謁見の間での出来事
本日二度目の更新です。
「お姉様どうしても嫌だと思ったら絶対に逃げて下さいね。龍人は怖いけれど、お姉様の為なら私が代わりに東の国へ嫁ぎますから」
「アザレリア、言って良い冗談と悪い冗談があるのよ。そんな事誰が聞いているか分らない場所で言っては駄目よ。自分の首を絞めることになるわ」
一昨日出来上がったばかりのドレスを身に纏った私達はいま王城の一室に居た。
いつもに比べれば私の髪型も幾分華やかだけれど、妖精の様に可憐なアザレリアの隣に並ぶのは遠慮したかった。多分同じドレスを着て同じ髪型をしてもアザレリアの方が人目を引くだろう。
妹には私に無い華やかさがあるのだ。
「でもね、お姉様」
緊張する私の側に座り、アザレリアはぷうと頬を膨らませる。
アザレリアの冗談はとても笑って済ませられる問題では無かった。悪意ある者が聞いたら私達家族全員の首が飛びかねないのだ。
「アザレリア落ち着きなさい」
「はい、お母様」
謁見の間からお呼びが掛かるのを私達は今か今かと待っていた。
陛下から結婚の話を賜ってから十日後に東の国の一行はこの国にやって来た。
長い長い花嫁行列は、とても華々しく王都の人間の興味を引いた。
市井の人々と違い、行列が通るからといって私達は迎えに出ることは無かったけれど、噂話はあっという間に広まりその日の夜には屋敷の奥に籠もっていた私にまで花嫁行列の様子が伝わってきたのだ。
「今日から暫くの間二人とも王城にお世話になるのだから、公爵家の人間として恥ずかしくない言動で無くてはいけないわ。特にアザレリアは注意なさい」
「はい。お母様」
今日から私がこの国を発つまでの間、私とアザレリアは王城の王妃様の宮にお世話になる。
王妃様の側に一ヶ月近く暮らすというのは、あまり気が進まないけれど仕方ない。
侍女のアリアを連れて来られたのは良かった。彼女は今王妃様の宮でメイド頭から説明を受けているところだろう。
「お姉様緊張している?」
「ええ、少しね。これから東の国の殿下と初めてお会いするわけだし。夜は陛下達と一緒に晩餐。その二日後は歓迎の夜会。十日後はシヴァジェイル殿下と東の国の王女の婚約式。ああ私と東の国の殿下も一緒に行うのよね。何だか目が回りそう」
目が回りそうと言いながら、考えていたのはこの婚約に至る理由だった。
あの日、王城から戻ったお父様から伺った話は、私の予想を超える物だったのだ。
我が国の南には赤い鳥の国、西には虎、北に蛇亀のくにがあり中心に我が国がある。
北は私の祖父である辺境伯が守りを固めており、南と西には高い山脈があるからおいそれとは襲ってこられる事はないが、東の国の国境付近では昔から、竜人達との諍いが絶えなかった。
東の国では龍人と竜人が居て国境辺りに住んでいるのは竜人なのだそうだが、私にはその違いが分らない。
竜人達は大きな戦の様な物を仕掛けてくることは今まで一度も無かったものの、気まぐれに国境近くの村を荒らして村人達を困らせていた。
竜人達の村は質素な暮らしで文明も禄に進んでいない様に見えるのに、力が強く魔力などもあるのか我が国の兵士が出ても勝利出来る事は無かった。
その小競り合いは、人の国を敵として攻撃を仕掛けてくるのではなく、退屈を紛らわす為だけにちょっかいを出してきている様にも見え、本来の力をわざと隠しこちらの反応を伺っている様にも見えた。
「東の国か」
隣にある国なのに、どんな国なのか情報は殆ど入ってこない。好戦的な国なのかすら分らず竜人の事で頭を悩ませていた陛下に、大臣達は東の国に使者を送り友好条約を結ぶ事を進言した。最初の使者が国を発ったのは今から数年前の事だった。
竜人の攻撃を躱し、命からがら東の国の王城にたどり着きてから細々と交流が始まった。
中々友好条約を結ぶ事は出来ず、こちらの国の使者が途中で息絶える事もしばしばあったらしい。平地が多い我が国に対し、東の国は王都にたどり着くまでには険しい道のりがある。山を越え谷を越え、決死の覚悟で使者が向かうのに対し、同じ道のりを東の国の使者は苦も無く隣町に来るような気軽さでやってくる。
それに陛下は恐怖した。
小競り合いですんでいる内はいい、だが相手が本気になったら? 竜人は碌な文明を持たない格下だと侮っていた陛下達は、その頃初めて格下なのは自分達だと悟ったのだという。
東の国の王族は宝石や美しい布を贈っても喜びもしない。それどころか、贈ったもの以上の物を簡単に届けてくる始末だった。何も勝てる物がなく、こびを売る事も出来ない状況では竜人の暴挙を止めてくれる様頼む事も出来ない。八方塞がりとなっていた陛下の元に婚姻の話が来たのは、龍人の気まぐれからだった。
なんと、東の国の末の姫がシヴァジェイル殿下の絵姿に一目惚れし、是非とも我が国に嫁ぎたいと言い出したのだ。その代わり王家に近い血筋の女性を東の国の王子の妻として、それを友好の証としよう。
友好の証を結んだからには、竜人の暴挙も責任持って対処しようとの誓約もあり、陛下は一も二も無く飛びついたのだ。
この話を聞いて、私が何とも言えない気持ちになったのは言うまでも無い。
私は要するに東の国の姫の婚姻のついで、実は成立しなくてもいい婚姻だったのでは無いかと虚しくなったのは仕方が無い事だろう。
国境近くの村人達の平和と安全の為といえば聞こえがいいが、ついでの様な婚約なら断っても良かったのかもしれないと気持ちが沈んだとしても誰も私を責められないだろう。
「お姉様、どうなさったの? 龍人が恐ろしいのね。可哀相なお姉様、今日は私がずっと側にいますからね。龍人に睨まれても負けませんから」
心優しい妹の励ましに、曖昧な笑顔で答えながらも頭の隅ではどうせ何人も居る妻の一人となる為に嫁ぐのだから、開き直ってその他大勢の一人として生きるのも悪くないと無理矢理思い込もうとしていた。
ここまで来て逃げる事など出来ないのだし、私の結婚で村人達が安心して暮らせるなら十分だ。
「大丈夫よ。アザレリア、私は大丈夫」
急に結婚を決められたのはシヴァジェイル殿下も同じ、彼は今どんな気持ちで東の国の姫と対面しているのだろう。王城で暫く暮らすと言っても、気軽に殿下に会いに行ける筈もないけれど出来るなら今すぐにでもお会いして殿下のお気持ちを聞いてみたい。
そんな衝動にかられながら、私は曖昧な笑みを浮かべながらアザレリアの華奢な両手を握りしめるのだった。
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「こちらからお入り下さい。中にお入り頂きましたらトリテア様は中央の陛下の御前までお進み下さい。公爵夫人とアザレリア様は、右手にいらっしゃる公爵のお隣へお進み下さい」
「わかりました。案内ご苦労様」
案内の人間に声を掛けるとお義母様は私達を振り返り、軽く頷くと開かれたドアからゆっくりと歩みを勧めました。
「あ」
お義母様中へと進み、数秒おいてから私が中へと入り数歩歩いたところで重苦しい空気に思わず声が漏れてしまった。
右手に持ったままの手袋をぎゅっと握りしめ、重圧に耐えながら私は一人中央へと進む。
目の前の一段高い所に陛下と王妃様が座っていて、右隣にはシヴァジェイル殿下の姿が見える。そして左隣には見た事も無いような美しい衣装を身に纏った女性と、もう一人長い髪を下ろした男性の姿が見えた。
「トリテア・ターナマーでございます。皆様に拝謁出来ます事、誠に誉れと存じます」
冷静を装いながらも、背中に冷たい汗が流れ落ちる。
礼儀作法として挨拶の姿勢は幼い頃から体に染みこんでいて、どんな場合でもその姿勢は崩すこと無く行えるつもりでいたのに、この重圧、威圧、誰からの物なのか分らないその圧力に倒れそうになる。
「礼はいい。トリテア良く参った。クヴァイシュ殿下彼女がトリテア・ターナマーです」
聞いた事の無い、媚びを売る様な陛下の声に動揺しながら顔を上げると、壇上にいた筈の男性がすぐ側までやってきていた。
「そなたがトリテアか」
「はい。殿下」
返事をするのが精一杯だった。謁見の間に入った瞬間に感じた重圧、それを発していた主はこの人だったのだ。今の私はこの重圧に耐え、笑顔を作る気力が無い。
この恐怖をどうやって克服したらいいのか分らなかった。
「随分震えているな。私が怖いのか」
「怖い、いいえ」
怖いのはこの人じゃない。いや、確かに怖いけれど。でも本人の怖さというよりは、これは。
強いものへの恐怖なのか、圧倒的な強さを持った人に感じる畏怖の心。
「では、何故震える」
どうしたらいいのだろう。体が震える、背中に流れる冷たい汗の感触が気持ちが悪い。
「それは」
震えながら助けを求め辺りを見渡した、その時だった。
見覚えのある、銀の髪。あれはお爺様だ。
「怖く等ありません。少し緊張しているのです。ただそれだけです」
お爺様の姿を見つけた瞬間、体の震えは止まりはっきりと話す事が出来る様になった。
「緊張。そうか」
お爺様が私を見ている。幼い頃にたった一度、お爺様の元に伺っただけの関係。
辺境伯であるお爺様と一緒に私は魔物の討伐に行った事がある。その時に教えられたのだ。「どんなに恐ろしい相手と戦う場合でも、己が恐れている事を相手に知られたら負けだ。怖いとき程相手を睨みつけ、余裕のある振りをする。決して隙を見せたり逃げ腰になるな。そうすれば勝機は見えてくる」子供相手に言うことでは無かったのではと今なら思うが、でもあれが最初で最後のお爺様からの教えだったのだ。
「初めてお目に掛かります。クヴァイシュ殿下。私、トリテア・ターナマーと申します。ターナマー公爵家の長女です。どうぞよろしくお願い致します」
クヴァイシュ殿下の目を見つめ、にこりと微笑んで挨拶した瞬間、私を威圧していた空気が霧散した。
「よろしくトリテア嬢。私はクヴァイシュ・トゥラポーゾ。あそこにいるのは妹のルドラザーデだ」
にこりともせずクヴァイシュ殿下は壇上の王女を指さすから、私は慌てて王女に向かい頭を下げた。
「トリテアというのね、どうぞよろしく」
姿だけで無く、声までも美しい。東の国の龍人はこの国の人間とは少し違う顔立ちをしているが、想像を遙かに超える美しさで私を一瞬で魅了してしまった。
「トリテア嬢」
「は、はい」
手を差し出され、私は手袋を外していたのを忘れて男性に挨拶されるときの様に左手を差し出してしまった。陛下の前に出る際は、武器を何も持っていない事を表す為に男女とも手袋を外す。その場合、挨拶される時は会釈をするだけにとどめるのだ。これは明らかなマナー違反だった。
「ふ。申し訳ないが、衆人環視の場で出来る事ではない。女性に恥をかかせるつもりはないが許されよ」
「え」
何故笑われたのかは分る。マナー違反をしたからだ。でも衆人環視の場では出来ないとはどういう意味だろう。理由が分らず戸惑う私に視線を合わせたまま、殿下は右手を軽く挙げ誰かを呼んだ。
「これは、私から婚約者殿への最初の贈り物としたい。どうか身に付けて欲しい」
殿下が呼んだ従者が両手で捧げ持ってきた豪華な箱の中には、美しい翡翠の腕輪が入っていた。
「翡翠」
「そう。私の色だ」
「殿下の色、ですか?」
首を傾げたまま、聞き返すと殿下は軽く頷きながら腕輪を手にとりそして、私の左腕にそれをはめてくれようとした。
「翡翠の腕輪。こんな見事な物は見た事がありま……せん」
沈黙が恥ずかしく、殿下の指先を見つめ違和感を感じて目を見開いた。
「どうなされた」
「いえ。殿下の色という意味が分っただけです」
違和感の正体はすぐに分った。そしてそれと同時に殿下の色という言葉の意味も。
「そうか」
「確かに殿下の色は翡翠色、ですね」
決して隙を見せたり逃げ腰になるな。そうすれば勝機は見えてくる。お爺様の教えが頭の中をぐるぐると巡る。私は上手く笑えているだろうか。多分笑えている筈だ、私にはこれは恐怖ではない。
「そうだな」
「綺麗な色だと思います。殿下の色を贈って下さりありがとうございます。大切に致します」
精一杯の笑顔で殿下にそう告げると、私は左手首につけられた翡翠の腕輪をそっと撫でた。
殿下の色と同じ、それは目の前の殿下の指先、手の甲ですぐに分った。
そして、龍人と我が国の人との決定的な違いを私は理解していなかったのだと、悟ったのだ。
「鱗は私達龍人の誇り、それを綺麗と言って貰えるのは誉れだ」
そう言って笑う殿下の顔は、とても美しく。私に、そして周囲に見せつける様にあげた左手はその笑顔に負けず劣らず美しい翡翠色の鱗で覆われていたのだった。