、はい」」


 正直、途中から全く聞いていなかった。


「侯女サン。お話は、もういいかね?」


 メイミの背後に控えていた男の尋ねる声。それだけで、場の空気が変わり果てた。まるで鉄を撃つ鍛造場のごとき熱気と圧力が、リリエラとイルランドに叩きつけられる。

 決闘を挑んできたのはメイミだが、実際に立ち会うのはこの男だ。二十代半ばの、特別目立つ形質のない騎士。そこからは、リリエラやイルランドを圧する魔力が放たれている。


「ええ。頼みましたわよ、ヴィノージャック! ナギウスメリンが筆頭騎士、炎翅フライズ・デ・フランメの異名を持つ、踏鞴たたらの精霊機が担い手よ! あのあばずれを縊り殺すのです!」


「そいつぁ困る。ありゃあ、俺が貰うって話だ」


 ヴィノージャックの獰猛な笑みに、メイミも流石に冷や汗をたらした。


「ッ……い、いいですわ。好きになさい」


「おうよ」


 走り去っていくメイミを見届け、イルランドもリリエラにうなずいた。


「では、御武運を」


「御意に」


 短い、しかし万感の思いのこもったやりとりを交わして、二人は別れた。

 ここから先は死地だ。二人の精霊機使いの間を、晩夏の風が吹き抜けていく。

 そもそもいくら侯爵家長女とはいえ、筆頭騎士を当主の許しなく動かせるはずはない。メイミの妬心は口実に過ぎず、その実は公王代理騎士をナギウスメリンの手に治め、トメルギアの支配権を牛耳ることだ。

 絵図を描いているのはナギウスメリン侯爵その人だ。なにせそのために、トメルギアに三機しかない精霊機の一つが目覚めたことを伏せ続けていたのだから。


「……しっかし、化けたもんだねえ、ヴィノージャック。あのボンボンがここまでになるたぁね」


「全部あんたのおかげさ、リリエラ・ハルマハット。あんたにぶちのめされた屈辱が、俺をここまで強くした」


 かつて東辺境に赴任していた折、領地の民に狼藉を働く領主の息子に出くわした。それがヴィノージャックだった。

 ナギウスメリン侯爵家ともつながりの深い伯爵家の跡取りということを笠に着たヴィノージャックだったが、リリエラは知ったことかとばかりにぶちのめした。魔動機まで持ち出してきたのだ、命があっただけ儲けものだっただろう。

 ついでに言えばこの件が発端となり、リリエラはナギウスメリンの暗部を知ることになった。折しもハクダが婚約先の家を潰したことをわざわざひけらかしに来て、その時ハクダを殺し損ねたために、リリエラは下野することになった。 

 侯爵本人がハクダに籠絡されていたとまでは考え難いが、おそらくナギウスメリン侯爵とハクダの間には何らかのつながりがあったのだろう。それを察しているリリエラが、公王代理騎士に返り咲いた。

 侯爵としてはこの機に、何が何でもリリエラを排除したい、そんな意図が見え隠れしている。


「あれから六年か? テメェが野に下ってからも、テメェを組み敷いてやることだけを考えてたんだ」


「こんなオバサンに、趣味の悪い――や、いい趣味してるわ」


「はっ、そういうところが、いい。そういうテメェを下して、俺の下に這いつくばらせてやれるかと思うと、なぁ?」


 ヴィノージャックの魔力が膨れ上がる。その魔力に呼応するように、瞳の中に妖しい、紫の光がほのかに揺らめいている。


『……奴は危険だ』


 フラムリューゲルが、焦燥を宿した警句を呟く。元より魔力を持て余している若造だったが、かつてはここまでではなかった。

 それに魔力に、なにやら禍々しいものを感じて仕方がない。大魔動機を乗っ取った、あの魔族の男に比べれば可愛いものではあるが。


「……あんた、邪教の奴に何かもらった?」


「はっ、お館は知らんが、俺は関係ねえ。こいつぁ、俺の力だ」


 背に負っていた武器が振り下ろされ、地面を砕く。それは鉄槌、それも軍用のものではなく、鍛冶場で用いられるような鍛造用の槌だ。ヘッドには、フラムリューゲルのそれに勝るとも劣らない、緋色に輝く宝玉が灯っている。


『何故そ奴を主と認めたのだ、デニヒィール!!』


『それだけの力量があった故よ、大兄』


 槌の宝玉に宿る精霊機、デニヒィールからは、紛れもない敵意が感じられた。

『大兄にはわかるまい。力量あるものは滅多に現れず、ろくに用いられもせず、故に性能までも侮られる我の苦悩など』


「安心しろや。明日にゃあ、お前が公王機だぜ、デニヒィール」


『応ともさ。旧型の分際で公王機などと、魔動機風情に破れ、その力すら疑わしい始末。今日で後進に道を譲ってもらおう、老害が……!!』


『嬢、来るぞ!』


「ああわかってる」


 伝わる圧力は圧倒的。リリエラを遥かにしのぐのは確かだ。だが不思議と臆する気持ちはない。

 かつてこの熱風がそよ風に思えるほどの、白い機神の力を目の当たりにしたからか。


「いや、違うね――」


 胸の中に、熱いものが灯っている。


「今日の私は、負ける気がしない」




 ヴィ・ノー・ジャック。ナギウスメリンの筆頭騎士にして、二百年近くにわたり使い手の現れなかった、踏鞴の精霊機デニヒィールの使い手。

 ナギウスメリン侯爵が内密にしていたこともあり、中央には知られていなかったが、強大な力でもってナギウスメリンの開拓を大きく推し進め、百を超すエルフのコロニーを焼き払うという武功を上げていたという。

 故についた二つ名が"炎翅"。その膨大な魔力と獰猛なる操縦センスから、もしベーレハイテンに生まれていたならば十二神将の座もあり得たとされる騎士。

 しかし、彼の評価はそこまでだった。

 彼の転機がかつてリリエラに敗北したことならば――彼の停滞もまた、リリエラに敗北したことだった。

 敗因を上げるとするならば――今日この日。



 六足二翼を備えた精霊形態のデニヒィールが、爆炎を上げながら公都の空を疾駆する。

 機動奥義ライザーアーツ、アフターバーナー。"炎翅"の二つ名の由来ともなった技だ。デニヒィールは火に加え、大気への干渉能力を持つ精霊機だ。その力を同時に用い、高圧縮した大気をプラズマ化させ、推進力へと変換していた。

 後にその武威を知られることとなる風の大公家の精霊機や、同じく魔王軍四天王の風の災霊機などと並んで高速機動戦に特化した精霊機。その機道奥義は、超音速での高機動戦という無茶を実現している。

 だが。


「なんッ、なんなんだ、おい!? 聞いてねえぞ、どうなってんだ!?」


『理解不能、理解不能……!!』


 炎を噴いて飛び交う双翅目は、追っているのではない、逃げ惑っていた。背後から迫る、紅蓮の翼から。


「――――この程度かい」


『笑止』


 紅蓮の精霊機フラムリューゲルが精霊形態。大気を巻き上げる羽ばたきは悠然としているが、しかし少しずつ、音速超過で飛び回るデニヒィールに追いすがっていく。


「なめっ、舐めるなあああっ!!」


 高熱大気を圧縮した火炎弾がいくつもフラムリューゲルに叩きつけられる。炸裂し、その爆圧がフラムリューゲルの纏う炎を弾き飛ばす。

 翼を散らされ、落ち行く火の鳥にヴィノージャックは喝采し――


「はっ、これで――」


「これで、なんだい?」


『覚え置け――不死鳥は、炎の中から甦る』


 火の鳥の翼が再び燃え上がり、羽ばたきを取り戻す。ヴィノージャックは目を疑った。これで、何度目だ?(・・・・・・・・・)

 デニヒィールの通常弾はそもそも通じず、炸裂弾を叩き込んでもすぐに再生する。精霊機が周囲の魔力を転換し己の力に変えると言っても、限度があるはずだ。


「確かに、リューは初期型さね。魔動機よか多芸だけど、後発の精霊機にくらべりゃ芸の質で劣る。

 けどねぇ。単純な分、出力はバカ高いんだよ」


『否、その出力、高温、我の記録を超えている……!!』


「そんだけの魔力、一体どこから――」


 もはや怯えを隠しきれないヴィノージャックとデニヒィールを、リリエラはもう見ていない。見ているのは遥か眼下、リリエラを見守っている若獅子だ。

 それこそがリリエラの魂の、魔力の源だ。


「忠誠を誓った主君のために戦う。

 国や民の安寧のために戦う。

 ……愛した男のために戦う。私は、幸せもんだ」


「ッ、見下してんじゃねえ、見ろ、俺を見ろおおおおっ!!」


『ヴィノージャック!? やめろ、そいつには手を出す――』


 音速超過の体当たりが突っ込んでくる。単純極まるが故に絶大な破壊力を有するデニヒィールに、フラムリューゲルはより一層大きく羽ばたき、飛んで火にいる虫を迎え撃った。




 ヴィノージャックの敗因は今日この日――人生絶好調のリリエラに挑んだことそのものに、ほかならなかった。

 彼は一命を取りとめたものの、何か憑き物が落ちたかのように穏やかになり、ナギウスメリンで引退するまで騎士として勤めた。

 後にこの話を聞いた転生機は、このように総括したという。


『そのアダ名の時点でなんかもう、なあ……とりあえず百年くらいしたら腐ってパワーアップして復活するかもしれんから、私がまだ生きていたら気をつけよう』




 ズタズタになったヴィノージャックを抱え、フラムリューゲルが降り立つ。機体がほどけ、地面に降りたリリエラは、立ちくらみに膝を着いた。流石に魔力の使い過ぎだ。

 そこに、何かが飛びかかってきた。


「わっ!? へ、陛下!?」


 抱きつかれて転びそうになるのを、どうにか押しとどめる。イルランドは涙をぬぐいながら、強く、リリエラに告げた。


「僕は、強くなります。もうこんなことが起こらないように。僕自身の手で、リリエラを守れるように。

 だからそれまで、僕のことを助けてください」


 誓約し、懇願する主君に、リリエラは膝を着いた。


「……ええ。このリリエラ、改めて、忠誠を誓いましょう。そして、信じています。貴方なら、どんな王よりも偉大な王になれると」


「っ……はい!!」


 笑顔で答えるイルランド。見れば、近衛隊やら高速回転する巻貝やらが走り寄ってきている。イルランドは名残惜しそうに離れようとし、しかし何か思い出したのかリリエラの耳元の口を寄せ――


「……今夜、また」


「ッ……」


 魔力欠乏の気だるさなど、一瞬で吹き飛ぶ。戦いの余韻に昂る肉体が、どうしようもなく打ち震えた。


「約束ですよ」


「そ、その」


 返事を待たずに先に歩いていくイルランドに嘆息しながら、リリエラはしかし、充足感を覚えていた。

 もし子供ができても、ハルマハット家を継がせればいい。そうなったら、きっと幸せなことだろう。考えると、口元がどうにも緩む。


「……っと、いかんね。恋する乙女じゃああるまいし。乙女じゃ……もう乙女じゃない……ふ、ふふ」


 引き締めた口元がまた緩む。視界の端では、焼け焦げてアフロになったヴィノージャックをメイミが蹴り倒している。その目が、リリエラと合った。


「……ふっ」


「ッ、キィーッ!!」


 正直大人気なかった。






「なのでもう、どうしたらいいか」


「お気の毒にとは、申せませんね。元は叔母のしでかしたこと。僕には、詫びる資格もない」


「そんな、陛下がお気になさるほどのことでは。それに、こんな愚痴を聞いてもらって」


「いいのですよ。王など、御意見番のようなものなのですから。いくらでも聞かせてください」


「陛下のお時間をそんなことに取らせるわけには――」


「貴女のことなら、何でも聞きたいんです、夫人――駄目ですか?」




 夏の暑さも静まりつつある昼下がり、バルコニーに設けられた席で、若獅子の少年が女性と熱心に語らっている。

 どこか陰りがあり、それがむしろ美しさに深みを与えている。妙齢という域は既に過ぎ、女盛りにも少し衰えがあろうかという、そんな年頃だ。

 そんな光景に、


「りりり、リリエラ・ハルマハット!? あああ、あれはなんですの、どういうことですの!?」


「まあちょっと落ち着きなってメイミちゃん」


「気安く呼ぶんじゃないですわ、この大年増!!」


 バルコニーの物陰、ハンカチをくわえて食ってかかるメイミをどうどう、と抑える。


「で、あのご婦人はどちらさまですの」


「ルメルロ姉様といって、私が行儀見習いに行ってた家の御令嬢。私より三つ上。嫁ぎ先のご主人をハクダに取られて出戻り中」


「この大年増より年上ッ……!?

 そ、それで、なんでその方がここにいますの」


「お家再興の為、私に坊ちゃんの後ろ盾になってほしいと――」


「子持ちッ……!?」


 あまりの顔の引きつり様に、まるで十も二十も老け込んだように見えるメイミ。だが気持ちはわかる。リリエラとて頭を抱えているのだ。

 コネは、利用する時もだが、自分が利用されるときはなお細心の注意を払わなければならない。一歩間違えば縁故採用の横行につながるからだ。

 だからひとまずイルランドに相談したのだが、イルランドが何故かえらく興味を持って――ごらんの有様だ。

 と、もはやいてもたってもいられないとばかりに、バルコニーに躍り出たメイミが、イルランドに駆け寄った。


「……失礼、僕の客のようです。メイミ姫、なんですか騒々しい」


「イル君、イル君は、このようなおば様でないと満足できないんですの!? ワタクシのような若い娘には興味がないんですの!?」


「ぶっ!? ちょ、メイミちゃん!?」


 あまりに直球な言いように、慌ててリリエラも走り出る。

 イルランドはふむ、と頷き――メイミに近づくとその顔を抱き寄せ、


「あ、その、イル君!? ワタクシ、その――」


 唇を奪われることを覚悟したメイミの、頬を、ネコ科のざらついた舌が、ぞるりと舐めた。


「あっ……え……?」


「……青い。そんなことでは、ねえ。

 あまり早々《はやばや》と、早熟はやうれの果実を食するのは好みではないのです。もっと、熟れ落ちる直前くらいでないと」


「ッ……やっぱり、あのあばずれのような大年増のほうがいいっていうんですのね!?」


「アバズレとは、まさかリリエラのことですか? その言いようはなんですか。あんなに純情で可愛らしいリリエラに。

 なにより鍛えられた肢体の味わい深さ、情熱を秘めた肉体……」


 最後まで言い終わる前に、首根を掴まれ吊り上げられた。そこには羞恥と怒りで顔を真っ赤にしたリリエラの姿。


「あの、リリエラ? 何故そんな怖い顔を――」


「言っていいことと悪いことがあるさね!? それも人前で! 大体なんだい、人を熟れ落ちるだのなんだのと」


「……リリエラ。僕は今まさに確信したことがあるのです」


「なんだい」


「僕は獅子の形質で、ゆえに肉食の傾向が強いです」


「ああうんそだね。で?」


「つまり、腐りかけてるほうが美味に――」


 最後まで言い終えることなく、イルランドは飛翔し、そのまま庭の噴水目がけて突っ込んだ。


「うわっ、なんだ!? また魔族が攻めてきたのか!?」


「一体どこのどいつだ、トメルギアの仮本陣に襲撃するとは――む? 子供? どこのガキだ――陛下!?」


 まだ小柄とはいえ人一人をオーバースイングした反動に肩で息をしながら、そんな喧騒に背を向ける。振り返ったら振り返ったで、凍り付いて固まったメイミと興味津々といった風のルメルロが待ち構えていた。


「……見苦しいところをお見せして」


「いえいえいいのよ? でも、でもまさかリリエラ、貴方陛下と? あんな若い子となんて、まさかそんな、まあまあ」


「……楽しそうすね。私んとこ訪ねてきたときの沈んだ様子はなんだったんすか」


「貴女の元気な姿を見てたら、すっとしたわ。苦労もあるでしょうし、貴女に負担かけても駄目ね。私も頑張らなくちゃ」


 そう気を張る姿は、ありし日の、はつらつとしたルメルロを思い起こさせた。


「あ……それと、気を悪くしないでほしいんだけど」


「なんすか」


「気のせいだと思おうとしてたんだけど……陛下、ひょっとして私のことを、口説こうとしてらっしゃったの?

 ああいや、自意識過剰とは思うんだけどね? そんなことになったらリリエラにも悪いし、でも……」


 少女のように顔を火照らせるルメルロに、途方もなく嫌な予感が走るリリエラだった。




 獅子王イルランド。公平にして聡明、先王の愚行によって衰退したトメルギアの威光を、一代の内に甦らせたトメルギア中興の祖。

 内政においても外交においてもその采配は見事なもので、ナギウスメリンの独立や、南辺境の都市国家群が発達していく中、山の大陸の盟主としての地位を保ち続けた。

 綺羅星のごとく英雄が現れたこの時代において、最も偉大な王の一人であると讃えられる彼だが、女癖については毀誉褒貶が合い混ぜになっている。

 トメルギアは少子の家系であり、一説には興国の戦の折、天竜王の呪いを受けたなどと言われていたのだが、イルランドは多くの子を残した。

 だが、彼は即位したばかりのころから自分よりはるか年上の、没落した家の寡婦、未亡人を好み、次々と後宮に迎え入れたのだ。そもそも正妃からして婚姻したときには年齢が倍近く離れていたという。

 側室との間に生まれた子女らは、母の家の名を名乗る形で独立。側室の連れ子も見どころのある者は猶子として扱われ、王家を支える家臣団を形成するに至った。

 魔女ハクダの残した爪痕を利用し、女を道具として扱った冷血漢とも見られがちだが――側室を迎えるときは一人の男として口説きにかかっていたことが、書簡や側室らの日記などより明らかになっている。

 ――――そもそもこの時代の英雄、女性関係の話をすればイルランドよりはるかに問題のある者やイルランドよりどうしようもなく問題のある者がいるので、偉大な王のちょっとした一面、程度に扱われるのがほとんどである。



 そして、このイルランドに最初に忠誠を誓った公王代理騎士、リリエラ・ハルマハット。

 年増好みのイルランドの琴線に触れた故に寵愛を受けたとも、そもそもイルランドの性癖の元凶とも言われる彼女。

 リリエラの懐妊が判明するとともにイルランドはリリエラを正妃に迎えようとし、トメルギア公宮は先の戦もかくやというすったもんだの大騒動に陥ったのだが――側室らの後押しもあって最終的にリリエラは正妃となり、一男二女を産み落とした。

 長男は次代の王となり、上の姫は次なるフラムリューゲルの使い手と結婚し、ハルマハット家は王家の分家として再興された。

 そして遅くに生まれた末の姫は、ともすればリリエラ以上に波乱に満ちた人生を歩むことになるのだが――それはまた、その時の話である。



 ……なお、さらに余談ではあるが。後世において、リリエラの騎士としての生き様は講談などで親しまれているが、艶物の主役としてはそれ以上に大人気だったりした。

 トメルギアの歴史艶物(エロ創作)といえばリリエラ物かハクダ物と言われ論争が交わされたり、しまいにはいがみ合っていた二人が実は恋仲だっただのと妄想されるのを、今のリリエラが知る由もない。

「知りたくもないよ、そんなこと!?」

 ごもっとも。

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― 新着の感想 ―
[一言] この世界、王族はなんかしら業の深いのしか居らんのか(素) リリエラさんおめでとうございます!
[良い点] 終了したエピソードのその後が分かるのはうれしいですね。 [一言] 最初気が付きませんでしたが、セリフと転生機の言葉でネタが分かりましたw100年後やばくなってましたなぁ。
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